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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


想いで葛

他 所 に 見 て  過 ぎ 行 く 人 を  藤 の 花
這 い 纏 わ れ よ  そ の 身 折 る と も


一、「初めに物語ありき」

 ────後味が悪いのよ、と碇麗香は吐き捨てるようにして言った。

 彼から連絡がきたのは五日前のことだ。彼の名は松木といい、麗香の大学時代の……”知人”だった。
 久しく音信の途絶えていた彼からの食事の誘いに、麗香は幾分躊躇しながらも応じた。仕事を早くに切り上げ、昔よく待ち合わせ場所にした駅裏で落ち合う。連れていかれたのは小奇麗なイタリアンレストランで、「再会を祝して」なんてグラスを合わせてくる彼の変わらぬ笑顔に麗香は思わず視線を逸らした。昔を思い出すことよりも、昔を覚えている自分が何より口惜しく、また辛かった。
「今ね、僕はフリーのライターみたいなことしてるんだ。小さな事件を追いかけて、それを記事にして売っている」
 食事の合間に彼が言う。知ってるわ、という言葉を寸でで飲み込んだのは意地だ。時折聞こえてくる噂に耳を欹てていたなど言いたくなくて、麗香はワインを傾ける。
「……ところで、『月刊アトラス』の編集長さん。N町の藤棚の話は知っている?」
 ──と、彼が突然話題を変えた。麗香は勿論面食ったが、聞き覚えのある単語に「ええ」と首肯する。
「ここのところ続けざまに死体が見つかっているっていう、あの藤棚のこと? 何でも花が咲き始めてから三人も、その藤棚の下で殺されたって聞いてるわ」
「そう。さすがにこの手の話に敏感だね。付け加えるならば、その藤棚は大きな公園にある老木で、広さは二十畳程にもなる。そして死体は皆絞殺されたもの。太い縄のようなもので、首はおろか体中を締め上げられ、捻じ曲げられて、それはそれは無残な格好だったそうだよ」
 それが何、と麗香は視線で促す。彼はテーブルに肘をつき、手を組み合わせてこう言った。
「実は今、その事件を追っているんだ。そして核心に迫ったっていう自信がある。……どうかな、完成の暁には、僕の記事を君の所で買ってもらえないだろうか?」
「……それが、用?」
 ああそうだ、と彼はにべもなく告げた。麗香は彼の顔にワインをぶちまけてやりたい衝動を必死に抑える。気取られないように下唇を噛み締め、迫り上がってくる言葉を耐えて。そうね、と次いだ声が震えていなかったのは奇跡に等しかった。
「……出来次第で、考えてあげても良いわ。うちだって、人材は豊富なのよ」
「分かった。君が唸るようなものを書いてみせるよ」
 にこり、と笑んだ彼がそのまま立ち上がる。そして伝票を手に取り、「これは先行投資だよ」と言いつつ目を細めて。
「賄賂ついでにもうひとつ、重要な噂をリークしておこう。あの藤棚はね、『想いで葛』と呼ばれているそうだ」
「おもいでかずら?」
「そう……ねえ、麗香」
 やおら、彼が顔を近づけてきた。それだけで胸が苦しくなった。
「これを、きっかけにしちゃいけないかな? あの頃よりもお互いに、優しくなれるって思うんだ」
「……早く行って」
「ああ……あの藤棚に、行ってくるよ」
 またね、と言い置き去る背中を追えなかった。様々な気持ちが渦を巻き、辛口のワインを呷って一気に飲み干した。

 ────そしてその翌日、彼の遺体が藤棚の下で見つかったのだ。
 連続殺人事件の四人目の被害者として、麗香は彼の無残な死を知った。

「……ただ、後味が悪いのよ。だから頼みたいの、あの藤棚にまつわる事件の調査を」
 いつにない沈痛な面持ちで、彼女は呼び出した知人らにそう依頼した。


二、「殺めの葛の」

 ────薫る風が夜の中を渡っていく。
 ざああざああと草木を揺らし。 ざああざああと花房を震わす。
 ────黒い風が闇の中を渡っていく。
 ざああざああと草木を濡らし。 ざああざああと花房を惑わす。
「…………」
 冴え冴えとした黄金色の月が叢雲に隠された、頃は折しも夜半の刻。
 深い夜の底から、闇が凝固したかの影がゆらりと湧き出でる。
 影が纏うは濡れ羽色の黒衣。ほっそりとした手と首と、連なるかんばせのみがぞっとするほど白く滑らかな他は悉く闇色。さりさりと草履で立てる足音も密やかに、漆黒の影は風に揺蕩う花波へと歩を進める。
 ────さり、り。
「…………」
 歩みを止めた影は、若い男の形をしていた。
 男は目許の玻璃をくいと押し上げ、眼前の藤波を表情もなく見据える。
 白磁の如き頬はぴくりとも動かず、風に髪が見出されるのを気にも留めず。────ただ、その葛木を水銀色した双眸に映す。目に見えるものよりは、目に映らぬ恐ろしきモノこそを感じ取る、光を厭うその昏き瞳に。
「……邪よ、人の血を糧とでもしたか……?」
 男の硬質な声が響き。 ────ざああざああと花が鳴る。
「……禍を齎すものなれば……狩る」
 抑揚の無い声が告げ。 ────ざああざああと花が、啼いた。

