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怪盗ノルン
●捕らえ所がない【1A】
「……という訳なんです」
桜桃駅北口にある件のデパートに程近い喫茶店。その奥のテーブルには美紅と美紅より連絡を受けた者たちが集まって座っていた。
「これが今までの事件の資料なのね」
シュライン・エマはそう言うと、テーブルの上に置かれていた事件の資料に手を伸ばした。資料といっても、コピーの束をステープラーで綴じただけの簡素な物である。
「はい。急いで集めてコピーしたんで、乱雑で抜けもあるかと思うんですけど」
美紅がすまなさそうに言った。何せ時間がなかったのだ、これは仕方ないだろう。
「今回怪盗ノルンが壷を狙っていると美紅様はおっしゃいましたけれど、それはもしや今回の展示の目玉たる清代の……?」
アンティークショップ・レンの店員である鹿沼・デルフェスが美紅に確かめるように言った。
「そうです、その壷です」
「まあ! やはりあの壷ですのね」
デルフェスが納得の表情を見せ、小さな溜息を吐いた。
「へー、そんなに凄いの?」
パフェを食べていたリクルートスーツ姿の村上涼が、スプーンをくわえたままデルフェスに尋ねた。
「もちろんですわ。わたくしもテレビのニュースで拝見しただけですけれど、あの光沢といい、描かれた梅と桃の筆遣いや彩色といい……たまらないものがありましたわ……」
今度は、ほうっと溜息を吐くデルフェス。さすがは無類の美術品ファン、チェックが細かい。
「ふーん、たまらないんだ」
尋ねた涼はさほど興味なさげに答えると、もぎゅもぎゅとまたパフェを食べ始めた。
ちなみにパフェを食べているのは、何も涼だけではない。戸隠ソネ子だってこの場でパフェを食べている。それも通常のパフェの3倍はあろうかという特製ジャンボパフェだ。
「……せっかくおごりなんだから、あっちにしとけばよかったかなー」
ソネ子のジャンボパフェを見て、ぼそっと涼がつぶやいた。
「お腹壊すわよ」
資料に目を通していたシュラインが、やはりぼそっと突っ込みを入れた。
「宝石、西洋画、彫像、水墨画、インゴット……色々とあって、今回が壷。何か共通性のかけらもないわね……」
首を傾げるシュライン。時代も持ち主も何もかもバラバラ。犯行現場だって、どこかに偏る訳でもなく都内を点々としている。今回みたくデパートでの特別展示もあれば、美術館や宝石店だったり、銀行であったりもする。
また、値段的に見て盗んだ物よりも明らかに高い物だって同じ現場にあるのに、それには目もくれず目的の物だけ盗んでゆくという不思議な面もある。
はっきり言って、共通点を見つけ出す方が難しい。せいぜい山形がノルンに連戦連敗であるくらいだ、共通点なんて。
「今までの手口は?」
珈琲カップを手にした真名神慶悟が美紅に尋ねた。すると、途端に複雑な表情を見せる美紅。
「それなんですよね」
美紅が、はあ……っと溜息を吐いた。
「いつの間にか偽物に摺り替えられていたり、皆が他に気を取られている間に盗まれていたり……。あ、全員が眠らされてというのもありました」
「つまり、パターンは1つではない、ということか」
「どうもそうみたいね。真名神くんの言う通り、ここに載ってる手口は見事にバラバラだわ」
慶悟の言葉に、資料を見ていたシュラインが同意の声を上げた。美紅もこくんと頷く。
「けど、怪盗つっても人間だろ? ここん所、大型の運転ばっかで肩が凝りそうだったんだよな……いい運動出来そうだな」
首をこきこきと鳴らしながら言ったのは、長距離トラック運転手の征城大悟である。ちなみに紫色の坊主頭で額やサイドの剃り込みと、鼻・唇・耳のピアスといった大悟の外見に、美紅はちょっと引いているようである。平たく言えば怖がってるのだ。
「人間……ねえ」
思案顔で言うシュライン。『人間』と『ねえ』の間がやけに空いていたように思えるのは、気のせいだったろうか。
