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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


灰色紳士の憂鬱


■序■

 右足、肋骨5本、左手首を骨折し、全身に打撲を負ったイギリス人紳士が、都内のある総合病院に入院している。
 彼は、リチャード・レイという。
 先日白王社ビル内アトラス編集部にて、編集部という場所では大よそ考えつかないような事故に遭い(襲撃に遭い、とは彼も言わなかった)、かなりの重傷を負ってしまった。
 が、元気にしている。むしろまとまった時間が出来たといって、止まっていた私小説を書き進めているようだ。
「でも、何であのとき、皆さんあんなに必死になったんでしょう」
 リンゴでさくさくとウサギをこしらえながら、レイの小さな助手がぽつりと呟いた。
 彼女は、蔵木みさとという。
 手先が器用で、彼女が果物ナイフを手に取れば、いつもリンゴはウサギに化けた。
「話を聞いたところによれば、わたしがあのあとうっかりすることになっていたらしいのです」
 しゃくしゃくとリンゴのウサギを食べながら、レイがぼんやりと助手の疑問に答えた。
「ロクゴウさんは問題ありませんか? 突き飛ばされていたような気がしますが」
「正常稼動中 です」
 病室の入口に突っ立っている人造警備員が、手短に答えた。
 彼は、陸號という。
 彼もまたレイの問題に巻き込まれたのだが、衝撃には強い造りになっていて、奇跡的にも故障や破損を免れた。
 こうしてみさとが陸號と一緒にレイを見舞うのは、ほとんど毎日のこと。
「……今度、誰か誘ってきてもいいですか」
「……どうしました、急に」
「何だか……飽きちゃって」
「……」
「先生も、退屈じゃありませんか」
「いえ、わたしは原稿がありますから」
「……迷惑、です?」
「いえそんな、とんでもありません」
「じゃ、呼んできてもいいんですね!」
 果物ナイフを閃かせ、顔を輝かせ、みさとは振り向いた。レイが不自由な身体で仰け反った。
「え、ええ――」
 みさとの勢いに思わず頷いたレイは、慌ててこうも付け足した。
「ただ、わたしの怪我が悪化するような事態は避けたいので、そこのところはよろしくお願いします」
「わかってます、大丈夫!」
 みさとは嬉しそうに笑うと、ポクポクと入口の陸號に駆け寄った。
「陸號さん、早速誰か誘いに行きましょ! やっぱり編集部がいいかな?」
「良案 かと」
 特に考えこむ様相も見せずに相槌を打った人造人間を引っ張って、みさとは病室から出ていった。
 あとに残されたのは、身動きの取れない作家兼オカルティスト。
「……せめて、果物ナイフを片付けてから行って下さい……」
 誰もいない病室で『レイ』として振る舞う必要性や如何に。
 それを指摘できる者は、少なくとも今はそこにいなかった。