*********

■[11:35 アトラス編集部] 香坂蓮
「……彼の遺品?」
 麗香は一瞬目を丸くした後、きゅっと唇を引き結ぶ。
 場所は、今日も賑々しいアトラス編集部でのこと。編集長の机前に陣取る香坂蓮は、麗香の表情の変化に気付きながらも「ああ」と首肯する。
「それが一番手っ取り早いと思う。……説明しようか。まず、前に死んだ三人のデータを調べてみたんだ。何か関連があるのかどうかを知りたかったからな……だが、」
「無かったの?」
 麗香の問いに香坂は一度言葉を切り、ひとつ息を吐き出してから続ける。
「……一人目の犠牲者は大学四年になったばかりの女子大生だ。県外の大学に通うため独居していて、就職活動のついでに帰省。その夜殺されたらしい。
 二人目は地元に住む七十代の無職の男性。息子家族と同居。夜の散歩途中に寄った公園で命を落としている。
 それで、三人目はやはり地元の、二十代後半の女性だ。何でも来月結婚を控えていたらしく、婚約者が葬式で号泣する姿が雑誌に大きく取上げられていたな」
「……つまり、性別年齢などに目立った共通点は無い、とワケね」
「皆N町の住人、と言えなくもないが……四人目を入れればそれも崩れる」
 麗香が腕を組み、俯くようにして眉間に皺を刻む。その目の下が化粧でも隠せぬほどに青黒くなっていることに、そしてそのあからさまな理由に気付かぬほど香坂は感情の機微に疎くはない。
 先日、普段と同じ心持ちでこの編集部を訪れた。しかし、常に毅然としているはずの編集長がらしくない表情でらしくない話をして以来、苦味を伴った重苦しさがずっと咽喉を塞いでいる。後味が悪い、としか言えない麗香の心中。握りかけた手を、ましてや一度は固く握っていた手を放されてしまった喪失感は如何程か────。
 香坂は我知らず左の指先に右手を遣る。薬指で煌く指輪。ひと撫でして、「だから」とあくまで事務的に──同情や悲しみの色など決して滲ませずに言葉を継いだ。
「だから、碇女史の知人が言っていた『核心』が何か、知る術はないかと考えた」
「それで彼の遺品を捜したいってワケね……成る程。そのためには、私が彼の家に案内する必要がある、と」
 香坂は頷く。わざわざ編集室にまで出向いた用件は、つまりそういうことだ。
「……確かに、彼の家を知らないわけじゃないわ。学生時代の下宿だけど、転居したって話は……まあ聞いていないし」
「駄目なら他の手を考える。どうだろう?」
 麗香は暫し逡巡する。やがて────「いいわ」
「今日の午後にでも行きましょう。……でも、どうやって不法侵入するつもり?」
「それは問題ない」
 香坂は唇の端を吊り上げて、意味ありげに微笑んだ。

