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<東京怪談ノベル(シングル)>


半人半馬



 生徒さんのあの想像力の高さは、どこで培われたものなのだろう。
「ケンタウルスって知ってる?」
 受話器の向こうの声は、急にそんなことを言った。
「はい、少し――」
 ケンタウルスは星座にもあるし、あたしも名前くらいは聞いたことがある。
「そう。良かったわ」
 相手――生徒さんの口に篭る笑い声が聞こえる。
「ちょっとね、興味があるのよ」
 クスクス。
(酔っているのかな?)
 これから「何か」を起こしそうな――企みを持つ者がする笑いだ。
「もしかしたら、再来週くらいに来てもらうかもしれないわ。人材派遣の……何ていう会社だったっけ……とにかく、そこから連絡があると思うから。ね?」
「わかりました」
「それじゃあね」
 ふと漏らす熱っぽい吐息。すぐに電話は切られた。
(生徒さん、どうしたのかなぁ……)
 人材派遣会社から「緊急」の電話があったのは、一週間後のことだった。
 明日すぐにでも来て欲しい、とのこと。
 何があったのかはわからないけれど、あたしは承諾することにした。
 明日、生徒さんに話を聞こう――。

 強風のために、肌寒い日だった。
 薄い長袖の服しか着てこなかったせいで、電車を降りて外へ出た途端、寒さを覚えた。風は刃のように木々の葉を散らして、あたしの肌をかすめていく。
「こんな日に、ごめんね」
 生徒さんはそう言って、紅茶を淹れてくれた。謝りながらも、その声は期待に満ちている。
「あの……何かあったんですか?」
「ええ。今ね、大きな実験を試みているところなの。――これなんだけど」
 それは茶色い塊だった。馬の後ろの部分を再現したものだろうか。二本の足がぶらりと垂れている。
「いつもとは違う感じですね」
 最初から足がついているなんて。これはやっぱり――。
「ケンタウルスですか?」
「そうよ」
 生徒さんは茶色い足の部分をあたしの目の前に持ってきた。
「この足をどう動かすか。これが課題だったんだけど、何とか上手くいったのよ」
 基本動作の試験は終わっているとのこと。
(それなら、安心してやれるかな?)
 ここまで来て断るのは元々無理だし、何よりこんなにソワソワした生徒さんを見るのは初めてだ。
(あたしに出来ることなら、協力したいもん――)
「これをつければいいんですね?」
「ええ」
 さぁ早く――と、生徒さんの手があたしの服に触れる。サラサラと風が吹くような音がして、衣類が床に落ちた。

 作られた足を触ってみると、思っていたよりずっと硬い。掌で握ると、その太さにも驚いた。
「馬の足にしては、少し太いんですね」
「ちょっと仕掛けがしてあるから、そのせいね」
「仕掛け、ですか?」
「そうよ」
 微笑む生徒さん。
「この仕掛けに苦労したんだもの。後のお楽しみね」
 生徒さんがあたしの後ろに回りこんだ。
「足を付けないとねぇ」
 そう言って、あたしの腰を掴む。弾力のある指が骨盤の上のあたりを強く捕らえた。
「動いたら駄目。絶対よ」
「は、はい」
 返事はしたものの、自信はない。
 生徒さんの手はあたしの腰をグッと前へ押し出すようにして掴んでいる。気を抜いたら、前へ倒れてしまいそう――目の前にあったテーブルを両手で掴んで、身体が動かないようにする。
「最初に固定するからね。痛いかもしれないけど、ちょっとの間だから我慢してね。あ、でもきつかったら言ってちょうだい」
 太い布が腰に巻かれていく。
 一回巻きつけるたびに、生徒さんが力を込めて布を引っ張る。あたしの手にも力が篭り、テーブルがギシギシと音を立てる――。
「きつくない?」
「はい、大丈夫です……」
 一瞬胸が苦しくなったけれど、後は楽だった。
 強く引っ張られる腰を忘れるために、深呼吸を繰り返す。ふっと息を吐いてから、吸い込む。吐いて、吸って。
「固定したわ」
 息を吐く。
「上半身のメイクもさせてね?」
「は、はい」
 生徒さんたち数人が刷毛を持ってきた。取り付けた足の色に合わせて作った薄茶色を、あたしの肌に乗せていく。
「そのままだと肌が白すぎるから、少しだけね。くすぐったくない?」
「はい。もう大分慣れてきたので……」
 実際、あたしは身をよじることはなかった。
 刷毛の感触――感じようによっては棘に触れているかのような痛みも伴うくすぐったさ――を、心地良く感じる程だった。
 そういえば――。
(あたしのメイクをしているときの生徒さんは、どんな気持ちでいるのかな――)
 あたしは、海の中にいる気持ちになったり、刷毛を生き物のように感じたりしていたけど、生徒さんはどうなんだろう。
「腿同士をつけないで、開いて。内側に色が塗れないから」
「は、はい……」
 さすがにここは少しくすぐったい――微かに痛みも感じる。
(でも我慢、我慢……)
 身をよじらないでいる分、胸が高鳴ってきた。自分の前でかがんでいる生徒さんと目を合わせたくなくて、わざと天井で視線をとめる。
(無理してるって、からかわれないかな……)
 木の葉が揺れるように、ざわざわと心の中が乱れていく。
「ああ、そうだ。これを付けないとね」
 そう言って、生徒さんはコードのついた茶色いものをあたしの腿にはりつけた。
「これは端末装置。何に使うのかはまだ秘密ね」
(端末なんて)
 まるで機械になったみたい。
 ――子供の頃を思い出すわ。
 生徒さんが呟く。
 ――子供の頃は画用紙を前に、クレヨンで落書きをしていたのよね。みなもちゃんが画用紙で、刷毛はクレヨン。そんなことを思ったりするのよ。
 子供に昔話を聞かせるような喋り方。刷毛の感触が遠のく。夢みたいに。
「顔もやらせてね」
 温かい指があたしの頬に触れる。
 目を瞑る前に、そっと自分の身体に視線を落とす。
 薄茶色に染められた肌は、さっきまでのあたしとは違う生き物みたいだ。

