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招かれざる客・4
けたたましい呼び鈴の音が、草間興信所への来客を告げる。応接室でお茶を飲んでいた如月縁樹は、思わず吹き出しそうになった。
「こんな音だったんですね」
縁樹の言葉に、草間は苦い顔する。
「外からだと、よく聴こえんからな。はじめて来た客はみんな、この愛想のかけらもないブザーに眉をひそめるもんだ。零、頼む」
「あ、行ってきますね。はあーい」
零がスリッパをパタパタと鳴らしながら、玄関へかけてゆく。草間はその華奢な背中を目で追いながら、オリジナルブレンドのコーヒーを口に含んで言った。
「あいつもそろそろ助手として、おしとやかに振る舞ってもらわないとな」
零は淀みのない動作でドアを開け、
「いらっしゃいませ――」
扉を半開きにして、顔だけをひょいと外に出して客に挨拶している。
縁樹は口元に微笑を浮かべ言った。
「でも妹さん、まだ若いのに手伝ってくれるなんて、偉いじゃないですか」
「うん、まあな……」
草間の返事は少し曖昧だ。頬を掻きながら視線を逸らす。
「とりあえず、兄貴に似なくて良かったよな!」
そこに、勢いよく口を挟んだのは、縁樹の肩に乗っている人形、ノイだ。
「こ、こらっ!」
縁樹はあわててノイの口を押さえる。
「失礼なこと言わないの!」
「だってホントのことだろ?」
草間の目尻がピクピクと震える。
「口の減らないガキだな」
できるだけ凄みを込めてノイを睨みつけた草間だったが、彼の毒舌は止まらない。
「妹を無理やり働かせて、自分はのんびりコーヒー飲んでか? 探偵稼業も楽なもんだよなあ」
「ほう……その暴言、その小さな頭が考えて、その小さな口で言ってんのか?」
火花を散らす草間とノイの間に、縁樹が割り込む。
「もうふたりとも、ケンカはダメですってば……」
と言いながら、ふと、話題の妹を横目でちらりとうかがう。
「あれ……」
玄関前にいたはずの零がいない。
「え?」
縁樹とノイ、そして草間は同時に視線を下げる。そして一様に目を見張った。
そこにあったのは、広がる血だまりと、首を刎ねられた零の変わり果てた姿だった。
「零!」
反射的に飛び出した草間の背中に、「伏せて!」と縁樹の鋭い声が突き刺さる。
草間が頭を下げたのを見計らって、縁樹が発砲した。銀色に輝く愛銃コルトトルーパーMkV6インチが、立て続けに火を噴く。
放たれた3発の弾丸は、草間の頭上の敵を確実に捉えた。しかし、粉砕したのは資料棚のガラス戸とその中の書類、煙草の煙ですすけた天井、草間の右耳の横わずか30センチの床だけだった。
「跳弾した……?」
縁樹は目を白黒させながら、眼前の敵を見る。
それは巨大かつ鋭利、鎌とも剣とも形容しがたいねじれた刃だ。誰の手に握られることもなく、ただ中空に浮いている。
「おいおい……、運が悪かったら当たってたぞ!」
草間が口を開いたとたん、頭上の刃が反応した。剥き出しになっている延髄に向かい一片の躊躇もなく下りてゆく。
「だめっ、よけて!」
縁樹の悲鳴に近い声に、草間はかろうじて反応した。器用に身体をよじり、壁に腰をぶつける。
つい1秒前に草間がいた床に刃は落ちた。フローリングの床がめくれ上がり、細かい破片が降りかかる。
「なんだ、こいつは……?」
草間の顔が戦慄に歪む。
「ここは僕がなんとかします。草間さんは安全なところへ!」
「なんとかって……」事態が飲み込めないのか、草間は起き上がるのにもたついている。
「ったく、どんくさい男だな!」
縁樹の肩から飛び降りたノイは、背中のファスナーから何重にも編まれた頑丈そうな黄土色のロープを取り出し、草間めがけて投げつけた。ノイの背中には様々な便利な道具が入っているのだ。
草間の右手がつかんだのを確認すると、ノイは首尾よくソファの影へ引きずり戻す。その小さな身体のどこにそんな力があるのかと思うほどだ。
草間と入れ違いに縁樹が躍り出、敵の刃にコルトの火を浴びせる。
しかし着弾の直前、敵の身体は突如無数の粒子に分解され、その姿を消した。
「なに……?」
目を細めて、戦況を見極める。敵はどこへ消えた? 縁樹の赤い瞳が、虚空を漂う煙――ビニールを焼いたときのような真っ黒な煙だ――を確認した瞬間、それはまばたきの間に再び実体化した。
頭を下げるのがもう0.1秒でも遅れていたら、縁樹の首は零と同じ末路を辿っていたことだろう。切り裂かれたのは、頭に載っていた黒い帽子だけで済んだ。
「ああ、いっちょうらがー!」
ふたつに分かれたつい涙ぐんでしまう。
「縁樹、危ないことすんな! 下がってろ!」
ノイは背中からさらに扇風機を取り出した。直径50センチはありそうな、彼の身体の大きさから考えるとありえないサイズだ。
スイッチを入れると応接室に暴風が起こった。興信所内に台風が発生したかのようだった。デスクに無造作に積み上げられていただけの書類、応接テーブルのコーヒーカップなどが一瞬にして舞い上がった。