■[12:07 某予備校玄関先] 綾和泉匡乃
『……というワケだけど、貴方はどうする?』
 携帯電話から聞こえる彼女の声に、綾和泉匡乃は「そうですね」と返しつつ辺りを見回す。
 午前中のコマが全て終わり昼休みに突入した予備校前は出入りする生徒達のざわめきに満ちていた。見知った生徒が会釈して通り過ぎるのに片手で答えて、スーツ姿の綾和泉は駅に向かって歩き出す。空はまさしく皐月晴れ、こんな日に教室に閉じこもって勉強三昧をしなくてはならない生徒達が少々哀れだ。
「彼が何処まで調べていたのかということに、僕も興味はありますね。色々と警察に押収されている可能性は高いでしょうが、調査メモでも見つかれば確かにそれが一番早い」
『じゃあ私達に合流する?』
 麗香も歩きながら電話してきているのだろう。時折声がぶれ、背後で雑踏が行き交い、なかなかに聞き取り辛い。────まあこちらも大差ない状況だが。
「折角のお誘いですが、僕は違う方面からアプローチする予定なんです。今日は運良く午後のコマが無くて、今からちょっと人探しに向かうところで」
『人?』
「最初の被害者の、まあ周辺調査のようなものです」
 前方に地下鉄の駅が見え出す。生温い風の吹き上げる階段を軽快に駆け下りつつ、そろそろ電波が途切れるだろうことを先方に伝えれば。
『分かったわ。こちらで何か掴めたらまた連絡するわね』
「どうも。それじゃあまた」
 通信の携帯を鞄の中に放り込み、切符を買って改札を抜ける。向かうのはN町。手にしているのは、予備校で調べて来た四年前の生徒データだ。綾和泉は蛍光ペンでマーキングした生徒の名、その住所と高校名を目で追う。一人だけ違う色で印をつけてあるのが、最初の被害者である女子大生の──高校三年時のデータだった。
 職権乱用だろうけれど。苦笑しつつ、やって来た電車に乗り込む。
 事件が起きた理由、というかきっかけには恐らく人──それも最初の被害者が関係しているのだろう、と当たりをつけた綾和泉はその女子大生に付いて詳しく調べてみたのだが、よもや同僚の教え子で、しかも相当親しい間柄だったとは思いもかけぬ僥倖だった。いつも友達同士で固まってて、と故人を悼む同僚から彼女と仲が良かった予備校生とその進学先などをそれとなく聞き出し、現在もN町に残っている数人をピックアップした。
 今から探しに行くのは、つまりその元予備校生達だ。
「さて、どうなるかな……」
 扉のガラスに映った中性的な面立ちが、くいと眉を上げた。

■[13:38 某マンション扉前] 香坂蓮
 ────カチリ、と。
 金属質の音が小さく響く。香坂がゆっくりノブを回し、それを手前引くと、鍵のかかってたはずの扉は何の抵抗もなく開いた。
「……大した特技ね」
「昔取った杵柄だ」
 麗香の賛辞(?)に無感動に答え、香坂はピッキング用の道具を仕舞いながら室内へと侵入る。麗香がそれに続き、元のように鍵をかけると────僅かに息を吐く音が背中に聞こえた。変わってない、との呟きを香坂はわざと無視する。
 キッチンと、その奥に居間兼寝室があるだけのワンルームマンション。然程広くない部屋は整然と片付けられており、ふと見たシンクの乾き具合が主の不在を暗に主張している以外はまだ、そこかしこに彼の生活の匂いが残ったままだった。
「俺はあの本棚を調べる。碇女史は……じゃあそこのパソコンを立ち上げて、中身を漁ってくれ」
 香坂の指示に麗香は諾と従う。わざわざ背を向け合う配置にしたのは故意ではないが、今の自分達には多分最適だ。
 本棚に並べられたファイルを繰り、仕事用資料だったらしいそれを一つ一つ潰していく。その中に『月刊アトラス』の切り抜きが多々あったけれど、余計なことは考えないようにした。
「……あったわよ。『想いで葛に関する覚書』ですって」
 暫くして、麗香が肩越しにそう言って寄越した。
 香坂はファイルを置き、麗香の座す椅子の背に手をついて画面を覗き込む。麗香が淡々と、開いたテキストを読み上げる。
「N町N公園内の藤棚は蔓と花を二十畳程にも広げた老木であり、N町では有名な花の名所である。地元の一部ではその藤棚を『想いで葛』と呼んでおり、その理由はと周辺住民に問えば、『思い出を呼び起こす木だから』との答えが返る」
「思い出を呼び起こす?」
「花が咲く五月、その藤棚の下に立つと不思議と昔が偲ばれる。忘れていた思い出まで鮮明に蘇り、その現象が多人数に及んだことからいつしか藤棚は、『思い出の藤葛』『想いを起こす葛花』ひいては『想いで葛』と呼ばれるようになったらしい。藤棚の効用について実際に試してみる。強ち間違いではないことを先日確認、その矢先に三人目の被害者が……」
 そんなの先入観よ、と麗香が鋭く洩らす。
「思い出す木なんだって信じるから、昔のことを思い出すんじゃないの? 馬鹿馬鹿しい、それが何で『核心』なのよ。そんなこととこの事件が、いったい何の関係があるのよ」
 やけに語気が荒い。傍らの香坂が困惑していると、麗香が画面をねめつけたまま言った。
「……このパソコンね、開くのにログインが要るのよ。ユーザー名は彼の下の名前だった。パスワードは、何だったと思う?」
 ギリシャ神話に出てくる天を支える巨人の名前よ、と麗香が自嘲気味に付け加えたものだから。
「……"Atlas"」
 香坂の答に、麗香が唇を歪ませた。馬鹿馬鹿しいわ、と繰り返して。
「昔を思い出したから、私に会いに来たっていうの? それともずっと覚えていたから? 何で藤棚の下で死ぬのよ、何で彼が殺されるの? いったいあの藤棚は何なのよ? ねえ香坂くん、早く私の、葛みたいに纏わりつく思い出を、」
 解いてよ────。
 麗香が不意に席を立つ。部屋を抜け、玄関近くの洗面所に駆け込む彼女の後ろ姿を香坂は追わなかった。代わりに黙したまま画面をスクロールさせ、続きを読む。
『三名の犠牲者を、思い出という観点から調査。
 女子大生は友人に就職活動のままならなさをぼやき、地元に帰りたい旨をこぼしていたらしい。老人は先日伴侶を失ったばかり。家にいるよりも公園に一人でいる時間の方が多かった、とは息子の細君の証言。三人目の女性については、ちょうどマリッジブルーに陥っていたとの友人の証言有り。
 ……人が昔を懐かしむ時期とは、境の時期だろう。もしもこの藤棚が人の境に反応する怪異だとしたら、想いで葛の正体とはつまり、』
「……思い出に想いを寄せる者を絡め取る葛、か」
 静まり返った室内に、パソコンの低い唸り声だけが響いていた。

