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<東京怪談ノベル(シングル)>


 某日某女子高にて

『……だから、言ったじゃないですか』
 やめましょうって、と続けられたため息混じりの言葉は、発言者が自分の主人に向けたものだった。
 いや、発言者ではなく、発言物というべきだろうか。人間の言葉を話しているとはいえ、彼は本来棺桶と呼ばれるものなのだ。時に、盾や武器としての役割も果たすのだが。
 自身の力で移動することができないため、主人に背負われているのが常であるのだが、現在彼はとある部屋の入り口近くに放置されている。今の彼にできることはといえば、目の前で突然不幸な状況に陥った主人を見守ることと、先程のようにため息混じりに言葉を紡ぐことくらいだ。
 彼の主人である少年の名は、飛桜・神夜。そして、必死にこの場から逃れようとする彼の意思を阻み、その体を拘束しているのは、床の上に存在する巨大な鼠とりのような物体だった。粘着質のあるそれは、神夜がこの室内へと足を踏み入れた瞬間に彼の自由を奪い、動きを封じてしまったのである。
『そもそも、今回の仕事自体、ちょっと問題があると思ったんですよね』
 そんな発言をしてから、仕事と呼べるかどうかもあやしいですけど、と棺桶は思った。
 路地裏に捨てられていた雑誌を見て、女子高生の制服や下着が一部の人間にとってひどく価値のあるものであることを神夜が知ったのは、昨日の夕方のことだ。その夜、棺桶は早速とばかりに近くの女子高に忍び込もうとした彼を何度も諌めたのだが、少しも耳を傾けてもらえなかった。
 その時すでに、神夜の頭の中は日本銀行券のことでいっぱいだったのだろう。盗もうとする物自体に興味はなくとも、大枚の諭吉と交換できるものとなれば話は別である。
 まぁ、どんなにくいさがっても、あの時この人の行動を止めるのは無理だっただろうなぁ……と考えてから、でも、と棺桶は思った。ここまでは妥協するとしても、その後の展開はあさはかだったとしか言いようがない。
 神夜達が忍び込んだのは古くから名の知れ渡っている女子高で、その一角には部室棟と呼ばれる建物があった。その名の通り、そこは数多くの部室が存在する場所だったわけだが、その中の一つに『忍者部』という文字が掲げられた部屋があったのだ。それに目を留めた瞬間、神夜は異常に好奇心をかきたてられてしまったのである。
 名前からして妙だ、近寄らない方がいい、と必死に忠告した棺桶は、うるさい、邪魔をするならここに置いていく、と言われ、部室の前に放り出されるはめになったのだが……その後尋常でない状況に陥った神夜を目の当たりにして、置いていかれてよかった、と思わずにはいられなかった。
 何故に、部屋の入り口近くにこんな鼠とりのようなものが置いてあったのか。本当の理由は置いた本人にしかわからないことだが、部員が鍛錬の為に用意したのかもしれないし、どこかの学校との対抗試合の為に準備したのかもしれない。他の高校にも同じような不可思議な部があるのかどうか、ましてや対抗試合など行われるものなのかどうかはわからないが、こんな物体が何かに使われているのは紛れもない事実なのだから、考えられなくもないだろう。自分達のような盗みを行う者への罠として仕掛けられていたのだとしたら、相手の思惑に見事にはまってしまったことになるが、真実は知る由もない。
 というか、特に知りたいとも思わないし、判明したところで今の目の前の状況が変わるわけでもないしな……と、棺桶は主人のあらぬ姿を見つめながら思った。
『動こうとしても、疲労するだけですよ。もう朝ですし、その内誰かが助けてくれると思います。大人しく待っていた方がいいんじゃないですか』
 色々と事情を聞かれることは間違いないですし、盗みはあきらめることになりますが、と続けた棺桶の言葉に、神夜の表情が険しくなる。
「……諭吉!」
 よりいっそう無駄に暴れ始めた主人を前にして、棺桶はため息をついた。
 どうやら、ここまで追いつめられても、神夜は目的のものをあきらめるつもりはないらしい。これから体操服や下着を探すのは無理だとしても、部員が練習時に使用したと思われる、部屋の隅に置かれているスパッツやシャツを代わりに手に入れようとしているのだろうか。だが、今の状態ではこの場から動くことさえ不可能だ。
『何が何でも、盗みをするつもりですか?』
 棺桶が尋ねるのに、神夜は頷く。
『……それなら、仕方ありませんね。とりあえず、そこから自力で脱出するには服を脱ぐしかないと思うんですけれど』
 一瞬目を見開いた神夜は、今までそのことに気づかなかったようだ。
 彼が置かれている状況から考えれば、服を脱ぐこととて容易にできる行為ではないが、自分自身の力で動き回れるようになる方法は限られている。その中では、これが一番簡単で最良のものだと棺桶は思ったのだ。
『あ、髪は切るしかないですよね……って、さすがですね、器用に切りますね』
 贋作とはいえど、偽雄剣・偽雌剣の切れ味はなかなかのものだ。更に使っている者の腕も優れているため、感心したように言葉を紡いだ棺桶の目の前で、それらは見事に役目を果たした。本来の用途からは外れていることかもしれないが。
 髪は乱れ、服装もひどく簡素なものになったが、なんとか粘着地獄から逃れられた神夜は、何もない床の上で荒い呼吸を繰り返す。そんな主人へと、棺桶はのんびりとした口調で声をかけた。
『まだ油断は禁物ですよ、気をつけてくださいねー。他の罠にひっかかったら、色々な意味で終わりですよ』
 その言葉を耳にするなり、後ろを振り返った神夜は、棺桶を睨みつけながら口を開く。
「うるさい……何もできない役立たずのくせに」
『役立たずって、そんな。助言をしたじゃないですか』
 続く棺桶の科白はきれいに無視し、素早くいくつかの衣服を手にした神夜は、十数分後になんとか女子高から抜け出すことに成功した。
 とりあえず、新しい服が買える位のお金は手に入るといいですね。体操服や下着よりも求めている人の数は少ないかもしれませんが、高値で買ってくれるこだわりのある人がいるかもしれませんしね、と妙にその手の世界に詳しいような棺桶の言葉を聞き流しながら、もう、あの女子高には二度と近づかない、と神夜が思っていたことは言うまでもないことかもしれない。