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5月のカーネーションに寄せて 〜追憶の天使〜
●章前
鏡に映ったその人の面影は、
ひっそりと識域下に沈んだ遠い記憶の眠りを揺らす――。
封じていた思い出と、
溢れ出した追憶に、胸が騒いで‥‥。
ふとした瞬間、
何気ない動作のひとつひとつに想いが溢れる。
積み重なる年輪に色褪せることなく、鮮やかに。
――あるいは、いっそうの輝きをもって心を惑わす‥。
止まった刻に囚われる。
愚かなことだと理解<わか>っているけど。
それでも、どうしても確かめたくて。
おそるおそる覗き込んだ鏡面に映っているのは、
少し気難しげに眉を顰めた自分の眸。
やわらかなフリンジの花びらを幾重にも重ねた赤い花。
初めて見たのはいつだろう。
ほっそりと清楚で頼りなげでいて、驚くほど華やかな――
異人館の庭先に揺れるその花に魅せられて、植物学者を志したのは思い出せないほど遥かな昔。それでも、瞼を閉じると鮮やかに思い浮かぶのは、忘れられない思い出があるからだ。
「These flowers are the present from me to your wife.」
当時、本国で流行り始めたのだという。
単に、せっかくのイベントを共有する相手が欲しかっただけかもしれない。明治生まれの久遠・鉄斎(くおん・てっさい)にとって、女性に花を贈るなどという女々しい習慣は何やらひどくこそばゆいものに思われたのだけれども。それでも、ひどく嬉しげな妻の顔は、その気恥ずかしさを払拭するに十分だった。
花に託された言葉があると知ったのは、そのずっと後のこと。――日本が戦争に負けて以後のことである。無論、既に鬼籍の人となってしまった彼女が、それを知り得るはずはなかったが‥‥。
大正、そして、昭和へと。
重く厳しい歴史を突き進んでいたその時代。――久遠が生前の愛する人に花を贈ったのは、それが最初で最後となった。
●熱烈な愛情
昔も、今も。
花粉アレルギーなど理由<わけ>ありでなければ、花をもらって喜ばぬ人は少ない。
欧米人ほどフランクに誰かに花を贈るという習慣はないが、それでも、フラワーアレンジメントやガーデニングの流行がなかなか下火にならないところをみると、花のある生活は人間にとって居心地のよいものなのだろう。
5月の第2日曜日を「母の日」と制定したのは、第28代アメリカ合衆国大統領ウッドロー・ウィルソン。日本に伝えられたのは、そう遠い昔のことではないと思うが、はっきりしたことは久遠にもわからない。
気が付けば、世間に広まっていた。――その頃には、花を贈りたい相手は既にこの世にいなかったのだけれども。
古代より大陸の影響を強く受けその文化を築き上げてきた日本人は、外国の影響を受けやすい精神的基盤があるのだという。
クリスマスやバレンタインデーなど。年々、賑やかさを増す季節の祭りに年配者の中にはあまりよい顔をしない者もいるが、端午の節句や七夕、十二支の概念も元々は中国の故事に起源あることを思えばそれほど奇異なことでもない。
母の日も、そうしていつの間にか定着したイベントのひとつであった。
この時期になると街角に花が溢れる。
街全体がやわらかな新緑に包まれる5月の風は、誰に対しても優しくその腕を開いて人々を包んで‥‥。
駅の構内に売り場を設けたフラワースタンドにも、いつもより足を止める者が多かった。
駅前のパソコンスクールに通う久遠が、彼女に気付いたのは偶然と必然が半分づつ。
いつになく立ち止まる者の多い人の流れに目が行くのは、必然。そして、そこに彼女がいたのは、きっと偶然。
気紛れな天使の悪戯。
――そんな陳腐な言葉がぴったりの、邂逅。
すっきりとシンプルなデザインのエプロン姿で忙しく立ち働く若い売り子は、初めて見る顔だった。――アルバイトかもしれないし、この日の為に他の店から呼ばれた応援スタッフなのかもしれない。
目を惹かれたのは、なんとなく。
明るい栗色に染めた髪。カットソーにジーンズという今時の服装も、久遠の心の聖域に大切にしまい込まれたその人の記憶にはないものだ。血色の良い健康そうな肌の色、歳相応に可愛らしい顔立ちも、おそらく似て非なるもの。
それでも、彼女から目が放せなかった。
ああ、この女性<ひと>だ、と。囁いた直感に、胸が震える。――喜ぶべきか、困惑すべきか。言葉をかけることさえ躊躇われ、いつもとは異なる心の動きに自ら戸惑う。
見つめる視線に気が付いたのか、彼女はふと顔をあげ‥‥
にこり、と。
何気ないその笑顔が、太陽よりも眩しくて。
顔立ちはまるで違うのに、忘れられないその人の面影は彼女の中に生きていた。
●私の愛は生きています
「いらっしゃいませ」
朗らかな声に迎えられ、久遠は客に混じってフラワースタンドに近づく。
<母の日>の謳いにつられ足を止めたサラリーマンやOLで、小さな店は大勢の人で賑わっていた。
バラやガーベラ、百合などお馴染みの花に混じって、カーネーションも広いスペースを占めている。――久遠が初めてその花の名を知った頃と比べると、色も形も格段に増えていた。
「このアレンジをいただけるかな?」
店頭にディスプレイされたアレンジメントの中から、バラとアルストロメリア、カーネーション。少しずつ色味の違うピンクのグラデーションが綺麗な花束を選ぶ。――あの人は、ふうわりと優しいこの色が好きだった。
「奥様への贈り物ですか?」
「‥‥ああ、うん‥。そんなものだね」
熟年のサラリーマンに見えたのだろう。曖昧に頷いた久遠に、彼女はまた屈託のない笑顔を浮かべた。営業用ではない心からの笑顔に、また、昔日の面影が重なる。
「素敵なご主人様ですね。――奥様、きっと喜ばれますよ」
「はは。そう思ってくれていたら、嬉しいね」
支払いを済ませた久遠に丁寧にリボンをかけた花束を手渡して、彼女はふと思いついたのか手を伸ばし、色とりどりの商品の中から白いカーネーションを抜き取った。
「これ、サービスです」
彼の女性<ひと>と同じ笑顔で、彼女は笑う。
「花言葉は色によって違うんですよ」
‥定番の赤ではなく‥‥彼女が選んだのは、白い花。
白いカーネーションの花言葉。華やかで清楚な色に、託された想い――
私の愛は生きています。
――今でも、そして、これからも永遠に‥‥貴方を思い続けます‥。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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☆1822/久遠・鉄斎/男性/99歳/自称・隠居爺
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■ ライター通信
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予定より遅くなってしまい申し訳ありませんでした。
PC、NPCを問わず超絶美形&ご都合能力者揃いの東京怪談にてひときわ目立つ、一見、普通のお爺様v――ジジィスキーの津田には、お会いできてとても嬉しいPCさまのおひとりでした。
お亡くなりになった奥様との再会。
霊体としての再会は先日、果たされたようでしたので、今回は街中で。漠然とした面影との再会ですが、いかがでしたでしょうか。お気に召していただけると幸いです。
14/May/04 津田茜
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