■[15:15 公園内藤棚下] 西ノ浜奈杖
 豪奢なカーテンの様で垂れ下がるは幾房もの藤花。風に揺れる藤色の波。
 その向こうに望めるは一面の蒼天。白い雲がゆったりと流れ行く青空。
「いい天気だなあ……」
 藤棚の下、ベンチに仰向けで寝転がった西ノ浜奈杖は藤の天蓋を眺めながらぽつりと呟く。
 昼下がりの公園で、僅か温みを孕む春の風に吹かれて。晴れ渡る空と満開の花の下でごろんと昼寝……とまではいかないが、この陽気ならば転寝くらい出来てしまいそうだ。────と考えるのは、やっぱりこの場所では不謹慎だろうか。
 葛花に巻かれたこの、小さな東屋。花の香に包まれた穏やかな憩いの場所で、既に四人もの人が亡くなっているという。それも皆体中を捻じ曲げられたという変死で、花が咲いてから立て続けに。辺りに全く人影が見当たらないのも、その事件を恐れてのことだろう。こうしてのんびり藤を見上げている自分は、ちょっと酔狂かもしれない。
「……想いで葛、かあ」
 また風が吹く。藤色の小さな花弁が、幾枚も舞って、幾枚も積もる。
 四方に這うは長い長い蔓。格子に、柱に、地にさえも巻きつき、締め上げている。雁字搦めにして、もう放しはしないと願ったかのように、花の葛はさながら化石のように凍りついていた。
「人を襲う藤、というのには出会ったことがないけど」
 綺麗な花。おもいでという葛。────犯人は、あなたですか?
「アナタ、何してるの?」
 不意に声をかけられ、奈杖はびくんと体を震わせた。寝転がった姿勢のまま恐る恐る首を捻れば、藤棚からやや離れた場所に花束を抱えた女性が立っているのが見えた。
「あ、あのっ、僕は別に、」
 驚き、慌てて跳ね起きる。ずり落ちかけた帽子を押さえながら立ち上がろうとして、ふと、彼女の持っている花束のリボンが華々しさに似合わぬ墨染めであることに気付いた。
 かちあった気まずい視線。彼女が先にふいとそれを逸らし、「……お参り、したいから」と小さく呟いた。

