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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


待ち人は満開の桜の下に

【T】

 皆木晃は静かに佇む桜の木を見上げていた。
 淡い紅色の花弁は既に散り去り、枝は鮮やかな緑の葉で覆われている。もうすぐ夏が来る。そんな気配が感じられる桜の木の下で、晃は本当に季節を問わず桜が満開になることがあるのだろうかと思う。
 桜という木にはなぜか陰惨でありながも果敢無く淡い、それでいて幻想的な物語が付き纏う。その短命な美しさのせいからなのか、屍体が埋まっていると云った作家さえいたほどだ。濃密な生と死がひしめき合っているような満開の桜の下でのお花見と称した宴会は、まるでそこにある現実を打ち消すかのように華やかなものだということがなんだかひどく滑稽に思えた。
 そっと幹に掌を当ててみても感じられるものは何もない。
 何がこの桜に噂を植え付けたのだろうか。
 思ってゴーストネットOFFの掲示板に書き込まれていた内容を思い出す。一つのスレッドは長く続き、顔も知らない誰かがこの場所を書き込んでいたのはいくつ目のレスポンスだったろうか。
 季節を問わず満開になる桜。
 それを目にすると死に至る。
 まるで誰かに呼ばれるように死んでしまうのだと書いているものさえあった。
 けれど晃はそれらを何かが違うと思ってモニタに映し出された文字の羅列を眺めていた。確かに都市伝説のような噂になりやすい話題ではあるけれど、果たして無数の言葉に飾り立てられた桜の真実は何なのだろうかと思ったのだ。
 ここへ来た理由。
 それは噂を面白がるためではなく、真実が知りたかった。
 それだけだ。
 なぜ人が死ななければならなかったのか。
 なぜ桜が季節を問わず満開になることがあるのか。
 ただの噂だと一蹴することもできた。しかしそれができなかったのは、不可解な言葉が詰め込まれた書き込みが晃の心を惹きつけて離すまいとしているかのような強い衝動を感じたからだ。堪らず外へと飛び出し、気付けば噂の中心である桜の木の下へと辿り着いていた。
 何か見えるかもしれないと期待していなかったといったら嘘になる。もし噂が本当だとしたら、この桜の木に宿る過去の一端にでも触れることができるかもしれないと思ったのだ。常人には見えないものを見ることのできる目が、少しでも何かの役に立つのではないのかと思って足を運んだのだったがそれは徒労に終わりそうだった。
 晃は幹を撫ぜるように触れていた掌を離す。
 掌には僅かな欠片さえも残らない。
 そっと掌を握り締めると、改めて自分の無力さを突きつけられたような気がした。
 あくまでも見えるだけでしかない自分には、そこにある何かに救いを与えてやれるほどの力はないのかもしれない。救おうと思ったことさえも傲慢だったのかもしれない。無力な自分。確かにここに在っても気付いてもらうことができなければ無いことと同じだと思ってしまう自分には、救うことなど到底無理なことなのかもしれないと晃は改めて思う。
 しかしそうした負の気持ちを振り切るように強く両手を握り締めて、踵を返す。
 思い込みで落ち込んでいても仕方が無い。
 ただの噂だと思い込むために一歩を踏み出す。
 すると不意に視界の端を一枚の花弁が掠めた。
 はたと振り返ると満開の桜。
 それまで瑞々しい緑が枝を覆っていたというのに、それが今はすっかり淡い紅色の花弁に変わっている。
 目が眩むほどの満開の桜を前に晃は息を呑む。
 ただの噂ではない。
 思う心が現実だと認識する。
 どうしてと思う頭のなかに聞きなれない声が響く。
 ―――気をつけなくては駄目よ。
 風に消えてしまいそうな細い声。
 その声に引き寄せられるように満開の花々から視線を下ろすと、声の主は幹に寄り添うようにしてひっそりと佇んでいた。色素の薄い髪が肩の辺りでさらさらと揺れる。純白のブラウスと淡い色彩のフレアスカート。自身に降り注ぐ桜の花弁を木にかけることもなく、声の主である女性は淋しそうに微笑んでいる。否、微笑みというよりは泣き顔のようだった。何がそんなに悲しいのかと問いかけたくなるほどに、淋しそうな表情をしているのだ。
 女性が云う。
 ―――急いでは駄目。
 その声のやさしさに晃は古い過去の抽斗がそっと引き出されていくような気がした。遠い過去に収めて、ひっそりとした蓋をしていたものが溢れてくる。降り積もる桜の花弁のように淡く零れてくる過去の記憶。悲しさと懐かしさ。それらが混ざり合って胸の中心に腰を落ち着ける。溢れた抽斗は空になり、心を埋めたそれらは細い指先で触れるようにして晃の涙腺を刺激する。
 死ぬのだろうか。
 不意に思う。
 けれど咄嗟にそれを否定した。
 今はまだ死ねないと思ったからだ。死ぬにはまだ早すぎる。生きていかなければならないと思う心が、立ち止まっていた足を動かすように命令する。固まっていたような足が緩やかに動き出す。それが両足に馴染んだのを見計らって、晃は駆け出した。
 最後に残った言葉。
 ―――焦っては駄目よ。ゆっくりでいいわ。私はどこへも行かないもの。
 細く、溶けてしまいそうな声はいつまでも晃の鼓膜の片隅に木霊して離れることはなかった。

