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<東京怪談・PCゲームノベル>


時の牢獄

【壱】

 携帯電話に備え付けられたデジタルカメラのレンズを空に掲げるようにしながら、香坂丹は緩やかな歩幅で夜道を歩いていた。その道筋を照らし出すのは淡い月光。息を潜めるように密やかな夜の空気のなかで、それだけが一際鮮やかに辺りを照らしている。太陽の光のような鋭さはなく、滑らかな曲線を描くかのような静かに冷たい光に照らし出さされた世界は昼の鮮やかさとは違った静かな佇まいでそれぞれの場所に腰を落ち着けているようだった。
 闇色の空に輝く月にピントを合わせるようにして、ふと立ち止まった丹は何気なく視線を向けた先にいる少年の姿に手にした携帯電話の存在を忘れた。耳の奥が痛むほどの静寂のなかで、その少年はひっそりと息を潜めるようにしてどこか一点を見つめていた。
 小柴垣の向こう。
 開け放たれた雨戸。
 縁側の向こうの障子戸が細く開いている。
 その隙間から覗いているのは蒼白い月の光を浴びる少年の横顔だ。
 細いラインを描く頤が軽く上を向いている
 空虚な眼差し。
 まるで木の虚を覗き込んでしまったかのような気配さえするそれは何を見ているのか判然とせず、一言で云うならば空虚という言葉以外にしっくりくる言葉が見つからなかった。まるで何かを悔いているかのようで、それでいて仄かな死臭さえ漂ってくるような気さえする。何が彼にそんな表情をさせるのだろうか。丹は空に向かって掲げていた手を下ろして、吸い寄せられるようにして静かに小柴垣に近づいた。そしてその刺々しさを掌に感じながら声を発する。
「ねぇ、何が見えるの?」
 声に少年がゆったりと視線を向ける。
 その眼差しを正面から受け止めて、丹は死の風景を見たような気がした。
 しかし少年はそんな丹の心とは裏腹に微笑む。
「月を見ていました。今日は月が奇麗でしょう?あなたも月光浴をしていたのではないんですか」
 大人びた微笑みだった。落ち着いて、世界の総てを見てしまったとでもいうような微笑みだ。
「月光浴とはちょっと違うかな。―――月の写真を撮ろうと思ってたの」
「写真が趣味なんですか?」
「新しい携帯を買ったから、面白半分ってところかな?」
 丹が云うと、少年はそっと立ち上がって丹を招き入れるように障子戸を開け放つ。
「宜しかったら少しお話をしていきませんか?」
「いいの?家の人は?」
「大丈夫です」
 微笑む少年に導かれるようにして、丹は小柴垣を割るように設えられた枝折戸を開けた。

