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ダージリンのレモンティー
代官山のはずれにある喫茶店〈深山〉。
此処のマスター深山智は、人の良いと評判である。さらには、人を見て、その人に相応しい飲み物を出すという特技を持つ。喫茶店やバーを営むには素晴らしい特技だ。
お転婆娘、月見里千里が尊敬するほどの人格者で、2人でこの喫茶店を切り盛りしているのだ。単に喫茶店の運営自体が彼の道楽とも言うらしいが、道楽では片付けられないほどしっかりした店である。
また、此処には悩みあるお客が彼に相談しに来るという。
――困ったときには〈深山〉に行け。
と、言われるほどだ。
さて、今回のお客さんは……。
入り口の鐘が心地よくなる。お客がやってきた合図だ。
「いらっしゃいませー」
メイド服姿の月見里千里が元気よく挨拶する。
お客は、千里と歳が離れていない女子高生の模様。実は、あやかし荘・管理人因幡恵美だ。
いつもなら、元気がある彼女なのだが、何かしらおかしい。
「あの……此処で色々相談出来ると聞いて来たのですが」
すこし、緊張した口調で彼女は千里に尋ねた。
「あ、成る程。マスター! お客さんです」
正反対に千里の声が元気よく店に響く。
店の奥から、マスターと呼ばれた深山が現れた。
「いらっしゃいませ。どうかなされましたか?」
と、恵美の目をみて、紅茶の支度を始めた。
「恋人がいるのですが……」
因幡恵美の口からポツポツと相談が語られる。彼女はかなり赤面して話ししている。色恋沙汰をあやかし荘の住民に話すと、纏まる物も纏まらない。第三者の提案こそが答えになる。
「二人っきりの時間を作りたいんですが、あまり彼は同意してくれません。私からアプローチしても彼は喜んでいるのかどうか分からないんです」
元気のない声の恵美。
「彼は本当に私のことを好きでいるのか、不安で仕方ありません」
深山は彼女の話を聞きながら、紅茶を用意している。千里は、恵美の前に水の入ったコップを置いた。
「要するに、彼氏からのアプローチがないってことなんですね」
千春は丸いトレイで口を隠しながら考えた。
「もう、こうなったら、押して押して押し倒しちゃえばいいの! お弁当作ってあげるとか、それから……」
と、千里は自分の経験から恵美にアドバイスするのだが、どんどんエスカレートして、自分の恋人の惚気話になりかけてくる。
苦笑するかない恵美。
丁度、紅茶が出来たようで。深山は恵美のまえにダージリンレモンティをそっと出した。その心地よい香りのバランスで、惚気話をしていた千里は我に返り、赤面する。恵美はその香りで、少し落ち着いた。
「もう少し、待ってみても良いかもしれませんよ。急いでは良くありませんからね」
深山のアドバイスは至って簡単だった。
「えー? ヤッパリ彼氏の反応が鈍いというなら、押すしかないでしょう、マスター」
千里の反論。しかし深山は首を振る。そして、又恵美を観て言った
「今までのことがどうだったか、私には良く分かりません。しかし、お互いが惹かれあっているなら、想っているならば、じっくり待ちましょう」
「あたしだったらお弁当作って、渡すけどなぁ」
「千里ちゃん。君のペースで考えない」
「はーい」
ふくれっ面をする千里。
「まだ彼は慣れていないのかもしれません。自分から進んでアプローチしても、おそらく彼は戸惑うでしょう」
「そうですか……」
「待ってみることです。彼からのアプローチが来るでしょう。」
「はい」
恵美は紅茶を飲み、一息ついた。今までの悩みが少し癒された気分である。
「それに」
「それに?」
「あなたの気が付かないところで、彼はしっかりあなたをみているでしょう。だから、大丈夫ですよ」
深山の言葉は優しかった。
「ありがとうございました」
恵美は紅茶を飲み、他の話しを千春と深山と話しながら時間を過ごした後、帰っていった。
残っているのは深山と千里だけ。
カウンターの奥で、千春はマスターに先ほどの事を尋ねた。
「マスター」
「なんですか?」
「うまくいくのかなぁ? あの人」
「うまくいきますよ。待つことも又大事ですから」
「う〜ん」
「君の場合は少し行き過ぎていると思うけどね」
「マスター!あ、あのねぇ……」
赤面して、大声でなにか言おうとする千里だが、又何人かお客が入ってきたので、
「いらっしゃいませ〜!」
すぐに営業スマイルに戻った千里。
既に午後3時。〈深山〉は、今からの時間から客が入る。
又いつもの、彼の店は普通の喫茶店の姿に変わった。
喫茶店のマスターは因幡恵美に自分なりの助言を言った。人の心というのは良く変わるもの。しかし、あの少女のいう彼は一途であることは話しで分かる。もし、彼氏と上手くやっているなら……再びここに来るのは彼氏と一緒だろうと思っている深山智だった。
――まだまだ、先は長いのですから。
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