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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


待ち人は満開の桜の下に

【T】

 森村俊介はパソコンのモニタに映し出される長く続くスレッドを眺めて、声にならずとも噂というものは口さがなく広がっていくものなのだと思っていた。殺人。自殺。怨恨。そんな言葉に脚色されて、一つの真実が埋葬されていく様を見ているような心地さえする。ゴーストネットOFFだからだということもあるかもしれない。けれど一つの書き込みに対して、これほどまでのレスポンスがつくのは不思議だとしか云いようがなかった。
 画面をスクロールさせる。小さくなったスクロールバーが最後に辿り着くまでに俊介はぼんやりと真実が知りたいと思うようになっていた。噂を鵜呑みにせずに、自らの目で総てを確かめてみたいと思ったのだ。
 季節を問わず満開になることがあるという桜。それにまつわる無数の陰惨な噂たち。寄り添うように離れずに、まるで桜自体がそれを呼び寄せているといったような状況を整然と並ぶ文字のなかから感じ取る。そして俊介は異分子となりながらもこの世の片隅に在り続ける存在に、少なからずとも自分が共感にも似た感情を抱いていることにも気付いていた。
 そして咄嗟に検索サイトにアクセスし、桜にまつわる噂話に近づけそうなページを探す。
 殺人。
 屍体遺棄。
 現場は桜の木の下。
 しかし場所が違うと思う。
 明確な場所を示すレスポンスがあったからだ。
 自殺。
 首吊り。
 桜の木。
 これもまた違うと思う。
 社会はどうしてこんなにも人の死が溢れているのだろう。情報によって伝達されるものは、悲しくも辛い現実ばかりを文字に変えて伝えてくる。言葉の裏側では確かに傷つき、悲しみにくれる人がいるというのにそうした人々に対する配慮などどこにもない。ただ無機質に現実だけを伝えてくる言葉には、やさしさの欠片すらも感じられなかった。言葉が持つ温もりなど忘れてしまったとでもいうかのように、言葉はただ言葉になってそこに無表情に腰を落ち着けている。
 膨大な情報。
 そのなかにひっそりと息づく温もりが桜に近づくためのメルクマールのように思えた。電子の海のなかをたゆとう言葉に僅かに香るやさしさと温もり。それを頼りに俊介は現実のなかではあまりに小さなモニタに向かう。キーボードを打つ指先。マウスを操る掌が求めるのは直に触れることはできない、視覚の中に言葉となって温もりを届けてくれるものだ。
 果たしてそのようなものがこの膨大に広がりすぎた電子の海のなかに存在するのかどうか、疑う気持ちがなかったと云ったら嘘になる。けれどそれを信じることができなければ、何も始まらないような気がした。今自分の指先が触れようとしているものの一端に触れるためには、信じるという脆弱な行為だけが有効なように思えてならなかったのだ。縋るような気持ちでいくつものページを渡り歩き、リンクを辿り、その言葉は静かに滑り込むようにして俊介の視界の前に現れた。
 真っ白なページに並ぶ言葉。
 文字の色は黒。
 モノトーンの画面はひっそりとした落ち着きを纏って飾り気のない事実だけを密やかに伝えようとしているような、慎ましやかさを漂わせていた。
 一人の少女の物語。
 それは掌編のように短く、散文のように儚く、現実の欠片のような曖昧さでそこに在った。
 誰が記したものかもわからない。けれど読み人知らずであるからこそひっそりと長い年月を超えて残る詩のように、切実な思いを文章に託しているような気配が感じられた。
 どこかのサイトの一ページなのだろうか。思ったけれどそこに辿り着くことはできない。トップページがあったとおぼしき場所は見つからないのだ。ひっそりと電子の海を漂い続けているような一ページが総ての手がかりになるような気がして、俊介はその文章を脳裏に焼き付けるかのごとき真剣さで何度も何度も読み続けた。一度回線を断ったら、電源を落としたら、もう二度とこのページには辿り着けないような気がしたからだ。たった一度のささいな切断が、絶対的な隔絶に繋がるような気がした。どこまでも遠く指先から離れていくような恐怖がその時の俊介の総てだった。