 藤棚の柱に花を手向け、手を合わせた彼女は目を閉じて死者への黙祷を捧げる。
 やがてゆっくりと瞼を上げると、傍らの奈杖にちらと視線を寄越して。「いったい、何してたの? ここが事件の現場だって知ってたんでしょう?」と訊いた。
「えーっと……ちょっと考え事を、」
 明らかに疑惑の眼差しを向けてくる彼女に観念した。ぽり、と頬を一掻きして奈杖は告げる。
「実は、僕の知り合いの知り合いも、ここで」
 そうなの、と彼女は素っ気無く答え、また花束へと視線を戻す。
 相変わらずの風に、純白の包み紙と黒いリボンとがかさかさと鳴っているのを彼女は見ていた。
「考えてたんですよ、藤を見ながら。いったい、こんな長閑な所で何があったのか。何をしたために、四人の方達は亡くなったのか、って、そんなことを考えていました」
 彼女は何も言わない。風が吹く、藤が揺れる。葛の花が身を震わす。ざああ、ざああ、と音を立てるその藤波を見ているうちに、言うつもりのなかった言葉が口をついた。
「……もしかして、この藤が人を、手にかけたのかな、なんて」
「そうかもね」
 余りにもあっさり彼女が同意したので、逆に奈杖の方が面食らってしまう。
「想いで葛っていうのよ、この藤。普段はただの藤だけど、花が咲いている間だけ、思い出したいことがあると記憶を呼び覚ましてくれるの。綺麗な思い出をより綺麗にして、思い出させてくれるの」
 本当よ、とも付け加える彼女に、奈杖は「はあ」と曖昧な相槌を打つ。勝気そうな吊り目の彼女、その視線が真っ直ぐに藤を──想いで葛の波打つ姿を捉えて。
「……でも、花を咲かせるのも今年で最後。公園の拡張工事だとかで、この藤ね、来月には伐られるのよ」
「え、そうなんですか?」
「だから、腹いせかもね。この世とのお別れついでに、近づいて来た人を巻き込んでるのかも」
「そ、それはちょっと、怖いなあ。祟りとか、そういうのでしょうか?」
 思わず後退った奈杖に、彼女の口角が悪戯っぽく笑みを含む。しかしそれも一瞬で、不意に伏せられた睫がふるると震え。
「だって……お別れって、寂しいじゃない?」
 翳った彼女の横顔にかける言葉を、奈杖は持っていなかった。

■[15:43 N町内公園前] 綾和泉匡乃
「……さんですか?」
 にこり、と綾和泉が営業用のスマイルで声をかけると、公園から出て来たばかりの彼女はびくりと肩を震わせた。ゆっくりと、わざわざ左肩から振り返るその視線は、警戒心を惜しげもなく露にしている。────まあ、仕方ないけれど。
「突然すいません。実は僕、K予備校の講師をしていて、……先生の友人なんですよ」
 予備校名と同僚の名前を出すと、彼女の瞳に含まれた険がほんの少しだが和らいだ。データに添付されていた入塾当時の写真と随分面差しが変わってはいるが、成る程、この女性は被害者の友人の一人であると綾和泉は確信した。
「貴女のことも彼から聞いていまして。丁度訪ねて行く途中でした」
「私に?」
「はい。彼の代理で、お悔やみ方々気落ちしているだろう貴女の様子を見に行こうと……では、いけませんか?」
 言っていることはどれも嘘ではない。ただ動機を隠しているだけのことだ。お粗末な口説き文句には違いないが、後で言い逃れの出来ないようなことは口にしない方が懸命だろう。綾和泉はあくまでも穏やかな微笑で以って(尚且つ、その効果を知った上で)彼女を見つめる。鋭い眦を持つ彼女は睨むような上目使いでこちらを覗っていたが、やがて。
「……まあいいわ」
 息を吐き出しながらそう呟く。「先生の顔、好みだから信じてあげる」
 では歩きながら、と促すと、彼女は黙ったまま先立ち歩き出す。綾和泉もそれを同じ歩調で追った。
「焼香も何もありませんが、お悔やみ申し上げます。貴女と彼女とは、仲が良かったそうですね」
「別に。だってあの子、勝手に地元出てくんだもの。同じ高校、同じ予備校にまで行ったのに、自分だけ他所に進学するし、碌に連絡寄越さないし。……気紛れに帰ってくるから、あんな死に方するのよ」
 棘さえ孕む物言いに、綾和泉は苦笑する。「これは手厳しい」
「あの子が里帰りしたその日にね、久しぶりにメールくれて、会いたいの寂しかったの、なんて言うのよ。音沙汰無かったのはそっちでしょ、って言い返したかったけど……ま、会ったわけよね」
 あの”想いで葛”の下で、と彼女は付け加えた。無理に抑揚を無くしたかの物言いで。
「『想いで葛』は懐かしい思い出を呼び起こしてくれるトコだから、再会にはもってこいじゃない? 夕方過ぎにあそこで会って、私達暫く昔の話とかしてた。思い出の話ばっかり、今のことはわざとしないで。……それで私、先に帰ったのよ。あの子を残してね。あの子だけ、藤棚の下に置いて、私、誰にも言ってないけど私が、最後の、最期の」
「犯人は誰だと思いますか?」
 綾和泉はわざと話を遮り、転換させた。彼女は一度唇を噛んだようだったが、それ以上声を昂ぶらせはしなかった。
「僕は、その”想いで葛”が犯人なんじゃないかと見ています」
「……奇遇ね。私もそう思って、さっき、」
「ですが、こんな事件が起こる理由といいますか、契機を作ったのは人──つまり、貴女のご友人でしょうね」
 それからもう一つ。彼女が二の句を告げる前に、綾和泉は人差し指を立てて見せ。
「『名にし負はば逢坂山のさねかづら人に知られでくるよしもがな』との歌もありますが────何故、”葛”なんですか?」
「かづら……?」
「花、でも藤、でもなく、葛という。その謂れは何です?」
 彼女が歩みを止める。顎を上向かせ、眉間に深く皺を刻んだ。
「……アナタ、雑誌の記者か何か? 何が知りたいの?」
「僕は予備校の講師ですよ。知りたいのは、ただ、真実を。……ああ、それから」
 知人に美味しくお酒を飲ませてやりたいんですよ、と綾和泉は煙るように目を細めた。