■お見舞い前■

 ポクッとアトラス編集部に現れたみさとに捕まったのは約5名。
 田中緋玻、山岡風太、羅火、藍原和馬、光月羽澄。
 尤も5人ともそれを「捕まった」「巻き込まれた」とは思わなかった。風太はふたつ返事でみさとの誘いに乗ったし、残りの4人はばつが悪いときの顔で素直に頷いた。リチャード・レイが大怪我をした原因に、この4人は深く関わっているというか、原因そのものだったのである。
「田中さんはともかく、なんで藍原さんが静かになってるんですか?」
「俺がいつも五月蝿いやつって感じの言い方はよせ!」
「す、すみません」
 押し黙った和馬に思わず疑問を衣着せず浴びせかけたのは風太だ。牙を剥く和馬に、たちまち風太は肩をすくめた。
「……まあ、その、何じゃ……加減を忘れたのは認める」
「刑事沙汰にしなかったことにお礼を言わなくちゃいけないかもしれないわよ」
「私もあのときはらしくなかったわ。もうすっかりパニくっちゃって」
「夕陽が黄色いぜ」
「ぬしは反省しとらんのか、けだもの! このわしが反省しとると言うに!」
「ああっ耳が聞こえないっ」
「こ、この……!」
「ちょっと、やめてよ。もうここで大騒ぎなんか起こしちゃだめ。……一時期面会謝絶だったんだから。もう元気になって暇持て余してるって言うし、謝りに……お見舞いに行きましょうよ。仲良く」
 羽澄が始めは強く、次第に控えめにそう意見した。
 彼女はスケジュールを確認した。高校生でありながら、実は羽澄という少女は多忙な毎日を送っているのだ。それでも、幸運なことに空いている日は近くにあった。
「私は明後日行くわ」
「明後日? そうね、あたしも空いてる」
「俺も空いてます」
「わしはぬしらとつるむ気などない。つるむ必要もないことじゃ」
 ぐあっ、と吼えたてたのは羅火だった。そう言い捨てたきり、毎日が休日にあたる彼は大股で編集部を立ち去っていく。もう、と口をへの字に結んだのは羽澄くらいのものだった。
「うーん、俺もどうだろう。明日は明日の風が吹くってな、そんな生活地で行くもんで」
 へらりと笑う和馬を睨むのは緋玻。
「あの羅火と何の違いがあるのよ」
「大いに違うだろ!」
「どうだか……」
「がるるるる!」
「しっしっ」
 冷めた緋玻に牙を剥く和馬ではあったが、その唸り声は彼の携帯の着メロが断ち切った。和馬は発信元を確認して顔色を変え、ぺこぺこしながら通話を始め、そのまま小さくなって編集部を出ていった。
「……忙しいのはほんとみたいですね」
「ま、羅火の言う通り無理に大勢が連れ立つ理由もないわけだし、この3人でいいんじゃないの? みさとちゃんと陸號も入れたら病室も狭くなるでしょ」
「じゃ、みさとちゃんに言ってきますよ、俺」
 見舞い客を求めて編集部をちょこちょこと移動しているみさとを求めて、風太が駆け出す。人と人外でごったがえす編集部の中を、縫うようにして走るのは、慣れがもたらすひとつの技だ。
「……山岡くんだっけ、彼」
「はい」
「みさとちゃんが絡むとすごく一生懸命になるわよね」
「はい、本当に」
 羽澄と緋玻は、和馬や羅火がいつも浮かべるような類の笑みを口元に浮かべた。
 すなわち、にやりとした笑みだ。

 3人が明後日にまとめて見舞いに行くと、風太が代表してみさとに告げた。みさとは素直に顔を輝かせた。レイは「どうぞお構いなく」と言っていたというみさとに、風太は首を振る。
「身体動かせなくて退屈してるだろうし、何か持っていくよ。それにお見舞いったら、花がつきものじゃない? レイさん、好きな花ってあるっぽいかな?」
「えっと……あったかなぁ……嫌いだとは言ってませんでしたけど……似合うのは、なんか、バラですよね」
「じゃ、バラね。みさとちゃんは? 何か好きな花とかある?」
「え、あたしは……」
 みさとはレイの好きな花を探すときよりも、ずっと早く答えた。
「ガーベラ……真ん中がピンクで、端に行くほど赤が濃くなってくガーベラ、大好きです」


 そして、日が沈み、昇って、沈んで、また昇った。


■オパールから鬼火へ■

「おう、リチャード! 生きとるか!」
 ばうん、と病室のドアを蹴り開けて現れたのは、人造六面王を冠する羅火だった。ベッドで白紙にペンを走らせていたレイが、ぎょっとした様相を隠しもせずに顔を上げる。
「ら、ラカさん……今日はいらっしゃらないとお聞きしましたが……」
 みさとと陸號の姿もまだない。ふたりが来るのは、大概昼が近くなってからだ。羅火はそれを知らなかったが、何となく察しはついていた。見栄を切った以上――というよりも、人間たちとつるむ気がないというのは本音だ――他の見舞い客と鉢合わせになるのは避けたかった。
 羅火はレイの胸元に(レイが肋骨を折っていることは知らなかったが、察しはついていたような気がする)古い雑誌を投げ置いた。碇麗香が影響を少なからず受けたという、『月刊暁明星』である。明治初期に刊行されていたオカルト雑誌だ。
「治療費の方は払っておいたぞ」
「え?」
「これで誰にも文句は言わせん。言わんな?」
「……ええまあ。それで、この本は?」
「釣銭で買うてきた」
「あの、失礼ですが、そのお金はどうやって……」
「自前じゃ、誰からも奪ってはおらんぞ!」
 があっ、と凄んだ羅火の首筋には、いつもそこにある赤い結晶がなかった。この世の物質ではないが、無理にそれが何かと定義づけるとすれば、羅火の皮膚を破って現れるその結晶はファイアオパールなのであった。仕事をせずとも現代社会で羅火が生活費にこまらないのは、『自前』の石を売っているからである。
 レイはそれを知らなかったが、察しはついていた。はあ、それならば良いのです、と彼は小さくなった。
「……その、何じゃ。くたばられては、寝覚めが悪くなるところじゃった。生きているのはわかった。わしは帰るぞ。病院なんぞ、わしはもう、蹴り崩したいほどに気に入らんからの」
「どうも、わざわざすみませんでした」
 くるりと背を向けた羅火に、レイは苦笑でも嘲笑でもない、穏やかな笑みを投げかけた。
 ずしんと大股で羅火が一歩踏み出し――

