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<東京怪談ウェブゲーム あやかし荘>


夢を叶えて

 爽やかな5月の朝にどこからか切ない泣き声。
「誰が泣いてんのん?」
 珍しく、かなり珍しく、朝から管理人・因幡恵美を手伝って前庭を掃除していた天王寺綾は手を止めて耳を澄ました。
「誰でしょう?」
 隣で恵美も首を傾げる。
 泣き声は止まない。
「何かあったんでしょうか……、」
 聞いているこちらまで悲しくなってくるようだ。
「泣き声の主を捜してみよ」
 綾は箒を放り出して建物内に戻る。恵美もすぐに後を追い掛けた。
「う〜ん、2階やな」
 2階に来ると、泣き声は益々強くなった。
「違う……ここも違う……」
 綾は扉の一つ一つに耳を押し宛てて泣き声の主を捜した。
 そして。
「あ、ここや」
 一つの扉の前で足を止める。
 2人は同時に顔を上げて扉に書かれた名前を読んだ。
「三下さんのお部屋?」
 管理人である恵美が言うのだから間違いはない。
 ダメ男・ダメ人間・ダメ社員と三拍子揃っている事で有名な三下忠雄の部屋だ。
「サンシタの分際で女連れ込むなんて、随分ええ度胸やないの?」
「あ、ちょっと、」
 止める恵美に構わず、綾は勢いよく扉を開いた。
 扉の向こうに広がる腐海……ではなく、散らかり放題の三下の部屋。
 カップラーメンの空き容器が積み上げられたテーブルに突っ伏しているのは何時もの見慣れたむさ苦しい三下。
「あ、あれ?」
 女性の姿はない。
「み、三下さん?」
 泣いているのは他の誰でもない、この部屋の住人、三下忠雄だった。
「うわっ気持ち悪ぅ」
 肩を震わせてシクシクと声を上げる三下に、綾は顔を歪めて呟く。
「どうしたんですか、何があったんですか?」
「ちょっと、泣いてても分からんやないの」
 涙の所為だろうか、汗なのだろうか、湿気を含んだ三下の服を引いて尋ねる綾。
 三下はひとしきり嗚咽を漏らし、鼻を啜った後に漸く口を開いた。
「こ、こんな事になるなんて……、アタシ、夢があったのに、こんなっこんなっ」
 酷いわ、酷すぎるわっ!
 ……そう言って、再びわっと泣き始める三下。
 一体何があったのか、何が酷いのかは分からない。しかし、分かった事は一つ。
「なぁ、コレ、サンシタと違うんやない?」
「ええ、何だか違うみたいです……」
 そう、三下の部屋で、三下の姿で泣いているのはどうやら三下ではないらしい。
 三下でないことは分かった。しかし、分かったからと言ってどうすれば良いのだろうか。
 クスンクスンと絶え間ない泣き声を聞きながら、2人は顔を見合わせた。

 三下を見に行こう、と言って真名神慶悟が観巫和あげはを誘ってあやかし荘を訪ねたのはゴールデン・ウィークも終わった5月中旬の日曜日。
 慶悟の手には、酒屋で買ったばかりのビール。あげはの手には、彼女の経営する甘味処で出している柏餅。
「三下さんを「見に行く」と言うのはおかしな表現ですね。ちゃんと「会いに行く」と言わなければ見せ物か何かみたい」
 辿り着いたあやかし荘の前であげはは笑った。
「いや、「見に行く」と言った方が良いだろう、アイツの場合は。虐めれば泣くし、下手な見せ物よりも反応があって面白いぞ」
 慶悟は真面目な顔で応える。
 動物園のサルやチンパンジーよりも遙かに面白いと、本気で思っている。檻の中のサルは手出し出来ないが、三下なら出し放題。しかも無制限だ。
「でも、突然来てしまったから、もしかしたらお留守かも知れませんね」
 言いながら、門をくぐり玄関へ向かう。
 三下がいなければ管理人や他の住人を訪ねれば良いだけの話しなのだが。
「そうそう。迷える魂が紛れ込んでるって妖精さんが言うから、手伝えないかと思って来たんだけど……」
 玄関の向こうの話し声に、2人は足を止める。
「お客様のようですね」
 呟いて、あげははふと首を傾げた。
 どこからか、泣き声が聞こえるようだ。
 慶悟も気付いたらしい。キョロキョロと泣き声の主を捜しながら玄関を開ける。
「こんにちは」
 声を掛けると、中の2人が振り返った。
 一人は良く見知ったこのあやかし荘の管理人。もう一人は、背の高い少々眠たそうな顔の女性だ。
「何かあったのか?」
 尋ねる慶悟に、恵美は困ったように小さな溜息を付いた。