「……ノルンの目的は何だ?」
それまで黙々と資料に目を通していた、眼鏡をかけた金髪長髪の美青年が口を開いた。ドイツの製薬会社の日本法人研究員であるケーナズ・ルクセンブルクだ。
「資料によると、盗んだ物は全て後日持ち主に返すのだろう?」
「先月盗まれた彫像も、1週間もしないうちに持ち主の元へ戻っていましたわね」
ケーナズの言葉にデルフェスが口を挟んだ。デルフェス自らの目で見たかった彫像だから、よーく覚えていたのだ。
「それが変なんだ」
眼鏡の位置を整えながら、ケーナズは言葉を続けた。
「だったら、そもそも物には執着していないことになる。とすると、スリルを求めてこんなことをわざわざするのか?」
確かにケーナズの言う通り、ノルンの行動を表面的に見ている限りでは物が目的ではないように思える。
「ね、盗品が戻ってきた時、何か変化はなかった?」
シュラインが美紅に尋ねた。
「いえ何も。壊されたり破られたりということもなかったようですよ?」
「その逆は?」
「はい?」
「んー……例えば補修されていたりとか……」
「それもなかったみたいです。現状維持のようですね」
美紅は頭の中のメモを捲りながら、シュラインの質問に答えた。
「えーと……質問、先生」
涼が美紅に向かってスプーンを持った手を小さく上げた。というか、誰が先生ですか。
「何ですか?」
「盗んでった物って返ってくるのよね。ご丁寧に返還してくれる上に怪我人とかも出ないのよね?」
「そう……ですけど?」
不思議そうに涼を見る美紅。美紅には涼が何を言いたいのか、よく分からないようだった。涼は続けて言った。
「それってつまり、ほったらかしとけばいいんじゃあ?」
涼のその一言で、場の空気が固まったような気がした。『それを言っちゃあおしまいよ』といった視線が涼へ集まってくる。
「……いやまー、保証はないわよ。そのノルンとかがいきなり気が変わって、やっぱこれは返しませんとか言い出さない保証はないけどねー。にしたって、返される可能性の方が高い訳じゃないのよ。そこんとこどーなのよ?」
一見正しさがあるような涼の言葉。でも何でしょう、何か釈然としません。
「返されても、やっぱり罪は罪ですし……裁判だと、減刑事由となる可能性もあるかとは思いますけれど……」
苦笑いを浮かべる美紅。なお、逆に裁判官の心証を悪くする可能性もある訳で。
「まあ、予告状とか出してきてるし面子とかもあんだろーけど……あ」
涼が何か閃いたような表情を見せた。
「ひょっとして、目的ってそれだったりして? ほら、何か警察に恨みあるとか……って、それじゃ一般市民の8割が容疑者じゃないのよ、どーすんのよっ!」
見事なセルフ突っ込みを披露する涼。そして言葉はヒートアップ。
「だったら私だってあるわよ、警察に恨み! スピード違反とか、スピード違反とかっ、スピード違反とかっ!!」
あなたのことはどーだっていいんです……涼さん。いやまあ、非常にらしい理由だと思いますが。
「もう点数なんて残り少ないんだからっ!!」
「はいはい、どうどう、どうどう」
シュラインが興奮していた涼をなだめた。
「はぁ、はぁ……今日はこのくらいで勘弁してあげるわ……」
「は、はい……」
美紅はすっかり呆気に取られていた。そこで美紅の携帯電話が鳴った。相手は大蔵であった。
「あ、おやっさんですか? え? あ、はい、至急そちらへ向かいます!」
そう言って美紅は電話を切ると、皆に向かってこう言った。
「すみません、緊急のブリーフィングだとかで、一旦署に戻らないと……。すぐ戻ってきますから、待っててください」
ぺこんと頭を下げると、美紅は懐から写真を出してテーブルに置いた。
「これ、特別催事場と壷の写真です。参考にしてください」
と言い残し、出口へ向かう美紅。背後からシュラインの驚きの声が聞こえてきた。
「何これ? ……大きさ変じゃない?」
「いいえ、合っていますわ。確かにこの壷ですわ」
デルフェスがきっぱりと言った。