「……を作ってきたの? ……」
「……です。……は和菓子なんで…………イさん、喜ぶかしら……」
「……くいい匂いですね!」
「……っていいですか? ……まそう」
「主役が…………からよ、山岡くん」

 がちゃり、とドアが開いた。
 病室に入ってきたのは、緋玻、羽澄、風太、みさと。めいめい花や箱を抱えていた。彼女らが見たのは、さっとレイのベッドに潜りこむ小さな獣、ギプスと包帯でがっちりガードされたレイ、レイの胸元の古い雑誌だ。
「こんにちはー。大丈夫ですか、レイさん?」
「ええ、気分はいいです」
「あれ、誰か先に来ました?」
「ああ、羅――痛ッ!! 何をするか!」
 レイの言葉を遮ったのは、ベッドの陰から不意に踊り出た獣であった。とりあえず、猫のように見えなくもない。緋玻がついと眉をひそめ、事も無げにその猫を捕らえた。猫はじたばたもがいたが、緋玻の力から逃れることは出来なかった。
「……何コレ? リチャード、あなたのペット?」
「……いえ、違います……」
「ヘンな模様の猫ね」
「ね、猫じゃないかも。だってほら、ここヒョウ柄でここトラ縞ですよ。有り得ない!」
「病院に猫なんて。……でも、首輪してる」
「あの、彼はそっとしておいてあげてください。あまり触られるのが好きではないそうで」
「『そうで』って……言葉わかるの? あ、わかるのか。鴉と猫と蟇蛙の言葉はわかるのよね、魔術師だもの。ねえ、パ=ドゥ」
「レイです、アケハさん」
「……はいはい」
 緋玻が猫らしきものを解放し、ベッドの傍らの椅子に座った。
 そのとき、陸號が病室に入ってきた。手には、丸椅子をまとめて5つほどぶら下げていた。
 その後ろからひょっこり顔を出したのは、ふらりとやって来たらしい一匹狼。
「藍原さん!」
 みさとが歓声を上げて、よ、と和馬が片手を上げた。


■花の宴■

「……なんか、死んだ人みたい」
 半笑いの緋玻が言ったように、レイは見舞い客から送られた大量の花に囲まれていた。ついでに言えば、リンゴの皮にも包まれつつある。みさとが剥こうとしたリンゴを軽く奪い取り、「おにーさんがギネス記録を打ちたててみせよう」とうそぶいた後、するすると器用に皮を剥き始めたのだ。
「現在 3尺 6寸 です」
「まだまだ! つうか測るのはいいけど千切んなよ陸號!」
「すごーい! 藍原さん、いろんなこと出来るんですね!」
「……俺も挑戦しよう。ギネス記録は確か52メートル……」
「さあどんどん剥いてっちゃおうねー」
「リンゴ以外にも色々あるけど、食べる?」
「いただきます」
「これ、フランスのお菓子なんですけど、どうぞ」
「ああ、ガトー・オペラ。アケハさんのお菓子はラクガンですね」
「あら、知ってたの?」
「名前と形だけは……」
 まるでそこは病院ではなく、アトラス編集部の応接室の中であるようだ。がやがやと賑やかな中、ベッドの片隅で丸くなっていた謎猫(藍原和馬命名)が不機嫌に目を細め、あくびをした。
 お菓子を食べるなら、と羽澄が腰を上げる。
「お茶、淹れますね。イギリス人のレイさんが満足するようなお茶、淹れられるかどうかちょっと怪しいですけど」
「あら、羽澄ちゃん。コレの中身はイギリス人じゃ――」
「アケハさん!」
「はいはい」
 羽澄は病室の片隅に申し訳程度な設備として備えつけられている台所に向かった。緋玻と軽く言い争うベッドの主を、ふと振り返る――
 見えたのは、ミルク色の髪を持つ初老の男のようで――
 リチャード・レイだった。
「……」
 羽澄はふるふると軽くかぶりを振り、紅茶缶を開けた。
「あれっ」
「……ん、光月さん、どうかした? あ!」
「うわはは、貴様の負けだ! どわ!」
「藍原さん 記録 10尺 7寸 2分です。山岡さん 記録 8尺 9寸 3分」
「ガッデム!」
 台所で上がった声に振り向いた風太のリンゴの皮が切れた。勝ち誇る和馬のリンゴの皮も然り。その喧騒にはまったく動じず(関与せず)、羽澄が困った顔で茶缶を見つめる。
「お茶、もっと買ってきたと思ってたのに……。さては店長ね。これじゃ人数分足りないなあ」
「買いに行く? 甘いものにはやっぱりお茶よ」
「……そうですね、お店はそんなに遠くじゃないし。みさとちゃん、一緒に行く?」
「行きます!」
 女性陣が席を立つ。
 緋玻は「大人しくするように」と男性陣をひと睨みしたあと、羽澄やみさとに続いて病室を出ていった。
 たちまち謎猫が無言で動き、緋玻が残していった落雁をさくりと咀嚼した。
「うぬ、甘い」
「うし、第2ラウンドだ風太ァ!」
「望むところだァ!」
 咳込む謎猫の呻きは、ヒートする男ふたりの鬨の声によってかき消された。
 リチャード・レイは、紅茶を待たずして羽澄特製のガトー・オペラに舌鼓を打っていた。食べますか、とフォークについたひとかけを、謎猫に差し出す余裕もあった。