 先にあやかし荘を訪ね来ていた女性の名は、草壁小鳥と言う。
 何でも、彼女には羽の生えた妖精が取り憑いているのだそうで、今回の異変もその妖精が知らせてくれたらしい。
「ずっと泣いていらっしゃるんですか?」
 実はまた、三下が困った事になったのだと言う話しを聞いて、あげはが問うと、恵美は頷く。
 朝から延々泣き続ける三下に取り憑いているらしい人物を、どうにか泣きやませて話しを聞こうと重うのだが、「酷いわ酷いわ」と繰り返すばかりで一向に泣きやむ気配がないのだそうだ。
「ここはホント、そーゆーの多いね……」
 くすんくすん、と切な気な泣き声を聞きながら、小鳥は苦笑した。
「別人が取り憑いているとは言え、泣いている姿が三下では綾嬢もさぞかしうんざりしていることだろうな……」
 綾が三下に付きっきりで慰めようと努力していると聞いて、慶悟は少し同情する。
「こんなに悲しそうに泣かれると、何だかこちらまで悲しいような気がしてきますね」
 聞くところの口調と、泣き方から察するに三下に取り憑いているのは女性だろう。
 どんな事情があって三下に取り憑いたのかは分からないが、何時も虐められていると噂に名高い、男である三下の中に入り込んでしまったのでは、哀しみも倍増するのではなかろうか。
「酷いわってのは、何だろうね」
 呟いて、小鳥は顔を上げた。
「人間になりたいとか、何かの願望や夢が歪んだ形で叶ってしまった……とかか?」
 或いは、叶えたい夢があったのに三下に取り憑いてしまった事によって叶えられなくなってしまったのか。
「それが、サッパリ。泣きやんでくれないので、お話にもならなくて」
 このまま1日中泣き続けられたのでは気が滅入ってしまうし、取り憑いた女性も三下も不自由だろう。どうにか話しを聞き出して成仏なり何なりして欲しいのだが。
「うーん……」
 暫し泣き声に耳を澄まして、小鳥は恵美を見た。
「管理人さん、台所借りていいかな。泣きやまないってコトは、相当興奮してるんでしょ。とりあえず茶でも飲ませて落ち着かせたほうが、色々話せると思うんだけどね」
 それならば、と恵美は3人を共同の調理室に案内する。
 慶悟の持って来たビールは取り敢えず冷蔵庫に仕舞って、あげはの柏餅を添えたお茶を6人分用意。
「しかし、朝からずっと泣いてるって事は、朝に取り憑かれたのか?それとも、昨夜の時点で既に取り憑かれていたのか?相変わらず珍獣が災難背負ったような難儀な男だな」
 お茶の用意に勤しむ女性陣を見ながら、『会いに行く』ではなく『見に行く』と言って間違いなかったと、慶悟は自分の認識に内心頷いた。