「身体の柔らかい曲芸師だったら入れそうねー」
さらりと言う涼の言葉。そう、今回ノルンが狙っている壷は、それなりの大きさがある物だったのだ。決して花瓶サイズではない。
「1人で持ってけるのか?」
大悟が素朴な疑問を口にした。ごもっとも――。
●過去の例【1B】
(どうも引っかかるのよねえ……ノルンって名前が)
美紅が去った後、改めて資料に目を通しながら、シュラインは自分の中にある違和感について考えていた。
(ノルンといえば北欧神話……出てくるのは過去・現在・未来の3人のノルン……とくれば、やっぱり……)
シュラインの脳裏に、ある者たちの姿が浮かび上がった。それは過去・現在・未来を司る3人の時空の女神たち。
単なる偶然の一致か? それとも……。
●ブリーフィング【2】
桜桃署会議室――そこでは本庁のノルン対策チームの者や桜桃署の捜査課員など関係者を集め、今回の事件に対するブリーフィングが行われていた。当然大蔵の姿もそこにはあったが、まだ戻れていないのか美紅の姿はない。
「警備対象となる現場は12階特別催事場。この12階へ至る経路はここに記されたように主に3つです。2基のエレベーター、通常の階段、そして非常階段」
ホワイトボードの前に立ち、描かれた12階の見取り図に適宜赤マジックで印を加えてゆくのは、ノルン対策チームの現場責任者である山形……ではなく、背丈が185センチほどある真面目そうな青年であった。
「この3か所に対する警備シフトはどのようにお考えですか、山形警部」
青年――警視庁超常現象対策班に所属する葉月政人警部は山形に話を振った。すると山形は不機嫌そうな表情で、政人の質問に答えた。
「……出入口は全て固めるつもりだ。不審な者はそこでチェックをする。何か問題ありますかな、葉月警部殿」
最後山形の『葉月警部殿』という言葉は、少々嫌味っぽい口調であった。
(歓迎されてないかな……これは)
政人は少し苦笑いしてから、小さく頷いた。
「それが懸命でしょうね。では、続いてノルンの過去の手口ですが……」
そしてブリーフィングを続ける政人。山形は依然むすっと不機嫌なままである。
(全く、現場経験の少ない若造が……)
山形が不機嫌なのにはもちろん理由がある。
そもそも警察組織の者は大きく3種に大別される。まず国家公務員1種試験に合格し警察庁採用となった者。次いで、国家公務員2種試験に合格した者。そして地方公務員試験に合格した者。それぞれ俗に、キャリア組・準キャリア組・ノンキャリア組と呼ばれる。
政人はこのうちのキャリア組であった。ゆくゆくは、より上の幹部になる可能性がある訳だ。それに対し、山形は叩き上げのノンキャリア組。なのでキャリア組である政人に対し、あまりいい感情を持っている訳がなかった。
ちなみに配属時の階級はキャリア組は警部補から、準キャリア組は巡査部長からの開始となり、昇進も結構早い。ゆえに年齢が大きく違うのに、政人と山形の階級が同じなのだ。
ここまでが理由の1つだが、また別の理由もある。それはやはり、他部署である政人が自分の部署に出向という形とはゆえ関わってきているからだろう。縄張り意識というのではないが、『ノルンをずっと追ってきたのはこの俺だ』という自負があるに違いない。
まあ出向を決めたのは上の方であって、政人には何の非もないのだが。だいたい今は、対超常現象機動チームに配備されている特殊強化服の新型強化服が調整中で、自分の部署で動きたくとも動けない状況なのである。検挙率低下が嘆かれている昨今、人員をその間遊ばせておく余裕もない。ゆえに、このように他部署へ出向させられている訳だ。
「……以上でブリーフィングを終わります。間もなくもう1つ資料をお配りしますので、各捜査員はそれを受け取り目を通してから現場へ向かってください。いいですね、山形警部?」
「ああ」
短く答える山形。これでブリーフィングは終了だ。
がたがたと捜査員が椅子から立ち上がり、他の捜査員たちとあれこれ話を始めていた。
