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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


招かれざる客・2


 あいつにも、そろそろ助手としての心構えを叩き込まないといけないな。草間武彦は、玄関へ駆け寄る零の華奢な背中を目で追いながら、オリジナルブレンドのコーヒーを口に含む。
 零は淀みのない動作でドアを開け、
「いらっしゃいませ――」
 扉を半開きにして、顔だけをひょいと外に出して客に挨拶する。
 あのへんの仕草は、いまどきの少女と変わりない。もっと丁寧に応対するよう教えないとな――、内心苦笑した草間は、そこでやっと異変に気づいた。
 零は少し前のめりになってドアを開けていたので、前に流れた髪の間からうなじが見えた。
 その白い肌のすぐ上方にうっすらと、何か黒い煙のようなものが漂っている。
 近所で焚き火でもやっているのだろうか――、いや違う。探偵としての直感がそう知らせていた。
 黒い煙が濃度を上げ実体化する。それが零の後頭部の真上で輪郭を確かにし、巨大かつ鋭利な鎌の形を成したのは、まさに一瞬のことだった。
「零!」
 張りつめた声に、少女が視線だけを草間に寄越した。それが合図になった。零の頭上に出現したナイフと呼ぶにはあまりに大きく、鎌と呼ぶにはあまりにいびつなその刃は、確固たる意思を持って落下し、そのまま少女の首を切断した。
 糸の切れた操り人形のように、零の身体がくずれ落ち見えなくなる。かわりにドアの内側にべっとりと貼りつく鮮やかな赤が目に飛び込んできた。
 いつの間に落としたのか、足元でマグカップが割れている。コーヒーの香りが血の匂いと混ざり合い、草間は軽く吐き気を催した。

 アールレイ・アドルファスは、隣の居間で横になり眠っていた。
 その事実を、家主の草間も、助手の零も知らない。いつ、どこから入ってきたのだ、とか、そういうきわめて現実的な詰問は、彼にとって意味を成さない。
 アールレイは外見こそ年の頃12ほどの少年だが、その正体は千年の時を放浪する狼であった。
 彼が目覚めたのは、室内を急速に侵食する血の匂いに反応したためだ。ざわり、と身体に走った感覚は、彼に歓喜の笑みを浮かべさせるのに十分だった。
 立ち上がり、衣服を整える。やっぱり、ここに居るのは飽きないね。
 ついたての影から顔をひょいと出し、事務所の様子をうかがう。玄関に頭を切り離された少女の身体、デスクを盾になすすべのない探偵。そして、見えない敵の姿――。
「いいぞ。アールレイが介入する価値がある」
 思わず口にしていた。
 微塵の躊躇もなく、少年は玄関の方向へ歩み始める。少女に手を上げるのは彼の信念に反した行為に他ならず、敵の所業に怒りを禁じ得なかった。だがそれとは裏腹に、血の匂いに多少の興奮を覚えていたのも確かだった。頭の中、これから数分の行動予定表が書きあがった。『アールレイは、傷ついた少女を助け、傷つけた敵を倒す』
「後ろだ!」
 草間の声に振り返った時には、黒い刃は少年の目前に迫っていた。とっさに右手で弾き返す。精神を十分に集中したはずなので、腕がちぎれることはなかった。しかし、小指の端のわずか数ミリ、呪いの刃の侵入を許してしまった。
 間合いを外すと、敵は黒い霧となって虚空へ消えた。剣か、鎌か、どう形容していいか分からない複雑な形状の刃だった。視線を落とす。小指の先から赤い液体が滴り落ちていた。
 それが少年の心に火をつけた。自我を失う憤怒と狂乱の火ではない、あくまで平静に殺意を極限まで研ぎ澄ます冷たい炎だった。
「なるほど。存分にやらせてもらうよ」
 アールレイは、零の側でひざまずいた。少女の頭を優しい手つきで動かし、互いの首の切断面をくっつける。
「これで、回復が早まるはずだよね」
「ありがとうございます」と零が弱々しく微笑む。
「その代わりといっちゃなんだけど……、キミの血を分けて欲しい」
「えっ」
 零の返事を待たず、少年は血の海の中に自らの右手を浸した。波紋が浮かび上がる。しかしそれは広がっているのではない。少年の右手の小指に向かって収束しているのだ。傷口が少女の血を吸い上げている。
「これで完璧だ」
 塞がった血まみれの右手を見せながら、アールレイは零へにこりと笑いかけた。
「やっつけちゃいますか?」
「もちろん。この爪と牙にかけて」
「がんばってください。ここから応援してます」
「おふたりさん、盛り上がっているところ悪いが」
 草間はデスクの向こうから、手をひらひらと振りながら呻く。
「見てのとおりまだ何も解決してない。どうする」
 少年は、こともなげに答えた。
「ここにいては埒が開かないかな。こいつを操っている奴が近くにいるはずだ。直接本体を叩くよ」
「そんなこと……できるのか?」
「できないことは言わないさ」
「……わかった。済まないな、よろしく頼む」
 デスクの隙間から神妙な顔をのぞかせる草間に、彼は淡々とした口調で言った。
「お礼を言う必要はないよ。全部アールレイが好きでやっていることだから。おじさん、窓を開けて」
「おじさん?」
 少し気色ばんだ草間の声に、アールレイはいたずらっぽく笑った。
「草間のお兄さん、窓を開けてくれないかな?」
 不承不承草間が上半身だけ起こした状態で窓のフレームに手を置く。窓がスライドを始めた瞬間、都市の風が舞い込んでくる。
 嗅覚の鋭い狼にとって、東京は匂いの混沌の渦だった。だが、その鼻で匂いの全てをふるいにかけることができる。その鼻で、街の形を感じ取ることができる。その鼻で上空を舞うカラスの数を数えることができる。そのすらりとした鼻で、路上を歩く人々の衣服の肌触りまでも感じ取ることができる。
 糸をたぐり寄せるように、アールレイは無数の匂いを選別した。そして掴んだ。
 この匂いだ。先ほど黒い刃を右手で受けた時、間近でかいだ匂いと同じ――
 そう感じた時には、すでに床を蹴っていた。