「いい加減にしてよー、なぁ、ちょっと何とか言えへんのー?泣かれても困るやないのー」
 扉の前に立つと、中から綾のうんざりした声が聞こえて来た。
 同時に、嗚咽。
 扉をノックして3人が顔を見せると、綾は心底嬉しそうな顔をした。相当うんざりしていたらしい。
「もうイヤやぁ。誰か交替してぇ」
 大きな溜息を付く綾に、あげはは「休憩してくださいね」と盆に乗ったお茶と柏餅を渡す。
 それから、肩を震わせる三下……に取り憑いた誰かに視線を下ろした。
「あのう、こんにちは?」
「ずびずるずびびび」
 挨拶は鼻を啜る音に掻き消された。
 3人の前には、泣き通しで腫れ上がった顔の三下忠雄。
 黴かキノコでも生えそうな程散らかった部屋の、小汚いテーブルに突っ伏し、むさ苦しいよれよれの、湿気を含んだジャージを纏って泣きじゃくる三下忠雄。
 ……とても鬱陶しい。
 ゴホン、と慶悟は咳払いをして気を取り直す。
「あー、ちょっと良いか?話しを聞きたいんだが」
 ずるずびずびびび、ひっくひっく、くすんくすん……。
 慶悟が声を掛けると、三下……ではなくて、三下に取り憑いた何者かは背を丸めて更に泣く。
「ちょっと落ち着いて、お茶でも飲んでよ」
 小鳥が言い、あげはが散らかったテーブルの上を簡単に片付けてお盆を置く。
 三下の前に柏餅と湯飲みを置くと、三下は僅かに視線を上げた。
 メガネの奧の瞼が酷く腫れ上がっていて、哀れを通り越して滑稽だ。 
「まずはアンタが誰なのか、何が悲しくて泣いてるのか、このメガネ君に取り憑いて何をしたいのかを聞かせて欲しいんだけど」
「どうぞ。ずっと泣いていらっしゃるのなら、少し水分も補給しないと。ね、落ち着いて、お話を聞かせてください」
 あげはが湯飲みを取って三下の手に握らせてやると、三下は肩を震わせながらゆっくりとそれを口に運び、一口飲んだ。
「言葉遣いを聞いた所女性の様だな。その姿ではさぞ辛かろう、同情する。俺達で出来る事があれば、協力するが?」
 言うと、三下のはれぼったい目が救いを求めるように4人を見た。
「本当に、協力してくれるの……?あたし、このままじゃ絶対成仏なんて、出来ないのよ……」
 