■あやしい雲行き■

「ああ、そういや」
 最初の頃に切ったリンゴが茶色くなってきたため、大急ぎで片付け(食べ)ながら和馬が鞄をまさぐった。
「これ、見舞いに」
 和馬がそう言って差し出したのは、古本屋で適当に見繕って買ってきた古書だった。数々の魔術に携わってきた和馬が知らない文字で書かれたものだ。和馬が知らない魔術を、レイがよく知っていることがままある。管轄がまったく違うらしい。
 和馬から古書を受け取るなり、ぅおっ、とレイが声を上げて軽く仰け反った。とても肋骨を折っている人間が出来る仕草ではない。
「『怪蛇の記憶』ではありませんか! これを一体どこで!」
「その辺の古本屋」
「危ない本なんですか?」
「『妖蛆の秘密』に勝るとも劣らぬ魔書と言えます」
「なんか全然読めんのだけども。なあ、ここだけ赤字なんだけどこれ何だ?」
「ラナク・マグ・ケオシュ・ンガア・ングアと書かれていますね」
「だっ、バカ、読み上げんな!」
「あ」
「なんか風吹いて来ましたよー」
「……あの、アイハラさん、申し訳ないのですがちょっとページをめくるのを手伝ってください。送還呪文探します」
「バカバカバカバカバカバカ、おまァほんとに魔術師かァア!!」


 どっかん。


「……なんか、大きい音しなかった?」
「……病院の方ですね……」
「なんかちょっとやな予感……」
 羽澄おすすめの店で輸入茶葉を多めに買い終えたあと、3人の女史は揃って曇り空を見上げ、それから顔を見合せた。各々手には茶葉以外にも買いこんでしまったものを抱えていた。それをしっかり抱きかかえながら、嫌な予感の命じるままに、3人は走り出したのである。
 まさに、問題は起きてしまった後であった。


■新たなる見舞い客■

 病室の窓を打ち破り、贈られた花を飛び散らせ、何ものかが星から訪れた。
 窓のすぐそばにいたのは風太だったが、彼は何ものかが飛んでくるその一瞬前に気を失って一足先に倒れており、何ものかの体当たりを受けずにすんだ。
「おおおぅ、何だこいつ、何だこりゃ、何が来たんだ!!」
「おお、何じゃ、骨のありそうな輩だの!」
 藍原和馬の咆哮に、謎猫の歓喜と怒りの咆哮が入り混じった。
「まったく、ぬしの粗忽には感謝をせねばならんわ!」
 謎猫は一瞬で膨れ上がり、たちまちひとりの青年に姿を変えた。赤いたてがみが焔にも似た、羅火であった。
「おうっ、謎猫! おまァ、どっかで嗅いだ匂いだと思ってたら――羅火かよ!」
「斯様な処で、憂さを晴らせる相手に出会えた。まあ、良しとするか」
 羅火がごきりごきりと首と肩を鳴らす。
 レイに呼びつけられたものは、何とも言い難い姿を持ち、言葉ではないものを語る。牙と爪のりようなものを振りかざし、招かれざる見舞い客は羅火に躍りかかった。
 見舞い客のその脇腹に蹴りを入れた羅火は、盾として使うべく、ベッドを片手で引き起こしたのだった。……ベッドの上にいたものが、転げ落ちた。

