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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


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「いい月だぞ、見に、出て来いよ」
電話の向こうの相手はそれだけで意図を察し、現在地を簡単に確認しただけで通話が切れる。
 高台寺孔志は、二つ折りの携帯を掌の中で音高く閉じ、そのまま熱を持つ額に手の甲を押しつけた。
 正確には、額が、ではない。
 額にある三日月状の傷……その痕が開いた中心に宿る紅眼が禍々しい程に熱に似たけだるさを含む為だ。
 紅い瞳は恨みを呑む。
 満月の夜にのみ、開く瞳は現世の霊と対話する…この世に止まるべきでない霊魂の多くは、その生死に懸る無念や痛み、強すぎる感情に引かれて動けなくなる事が多い。
 そして、額に宿る眼はその足を引く負の感情を孔志自身のものとして身の内に取り込み、霊魂を軽く…人としての思考、感情を取り戻してやれる。
 その特性を活かして、孔志は魂を鎮め、無念を祓う。
 が、死の原因とも呼べる感覚を内に取り込む事は彼の身体に少なからぬダメージを与え、妖気を帯びた瞳は取り込んだ陰気を糧として力を増し、弱った孔志では制御が適わなくなる。
 代償めいた悪循環を絶てるのは、瞳を鎮められるただ一人…電話で呼び出した相手を待つ間、凌がなければならない。
 今も四肢が重さを訴えるのに、重力に引かれるまま座り込みたくなるのを意志で堪え、孔志は瞳を閉じた。
 現実を捉える両の眼の視界を立てば、額の裏側に映る映像、の感覚で額の眼が捉える世界が視える…死者の視点。
 その視界は魂によって違う…旧い者であればモノトーンやセピア、その、魂が持つ記憶に準じた旧い光景を写し、病で死した者であれば緑や紫を帯びるなど様々だ。
 そして今日、孔志が鎮めた女性…通り魔に故なく殺された、赤と黒だけの痛むような視界が現実のそれと重なって精神を摩耗させるのが辛く、せめてなり、緑の内に身を置いて全体に熱を帯びるような赤を打ち消そうと、公園に足を運んだのはその為だ。
 手で額の視界を覆って尚、赤を帯びる闇に奥歯を噛み締め、首を後ろに傾けた。
 額の眼が満月を捉える。
 それは紅の瞳と同じ色をしていた。


 橘巳影は受話器を置くのももどかしく、玄関へと向かった。
 満月の夜に誘いをかける、孔志の意図なら推し量る必要すらない…額に開く紅眼が制御出来ない事態に陥っているのだ。
 和装の裾裁きに歩幅が制限されるが着替えている間はなく、巳影は電話で確認した孔志の所在、近隣の公園へと夜の中を小走りに走り出す。
 通勤途中の道の脇にある公園はさほどの距離もないが、その距離が長く感じられて巳影は焦りに眉尻を下げた。
「お兄ちゃん……」
 公園に近付く程、空気の重みが増していく。
 孔志の額、死の痛みを抱えた紅眼は炯と色を増して時にそのまま孔志を呑み込んでしまうのではないかと、不安を覚える。
 その瞳が開く毎、内包する痛みを決して口にはしない…が、それがどんな物かを巳影は自身の記憶として知る為に、我が事のように胸が軋む。
 死の瞬間の記憶は赤い。
 激烈な痛みの中で制限される思考、そのただ一つに魂が囚われてそれだけしか、考えられなくなる…それを救って、終らせてくれたのは彼。
 生に固執して足掻く命を、花の如くに潔く、散るを介錯してくれた、彼ま苦しみを現世では自分が断たねばならぬのか、と死を抱える孔志を見る度に、不安を覚えるのは確かだ。
 嘗て互いが高台寺孔志でなく、橘巳影でなかった時代すら遠く隔てた今生でも、遥かに生きるに易くなった時代でも花が散るを止める手立てがないように…ならばせめて散る様を見届け心に止める、それだけしか思いの縁がないように。
「それだけは……イヤ」
走っただけではない鼓動の速さを抑えるように、巳影は胸に手をあて、拳を強く握る。
 す、と上げた眼差しに道の先、樹影が暗く影を落とす公園が見える…その先を見据えるように青い眼差しは澄む。
 巳影の足運びが変わる。夜陰に駆ける、音無き疾駆はアスファルトの上で容易にその速度を上げた。