 三下に取り憑いた女性の名は、羽田ユキと言うらしい。
 彼女が名乗ったところによると、現在24歳。
「何処からいらっしゃったんでしょう?具体的でなくとも感覚的にでも……例えば上から、下からとか?それとも歩いていらっしゃったのでしょうか?」
 あげはの問いに、ユキは少し首を傾げて応える。
「分からないわ。気が付いたら、ここにいたのよ。でも、ちゃんと覚えてるの。あたし、事故に遭ったのよ」
 数日前のこと。
 ユキは仕事帰りに交通事故に遭ったと言う。
 激しい衝撃で体が宙に浮いた。その瞬間、意識が体から抜け出したのだそうだ。
 ユキは宙に浮いた状態で、ボールの様に撥ねた自分の体が道路に転がり、血を流して仰向けに倒れるのを見た。
 ワッと集まってくる人々。その合間を縫ってやって来た救急隊委員。
 ユキは自分の体が担架に乗せられ、救急車で病院に運ばれるのを見た。
 医者がどうにか蘇生させようと手を下す様、ベッドに横たわった自分の体、医者が無念そうに首を振る様子。それから、駆けつけた家族が自分の体に取りすがって泣く姿。
「あ、死んじゃったんだなーって思ったのよ。あたし、夢があったから、死ぬのはイヤだなって思ったわ。どうしても叶えたい夢で、一生胃懸命努力してきたつもりだから、悔しいって思ったの」
 そして気が付くと、ここにいた。
 始めは、悪い夢を見ているのかと思ったと言う。
 見知らぬ部屋の、見知らぬ男の体。
 生まれ変わったのでも、甦ったのでもない。どうやら取り憑いてしまったらしいと分かったのだが、どうすれば離れられるのかが分からない。
「こんな事、信じられないわ。酷いわ、酷いわ!あたしが一体何をしたって言うの?どうしてこんな事になっちゃったのよ……!」
 再び激しい哀しみが襲ってきたらしい。
 ユキはグズグズと鼻を啜って泣き始めてしまう。
「悲嘆するのも無理はないがその前に成せる事を為そう。夢があった、と言うがそれは三下の身体では絶対に不可能な事か?」
 ポンポン、とユキの肩を叩いて、慶悟はお茶を勧める。
 どうすれば離れられるのかが分からないと言うが、案外、夢が叶えばアッサリ離れられるかも知れない。
 勿論、強制的に離す事も出来るのだが、想いを成し遂げてから自主的に成仏出来るに越したことはない。
「姿形は望んだものではないかもしれませんが……折角そこまでなさったのですから、出来る限りの事をやってみたらどうでしょう?」
 慶悟とあげはの言葉に、小鳥も頷く。
「アンタの夢ってのが何のなのか、聞かせて貰えるかな。それがわかんなきゃ、あたしらも手伝い、出来ないからさ」
 それから、と小鳥は三下の体を指差す。
「取り憑かれてると、結構体力の消耗が激しいって本で読んだんだ。そのメガネ君が倒れない程度に、程よく取り憑いてやって。もし限界そーだったら、あたしの体貸すからさ……」
 この言葉に、ユキは小鳥を頭からつま先までじっくりと眺める。そして、言った。
「あなたじゃダメよ……、そっちの人なら良いけど」
 と、あげはを見る。
「でも、そんな事しちゃったら、あたしの今までの努力は一体何だったのよ?人に笑われても莫迦にされても、我慢して来たのよ……、つぎ込んだお金だって相当だわ。あなた達みたいに、元が良いと苦労しないでしょうけど……」
「だから結局、何なんだ。アンタの夢ってのは。三下の体じゃ無理なのか?【替形法】という呪で望む姿に変えてやる事も出来ない訳ではないが?」
 ユキははれぼったい目で3人を睨んだ。
「姿を変えちゃったら意味がないのよっ!この体でもダメなの!あたしの努力が全て水の泡じゃないの……!でも、この体から離れられないし、あたしの体はきっともう骨になっちゃってるだろうから、仕方がないわ……。この体でどうにかするから、是非、手伝って頂戴」
 気を取り直したらしいユキは、ビールでも飲むようにお茶を飲み干して大きな溜息を付いた。

 ユキにとって、人生に於いて何よりも大切なのは、美しくなる事なのだそうだ。
 子供の頃から不細工だと莫迦にされてきたユキは、綺麗になること、可愛くあること、美しさを身に付けることに心血を注いでいたと言う。
 ユキの本体がどんな姿だったのか分からないが、エステに美容室にネイルアートは勿論、行儀作法に至るまで限りない努力を続けてきたらしい。
 夢は、美しくなること。
 美しい姿で、一番のお気に入りのドレスを纏い、記念撮影をする事。
「……無理だろう……」
 ユキの夢に、慶悟は頭を抱えた。
「あの、やはり他の体を使った方が良いのではないかしら。三下さんの体ではちょっと……。私か、小鳥さんではいけませんか?」
 苦笑を隠して言うあげはの横で、小鳥は僅かに身を震わせた。
 女の子的な物には限りないコンプレックスを抱く小鳥。エステだ美容室だネイルアートだ、おまけにお気に入りのドレスだなどと言われると、ちょっと逃げたくなって来る。
「ダメよっ!良いこと?この美しいとは言い難い姿を美しくする事に意義があるのよ。……正直言って、この人、あたしに少し似てる気がするの。この人を美しくする事は、あたしを美しくするも同じこと。この人を美しくすれば、あたしの夢も叶うような気がするわ」
 ……オイオイ、無理言うなよ。
 このむさ苦しい三下忠雄をどうやって美しくするんだ。
 綺麗とか可愛いとか言う状態にするのに、一体どれほどの時間がかかるんだ。
 それよりも何よりも、男を美しくして一体どうする。
 3人は口にこそ出さなかったが同じ思いで三下の体を見る。
「ま、それで気が済むって言うんだから、そうするしかないんじゃないの?」
「そうだな。身体を永久的に乗っ取るってワケでもない。2〜3日の無断欠勤くらいなら碇女史にひっぱたかれるくらいで済むだろうし」
 小鳥と慶悟の言葉に、あげはも溜息を付きながら頷く。
「……女装と言う形になるのでしょうけれど、外にさえ出なければ問題ありませんよね。記念写真なら、私のデジカメで撮れますし」
 さて、この三下の体をしたユキを、どのように美しくさせるか。
 3人は一通り三下の体を眺めたユキを囲んで、相談に取り掛かった。 
 