【U】

 逃げるようにして桜を離れたその日から、晃の耳の奥にはあの女性の細い声が染み付いていつまでも響きつづけていた。まるで幻聴のようなしつこさで、ひっそりとその存在を主張するのだ。目を閉じると鮮明になる。細い声は凛とした気配さえも漂わせて強く響く。何かを願う強さだけが鮮明になっていく闇のなかで、晃は肝心なものと向き合うことを拒否してしまったのだということに気がついた。
 だから再び桜の木の下へと足を運んだ。
 さわさわと揺れるのは満開の花ではなく、鮮やかな緑の葉。花弁などどこにも見当たらず、季節が移ろい行くことを実感するだけの強さでもって緑もまだその鮮やかさを失いつつあるようだった。
 時間は淡々と流れていく。止まることを知らないそれは時に残酷な現実をその流れのなかに一筋の色彩として残すことがある。思って、晃は深く息を吸い込んだ。そして緩やかに吐き出す。閉じた目蓋をそれと同時にゆっくりと押し開くと、底に広がる過去が網膜に映し出されるのがわかった。
 淡いヴィジョン。
 女性が静かに、誰かを待つように遠くに視線を投げて佇んでいる。
 断片的に入れ替わる。
 大通りを行き交う多くの車。
 スライドのように過ぎ去る。
 女性は忙しなく腕時計に視線を落として、時間を気にしている。
 無音の情景。
 晃と同じくらいの年恰好の青年が横断歩道の信号が変わるのを待っている。
 時間が描く過去が晃の網膜で明瞭なものになる。
 女性の心配そうな表情。
 急くように青年が飛び出していく。
 多くの車が行き交う車道へと。
 アスファルトを蹴る両足の強さ。
 女性が諦めたように俯く弱さ。
「……待っていたんですね」
 晃がぽつりと呟くと、目の前で女性が微笑んだ。
 ―――よく来てくれたわね。
 血に濡れた青年の横顔は晃によく似ていた。
 伸ばされる白い腕に、母親の姿を思い出す。早くに亡くなった母親。白い腕に抱き締められた記憶は幼い頃に停滞したままだ。今も鮮明に思い出されるのは母親の温かな記憶ではなく、晃を顧みることもなかった父の冷たい双眸。殴られたり罵られたりすることもなかった。完全なるネグレクトの渦中で、総てが脆く崩れていく音だけを聴いていた幼い日々。抱き締めてくれる母親の腕は疾うに失われて、ただ独り、自分で自分を守ることだけがやっとだった遠いようで近い過去の記憶。まだ懐かしいと呼ぶには早すぎると思う。淋しかったと口に出すことさえもできなかった過去が、静かに満開の桜の下で鮮やかになっていく。
 ―――急いでは駄目なのよ。焦りは死を招くんですもの。
 言葉に、晃は責めているのだと思った。誰でもなく自分自身を、強く強く責めている。だからこの場を離れることができずにいるのだと思った。
 ―――生きていてくれたのね。今更こんなことを云ってもあなたは許してくれないかもしれないけれど、私はあなたを離したくはなかったのよ。
 女性の柔らかな声に、この人に人は殺せないと思った。殺意よりも強く慈愛の想いが溢れてくる。そんな柔らかな声音で人が殺せるなら、世界は明日終わるのではないだろうかと思うのだ。
 過去と現実が混沌とする世界のなかで、晃は目の前の事実に緩やかに自分の過去がリンクしていく気配を感じていた。

