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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


招かれざる客・5


 雲ひとつない満月の夜だった。
 繁華街は仕事帰りのサラリーマンや、夜遊び好きな若者でごった返している。この日に限っては、彼らが他愛もない談笑を取りやめ、見とれる瞬間があった。
 路地をひとり歩く、蒼王翼の姿である。
 初の女性にして、最年少のF1レーサーである翼は、一見して少年のような面差しから『最速の貴公子』と呼ばれる。話題を呼ぶのは容姿のせいだけではない、もう3度も表彰台に立つほどの実力の持ち主だ。
 束の間のオフを、孤独な夜の徘徊に費やしているのだ。周囲の注目を浴びるのは仕方がない。
 しかし、歓声を巻き起こす者やサインをせびる者たちを一顧だにせず、翼は道を急いでいた。
(なぜこれほど風が騒ぐ……?)
 彼は街の異変を風に聞いていた。足は誘われるように裏路地へと進み、雑居ビルひしめく一角でようやく止まった。遠い昔から、この時この場所にいることを決められているかのようだった。
 顔を上げ、そのビルの3階を見る。
 草間興信所――。ここの主とは面識がある。まさか、彼が風を操りここまで呼び寄せたというのか。そして、一帯を支配するこの禍々しい気はいったい――。
 翼は深く息を吸い込む。――同時に空気が震える。
 草間興信所を中心に催眠結界を張った。これから行われるであろう戦闘を第3者に見られてはまずい。まともな人間が結界に入り込めば、たちまち眠りに落ちる仕組みだ。
 外で眺めていても詮無いことだ。彼は階段を上り始める。準備は整った。あとは目の前に現れる敵を倒すのみ。
 ところが、階段の踊り場にいたのは、翼が予想もしない者たちだった。
「あー! 翼だ! ねえ紫銀、翼が来たよ」
 場の空気をまったく読まずはしゃぎ声を上げているのは、月偲立花だ。人狼の巫女の血を引いている少女で、幼少期の不幸で天涯孤独の身だが、このようにいつも明るいムードメーカーである。
 立花がしきりに服を引っ張っているのは、ため息が漏れるほど美しい銀色をまとった者だ。
「月霞紫銀と申します。お話は立花からかねがね」
 ほころびの一切ない祭服、腰まで伸びた髪、切れ長の瞳、陶器のような肌、そのどれもが淡い銀の輝きを帯びていた。
 翼は軽く会釈をすると、単刀直入に問うた。
「状況は?」
「草間興信所内に敵がいる模様です」
「立花が最初に気づいたんだよっ」
 祭服の裾に握ったまま、立花は誇らしげに言う。
「えらいぞ」
 紫銀は立花の頭を撫でながら、神妙な顔つきで翼を見る。
「少し特殊な相手のようで……」
 目顔で、草間興信所の玄関扉を促す。
「私どもも今来たばかりなので、詳しい状況は把握しかねています。ですが……」
 紫銀の整った眉根がわずかに寄る。
 それで、翼も察することができた。背後を振り返り、夜空を見上げる。そこにぽっかりと浮かぶ真円の乳白色。
「外にもいるのか」
 翼は視線を戻し、紫銀と目を合わす。その間は一秒にも満たない。
「ここは協力しよう。僕は援護に回る。キミたちは思う存分やってほしい。外のヤツはその後、僕がカタをつける」
「承知しました」
 頷く紫銀に、立花が腕を絡める。
「ええー、紫銀、行っちゃうの?」
 紫銀は、目線の高さを立花に合わせ、わずかに微笑んだ。
「デートの続きは、これが終わってからな」

 紫銀の拳は正確に窓の真ん中を打ち砕いた。そのまま窓枠をつかみ、身体をひねって興信所内に侵入する。
 薄暗い室内に聴こえるふたつの息遣い。ひとつはすぐ側のデスクでうずくまっているここの主、草間武彦のものだ。もうひとつは、助手の少女のものだろう。こちらは少し弱っている。目を凝らすと、どうやら首を切断されているらしいのがわかる。それでも比較的元気なのは、彼女が人間ではないからだ。
「気をつけろ、首を狙ってくるぞ」
 草間の言葉どおり、部屋の中を漂っていたこの事態の元凶は、紫銀の露出した白い首を捕捉すると、黒い霧から刃――中心がねじれた奇妙な形だ――に実体化しつつ高速で向かってきた。
 紫銀も、敵の軌道を確実に捉えていた。体勢を変えることなく、蚊を振り払うような動作で、手刀を一閃させる。刃は衝突の寸前に無数の粒子に分裂し、首の左右を通り過ぎた。
「なるほど」
 振り返り、眼前の敵を見据えながら、紫銀は腰を落とし、構えを取る。
「貴様、私と同じ匂いがする」
 人狼である彼の、ずば抜けた嗅覚が掴んだ手がかりだった。こいつを操っているのは『犬』か『狼』だ。
 と、背後から風の流れを感じる。玄関扉が開いているのだ。立花が助手の少女の手当てをしているらしい。「ありがとうございます」と弱々しい声が聴こえる。
 そこに、立花の元気な声が室内に飛ぶ。「こっちはもう大丈夫だよっ」
「ありがとう。そのまま外へ非難しておくれ」
 飾り気のない言葉を返し、紫銀はふたたび敵と対峙する。
「そういうことです。こちらは私に任せて、本体を討ってください」
 紫銀の声に、翼は玄関から室内に潜入し、
「そうさせてもらう。だがその前に……受け取ってくれ」
 言いながら、腰に差していた剣を放った。あわてて紫銀はキャッチし、その軽さに驚く。
 翼は言う。「空間を断ち切る剣だ。キミにも使えると思う」
 図らずも紫銀は見惚れてしまう。それは白を基調にさまざまな装飾が施されているのにもかかわらず、まさに風に運ばれる木の葉のように軽かった。
 紫銀が笑顔で応える。
「助かります」
「相手がどこにいようと関係ない。大切なのは、敵を良く知っていることだ。いいね?」
 そう言うと、翼はその場から忽然と姿を消した。
「さて……」
 黒い霧から視線を離さず、ゆっくりと鞘を抜く。隙間から白い霧が漏れていく。それは同じ刃でも敵の禍々しさとは対極の光であり、相手をはるかに凌ぐ鋭利さを誇示していた。
「お前のことは良く知っている、退場してもらおう」
 紫銀は脇構えの体勢で、ジリジリ間を詰める。刀身を身体で隠し、間合いをはからせない構えだが、恐怖をプログラムされていない敵は何ら躊躇することなく、ふたたび実体化と同時に彼の首を狙うべく突っ込んでくる。
 瞬間、紫銀の腰から白い半円が描かれた。それは、満月の光を受けた剣の軌跡であった。
 水を打ったような静寂の中、紫銀は剣を慎重に鞘に収める。そのカチリというかすかな摩擦音を合図に、両断された金属の塊がカーペットの上に盛大な音を立てて転がった。