「お待たせしました!」
そこへ資料の束を抱えた青年が飛び込んできた。先輩たる政人の指示で資料をまとめていた風宮駿巡査部長、警視庁対超常現象対策本部機動班の新米刑事である。ちなみに階級から分かるように準キャリア組だ。
「風宮君、じゃあその……」
と、政人が言いかけたその時、また新たに人が飛び込んできた。ようやく到着し、息を切らしている美紅である。
「おっ……遅くなって申し訳……はぁ……ありません……はぁ……でした……っ……!」
必死に走ってきた美紅だったが、結局ブリーフィングには間に合わなかったのだ。
それでもどうにか息を整えた美紅は顔を上げた。駿と目が合った。何故だか分からないが、駿の表情がぽーっとなっていた。
「あ、あのっ」
抱えていた資料を傍らに置き、駿が美紅にずいと近寄った。
「はい?」
「お……俺と付き合ってもらえませんかっ?」
「……え?」
思わぬ駿の告白に美紅の目が点になった。駿の目は冗談ではない、真剣だ。ひょっとしてこれ、一目惚れって奴ですか?
「あの、どちら様ですか」
「はいっ、警視庁対超常現象対策本部所属、風宮駿巡査部長です!」
びしっと敬礼する駿。それに対し、美紅も敬礼で答える。
「桜桃署捜査課勤務、月島美紅です。それであの、今のことなんですけど……」
「はいっ!」
駿が期待に満ちた眼差しを美紅に向けた。が、美紅は申し訳なさそうな表情を見せ、こう言った。
「冗談ですよね?」
「あっ……」
一瞬にして玉砕。風宮駿、23歳の春の出来事であった……。
「風宮君、その資料を皆さんに配ってください」
しばしそのまま固まっていた駿だったが、政人のこの言葉で我に返り、小さく美紅に頭を下げて、資料の束を手に美紅から離れていった。
「葉月警部殿。おたくの部署では新米にどういう教育をされておられるのですかな?」
呆れたように政人に言う山形。政人は苦笑するしかなかった訳で……。
さて、あっという間に恋に破れた駿が捜査員に資料を配っている最中、今度は政人が美紅のそばへやってきた。
「あなたが月島刑事ですか。初めまして、警視庁超常現象対策班の葉月政人警部です」
政人が名乗ると、美紅は慌てて敬礼をしようとした。それを笑って制する政人。
「先程聞きましたから。さっそくですが月島刑事、あなたにやってもらいたいことがあります」
前置きなく、政人はすぐさま本題に入った。
「あなたには民間協力者との繋ぎ役をやってもらいます」
「えっ?」
美紅は大蔵の姿を探した。大蔵は苦笑いして頭を掻いていた。
「築地警部補から、お話は伺っています。個人的には、なかなか面白い試みだと思いました」
「なっ……何を勝手なことを! 民間人に協力させてどうする! わしは認めんぞ!」
この話初耳だったようで、山形が会話に噛み付いてきた。
「まあまあ」
難色を示す山形をなだめる政人。しばしの説得の上、もし何事か問題が起これば政人が責任を取るということで、この話は決着がついた。
「ではそういうことで、お願いします」
「はいっ!」
美紅は政人に向かってびしっと敬礼をした。それから政人から離れ、大蔵の方へ歩いていった。
「おやっさん、いったい何がどうなっているんですか?」
「まあ、いわゆる搦手……ですかね」
ニヤリと大蔵が笑った。山形に直接言うより、まだ若くて柔軟性があると思われる政人の方にそれとなく話を持っていったのである。伊達に長く警察官をやっていない、ということだ。
こうして非公式とはいえ、今回のケースにおいて官民の連携体制が一応成立したのだった。もちろん、民間人は現場に入れないのだが――。
●どうしてここに?【3A】
デパート最上階の12階・特別催事場。この日のデパートの営業も終了し、厳重な警備体制が敷かれ始めていた。
一応今回現場責任者は山形で、政人はそのオブザーバーという名目になっているが、実際は政人もそれなりに発言している。