【V】
 
 ―――もう誰にも死なれたくなかったの。……息子の死を哀しむ母親は私だけで十分よ。
 女性は誰に語るでもなくひっそりと言葉を綴る。晃はそれに静かに耳を傾け、自分の声が届くわけもないと思いながらぽつりぽつりと言葉を返す。
 ―――本当に会いたかったのよ。離したくなかったの。
「……愛していらしたんですね」
 自分には愛された記憶などどこにもない。あるのはただ自分がここに本当にあるのかどうかもわからなくなる不安ばかりだ。愛情と不安は一致しない。どこまでも擦れ違い、遠く離れ、永久に出逢うことなく離れ離れになるものだ。
 女性はきっとずっとここで死の訪れを知らせ続けていたのだろう。それが届かなかった者は死に至り、それが噂の根源となったのではないだろうかと晃は推測する。女性は今にも泣き出してしまいそうな表情で微笑み続けている。もうそれは微笑みなのか泣き顔なのかも晃には判然としないものだったが、ただ懐かしさばかりが込み上げてくる。
 遠い昔、母親もこんな顔で自分を見つめたことがあったことがあるのかもしれない。
 記憶にもない母親の死の刹那。
 その刹那に母親はこんな顔で自分を見つめたのかと思うと胸が引き裂かれるような思いがした。
 女性がそっと腕を伸ばす。
 現実と幻想の狭間に晃はそっと一歩を踏み出す。
 肩に触れた女性の手がひどく温かなもののような気がした。本当に触れたのかどうかもわからなかったが、それは心の奥底に染み渡るような温かさでもって晃を包み込むように抱き寄せてくれた。
 ―――ずっと幸せになってほしいと思っていたのよ。
 耳元で響いた声が合図だった。
 ―――生きていて……。それだけが私の願いよ。
 最後の一言。
 それと共に静かに女性の気配が薄れていく。晃は咄嗟にそれに手を伸ばしていた。触れることができない。見ることしかかなわない自分の無力さが、ひどく哀しかった。置き去りにしないでほしいと手を伸ばしても、消えつつある女性の影に手が届くことはない。
 散る花、桜。
 その花弁の果敢無さを象徴するように女性は静かに遠くへ消えていく。
 晃はただ手を伸ばすことしかできなかった。
「母さん……」
 呟きは遠く、消え去る女性の耳には届かない。
 けれど温かな手の感触だけが柔らかに肩に残っているような気がして、晃は自分で自分を抱き締めた。その僅かな温もりを逃すまいと、必死に力をこめた指先は肩に食い込み、今はまだ自分は生きていると実感する。
 生きていかなければならない。
 この世界で、自分の存在を一つ一つ確かめながら。
 生きていかなければならない。
 思って、晃は誰へともなく呟いた。
「……安らかに」
 その後に続く言葉は晃の指先に触れた花弁に吸い込まれるようにして、溶けて消えた。

 
 
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2950/皆木晃/男性/17/高校生、パン喫茶「銀の月」アルバイト店員】


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■         ライター通信          ■
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二度目のご参加ありがとうございます。沓澤佳純です。
頂いたプレイングから書きたいことがたくさん出てきてしまって、なんだか取り留めのなさが否めないような気配があるのが少々不安なのですが少しでもお気に召して頂ければ幸いです。
皆木様の過去と上手くリンクしていればと思います。
それではこの度のご参加本当にありがとうございました。
今後また機会がありましたらどうぞよろしくお願いいたします。