 草間興信所の外で黒い霧を操っていたモノは、自分の手には到底負えない脅威が迫っていることを察知し、ビルの屋根から屋根へと移動していた。
 だが、スピードが圧倒的に違った。
「ここは風の領域、僕の支配下さ」
 翼はついに逃げる敵に追いついた。とあるビルの屋上で、前に回りこむ。
 そいつは、ボロボロの布きれをまとっただけのような、ひどい身なりをしていた。ささくれだった顔の表面と唇、口元からはみ出た長い舌、その舌から立ち上る湯気と悪臭。かろうじて人の姿をとどめているが、それは明らかに人ではないモノだった。
「お前が誰の犬かは知らないが、このまま逃がしはしない」
 そいつは後ずさりながら、人語ではない声を発し、跳躍する。しかし、その身体は空中で止まった。敵は網にかかったカラスのようにもがくが、あえなく翼の足元へ引き戻される。
 哀れみの表情で翼は言う。
「狼の偉いさんに、たっぷりしぼられて来るがいいさ」
 そのとき突然、敵が首を押さえ苦しみだした。
 溶けた雪の彫像のように、身体の輪郭が曖昧になってゆく。
「何……?」
 翼は顔をしかめながら、すかさず肉体再生の能力を発動させる。だが完全に腐食のスピードが勝っていた――いや、こいつはもともと死んでいたのだ。自分のしていることが無為とわかった翼は、ただ足元を見下ろすしかない。
 そこに残ったのは、抜け殻と化した、汚れた犬の骸だった。

 草間は翼、紫銀、立花の3人に整理の終わった応接ソファに座るよう促す。
 翼から事の顛末を聞くと、腕を組みながら紫銀は口を開いた。
「敵は野良犬の死体を操り、さらにその犬を人間に変装させ、そのうえ、遠隔操作の刃物の霊体を送り込んだ……?」
 助手の零がうやうやしい仕草でテーブルに茶を置く。それに手をつけずに翼は付け加えた。
「まったく3重の偽装とは……うかつだった。そこまでして恨まれる覚えは?」
 草間は肩をすくめる。
「ありすぎて困る。『招かれざる客』は多いが、あんなのが大挙して来られると、商売あがったりだ」
「ねえねえ」
 紫銀の肩越しにひょいと顔を出した立花が、
「あたしたちも、『招かれざる客』?」
 と訊いた。
「ぜんぜん違うよ」
 草間は大げさに手を振り、
「むしろ歓迎するよ。大したもてなしもできないが、せめて茶でも飲んでいってくれ」
「はい。これは立花ちゃんだけの特別メニュー」
 と言いながら零が立花の前に置いたのは、大きなイチゴの乗ったショートケーキだった。
 嬉しい悲鳴を上げる立花に、紫銀は穏やかな視線を向ける。
「ほら、しっかりフォークを握って、行儀よく食べるんだぞ」
「は〜い」
 和やかなムードに包まれた部屋で、ひとり浮かない顔していたのは翼だ。
「どうした?」
 のぞきこんでくる草間。翼は知らず知らずのうちに唇を噛みしめていた。
「僕は、あの犬を捕獲すれば、すべて解決できると思っていた。少しとはいえ、油断した自分が情けなくてさ」
 草間は何も言わず、コーヒーをひと口飲んだ。草間は、無言が何よりの励ましになると知っていたのだ。翼はこの一見無神経そうな主人の心配りに、ひそかに感謝した。
「今宵はいい月ですね」
 割れた窓の外を眺めながら、紫銀がつぶやく。つられて翼も見上げると、そこには完璧な円が、乳白色の淡い光を湛えていた。それはどんな言葉よりも優しく、翼の心を癒していくのだった。


おわり



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 2863/蒼王・翼/女性/16歳/F1レーサー兼闇の狩人
 3012/月霞・紫銀/男性/20歳/モデル兼美大講師
 3092/月偲・立花/女性/8歳/巫女見習い兼武器庫

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、大地こねこです。このたびはご参加ありがとうございました。
 蒼王翼さまと月霞紫銀さまのヒロイックな活躍を描こうしたのですが、いかんせん今回の敵が弱かったので、おふたりにとっては役不足で物足りなかったかもしれませんね。
 3名様という、私が経験した中では最も多い参加人数だったので、バランスよく活躍を描くのが難しかったです。個人的には月偲立花さまをもっと活躍させたかった……。
 そのあたりの反省を考慮しつつ、次回はより面白い導入にしようと思っています。
 ご依頼ありがとうございました。大地こねこでした。