「出来たわ」
 生徒さんが持ってきてくれた姿見。
 上半身は血色の良い人間だけど、下半身は馬のあたしがいる。
(ケンタウルスなんだ……)
 当たり前だけど、ケンタウルスを間近で見るのは初めてだ。
 ――ケンタウルスはギリシャ・ローマ神話に出てくる半人半馬。粗暴な性格で、その性格から争いを起こしている。ケンタウルス族の中で有名なのはケイロン。彼は知的な性格で、いて座として今空に現れている――
(あれ?)
 そういえば、あたしの顔はそんなに変えられていない。目元や眉を強調するようなメイクはされているけれど、それだけだ。
(もっと野蛮な感じにするんだと思ってたけど――)
「あの、メイクはこれでいいんですか?」
 生徒さんはあたしの言葉を聞くと、いいのよと笑った。
「みなもちゃんは、みなもちゃんだから」
「? どういうことですか?」
 この質問に生徒さんは答えなかった。
 代わりに、姿見に映ったあたしの頬を、指の腹でなぞる。
「彼らの誕生理由を考えると、野蛮っぽくするのは何だか酷い気がしちゃうのよねぇ。まぁ、馬に乗った人間をギリシャ人が半人半馬と勘違いしたのがケンタウルスの始まりって説もあるし、何でもいいんだけど」
 と、今度はあたしの本物の頬を指でつついて、
「それにこの方が綺麗だわ」
 鼓動が聞こえる。
(綺麗なんて言われると、恥ずかしいのに……)
 生徒さんは真剣な表情であたしを見ている。
「みなもちゃんは絵になるタイプよね。同じギリシャ神話ならアンドロメダとか似合いそうね」
 ――舞台は夜の海にして、月明かりの下で岩とそして生贄にされ鎖で繋がれたアンドロメダがうす青く浮かび上がる。
「似合いそうじゃない?」
 ここでやっと生徒さんはあたしをからかう目つきになった。

 生徒さん曰く、ここからが“大事”らしい。
 仕掛けが何なのか、これでわかるのだ。あたしも緊張してくる。
「みなもちゃん。右足だけ、一歩前へ出してみて」
「はい」
 何だろうと思いつつ、右足を上げる。
 ギウィィィィ……。
 低音と共に、もう一つの足が上がった。これはあたしの足ではなくて――取り付けた右の足だ。
「す、すごいです!」
 フフ、と生徒さんは微笑んだ。
「上手くいってるみたいね。――右足をおろして」
 言われたとおり、一歩前へ出した足を床につける。と、同じようにもう一本の右足も床に着地した。
 わぁっ。
 自分ではないような声。あたしの妹みたいな反応に、自分でも驚く。
(だって、こんなことって初めてだもん)
 今度は左足を前へ出す。
 ギウィィィィ……。
 別の左足もあわせて動く。
 すごーい!
 何だか楽しい。作り物の足まで動くなんて。
「どうなってるんですか?」
「さっきつけた端末のおかげよ。それと繋がってるの」
 詳しいことはわからないけれど、これってきっと大変なのだ。
(上手くいくまで苦労したんじゃないのかなぁ)
 実現出来たのは生徒さんの実力だろう。
(いいな……)
 考えながらだったのがいけなかった。身体はバランスを崩し、視界が揺れた。
「きゃ……」
「危ないっ」
 床に身体をぶつける直前で、生徒さんが支えてくれた。
「大丈夫?」
「は、はい。ごめんなさい、うっかりしてて……」
「いいのよ。怪我しなくて良かったわ。重いでしょう? 無理もないわ」
 確かに、足がついている分、身体全体が重い。腰のあたりの違和感も消えない。うずくような感覚が背後にあるのだ。
(それに、束縛感も)
 これは固定するときに腰に布をきつく巻いたせいだろう。腰の部分だけが暑い。肌寒い気温だったのが救いだ。
 一歩一歩、ゆっくりでしか歩けないというのも辛い。疲れても座ることも横になることも出来ない。全身が不自由な訳ではなく、下半身だけが囚われているような感覚に戸惑う。
(どう過ごせばいいんだろう……?)
 仕方なく、一歩ずつ歩く。あたしの足につけられた装置のコードが、歩くたびに腿をこすって、くすぐったくてたまらなかった。
 生徒さんはノートに何やら書き込んでいる。
「こうやってみると、ちょっと動きが不自然ねぇ」
「そ、そうですね……」
 ギュイギュイと音を立てる機械。
「これで自然に動くのは難しそうですよね」
「そうねぇ。でもそのうち何とかしたいわ」
 その声には自信に溢れている。
(やっぱり生徒さんって……)
 あたしにないものを手にしている人なのだ。
 生徒さんを眺める。尊敬のまなざしを持って。

 装置をつけていた腿のところには、赤い跡がついていた。






終。