警備シフトは大きく分けて2つ、外と中である。外は所轄、つまり桜桃署の面々が担当。中は本庁、つまりノルン対策チームを核とする面々の担当となっている。
しかし美紅に関しては、民間協力者との繋ぎ役ということから、中と外を何度となく往復しており、今は特別催事場に居た。
「山形警部! 主催者の方が来られました」
警官の1人が山形の元へやってきた。連れてきたのは2人、1人はスーツ姿の初老の男性である。そしてもう1人は眼鏡をかけた和服姿がよく似合う黒髪の美少女で――。
「あ!」
美紅はその女性の姿を見て驚いた。何故ならよく知った顔――天薙撫子がそこに居たのだから。撫子も美紅の視線に気付いたようで、にこりと微笑んだ。
手招きする美紅。撫子はそっと山形や主催者の男性から離れ、美紅の所へやってきた。
「ここで何やってるんですかっ」
美紅が小声で撫子に尋ねた。
「ええ、主催者側の付添人として立ち会うことになりました」
ちらと天井に目を向けてから、穏やかな表情で答える撫子。何でも主催者の男性――このデパートの社長だ――が撫子の祖父の知人で、心配で相談にやってきたのだという。そして同席して話を聞いていた撫子が、立ち会いを申し出たということであった。
「やはり見過ごす訳にはゆきませんから。それに……」
「それに、何ですか?」
「何だか、探し物をしているようにも見えませんか? 単に美術品を盗むのではなく……」
言われてみれば、そういう見方も出来る。探していた物と違ったから返している、という考え方もなくはない。
「相談に来られた時に、壷の由来もお聞きしましたが……壷が素晴らしい物であるのは間違いないのですけれど、特別な由来がある訳でもないらしくて。……何だかすっきりといたしません」
首を傾げる撫子。ノルンが盗みを働く理由が見えてこないのだ。
「……とにかく、気を付けてくださいね。ここが一番現場に近いんですし、撫子さんは民間人なんですから」
「ええ。分かっています」
心配する美紅の言葉に、撫子は笑みを浮かべてこくんと頷いた。
●手段考察【5】
デパート近くの公園。ここに政人曰く民間協力者たち――シュライン、慶悟、ケーナズ、デルフェス、涼の5人だ――が集まっていた。繋ぎ役である美紅の姿ももちろんある。
「今の所、異状はないようです」
美紅は自分の目で見てきた特別催事場の様子や、撫子が主催者側の付添人として居たことを5人に伝えた。それから、きょろきょろと辺りを見回す美紅。
「2人……居なくなってませんか?」
「あー、どっか別の所に居るんじゃないー?」
涼がさらっと言った。確かにソネ子と大悟の姿が見当たらない。2人とも、どこに行ったのだろうか。
「でもあんなに大きなの、盗んだとしてどうやって運ぶの? 普通には運べ出せないと思うんだけど、目立っちゃうし」
続けて誰ともなく尋ねる涼。大悟も言っていたが、盗んだ後で運び出す方法も気になる。
「……一定範囲内の時間を止めて、その間に盗むとか」
シュラインがぼそっと、真面目な顔で言った。涼が思わず吹き出す。
「まっさかー! それはちょっと現実的じゃないしー」
「でもこれ、場合によっては現実的なのよね……」
シュラインが遠い目をした。……何かあったのだろう、うん。
「変装の名人……という話だったな。なら、警察関係者か会場関係者に変装する手もあるだろう」
「そうですわ。その上で、盗まれたと偽装して騒ぎを起こし、それに乗じて堂々と正面から……」
ケーナズの言葉にデルフェスが大きく頷いた。現実的な可能性とすれば、この辺りになるだろう。
「じゃあ、様子が変な人を見付ければオッケー? 何だ、簡単ねー」
ぽんと手を叩く涼。乱暴だが、要はそういうことである。
「何にしろ、建物への侵入を許して壷に触れられてしまうと……だな」
慶悟はふかしていた煙草を足で踏み消した。そうなったら最悪の事態であるだろう。
「それじゃ、おやっさんや葉月警部にもそう連絡しておきますね」
さっそく美紅は携帯電話を取り出して、2人に電話をかけようとした。