 医師や看護師や、ようやく戻った緋玻と羽澄とみさとは、すぐには病室に入れなかった。芹沢式人造人間陸號が、病室のドアの前に立ち塞がっていたからである。病室の中からは、奇妙な音声のような絶叫と獣の咆哮、何かが壊れる音に、呻き声が聞こえてくる。
「ああ……やっぱり何か起きてる……」
「せ、先生! 藍原さん! 風太さーんっ!」
「ちょっと、何が起きてるの?!」
「不明 ですが 危険 です」
「どきなさい!」
「拒否 します。危険 ですから」
「いいからどくの!」
 テコでも動きそうにない人造人間を下手投げし、緋玻が病室に駆け込む。追おうとするみさとの腕を、羽澄が掴んだ。
「大丈夫、きっと何とかしてくれるわ。陸號さんは正直だもの、本当に危険なのよ」
「で、でも……」
「大丈夫。みんなを信じて。私は信じるわ!」


「ここだ! アイハラ! 宙にこの図式を描け」
「指で? 血で? ナイフで? ちゃんと説明しろィ!」
「刃物でだ!」
「よしきた!」
 倒れて気を失っている風太の傍らに、リンゴを剥いていた果物ナイフが落ちている。和馬はそれを掴むと、ベッドから転げ落ちてまたどこかを折ったレイが示す図式を、すばやく宙に描いた。
 レイが何ごとか、本に記されている呪文を唱えた。
 和馬が宙に描いた図式が浮かび上がる――
「ラカ! かの者を図に打ちつけろ!」
「応!」
 がっきと見舞い客に組みついた羅火は、笑みさえ浮かべてそのまま背負い投げを披露した。見舞い客は、浮かんだ図式にぶつかり、空気のように消えてなくなった。
 曇り空が、さっと晴れ渡った。


■面会謝絶。■


「……絶対安静ですって」
「せ、先生ぇ……」
 えぐえぐと涙ぐむみさとを、羽澄が無言でなぐさめた。
 リチャード・レイはどういうわけかベッドの下敷きになっており、緋玻の手で救い出されたのだが、新たに脊髄を少し痛め腰の骨にひびをこさえるという被害を受けた。
 気を失っていた風太は、騒動が収まると同時に目を覚まし、病室の惨状に驚くはめになった。羅火の姿は消え、満足げな謎猫が、疲れきった和馬のそばでお座りをしていた。
「み、みさとちゃん……何ていうか、お見舞いのせいでこんなことになっちゃったような感じで……ほんとにごめん……」
 何も言えない4人の代わりに、風太が謝った。
 みさとに謝ったところで、レイの怪我は治らないし、機嫌も直るわけではないのだが。
「これ、ガーベラ。花屋さんがおまけしてくれたんだ」
 風太の手からみさとの手へ、赤とピンクの花が渡った。みさとは無言だったが、少し嬉しそうに微笑んだ。
 和馬がぴくりと眉を跳ね上げ、風太を小突く。
「いたっ、何ですか?」
「バッカじゃなかろかお前さん」
「え、何かマズイことしました?!」
「ガーベラの花言葉は『悲しみ』だぞ」
「ぅえっ?!」
 それでも、みさとはガーベラを見て微笑んでいたし、泣いて腫れた目を風太に向けて、
「ありがとう」
 と言ったのだ。

 それ以来、リチャード・レイの病室は花と紅茶には事欠かないが、退屈で静かなものに戻っていった。
 さくさくと皮が剥かれるリンゴがあって、それを食べながら嘆息する作家の姿があった。
 彼は誰にも責任をなすりつけようとはしなかった。
 それだけが救いなのかもしれない。




<了>

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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【1282/光月・羽澄/女/18/高校生・歌手・調達屋胡弓堂バイト店員】
【1533/藍原・和馬/男/920/フリーター(何でも屋)】
【1538/人造六面王・羅火/男/428/何でも屋兼用心棒】
【2147/山岡・風太/男/21/私立第三須賀杜爾区大学の3回生】
【2240/田中・緋玻/女/900/翻訳家】

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               ライター通信
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 モロクっちです。大変、大変お待たせしてしまいました。申し訳ございません。
 ……で、お見舞いはこんなことになってしまいました。皆様のプレイングを組み合わせて、こちらで事件を起こしてみました(笑)。うっかり魔術師のうっかりぶりはここでもいかんなく発揮されております。あの暗黒神話大系では、うっかり呪文を読み上げてしまって破滅というパターンが多すぎます。皆様は決して真似しないように(笑)!

 さて、モロクっちはこのお話でお仕事をひと区切りさせていただく予定です。少しだけお休みしたあとは、また皆様と楽しく物語を作っていきたいと考えておりますので、よろしくお願い致します。
 それでは、またお会いしましょう!