黒い霧は、それら興信所の重量の軽い調度と一緒に、玄関へ追いやられた。縁樹はすかさず前へ飛び出し、零の首を回収すると玄関の扉を閉めて宣言した。
「ふう、これで安心だね!」
「バカ、まだだよ!」
ノイが険しい顔を崩さないで言う。
「相手は霧に姿を変えるから、どんな小さな隙間からでも入ってくるぞ!」
扇風機も風力こそ弱めたものの、このままではスイッチを切るわけにはいかないようだ。
縁樹はつられて難しい顔に戻る。「そっか……。どうしよう」
そのとき、
「……いいことを思いついた」
と、ぽつりとこぼしたのは、咳き込みながらデスクの影から這い出てきた草間だった。
この日ほどノイのポケットが大活躍した日はない。扇風機は未だつけっぱなしで、尋常ではない空気の対流を引き起こしている。部屋のそこかしこで、草間の大事な書類が踊っているのはそのせいだ。
ノイが自然治癒力を高める薬を零の首の周りに塗ると、彼女は1分もしないうちに立ち上がって歩くことができた。
彼はまだまだ働き続ける。次に背中から取り出したのは、何の変哲もなさそうな空きビンだった。
「本当にこんなんで大丈夫なのかあ?」
まだ半信半疑の様子のノイに、草間は答えた。
「うまくいかなかったら、さっきのことは謝ってやるよ」
「土下座しろよ土下座!」
「……それは断る」
「もう……、ここまできてケンカはやめてください」
縁樹が仲裁に入り、ようやく作戦は実行の運びとなった。草間はおもむろにデスクの後ろの窓を開ける。
「やってくれ」
その言葉を合図に、ノイは自前の扇風機のスイッチを切り替えた。すると、羽根の回転が遅くなってゆく。
――いや、違う。羽根が反対に回り始めた。今まで風を前に送り出してきたのが、今度は後ろに掻き出すようになり、空気とホコリがどんどん中心に吸い込まれていく。
案の定、玄関ドアの蝶つがいの隙間から、黒い霧が侵入してきた。
「撃ちます!」
縁樹はコルトを構え、敵に数発銃弾を見舞う。――それはあくまで威嚇だ。安易に実体化させないためのブラフに過ぎない。
「まだだ。ギリギリまで引きつけるぞ!」
風による轟音の中、草間が檄を飛ばす。
その間にも、黒い霧はジリジリと少しずつ間合いを詰めてゆく。縁樹は固唾を呑みながら、再びコルトの引き金を引いた。
「今だ!」
敵が応接スペースのカーペットに真上に来たその瞬間、空きビンを右手に構えた草間が走った。黒い霧に飛び込み、右手を大きく振り上げる。同時にノイが扇風機のスイッチを切る。
時が止まり、沈黙が支配する。
縁樹とノイは身を乗り出して草間の背中に注目する。
「捕まえた」
得意げに振り向いた彼の右手には、真っ黒なビンが握られていた。蓋はすでに大きなコルクでふさがれている。
縁樹はおそるおそるビンに目を近づける。中では黒い粒子の群れが窮屈そうにのた打ち回っていた。
「思ったとおりだ。こいつは自由な空間が十分にないと実体化することができないんだ」
草間の言葉に、ノイは目をパチパチさせる。
「え……、じゃあ、もう……」
「このフタを外さない限り、こいつは自由を奪われた哀れなペットだ」
縁樹と零は、同時にもろ手を上げて喜んだ。
「やったあ!」
「兄さん、やりましたね!」
草間は笑顔で応え、縁樹とノイに向き合う。
「こいつが風で飛ばされたとき、『霧になっても実体はある』とわかった。見ての通り、完全な霊体ではなかったんだ。
まあ、こいつの正体と出所はこれからじっくり調べていくとして……、まずは礼を言わなきゃな。ふたりとも、ご協力ありがとう」
「ありがとうございました」と零もぺこりと頭を下げる。
「ふん。礼を言ってるにしちゃ、なんかえらそうなんだよなあ、お前」
むくれ顔のノイを、縁樹が目顔でたしなめる。
草間も苦笑しながら「生まれつきだ、勘弁してくれ」と言った。
なおも腕組みの姿勢で、ノイは怪訝そうにつぶやく。
「……じゃあな、縁樹の帽子を弁償してくれよ。とびきりかわいいやつを新調してくれ。そしたら勘弁してやるよ」
おわり
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
1431/如月・縁樹/女性/19歳/旅人
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■ ライター通信 ■
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このたびはご依頼ありがとうございました。新参ライターの大地こねこです。
如月縁樹さま、ノイ様のコンビネーションでうまく敵を撃退することができました。やっぱりというか、なんというか、ノイ様は草間と衝突してしまいましたが(笑)、最終的にはなんとか丸く収まったようでよかったです。
刃を操っていた本体を倒すまではいけませんでしたが、また次の機会も、ご参加いただければ幸いです。
ありがとうございました。大地こねこでした。
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