「あ、カードゲーム持ってきたしこれでもやってましょ! まだ予告まで時間あるし!」
どこからともなく涼はカードゲームを取り出し、皆に言った。というか、あなたリラックスしすぎ……。
●政人の視線【6】
「……ええ、そうですね。それは僕も危惧していましたから。しかしこれで、僕の杞憂ではないと確信しました。……では、外はよろしくお願いします」
美紅から連絡を受けた政人は、そう言って電話を切った。それから山形の方に目を向ける。
「おい、ちょっと待て」
山形は目の前を通った警官を呼び止めた。
「は? 何でしょ……いててててて!!」
おもむろに呼び止めた警官の頬を引っ張る山形。そして何も変化がないことを確かめると、溜息を吐いて頬から手を放した。
「行ってよーし!」
頬をさすりながらその場を離れてゆく警官。
「奴は変装の名人だからな……」
山形がそうつぶやいた。山形も政人と同じことを考えているようだ。まあ曲がりなりにもノルン対策チームの現場責任者だから、少なくとも愚かではないのだが。
政人は視線を他の場所に向けた。忙しく刑事や警官たちが動く中に駿の姿があった。そんな駿をじっと見つめる政人。
そのうち視線に気付いたのか、駿が政人のそばへやってきた。
「何か……?」
「風宮君、昨日の書類はどうなりましたか」
政人が駿に質問を投げかけた。
「あれは明日仕上げます」
政人の目を見つめ、澱みなく答える駿。
「……よろしく」
しばし無言で駿を見ていたが、政人は短く答えて駿に行っていいという仕草を見せた。
政人から駿が離れてゆく。その後姿を政人がじっと見ていると、撫子を伴った主催者がやってきた。
「刑事さん! 本当に……本当に大丈夫ですか!」
主催者が心配そうに政人に尋ねる。だが政人はきっぱりとこう答えた。
「もちろんです。決して壷は盗ませはしません」
「わたくしも気を付けますから、どうかご心配なさらないでください。……血圧が高いと仰っていたじゃありませんか」
撫子もそう言って、主催者をなだめた。
予告時間まで、残り1時間20分――。
●異状なし【8】
予告時間まで、残り30分を切った。
「美紅様」
デパートより出てきた美紅の元に、デルフェスが駆け寄っていった。美紅は自由にデパートを出入り出来るが、デルフェスは出来ないために出入口の近くで待機していたのだ。
「美紅様、ご両親は今どちらに居られますか?」
デルフェスがそんな質問を投げかけた。
「父が単身赴任ですから、母もそちらに居ます」
「……間違いなく美紅様ですわ」
美紅の答えを聞いて、デルフェスが安堵の表情を浮かべた。
実は本人であるか確かめられるように、予めいくつか合言葉となる質問を決めていたのだ。今のはその1つである。こういったやり取りを、2人は何度となく行っていた。
美紅とともに歩くデルフェスの姿を、シュラインが他の場所から見ていた。
「本人よねえ……うん」
シュラインは足音から怪しい人物が居ないかどうか調べていた。少なくとも、美紅の足音に違いはない。
と、そんな時、美紅とデルフェスのそばを1人の警官が擦れ違っていった。
「ん?」
眉をひそめるシュライン。いや、別に怪しいと感じたのではないのだ。ただ……どうも聞き覚えのある足音がしただけで。それもつい最近聞いたばかりの。
「はい、上がりー! これで私の4連勝ー!」
「……もう1回だ!」
シュラインの後ろでは、涼とケーナズがカードゲームに興じていた。というか、あんたらリラックスしすぎ。ケーナズなんか熱くなってるし……。
「はいはい、何度でもいーわよー。でも負けたら、晩ご飯とか飲み代とか出してねー」
カードを切り直す涼。勝負の行方も気になるが、時間は刻々と過ぎていく――。
●緊急連絡【9】
予告時間3分前。
「上がりだ。4連敗の後の5連勝か」
「もう1回よ!!」
「構わないが、負けたら飲み代はそっち持ちだ」
いつの間にやら、ケーナズと涼の成績がひっくり返っていた。というか、そろそろやめい!
