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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


猫股リローデッド


 今日もネットカフェのとある個室からは、休みなくキーボードのタイプ音が響いている。それはひとつの音楽のようであり、演奏者は瀬名雫その人であった。
 雫が躍起になって調査しているのは、とある『猫股』にまつわる噂だ。
 猫股といっても、古くから伝えられているような、主人の血をすすったり、踊り狂ったり、空を飛んだりする典型的ものではない――いや、むしろその習性じたいはさほど変わらないのだが、その発生源がいかにも現代的なのだ。
 現代の猫股は、都市を毛細血管のように広がるインターネット回線を経由し、外部と繋がれたありとあらゆるパソコンに感染する。――どうやら猫股は『ウィルス』らしいのだ。
 感染したコンピュータを使用した者は突如発狂、猫のように身体をしなやかに曲げながら飛び跳ね、どこかへ逃げ去ってしまう。今日まですでに被害は11件、したがって行方不明者も11名。発生場所は、中流家庭のリビング、中学校のコンピュータ室、一流企業総務課のオフィスと様々だ。行方不明者にもこれといった共通点はない。発狂する直前までパソコンと向かい合っていたという点を除けば。
 むろん、これはネットの仲間うちでだけまことしやかに囁かれている、あくまでも噂の段階で、現場を見たという者は少ない。しかし、月日の流れとともに事の仔細はリアリティを増し、噂は信憑性を帯びてきていた。
 もっとも歯がゆかったのは、雫自身が噂の尻尾を未だに捕まえてないということだった。これはオカルトサイト『ゴーストネットOFF』の沽券に関わると言ってもいい。
 そしてこの日、彼女はついに尻尾をつかんだ。しかし、尻尾はモニターの中にはなかった。
 雫のちょうど真後ろの個室で、耳をつんざくような悲鳴が轟いた。その声は、悲鳴というより発情した春の猫のそれに似ていた。それで確信できた。
「もらったぁ!」
 はつらつとした声で、雫はカメラ片手に向き直った。
 ――が、
「もらったぁ!」
 一字一句まったく同じ言葉が、隣の個室からも飛ぶ。
「ぬっ」
 雫は思わず声を漏らした。憮然とした表情で隣の個室を見る。
「ぬっ」
 と、雫の見た者も不満げな声を出してこちらを睨んでいる。まだ幼い6歳くらいの女の子だ。はっと息を呑むほど美しい、銀色の髪と、銀色の瞳――、そして陶器のようなつややかな頬、ふくれっ面をしているが、全然迫力がない、まさにお人形さんのような少女だった。
 見つめ合う雫と少女は、同時に悲鳴のした個室へ首を動かす。
 猫股と化した12人目は、スーツ姿の女性だった。どうやら仕事帰りに被害に遭ったらしい。個室のついたてにの上に器用にまたがり、背を不自然に丸め、顔を腕でこすり、のどの奥から声を搾り出すように啼いている。口の端から涎がこぼれ、顎から下へ糸を引いている。
 雫は当然、猫股の姿をカメラに収めて、それで終わりにするつもりはなかった。このあわれな女性を元の姿に戻し、行方不明になった人びとも救い出し、あわよくば、事件の真相すべてを白日の下にさらす!
 ――と、そこに、
「そこの人、ジャマしないでね」
 銀色の髪の少女が誰にともなく宣言した。
「みあおは、ウィルスを手に入れるんだもん!」
「は?」
「感染させたい子がいるんだもんねー」
 この子、とんでもないことを言っているような……。雫は、あからさまな視線を『みあお』と名乗った少女に向ける。
 緊張感のかけらもない満面の笑み。そのうえ、小さな手には、カフェで買ったばかりのCD−ROMがある。
 まさかこの子……、パソコンからウィルスデータをコピーする気かしら。自分が感染するかもしれないって、少しでも考えないのだろうか。
 そのとき、猫股が赤ん坊のような声を上げながら跳躍した。油断していた。元は人間の身体である猫股に、これほどの力があるとは思わなかったのだ。
 雫の目には、真横に飛んでいく猫股はスローモーションのように見えた。裂けたストッキングの間から筋肉質な肌がのぞいている。ウィルスは人の運動能力まで変えてしまうらしい。
 猫股の跳躍の先は、カフェの出口だった。正規の出口ではない。彼女は西側に面する窓ガラスを、全体重を乗せて蹴破ったのだ。
 周囲にガラスの破片が飛び散る。近くにいた客たちが金切り声を上げる。
「逃げた……!」雫は落ちていたハイヒールの踵を拾い、苦い顔をする。
「みあおにまかせて!」
 女の子が、ずい、と手に持っていたディスクを雫に押し付けてくる。
「なに……?」雫が無意識に受け取ったその瞬間、目の前が真っ白になった。
 鼻をくすぐる感触の正体は、視界が回復してから分かった。羽根だ。雪の結晶にも似たその白い羽根は、触れてはいけない神聖なもののような気がした。
 肩に重みがかかる。
「こっちは雫にまかせる。お願いね!」
「あ、ちょっと!」
 言うが早いか、耳元で囁いた小鳥は壊れたガラスの穴から外へ飛び立った。反論することも、鳥がしゃべった――などと感慨にふける時間さえ、雫には与えられなかった。
 雫はむっつり顔をした。まかせられたのは、パソコンからウィルスをコピーすることでしょうか。
「危険な仕事はあたしに押しつけるつもり……?」
 とはいえ、逃げたOLさんはたしかに空から追跡できるみあおに任せるのが得策だろう。ブツブツ言っている暇はない。ここはお互い今できることをやるべきだ。
 ――噂では、猫股になった人びとが使っていたパソコンからは、何の痕跡も得られなかったという。ウィルスらしきプログラムも発見されなかったと聞く。感染の恐れはないはずだ。……噂を信じるならば。
「あ」
 マウスを動かして数秒、雫は完全な手ごたえを感じた。それはゴーストネットOFF主宰の彼女にしかわからない、敵にとっては致命的な、究極の手がかりだった。