【弐】

 縁側に腰かけるようにして丹は少年が興味を示すままに、携帯の小さな画面に今まで撮りためてきた写真を映し出した。スライドを見せるように一定の間隔で変化していく数々の自然の断片を少年は静かに眺めている。
 これは雨の日の空と、その日公園に咲いていた花。こっちは晴れていた日の道端の蒲公英といった具合にぽつりぽつりと説明を加えながら指先でボタンを操り少年の前に見せる写真は特別なものではない。日常の断片。現実から切り取ったいつかの風景の一端だ。
「平穏なんですね……」
 少年がぽつり、云う。
 丹はその言葉があまりに少年の年齢には似つかわしくないような言葉に思えて、ふと携帯電話の小さな画面から視線を上げる。少年は部屋を出ることを厭うように縁側に指の一本でも出さないような頑なさで一定の姿勢を維持している。
「どうしてそう思うの?」
「僕は……」
 云い淀むようにしながらも、少年は明瞭な響きを持つ声で続ける。
「人を殺してしまったんですよ」
 丹はその言葉に偽りの無いことを確信する。
 少年の声があまりに明瞭で、迷いも人を欺く気配もない純粋な響きでもあって辺りに響いたからだ。本当かどうかを問う必要もないほどにそれは純粋な響きでもって夜の闇に浸された静かな空気を震わせ、丹の鼓膜を震わせた。
「そんな僕に平穏なんてものがあるわけがないじゃないですか」
 それでも少年の顔から微笑が消える気配はない。
 まるで仕方が無かったとでもいうように、ひっそりと微笑んでいるのだ。
 丹はそんな少年の微笑みを眺めながら言葉を失っている自分に気付く。言葉などこの現実の前では無意味だと直感が囁くのだ。少年は総てを諦めてしまっているのではないだろうか。そう思う心が少年に対してかけるべき言葉の総てを奪い去ってしまう。
「それでも僕はこうして生きていて、本当に彼を殺したかどうかも定かではないんです。確かに殺したという感覚はあるんですけれど、毎晩決まって以前のように訪ねて来るんですよ。特別なことなんて何もありません。ただそれまでと同じように話しをして、それだけです」
 幻に惑わされる。
 幻惑の気配。
 月光の淡い光。
 その下の蒼白い少年の微笑。
 総てが夢のなかの出来事のように淡く輪郭を暈している。
 囚われてはいけないと丹は自分に云い聞かせる。
 囚われたら最後、きっとこの幻惑に引きずられてしまうと思ったからだ。
「……でもどうして、殺さなくちゃならなかったの?」
 丹の言葉に少年はひっそりと笑う。
「殺してと云われたからですよ。殺してほしいと云われた。だから殺した。それだけです」
 それだけで済むことなのだろうかと思う心と、それで済むことなのだと思う心がひっそりとせめぎ合う。少年の言葉は、今この夜のなかでは絶対だ。
 しんとした闇のなかに凛と響く声。
 それだけが今は絶対的なものとしてこの闇を支配している。
「僕には彼だけだったんです。両親が死んでからずっと、彼だけが僕を理解してくれた。不安な心も、独りで淋しい夜も、恐怖に震えるその時だって彼が総てを許して、肯定してくれた。彼が全部をくれたから、僕も全部を彼にあげたんです」
 それは間違っているのだと今ここで正したところで、果たしてその言葉にどれだけの意味があるだろうか。掌のなかでスライドのように写真を写していた携帯電話のディスプレイが闇に落ちる。
 闇と、少年の薄い唇から綴られる言葉だけが本当。
 そんな錯覚に陥りそうになる自分を奮い立たせるように丹は云う。
「本当に殺した相手を必要としていたなら、そんなに大切だと思っていたならどうして生きてと云えなかったのかな?」
 すると少年はきょとんとして、小頸を傾げた。まるで丹がどうしてそんなことを云うのかわからないといったような様子だ。
「私なら生きてほしいと云うと思うよ。一緒に生きていこうと云うと思うの」
「あっ……」
 丹の言葉など聞こえなかったとでもいうように、少年の視線が遠く庭のほうへと向けられる。そしてある一点で焦点を結んだのがわかった。視線の軌跡を追いかけるようにして、丹がそちらへと顔を向けるとひっそりと穏やかな雰囲気を漂わせた少年が佇んでいた。いつ現れたのかもわからない。しかし当然といったような体でそこに佇んでいた。