と、そこに外に居た美紅の元に電話がかかってきた。
「はい、月島です。……はあっ!? そっ、それは本当……なんですかっ?」
一瞬にして美紅の顔色が変わった。
「美紅様、どうされましたか?」
美紅の顔色から、ただごとではないと察したデルフェスがすぐさま尋ねた。
「あのっ、署からなんですけど……物置からうちの刑事が縛られて猿ぐつわされた状態で見付かったって知らせが……今。本人は昼間にやられたって言ってるんですけど……でも夕方、私見ているんですよ……?」
呆然として答える美紅。シュラインが驚きの表情を見せた。
「え、それって……」
つまりそれは、ブリーフィングの時に何者かがすり変わっていたということで……。
「あっ、あれ見て、あれ!」
突然涼が上空を指差した。デパートのそば、12階の窓のそばにいつの間にやら壷のような物を抱えた人影が現れていたのだ。
時刻はちょうど午前0時を指し示していた。
●ノルン参上【10A】
その人影は、特別催事場で壷の回りを取り巻いていた者たち――山形、政人、主催者、撫子――も目撃していた。
「ノルンだ!」
「壷を持ってるぞ!!」
騒ぎ出す捜査員。そのうちに人影はぱっと消え失せてしまった。
「消えた!」
「壷を持ったまま消えたぞ!!」
浮き足立つ捜査員たち。だが山形がそれを一喝した。
「落ち着けーっ!! 壷はここにある!」
その通り、壷は確かに目の前にあった。しかし……。
「ですが山形警部。その壷は本物でしょうか」
「なっ……」
政人の問いかけに、山形が絶句した。そう、本物であるかどうかは調べてみなければ分からないのだ。
当然のことながら、主催者がこの場に居るのだから調べてもらえばいいだけのことだ。けれども、主催者は人影が消えた瞬間にめまいを起こして床に膝をついてしまっていた。
「しっかりしてください! どなたか、お手を貸してくださいませんかっ!」
主催者の身体を気遣った撫子が回りの者たちに声をかけた。そして警官の1人とともに主催者を支えながら、控え室の方へ向かった。
それと入れ違いに、下の階から駆け上がってきた駿が飛び込んできた。
「大変です! 壷を抱えた怪しい奴が10階に!!」
「何ぃっ!! 全員追えーっ!! そいつがノルンに違いないっ!!」
山形がすぐさま部屋を飛び出した。他の者も後に続く。政人の姿もそこに混じっていた。
そして壷のある部屋には駿1人が残された。
「…………」
駿は無言でくすっと笑みを浮かべると、ゆっくりと壷の方へ向かって歩き出した。
●本物のノルン【11A】
駿が壷のそばまでやってきた。そしてプラスチックのケースを外し、壷に右手を伸ばそうとした。
その時、同時に3つの出来事が起こった。駿の右手には壷の中より飛び出てきた髪の毛が絡み付き、左手には鋼糸が巻き付けられた。そして駿の両足に、連続してベアリングが着弾した。駿の表情が一瞬歪んだ。
「動くなよ。動いたらこれ以上のもんがゆくぞ」
そう低く威嚇するように言ったのは部屋の入口にしゃがんでいた警官――いや、警官に変装した大悟であった。言葉通り、ベアリングが駿を狙っていた。
「危うく騙される所でした……。幻影を窓の外に見せて、あたかも今盗んだかのように見せかけるなんて……」
こうつぶやいたのは、大悟と同じく部屋の入口に居る『妖斬鋼糸』を手にした撫子だった。真実に気付き、慌てて控え室より戻ってきたのである。
「テキを……欺クにハ……味方かラ……」
そのつぶやきとともに壷の中より現れたのが、いつの間に潜んでいたのか分からないソネ子である。
「壷中美人か……」