■[16:56 公園内藤棚下] 西ノ浜奈杖
 春の日が西の空へと傾き、朱さと大きさとを増していく。そろそろ夕刻と呼ぶべき時分、花束の彼女が去った後も奈杖は相変わらずの藤波をぼんやり見上げていた。
「……もうすぐ伐られる」
 ベンチに腰掛け、掌を天に晒して、口は何となくぽかんと半開きで。
 花の香が鼻腔を擽る。涼やかさを孕んできた風が帽子からのぞく髪を愛撫する。
 藤は、ただ、揺れる。
「……寂しいから、人を巻き込んだ」
 奈杖の黒い瞳に浪が映る。砕けぬ波頭、降るは六花ならぬ葛花。
 人を絞め殺す葛の花。想い出を呼び起こす花。
「……僕は、そんなことないけどなあ」
 ぱちり、と奈杖が瞬きし、傍らに佇む青年を見上げる。すらりとした長身にビスクドールのような整った容姿。一筋の金髪が夕陽の光を弾き、奈杖と同じように藤に見入っていた彼は──香坂は、「俺もだ」と同意を返した。
「もう少し、条件が要るのでしょうか? その状態になるためには」
 花束の置かれた柱に凭れかかっていたのは、先程到着したばかりの綾和泉だ。腕を組み、やはり藤を仰いだまま言う。
「思い出に想いを寄せる、懐かしさを感じる者の思い出に反応して、その記憶を呼び覚ます────話を総合すると、そんな風に考えられる」
「そうですねえ。……でも、何で人が……その、死んじゃうんでしょう」
「最初の被害者である女子大生が何をしたのか、ですね。僕が会った彼女もそれは解りかねるとのことでした。ただ二人で、昔の話をしていただけだと」
「もうすぐ無くなっちゃう花の下で、思い出話に花を咲かせてたってことですね。……あ、洒落じゃなくて」
「ともかく、」
 香坂が話をまとめるようにして二人を見渡した。
 その背に負うは、天井を染め上げていく夕陽の朱。香坂の輪郭が金色に光る。
「事件はいつも夜に起きている。夜を待とう、ここで」
「ええまあ、そうしますか」
 綾和泉がふむ、と頷く。奈杖は「あ」と香坂を振り仰いだ。
「夕食どうしましょう? そうだ、いっそ三人で食べに行きます?」
「……好きにしてくれ」
 どこまでもマイペースな奈杖に、香坂はちょっとだけ項垂れた。

*********

 闇、花、風、花。
 黒衣の男は未だ藤波と対峙し続けている。
 昼の光を憂しと避ける狩人が、夜の闇を善しとするかの殺めの葛を見据え続けている。
 ────さり。
 爪先が砂を擦る音。風に花弁が舞う。男の手が腰の刀にかかる。滑らせるように抜く。振り下ろす、一閃。
 ────はら、り。
「…………」
 貝の欠片のような花弁が男に別たれ地に落ちた。闇の中に落ちる小さな白。淡雪。風。散らす、風。
「……聞いたことがある。風に散る花、故に風散花……ふぢばな」
 ────否。男は白刃を、秀でる者との名を持つ刀を再度構え直す。
「花にあらずか葛のモノ。欲して殺めてその枝で抱いたか、葛の邪」
 昼のことは光の中で生きる者達が為せば良い。ただ、夜のことは自分が──闇の者が為せば良い。闇が闇を斬れば良い。
「……禍は、狩ろう」
 男の────葛城夜都はそう言って、唇を自嘲気味に歪ませた。


三、「藤浪の咲く春の野に舞う葛」

 腕時計に目を遣った綾和泉が「22時です」と告げた。辺りはもう闇一色で、光源は、三人の頭上にある外灯のみだ。
「何にも起こりませんねえ」
 奈杖がふああと欠伸を噛み殺しながら言う。三人の視線の先には無風に動きを止めた、まるで霞みたいな藤の花。近づいてみましょうか、と綾和泉が促したのに、焦れていた二人はすぐさま同意した。
「ああ、昼とは眺めが違うなあ。……当たり前だけど」
 藤棚の下で三者三様に花を見上げれば、その薄紫の向こうには何時の間にやら空を覆っていた分厚い雲の、黒。風がない分空気が滞り、温かくも寒くも無いのが却って感覚を鈍らせていくような気さえする。とろりと時間が溶けて、黄金色し蜜の質感となるような。
「……何だか、嫌な感じだ」
 香坂が片腕で自身を抱く。奈杖が首を竦めるようにしておずおずと藤を見回す。「やはり戻りましょうか」と言う綾和泉の口許から、微笑が消えて。