「まずはお風呂に入らなくちゃだわ。ずっと泣いていたから酷い気分よ。顔も浮腫んで、最低」
 と言うユキの為に、早速風呂の準備を始める。
 準備と言っても、あやかし荘には天然温泉がある。管理人の手によって常に綺麗に掃除され、24時間何時でも入浴可能となっているのだが、なんせ入るのは心が女性、体が男性と言う存在。
 男風呂に入るのはユキがイヤだろうし、女風呂に入って変質者扱いされても困る。
 そこで、浴室に誰もいない事を確かめてから女風呂に『清掃中』の貼り紙を出す。
 そうしておけば、ユキ以外の人物が入浴にくる心配はない。
 ただ、問題は体だ。
「……男だしね。どうする?目隠しでもして入る?それか、アンタが一緒に入って洗ってあげる?」
 目隠しした状態では体が洗えない。
 慶悟と一緒に入ってはどうかと言う小鳥に、慶悟とユキは断固反対した。
「冗談じゃないわよ!一人で入るわ。でも、絶対に覗かないでよ?あなた!」
「誰が覗くかっ!」
 指を指されて、慶悟は頭を抱えた。
「えぇと、他に何か必要な物はあります?お風呂の間に買って来ますけど?」
 メモを見ながらあげはが声を掛けると、ユキは首を振った。
「絶対に品番を間違えないで頂戴ね。アタシの一番のお気に入りなんだから」
 ユキが是非とも買って来て欲しいと頼んだ商品の中には、沢山の化粧品が含まれている。それらは、品番まで指定すると言った拘りよう。
 三下の肌質と、自分の肌質が似ているのは幸いだとユキは言った。
「それから、ドレスはね。実はもう以前に購入してあるの。あたしが真に美しくなった時に引き取るって事で、預かって貰ってるのよ。名前を言って受け取って来て頂戴ね。靴も揃ってるから」
 ドレスを預けたままになっていると言う店の住所を控えて、あげはは頷く。
 ところで、ドレスは良いとして、ユキが買ってくるようにと言った商品の数々……、化粧品などは高級な物も多いのだが、それらの支払いはどうなるのだろう。果たして三下の懐に、蓄えがあるだろうか?そう思ったのは、メモをしていたあげはだけではないようだ。
「後から勘定回されてもメガネ君も困るだろうね」
 言って、小鳥はポリポリと頭を掻いた。
 ユキは勿論、お金など持っていない。
「あたし達が代わりに出すってワケかな、この場合は。あんた、どれくらい持ってるの?」
 他人にイキナリ懐具合を訊ねるのは失礼だろうが、構わず小鳥は聞いてみた。この3人の持ち金で足りなければ、三下の財布を失敬しなければならない。それでも足りなければ、管理人を頼るしかない。
「……いや、取り憑かれたのは三下の責任だ。ぼーっとしてるコイツが悪いんだ。財布を失敬しよう」
 決してケチで言っているのではなく、切実な財政状況で以て慶悟は言い、テーブルに放り出されていた三下の財布を手に取る。
 が、手に取った財布は驚く程軽い。
「メガネ君……」
 3人は虚しく、財布から転がり出た硬貨を見つめた。