【U】

 日が傾き、ひっそりと一日を終えた太陽が地平の彼方に消えた頃、俊介は書き込まれた住所を頼りに桜の木の下へと足を運んだ。広い、茫洋とした広場の中央にぽつんと桜の木が一本立っている。
 わけもなく異様な光景だと思う。
 頭のなかでは繰り返し繰り返し、漂っていた儚い言葉が揺らめいている。
 ブランコ乗りの少女。
 興行主である父親。
 二人は異国の民だ。
 柔らかな金色の髪と青色の瞳が親子であることの証明。
 シルクハットを軽やかに頭の上から取り去って、大袈裟に父親がそれで天井を指す。
 布張りのテント。
 薄暗い闇のなかで少女の細い躰がスポットライトに照らし出される。
 軽やかに片手を挙げて微笑む少女。
 二人は視線で言葉を交わし、頷きあう。
 少女の手には空中ブランコ。
 両手で掴んで、踏み切る。
 滑らかに横切る細い躰。
 父親がの目が見開かれる。
 柔らかに空中に広がる金色の髪。
 青色の瞳が絶望を映す。
 空気を引き裂くように細い躰が落下していく。
 伸ばされる両腕は意味もなく体側へと戻る。
 絶望の物語。
 喪失の散文。
 残酷な現実。
 俊介は無意識のうちに爪先に落としていた視線の端に、赤黒い何かが滑り込んだような気がしてふっと顔を上げる。
 眩しいくらいの薄紅の情景。
 風に揺らめく花弁の波のなかから白い顔が微笑みが覗く。悪戯を愉しむ少女のような幼さで両足を揺らして、その爪先を覆うトウシュージュの紐に纏わりつく花弁を弄んでいるようだった。
 空は暗く、夜だというにも拘らず少女の微笑は真昼の太陽のように眩しいものとして俊介の双眸に映る。
 ―――あなたは私の父様に会わせてくれる人?
 少女が訊ねる。
 まるで花弁と花弁が触れ合うような小さくささやかな声だった。
 ―――ずっと父様を待ってるの。会わせてくれる人が来るのを待ってるの。
「僕はあなたをお父様に会わせることはできません」
 少女の微笑が翳る。
 ―――みんなそう云うのよ。でもね、私、約束したのよ。ここで待っているって。父様も迎えに来るって約束してくれたわ。
 俊介の脳裏を過ぎる葬列の光景。
 父親の手でかけられた土。
 それが降り降りた小さな棺。
 物語のような言の葉が紡ぎ出したのは、いつかの現実なのかもしれない。
 それに気付くと不意に何かしてやれるのではないかと思った。自分の力でもってこの少女に何がしかのものを与えてやれるような気がしたのだ。
「あなたの望みをお聞かせ願えますか?」
 俊介が微笑と共に訊ねる。
 ―――父様に会いたいわ。
 会いたいと思う気持ちが人を惹きつけたのだろうか。少女のまとう死の気配に強く惹きつけられ、殺されてしまったとでもいうのだろうか。この少女がこの場から解放されれば総ては終わるのかもしれない。けれど、果たしてそれがこの少女にとっての解決になるのだろうか。
 父親を待ちつづける娘。
 娘を残して去った父親、
 二人を結びつけるものがいつしかほどかれてしまったことで、独りの解決が総ての解決にはならないように思えた。
「もし望みが叶ったならば、あなたはどうなさるおつもりですか?」
 ―――ずっと父様の傍にいるわ。他にどうすればいいというの?私は父様しかいないのだもの、もう二度と父様の傍を離れたりはしないわ。
「かしこまりました。―――お客様」
 俊介が云うと少女は不意にきょとんという顔をした。それまで自分が客の立場になることなどなかったからだろう。
「僕はマジシャンです。マジシャンはお客様をがっかりさせるようなことは致しません。どうか、この二つの瞳の奥をご覧下さい」
 言葉と穏やかな微笑に引き寄せられるようにして少女がその小さな顔をそっと俊介の顔に近づける。冷たい指先が頬に触れたような気がした。けれどそこには一つのものを求めてやまない切実な想いが溢れているようだった。
「心穏やかに。どうか、静かに世界を見つめて下さい。―――どうです?あなたが望む世界が見えるでしょう?」
 俊介の言葉に少女が懐かしそうな笑みを浮かべて静かに頷いた。

【V】

 金色の双眸のなかに広がる世界。
 それは懐かしく哀しい、遠いセピア色の想い出。
 燕尾服を脱いだ父親が少女の手を引く。白い手は大きな父親の節くれだった手のなかにおさまって、力をこめて握り返している。爪先に視線を落として、微笑む。柔らかな微笑。父親が愛しげに目を細める。
 言葉少なに交わされる会話。
 無音の世界。
 ―――父様。
 少女の声が俊介の鼓膜を震わせる。
 頬に触れる細く白い指の感触が溶けていく。まるで闇のなかに染み込むようにして、ひっそりと息を殺すようにその気配が溶けていくのだ。
 父親がそっと娘を抱き上げる。
 そして遠い昔の物語を紡ぐようにしながら歩を進める。
 父親が立ち止まるのは大きな桜の木の下。
 満開の桜の下で父親が何かを呟く。
 ―――そうね、サクラだわ。
 少女が云う。
 もう頬に触れていた指の感触はない。
 ただ声だけが辺りに響き、空間に溶けていく花弁と共にひっそりと余韻を残す。
 ―――死んだ母様の国の花なのね。父様、私、忘れたりなんかしないわ。
 淡い月の光が俊介の横顔を照らし出したのが合図だった。
 目の前には瑞々しい緑の葉に包まれた桜の木があった。
 少女の姿も、気配も、それまで桜が満開だったという現実も溶けて消えた。
 残響のように耳の奥に残る声。
 ―――だからもう私を独りにしないで……。
 目蓋を閉じると父親の太い頸に腕をまわす少女の姿が見える気がした。
 もう二度と離すまいと必死にしがみつく幼い切実な姿がそこにあるような気がしたのだ。
 俊介は少女の存在を無害なものだと思う。
 人の心こそが弱い。独りの少女の死に魅入られ、引き寄せられて死に至る人々の心こそが弱かった。それにくらべてただ独りを思い続けてここにとどまり続けた少女の心はどれほど強かったのだろう。発狂することもなく、ただひたすら純粋に約束が果たされることを待ち続けていた少女の存在など本当に無害なものだ。異分子となって、誰にも目を向けられることもなくひっそりと誰かをただ待ち続ける。その静かな痛みは癒されたのだろうか。
 思って、それは少女にしかわからないことだと思った。
 俊介にわかるのはただ自分の職務をまっとうできたこと。
 お客様をがっかりさせずに済んだこと。
 それだけである。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2104/森村俊介/男性/23/マジシャン】


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■         ライター通信          ■
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初めまして。沓澤佳純です。
初めてのご参加ありがとうございます。
能力の方を上手く生かせているのかどうか不安が残るのですが、書いていてとても楽しいプレイングでした。ただ一人の少女のためにありがとうございます。
それではこの度のご参加本当にありがとうございました。
今後また機会がありましたらどうぞよろしくお願いいたします。