 敵は、草間興信所のある雑居ビルから約800メートル離れた、マンションの屋上に潜んでいた。
 そいつは犬だった。孤高の狼にとっては、取るに足らない存在。
「どうでもいいけど……、なぜ探偵さんを狙うんだい?」
 くたびれたコートに無精髭、もう何日も洗っていないような長髪、深いしわが刻まれた浅黒い顔。まるで人間のホームレスのような出で立ちだった。だが、アールレイにはそいつが犬だと分かった。
 犬は、背後の狼に気づくと、全身を激しく震わせて後ずさり、塔屋の壁に張りついた。言葉になっているのか分からない悲鳴を発した。少年には、その狼狽する姿は『無様』という表現がピタリと当てはまると思った。
「まあいいや。訊きたいことはひとつだ。正直に答えれば命は助けてあげるよ。殺したら探偵さんもうるさいだろうし」
 アールレイは犬の側でかがみこんで、目の高さを合わせた。
「犬よ。お前のご主人は誰?」
 あわあわと口を開こうとした犬の顔が、突然斜めに傾き真横に飛んだ。
 風に運ばれた犬の首は、そのまま屋上から下へ落ちた。
 下から女の悲鳴と野次馬の不穏なざわめきが、どこか遠い世界の出来事のようにくぐもって聴こえた。
 少年は、塔屋の壁に突き刺さった巨大な刃をにらみつけた。そっと指で触れると、刃は跡形もなく霧散し、完全に消えた。あとには亀裂が走った壁と、力なく倒れる犬――化けの皮が剥がれ、本当に犬の身体に戻った――の胴体が残った。
 泥と血にまみれた毛と肉の塊を見つめて、少年は舌打ちした。
 野良だろうが、しょせんは犬だ。人間に尻尾を振り、支配と束縛をよしとした、誇り高き爪と牙を失った奴隷に過ぎない。その末路がこれだ。
 しかし――、少年は微笑を浮かべるのだった。
 ともあれ、この街にいれば、当分退屈することはなさそうだ。
 アールレイは空に向かい、澄んだ声で咆哮した。そして、その声が街のすべてに染み渡るころには、彼の姿はすでにそこになかった。


おわり


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 2797/アールレイ・アドルファス/男性/999歳/放浪する仔狼

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、大地こねこです。
 アールレイ・アドルファス様、ご参加ありがとうございました。クールな少年ヒーロー像を目指してみましたが、いかがでしたでしょうか。
 犬に対する感情はどう設定しようか少し迷いましたが、狼ってこのくらい奔放なものだろうと、解釈させていただきました。
 また次の機会に、参加いただければ幸いです。大地こねこでした。