 ────そして、突如として風が吹いた。

「うわっ!」
 まるで地が竜巻を吐き出したかのようなそれは三人の身を足元から煽り、髪を嬲り、花を天へと逆しまに舞わせる。
 その突風に奈杖の帽子が巻き込まれた。飛びかけたそれを、奈杖は掴もうと斜め後ろに手を伸ばす。捻った体がバランスを崩し、その脚ががくんと折れて。
「え、っ!」
 前のめりに倒れ込んだ彼の腕を、どこからか伸びて来た葛が絡め取る。悲鳴。助けようとした香坂が咄嗟に駆け寄る。綾和泉がはっと息を呑む。花をふりさけ見る、見て、目にして────瞠目した。
「……かづら」
 呆然と紡がれた言葉に誘われた如く、棚に巻きついていた無数の葛が一斉に触手を放つ。払う間もなく三人の身体が飲み込まれ、悲鳴さえもが枝の中に押し籠められ、埋没した。

「……やっと姿を現したか、災うモノ」
 人を抱いて化石となった葛木の前、黒衣の男が夜から澱のように滲み出る。
 無音の闇夜に再度の対峙。────玻璃の奥の水銀の瞳が、妖しく花を映していた。


四、「想いで葛」

「…………」
 目を開けるとそこは一面の銀世界。しんしんと降り積む雪の中、頭上で藤色の天蓋が凍りついていた。
 香坂は突然現れた景色に驚愕したものの、取り乱さずに辺りをぐるりと覗った。明らかに先刻までとは違う一切、同じなのはただ、煙るような藤霞。
「置いていくつもりか」
 背中から掛けられた声に鼓動が跳ねる。振り向いて、更に目を瞠る。
「何で、」
 問うべき言葉を他に持たない。雪の中現れたその姿は、最も見慣れた相似形。香坂蓮──自分自身がそこに居た。
「置いていくつもりか」
 もう一人の自分が同じ言葉を重ねる。問いのような、確認のような、諦めているような、何れにしてもこの凍れる空気と同じ温度の物言いだ。────まるで香坂を呪うような、冷たい声だ。
 雪原に足跡を刻みながら、彼がゆっくりとこちらへ近づいてくる。どうしてだか退くも行くも叶わない。香坂は彫像のようにその場に立ち尽くし、ついには数歩の距離で向かい合うまでに彼の接近を許した。ごくり、と唾を嚥下する。雪が降る。置いていくつもりか。彼の凍れる声。喉が引き攣って返事が出来ない。彼が腕を伸ばす、身体に絡みつく。まるで葛。頬を両手が包み込む。鼻先が、触れ合う。
「置いて……先へ行くんだな」
 唇に注がれる冷たい吐息。
 その時香坂は気がついた。自分と、もう一人との唯一の違いに。────彼は、左手の薬指に何も持っていなかった。
「……そうか、おまえは」
 瞬時に、聡い頭が了解した。思い出に想いを寄せる者を絡め取る葛。
「おまえは、昔の俺か」
 抱擁がきつさを増し、軋む骨の痛みに香坂は喉を反らして呻き声を洩らす。
 これは、まだ兄とも、大切な人とも巡り会えていなかった頃の自分。独りきりで雪を見ていた頃の自分。忘れていたわけじゃないけれど、それは確かにもう、過去として鍵を掛け背を向けていたのかもしれない。想いも寄せず、遠ざけていたのかもしれない。────どちらも同じ、自分なのに。
「……置いて行かれるなら、いっそここで」
 もう一人の腕が茶色へ、そして灰褐色へと変色していき、それはやがて真に藤の葛となって香坂を締め上げた。這い纏わり、枝を伸ばし、この身を折るような強さで四肢に食い込んでいく。殺された四人ときっと同じだろう痛みに喘ぐ。狭まっていく視界と息苦しさの中で、しかし香坂は”葛”の背へと渾身の力で腕を回した。
「……て、いかない」
 びくり、と。”葛”が震えたのが、合わさった胸に伝わってきた。
「俺は……もう戻ることはない、それは」
 腕に力を込める。”葛”を、過去の己を抱き締める。ぎゅっ、と。この葛よりも強く。
「……が、いるから。生きている限り先へ行く。独りではなく、……と」
 たった一人の名を唇に載せるだけで胸に明るい火が灯る。雪を見ていた心には決して生まれなかったその焔は、時に鎮まり、時に盛り、時に揺らめくけれど。
 ────二度と、掻き消されることはない。
 ────ここに、自分の中に、いつまでも在る。
 ────この先、ずっと。永劫に。
「だから……おまえも連れて行く」
 きっぱりと宣言した香坂の言葉に、這う葛がぴたりと動きを止めた。その向こうで、雪さえもが宙で静止した。
 時が凍りついたかのような世界。過去の眺め。今はもう、どこにもない世界。
「……でも、無かったことにはしない。おまえも、俺だから」
 愛しい人にするような仕草で香坂は”葛”に頬を寄せた。
「……連れて行く、この先も。一緒に」
「…………」
 嗚呼、と”葛”が啼いたような気がした。そして、閉じ込めていた枝がぼろぼろと、端から枯れて朽ちて、崩れていくのを感じて。────さよならも告げず、孤独な自分と雪とが消えていくのを香坂は静かに見送った。