【参】

「こんばんは」
 大人びた声で佇んでいた少年が云う。
「いらっしゃい」
 丹の傍でそれまで小頸を傾げていた少年がぱっと華やぐような笑みで佇む少年に答える。
「彼ですよ」
 紹介するように丹に云うと、庭に佇んでいた少年はゆったりとした足取りで縁側に近づき丁寧に沓脱ぎ石の上に靴を揃えて少年の隣に並んだ。
 まるで双子のようだった。
 似ているのだ。
 外見ではない。
 二人の持つ雰囲気。
 少年特有の危うげな雰囲気がまるで瓜二つだった。
「……どうして殺してなんて云ったの?」
 もう一人の少年に丹は訊ねる。
「殺されたいと思ったからですよ。彼に殺されなければならないと思ったんです」
 その言葉から彼はもう一人の少年なのだということがわかった。人ならざるもの。想いが具現化したもの。それが目の前にいる。だからあまりに似ているのだということに丹は気付く。
「彼のためだったのね。彼が生きていくために、必要だと思ったから殺されたのね……」
 呟くように云うと少年は淡く、果敢無げな笑みを浮かべた。それはまるで降り注ぐ月光のように危うく、ふとした拍子に掻き消えてしまいそうだった。
「僕は間違えたでしょうか?」
 二人のやり取りを外出を拒む少年は口を挟むことなく静かに眺めている。
「間違ってなんかいないわ。少しだけ、早すぎたのかもしれないけれど」
 丹が云うと少年は自分によく似た少年に向き直り、溶けてしまいそうな白い手を頬に伸ばす。
「もう何も怖がる必要なんてないんだ。誰も君を傷つけないし、君を嫌う人も、置き去りにする人もいない。君は僕を殺すことができた。それは君が君を克服したことと同じだよ」
 少年の瞳から雫がはらり、零れる。
 月光を反射させて球体が縁側に落ちる。
 それは弾けて、小さな水溜りを作った。
 まるでそれが合図だったとでもいうように少年の頬に触れていた白い手はゆるゆると溶けて、すぐそこにあった少年の姿もまた静かに溶けていく。少年は成す術もなくただじっとそれを見つめていた。瞳からはとめどなく涙が溢れ、どうすればいいのかわからないといったように縋るような目をもう一人の少年がいた一点に向けたまま微動だにしない。
 人は乗り越えていかなければならないことがたくさんある。
 幼ければ幼いほどに、多くのものを乗り越えなければ成長していけないのだ。
「ちょっと悪いことをしてみようか?」
 軽い口調で丹が云う。
 するとゆったりとした速度で少年が丹のほうへと濡れた瞳を向けた。
 丹はそれに満面の笑みを向けて、
「散歩に行こうよ。私の撮影会の助手としてさ」
 そして少年の手を引いて、そっと立ち上がる。それにつられるようにして少年が立ち上がる。その爪先は桟を越えて、縁側にきちんと立っていた。
「最初の一歩は誰でも怖いものよ。でもね、一歩を踏み出せればどこまでも行けるんだよ」
 沓脱ぎ石の上にはサンダルが一足、きちんと一寸の狂いもなく並んでいる。
「君は一歩を踏み出せたじゃない」
 云う丹の言葉に少年は自分の爪先に視線を落とす。
「大丈夫よ。独りじゃないんだから、外へ出よう。ちょっと未成年には似つかわしくない時間だけどさ」
 言葉に少年はゆったりともう一歩を踏み出す。
 そして丹に手を引かれて、サンダルに爪先を通すと一歩、庭へと降り立った。
「ほらね」
 笑う丹にはにかむような笑みを向ける。
 涙は乾いて、静かに跡だけを残していた。
「このことは秘密よ」
 云って歩き出す丹に手を引かれて、少年は歩を進める。
 そして不意に足を止めて振り返るので、それにつられて丹もまた振り返るとそこで幻のような不確かさで消えていった少年が静かに微笑んでいた。
「さようなら」
 少年は云って、丹を見上げて満面の笑みを浮かべた。
 それはまだあどけなさの残る純粋な少年の笑みだった。
 一歩はこれから、ゆっくり静かに自分のペースで歩き続けていけばいい。
 丹は思って、最初の一歩の手助けだと思って少年の手を引いた。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2394/香坂丹/女性/20/学生】


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■         ライター通信          ■
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二度目のご参加ありがとうございます。沓澤佳純です。
プレイングにあったような雰囲気の香坂様を描くことができているか多少不安は残るのですが、少しでもお気に召して頂ければ幸いです。
それではこの度のご参加本当にありがとうございました。
今後また機会がございましたらどうぞ宜しくお願い致します。