 その独特の気配、に敏感なのは元からの性質が生業に特質化された、それだけではない。
 氷川笑也は夜気に縁取られてか、殊更明確な妖気の出所を辿って人気のない公園へ行き着いた。
 強弱に関わりなく、妖気、邪気の類であれば悉く滅する。
 だが、その是非に関わらずとも、笑也の追う濃厚な妖気はそれと感知する能力を持つ者であれば無視出来ない強さを持っていた。
 あまりにあけすけな気配に、何か目的があるのではないかという懸念が過ぎる。
 押さえようとすらしない妖気は漂う先に更に強さを増し、まるで香り高い蘭が羽虫を誘うが如く濃密な香を持つ…蘭は、蜜など持たぬというのに。
 笑也は心中の警戒と緊張を表情に出す事はなく、緑濃い公園の敷地の奥、妖気の続く先へと歩を進める。
 緩急をつけて遊歩道めいた道の左右、頭上に張り出す枝がざわと鳴る…そこで笑也は足を止め、広場の先へと目を凝らした。
 その先には、人の立ち姿がある…背をこちらに向け、緩く天を仰ぐ、その人影を中心に渦巻く妖気に梢が鳴るのに眉を顰める。
 外見はただの人であるが、魑魅魍魎の類が持ち得ぬ妖気に安易な憑依ではないと判じ、笑也は用心深くその所作を伺った。
 笑也の眼差しを受けてか、その長身の人影は重心を変え、前身を傾ける…緩く閉じた両の眼、顰められた眉の間の上で禍々しく月光を含んだ紅い瞳が、笑也の姿を捉えてぎょろりと動く。
 確かに合う視線に、隠れるも無駄かと木陰から出た笑也に、人影…青年は向き直った。
 妖気は変わらぬ濃さで、だがそれが笑也に向かう気配がないのは、こちらを敵と認識していない為か。
 だが、警戒はそのままに笑也は無言のまま、相手を見つめた。
「……見世物じゃねぇぞ」
咽の奥から絞り出すような言に凄味を持って開かれた両眼、こちらは髪と同じ茶の色が笑也を捉えた。