 結局、支払いは綾に助けて貰って3人はユキの希望通りの商品を全て揃えた。
 あげはが今まで使った事もないような化粧品の数々、小鳥が見たこともないような香水、慶悟には何が良いのか到底分からないマニキュア。
 他にも、整髪料にウイッグにメーカーを指定した下着・肌着。
 最後にドレスと靴を受け取ってあやかし荘に戻る頃には、3人では持ちきれない荷物になっていた。
 紅一点ならぬ白一点、慶悟は荷物の大半を受け持っていたが、途中、人通りの少ない道では式神に手伝わせていた。
「おかえりなさい、ご苦労様でした」
 3人の帰りを迎えた恵美は、三下の部屋ではなく自分の部屋へ3人を案内した。
 お風呂から上がったユキが、あの凄まじく散らかった三下の部屋に入る事を拒んだのだと言う。
 恵美の部屋に行くと、見知らぬ男が座っているように見えた。
「……三下の体とは思えんな」
 言って、思わず慶悟は苦笑する。
「変われば変わるモンだ」
「本当に、別人のよう」
 小鳥とあげはも揃ってその変わり様に目を丸めた。
 恵美の部屋を陣取っている三下の体は、今まで見た事がないほどこざっぱりとして、全体的に清潔感に溢れ、すっきりとまとまっている。
 綾のものを借りたのだと言う女物のジャージが、サイズこそ合っていないが違和感なく似合っているから凄い。
 むだ毛の処理をしている所為か、肌もさらさらして見える。
「健全な精神が宿ると肉体も健全になるもんだ」
 心底感心する慶悟の手から荷物を受け取とると、ユキは顔を輝かせた。
「ああ、長年夢にまでみたこのドレス!やっと着られるのね。アタシの本当の体じゃないのが残念だけど、この人の体、以外と無駄な贅肉がないのよ。きっとサイズも大丈夫だと思うの」
 言いながら、ドレスをハンガーに掛け、化粧品を抱えて恵美の化粧台に向かう。
「もうあたし達は用なしってコトかな。手伝える事、ないし」
 嬉々として化粧水を塗りたくるユキを、何か違う生物でも見るような目で小鳥は見る。
「まあ、そうですね。後は写真を撮るだけですから。でも、これで本当に三下さんから離れて成仏出来るんでしょうか?」
「本人がそう言うんだから出来るんだろうさ。無理だったとしても、一応夢は叶ったんだ。無理矢理離しても文句はあるまい」