 猫股の逃げ足はそれこそ脱兎のごとく、鳥に変身したみあおでさえ、見失わないように全力で羽ばたかなければいけなかった。
 商店街から裏路地に折れて数分、OLさんは、建物の中に入った。
 それは、もう何年も閉鎖されたままらしい廃工場だった。高い塀と有刺鉄線が周囲を覆い、空からでなければ敷地の中は完全な密室だ。
 みあおは羽を休めるため屋根の上に降りた。めくれたトタン板から中の様子がうかがえる。
 内部は、錆びた鉄の臭いで充満していた。切り削られた金属の屑が赤黒い山になって積もっている。その山の裾野にある肌色が、みあおの視線をすぐに引きつけた。
 一見、捨てられたマネキンのように見えたが、間違いなく生身の人間だった。無造作に、折り重なるように倒れている、サラリーマン風の中年男性、学生服の男子生徒、エプロン姿の女性――総勢12人。さっきのOLさんは、いちばん上に覆いかぶさっていた。それこそ、魂が抜けたみたいに。
 そして、その人体の山を見下ろすように、黒づくめの何かが立っていた。
 フードが脱げ、栗色の髪があらわになる。瀬名雫とそう年齢の変わらない子供に見えたが、みあおの目には明らかに異質なものだった。
「これでやっと12個……。めんどくさいことさせるよね、もう」
 闇に溶けそうなほど黒いローブに身を包んだ子供の声は、まだ幼かった。みあおよりちょっと上くらいの年齢だろう。手には杖を握り、その先端にはめ込まれた紫の水晶は、薄暗い屋根の下でもほのかに輝いていた。
「クレーマーのやつ……、もっと効率のいい方法を考えなさいよ。これだけエサの宝庫なんだからさ……」
 と、子供はひとりごちている。
 みあおは思わず口に出していた。この子の姿はまるで……、
「魔女――」
 そのとき、黒づくめの子供がみあおのいる方向をがばっと振り仰いだ。まさか……、今のつぶやきが聴こえるはずがない。でも、一直線にこちらを見据えている。まるで、透明な針で目を射抜かれている気分だった。
 そしてみあおは見た。子供の飴のように丸々としていた黒目が、針の形にぎゅっと小さくなるのを。
 とっさにトタン屋根を蹴った。少しくらい音を立てても構っていられなかった。
「猫……、ば、化け猫……!」
 みあおは小さな心臓が爆発しそうになるのをこらえながら必死に羽根を動かした。遠くへ、できるだけ遠くへ――。