 笑也と孔志は、互いから視線を逸らそうとせず、対峙の形に立つ。
「どうしても見てぇってんなら……」
孔志は片頬を歪めるように笑うと、片手を差し出した。
 その動きに警戒して咄嗟、半身の構えを取った笑也に差し出した手をひらひらと上下に振ってみせる。
「金払え。三百円」
微妙な金額を要求されるに笑也はただ沈黙し、孔志は肩を竦めた。
「最近のガキは冗談も通じねぇからヤだねぇ」
その様子に、笑也は構えを解かぬまま、固い声で問う。
「その眼で何をしようとしているのか」
「何……だと思う?」
問われた意味に一瞬詰まった後、孔志は薄く笑って逆に問い返した。
「やれる事はまぁ、人を操るとか」
笑みを深めた孔志の言に合わせるかのように、額の紅眼がぎろりと笑也をその眼差しに捉える。
「殺して魂を喰い尽くすとか、そんなトコか?」
笑也は固い表情で、孔志の言に感情の籠もらない声を返した。
「させません」
断言がそのまま敵意として向けられるに、孔志は首の関節をこきりと鳴らす。
「あぁ、そんな事だと思ったケドよ……」
言って孔志は軽く拳を握る。
「まぁ時間潰しにゃなるか。口だけじゃなくてかかって来いよ」
 余裕の笑みが、片手で招く。
 笑也は表情を変えぬまま、強い踏み込みと同時、突き込んだ拳を孔志は腕で払い、流す。
 小気味の良い音を立てた一瞬の攻防に距離が縮まり、互いの視線が近くなる。
「お前、頭固いのな」
孔志がその近さで口の端を苦笑の形に上げた。
「……黙れ」
魔物とこれ以上、言葉を交すつもりはないと、笑也は軸足で地を踏みしめると横様から蹴りを叩き込もうと、した。
「やめて下さい……ッ」
その間を突いて、制止を発する声が人影と共に間に割り込んだ。
 勢いに乗った蹴撃は止める事が出来ず割って入った人影にそのまま当たる…かに見えた。「この……バカ!」
が、標的としていた相手が驚愕に表情を変えると同時、一の腕でそれを阻むに直撃は免れる。
 間に割り込んだのは和装の女性…衝撃を軽減されたとはいえどその軽さ故か、相殺されきらなかった勢いに体勢を崩して、後ろの茂みにそのまま倒れ込んだ。
「巳影!」
孔志が名を呼んで駆け寄る相手に、笑也は倣う事も出来ずにただ立ち尽くす。
「痛……た」
肘で上体を支えて起きあがろうとする巳影の背に手を添えて支え、孔志はさしてダメージを被った様子もないのに僅かな安堵に憎まれ口を叩いた。
「何やってんだよ、とれぇな」
「トロい……じゃないでしょ!」
巳影は言ってぺちりと孔志の額を平手で叩く。
「またケンカして……お兄ちゃんが原因なんでしょ」
疑問形でありながらも半ば確信的な問いに核心を突かれて、孔志がぐ、と詰まる。
「いや、だって期待を裏切っちゃ悪いと思って……なぁ?」
親しげな会話に置いてきぼりを食らっていた笑也は、唐突に話しを振られて動揺する。
 親しげな様子に、妖気を宿した青年の既知であるようだ…が、女性の方には妖気は欠片も見えず、只人である事が判じられる。
 巳影が笑也を見つめるに言葉が出てこないまま、孔志の手を借りて立ち上がりかけた一瞬、眉を顰めるのに足が一歩出るも、掲げた右の腕に認めた赤にそれ以上進めなくなった。
「倒れた時に枝で裂いたのか? 後残るぞ、トロいな」
巳影の右肘の内側、走る傷を検分しながらの孔志の言が耳に届き、更に動けなくなる。
「もう、いいから。お兄ちゃんは黙ってて」
それよりもこちらが先、とばかりに巳影は左手だけで着物の乱れを直し、笑也の前に立った。
「ご迷惑をおかけしました。また、従兄弟が悪ふざけをしましたでしょう?」
その巳影の謝罪にも、着物を汚さぬように押さえた袂に…白い肌に走る赤を凝視する笑也の目を巳影は覗き込んだ。
 意識を捉える赤を、青い眼差しに遮られて笑也は身を引きかける。
 が、逃れるを許さずに合わせられた眼差しは、何処か意を突かれたような表情を引き出し、そこで初めて、笑也は巳影をまともに見た。
「気にしないで」
謝罪を紡ぐより先、巳影はふわりと笑って袂を支えた手を離すのに、赤は、着物の淡い色彩に覆われて姿を隠す。
「気にした方がいいんじゃねーの? 原因は間違いなく……」
「お兄ちゃん!」
背後に立った孔志の腹に左の肘打ちでそれ以上の言を阻み、巳影はもう一度、笑也に微笑みかけた。
「本当に、気にしないで」
言い、孔志を促して立ち去る巳影に謝罪出来ぬまま、笑也はその背を沈黙のままに見送った。


「いらっしゃいませ」
とりどりの色彩に溢れる生花店の敷地に足を踏み入れてかけられた声に、笑也は踵を返したい衝動を抑えた。
 迎えた和装の店員が…先だって公園で出会した、巳影だった為である。
「あら、あの時の」
しかも相手にしっかりと顔を覚えられていた。
「あの後、店長から理由を聞いたんですが……言ったようなのをした事はないですから安心して下さいね。からかってしまったんです」
重ねての謝罪に、本来は自分が許しを請うべきであるも、言葉が出ずにただ無表情の下、胸中にのみ焦る。
 それを見上げた巳影は、しばし凝っと笑也の赤い瞳を見つめてまた、ほんの少し笑んだ。
「気にしないで」
胸中を見透かされるよな、澄んだ青。
「お花を御覧に来られたんでしょう? お使い物ですか?」
話題を切り替えられ、笑也は咄嗟に頷く。
「母の……墓前に供える、花を」
その言葉に、巳影はしばし動きを止めた。
「なら……菊の花だと少し寂しいですね。白い花でお作りしましょうか」
言いながら、白い柔らかな花弁を持つ花々を示す。
「……お願いします」
はい、と短く答えた微笑みに笑也は左の耳の後ろから長い、一房の髪に手をやった。
 彩糸に纏められた護り、母の遺髪に無意識に触れる。
 胸の内が奇妙にざわめく…それは後悔や力を求める気持ちと酷似するようで、相反するようで。
 胸中に判然とせぬ感情に落ち着かない心持ちを持て余しながら、笑也は立ち働く巳影の姿を見つめていた。