「……連れて行くさ」
 ”葛”と雪とが過去に帰っていった夜の中、ざああと音を立てた藤を見上げて香坂は呟く。
 左手を持ち上げ、瞼を伏せ、最愛の指輪にそっとくちづけた。


五、「物語の終わりに」

「そう。そんなことがあったの」
 数日後のアトラス編集部。香坂はまた麗香を訪ねて来ていた。
 あの夜、香坂が正気を取り戻した時にはもう、藤の木は倒壊していた。花が総て地に落ち、枝と幹とは枯れ、先に目覚めていた綾和泉が「もうこの花は咲かないそうです」と何故か曖昧な表情で告げてくれた。
 花が無ければ事件も起きまい。つまり一連の殺人は、あの夜で終焉を迎えたということだ。
 そういったことを伝えると、相槌打たずに耳を傾けていた麗香は静かな表情で息を吐き出した。
「大した事件じゃなかったわね。記事にする気も無いわ」
「……碇女史」
「ごめんなさい、愚痴っぽくて。駄目ね、私」
 先日より幾分か顔色はマシになっているが、元の彼女に戻るにはまだ暫くの月日が必要だろう。今が過去となり、切り離されて想い出となるまでの歳月が。
「ともかくもありがとう。すっきりしたわ。他の二人にも、私の方から伝えておくから、」
 言いさしたところで、突然後ろから悲鳴が聞こえた。何事かと振り向けば、例の無能社員が原稿の山を盛大にぶちまけてしまったところで。
「さんしたぁ!」
「は、はヒイイイイ!!」
 鬼の編集長の顔をした麗香がずかずかと大股で脇を擦り抜ける。その擦れ違い様、しっかりとした声音で囁かれた言葉を香坂は聞き逃さなかった。
「……大丈夫よ。私は、先へ進めるわ」
「…………」
 既に遠ざかった彼女の背を香坂は微笑で以って見つめる。
 どうか幸いを、と心の中で呟いて、炸裂した彼女の怒号に苦笑を洩らした。




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

3183 / 葛城・夜都 (かつらぎ・やと) / 男性 / 23歳 / 闇狩師
1532 / 香坂・蓮 (こうさか・れん) / 男性 / 24歳 / ヴァイオリニスト
2284 / 西ノ浜・奈杖 (にしのはま・なづえ) / 男性 / 18歳 / 高校生・旅人
1537 / 綾和泉・匡乃 (あやいずみ・きょうの) / 男性 / 27歳 / 予備校講師

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■         ライター通信          ■
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こんにちは、ライターの辻内弥里です。この度は拙作へのご発注、真に有難う御座いました。
そして、締切を破ってしまい誠に申し訳ありませんでした…。深く反省しております。そうして出来あがった「想いで葛」少しでも楽しんでいただければ幸いです。い、如何ですか?
なお、「四」「五」が個別となっております。よろしければ他PC様の部分もお読みなってみて下さいね。

>香坂蓮様
お久しぶりです。またお会いできて光栄です。
香坂様の設定はどうにもこうにも好みなので、私また暴走をしてしまいました…ええと「四」の辺りで。どうぞ広い心でお許し下さいませ…。(をい)
前回もそうだったのですが、恋人さんとの幸せを心より願って止みません。どうぞ、お兄さんに負けないくらいお幸せに。

それではご縁がありましたらまた、ご用命下さい。
ご意見・ご感想・叱咤激励、何でも切実に募集しております。よろしくお願い致しますね。
では、失礼致します。