 さて。ユキが恵美の化粧台を占領して2時間ばかしが経過した。
 延々化粧する様子を眺めても仕方がないので、3人は食堂でお茶を飲みつつ時間を潰していた。
 あげはが持参した柏餅を食べ尽くし、いい加減お茶にも飽き、慶悟がそろそろビールに手を出そうかと考え始めた時になって、漸く恵美から声が掛かる。
「やっと終わったか」
 大きな溜息を付いて立ち上がり、慶悟は体を伸ばす。
「2時間も、一体何してたんだろ。化粧って、そんなに時間かけるもんなの?」
 男が女に化けるのだとしても、随分時間がかかったような気がしてならない。
「きっと、念入りにされたんでしょう。夢が叶う瞬間ですもの」
 言いながら、あげははどうしてもドレスを着た三下の姿が想像出来ないでいる。
「例えどんな酷い有様でも、絶対笑うなよ?笑いそうになったら、顔をつねってでも我慢するんだぞ」
 慶悟も女装した三下が想像出来ないらしい。
「努力はするケド」
 心の準備でもするように、一つ大きな息を付いて、小鳥は扉を開けた。
 と、そこにいたのは、三下ではなかった。
 見知らぬ男ではない。
 見知らぬ女。
「…………」
 予想を遙かに上回る完成度の高さに、3人は一瞬言葉を失う。
「いやだ、そんなに見つめないで頂戴。恥ずかしいわ」
 ……声だけは間違いなく三下のものだったが。
「ねぇ、どう?あたし、綺麗?」
 3人の前で、紅を引いてきりっと整った唇を両サイドに引き揚げるユキ。
 その笑みは三下のものではなく、多分、ユキ独特のものだ。
 一体どうなるものかと思っていたが、薄い天色のロングドレスは柔らかく三下の体を包み、膨らみの足りない胸元は白いショールで覆われている。
 白のパンプスから伸びる足はスラリと細く、何故か女性らしいしなやかさがある。
「……素敵」
 思わず呟くあげは。
「本当?」
 幸せそうな笑みを浮かべて訊ねるユキに、小鳥は頷いた。
「ホント、信じられないくらい綺麗」
「男性の目から見て、どうかしら?」
 問われて、慶悟は躊躇う事なく口に出した。男が男に言う言葉ではないと思うのだが。
「綺麗だ」
「嬉しいわ。有り難う、本当に嬉しいわ」
 長年の夢が叶った瞬間。
 ユキはうっすらと目に涙を浮かべてその場でクルリと体を一回転させた。
「あ、記念撮影をしましょう。ユキさんの夢が達成された証拠を撮らなくちゃ」
 慌ててあげははバッグからデジカメを取り出す。
 三下とは思えない程、男とは思えない程美しくなったのだからと言って、庭先に出ての撮影。
 何度もポーズを取るユキを、あげはは文句も言わずに撮った。
 爽やかな風と、温かい5月の光を受けたユキは本当に綺麗で、美しい。
「長年の夢が叶ったわ。アタシの本当の体じゃないけど、それでも、努力の成果って感じがするの。嬉しい……、もう、何も思い残す事はないわ……」
 最後の1枚。
 地面に腰を下ろし笑みを浮かべる様子があげはのデジカメに収められた、その時。
 三下の体は大きく揺れて地面に伏した。
「あ、」
 慌てて駆け寄る小鳥と慶悟。
「大丈夫か、おい?」
 堅く目を閉じた三下の体。
 その口から、
「あ〜もう食べられません〜、シアワセ……」
 気の抜けたような声と、涎。
「戻ったみたい?」
「そうらしい」
 地面に横たわった三下が、何だか湿っぽくヨレッとして見えてくる。
「やはり健全な精神が宿ると肉体も健全になるんだな。奴が成仏した途端、これだ」
 苦笑する慶悟。
「でも、良かったですね。ユキさんが無事成仏されて、三下さんも元に戻って」
「ま、そう言うコトにしとこうか。で、コレは一体誰が部屋まで運ぶの?」
「このまま放っておけば良いんじゃないのか?目が覚めたら勝手に部屋に戻るだろう?」
 迷える魂でなければ、手を貸して救ってやることもない。
 そう決めて、3人が建物内に戻ろうとした、その時。
「ちょっと、これ見てください!」
 恵美が新聞を手にやって来る。
「昨日の記事なんですけど、」
 見易いように折り畳んだ新聞の一部分を指差し、恵美は3人を見る。
 そこに掲載された交通事故の記事。
「被害者は、羽田ユキオ(24)男性……?」
 読み上げるあげは。
「ああ、それで『人に笑われても莫迦にされても、我慢して来たのよ』とか『この人を美しくすれば、あたしの夢も叶うような気がするわ』ってワケか……」
 ユキの言葉を思い返す小鳥。
「健全な精神と健全な肉体……?」
 笑ったものか、呆れたものか、受け取った新聞をまじまじと見て、慶悟は呟く。
 笑うに笑えない4人と、その足元で鼾をかく三下。
 デジカメのモニターの中で、長年の夢を果たしたユキだけが、幸せそうに笑っていた。

 
 
end
 



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名     / 性別 / 年齢 / 職業】
  0389  / 真名神・慶悟  / 男  / 20  / 陰陽師
  2129  / 観巫和・あげは / 女  / 19  / 甘味処【和】の店主
  2544  / 草壁・小鳥   / 女  / 19  / 大学生

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■         ライター通信          ■
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 今回は何度も受注開始に失敗して、痛い思いをしてしまいました……。
 それでも、どうにか参加して下さる方がいて、久し振りにあやかし荘を書く事が出来ました。
 有り難う御座います。
 今回も、ほんのちょびっとでも楽しんで頂ければ幸いです。