「みあおちゃん、帰ってきて正解」
 半べそ状態で帰ってきた少女を、雫は笑顔で迎えた。
 ネットカフェはガラスの割れた箇所と、件のパソコンを中心に黄色いテープがあちこちに巻かれ、今も警官たちが忙しく動いている。
「でも、せっかく犯人見つけたのに……」
「アジトを見つけただけでも大手柄だって。捕まえるとか面倒くさいのは、大人の仕事」
 みあおには、雫の言葉が励ましの言葉だとわかっていたが、胸に残った悔しさは消えない。すごすごと帰ってきた自分が、無性に許せなかった。
「そうそう、みあおちゃん。こっちも収穫があったよ!」
 雫は弾む声で、みあお本人から受け取ったCD−ROMを見せる。
「これが……しゅうかく?」
「そう、なんだかわかる?」
 みあおはきょとんとした顔で首を振る。
「この中に入ってるの。いなくなった人の『魂』が、全部」
「た、たま……」
「しっ!」
 雫は自分の人差し指を口元に当てて、共犯者の笑みを浮かべる。その後、みあおに詳しく説明してくれた。
 被害にあった例のOLさんは、オカルト関係に興味があったようで、猫股になる直前まで、雫本人のサイト、『ゴーストネットOFF』を見ていたようなのだ。
 事実、アクセスログが残っていた。OLさんがゴーストネットOFFに訪問する前のページのアドレスが、見事なまでに。
 そこでは、OLさんの魂と猫股の魂の交換が行われていた。彼女の魂はデータ化され、ウィルスとコンピュータを介してネット中のあらゆるサーバへ保存され、代わりに、猫股の魂が彼女に乗り移ってしまった。
 タチの悪いことに、問題のサイトを閉じた瞬間に、ウィルスが発症するようにプログラムされていた。だから、今までそのサイトの存在が明るみになっていなかったのだ。だが、雫のサイトのアクセス解析機能が、とうとう尻尾をつかんだ。
 そして、みあおも消えた魂の入れ物を発見した。今頃、押っ取り刀の警察が大挙して例の廃工場に向かっていることだろう。あとは、雫の手の中にあるデータを、再び12人の身体の中にそれぞれ戻してやればいい。
「――でも、犯人、どうしてそんなことしたんだろう」
 と、みあおは思ったことを口にする。
「つまり、人間に猫股の魂の『運び屋』をさせていたってことなのかしら。あまりスマートな手じゃない気がするけど。まあ、捕まえて訊いてみないことにはね」
「うん……」
「ともあれ、これでひとまず解決ね」
 雫は上機嫌な顔で、みあおと顔を合わせる。しかしみあおは――おそらく雫も――薄々だが感じていた。魂を奪われた人びとの身体は戻っても、あの犯人はきっと、そう簡単には捕まらないだろう。この事件は、相当に根が深い。
 みあおは、あの黒いローブの魔女を思い出す。
 ――あれは間違いなく猫の眼だった。人間の血を、魂を食い物にする、猫股の眼――。


おわり


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 1415/海原・みあお/女性/13歳/小学生

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、大地こねこです。
 海原みあお様、ご参加ありがとうございました。書き始めたころは、おきらく路線でいこうと思っていたのですが、事件の背景を考えて、ちょっとシリアスな感じになってしまいました。まだまだ修行が足りません、次回は必ずやおきらくモードで……。
 また次の機会も、参加いただければ幸いです。大地こねこでした。