壷の中より現れたソネ子の姿を見て、そんな声が聞こえてきた。
「観念しろ。もう逃げられはしない」
部屋にはいつの間にか慶悟の姿もあった。隠形法を用い、姿を消してここへ潜り込んでいたのである。
そこへ撫子の背後に、山形たちとともにノルンを追いかけていったはずの政人が姿を見せた。
「思った通りぼろを出しましたね、風宮君。いや、怪盗ノルン」
政人がこう言った瞬間、駿は笑みを浮かべた。
「驚いたわ……いつから気付いていたの?」
駿の口から出たのはもう駿の声ではなかった。明らかに女性の声だ。
「書類のことを尋ねた時に。書類なんて昨日渡していませんから」
政人が静かに言った。そう、政人はかまをかけたのだ。そして偽者の駿――怪盗ノルンは見事に引っかかった訳である。
では本物の駿はどこに居るかというと、5階の女性用トイレでおねんねしていた。下着姿で身体を縛られ、猿ぐつわまで噛ませられて。
「ふふっ、警察にも有能な人材は居るのね。じゃあ、もうこんな姿なんか必要ないわね」
ノルンがそう言うと、一瞬ソネ子の髪の毛と撫子の『妖斬鋼糸』が緩んだ。次の瞬間、衣服を脱ぎ捨てるノルン。そこにはマスカレードで目元を隠した、レオタード姿である黒髪の女性が立っていた。余談だが、プロポーションはかなりいい。
「女性……!」
政人が驚きを見せた。まさか怪盗が女性であったとは思わなかったのだろう。
正体を見せたノルンの腕に、再度髪の毛と『妖斬鋼糸』が絡み付く。大悟のベアリングも狙っているし、どうあっても逃がさないつもりだ。
ところが、ノルンにはこの状態でも余裕があるように見受けられた。
「お手並みの見事さに、壷を盗むのは諦めてあげるわ。でも……私も捕まる訳にはゆかないから」
赤い唇を歪め、くすりと微笑むノルン。と、突然脱ぎ捨てた衣服から盛大に白い煙が吹き出してきた。煙は瞬く間に部屋中を覆い尽くした。
「口を押さえるんだ!」
即座に政人が叫んだ。成分が分からない以上、煙を吸い込む訳にはゆかない。当然の判断であった。
「逃がさん!」
慶悟は口を押さえつつも、ある結界を発動させた。元々は壷が盗まれた時に発動させるつもりだったが、緊急に切り替えたのだ。
これにより、壷のある場所を起点とした迷路状の結界が張られるはずだったが――。
「……何っ?」
驚く慶悟。ノルンの気配が、消えた。
ソネ子の髪の毛も、撫子の『妖斬鋼糸』も、手応えがなくなっていた。大悟がベアリングで狙おうにも、気配そのものがなくなった以上無理である。
(結界は破られていない……じゃあ、どうやって消えたというんだ!!)
●対峙【12】
慶悟が困惑していた頃、ノルンは慶悟たちの頭上に居た。つまり、屋上に居たのだ。
「見事だ」
ノルンの背後より、声が聞こえた。ノルンが振り返ると、そこにはいつの間にやってきたのかケーナズが居た。
「へえ……私を追ってこれるなんてたいしたものね。あなたも警察の人?」
「いいや。通りすがりの、キミが気になる者だ」
ケーナズはしれっと答えた。嘘は吐いていない。実際、気になっていることがあるのだから。
「キミの目的はいったい何だ? 人を傷付けもせず、盗品は持ち主に返す。私はそれが気になる、真の目的が知りたいんだ」
「変わったことが気になるのね。……私を捕まえないの?」
くすくすと笑いながら、ノルンがケーナズに尋ねた。しかしケーナズは首を横に振った。
「今回は、壷が盗まれなければ私的には問題ないのさ。事実、キミのそばに壷はない」
「ふふ……変な人ね。じゃあ、それに免じて教えてあげるわ。私は楽しんでいるの、これを」
「……それはスリルを求めたゲームとしてか?」
今度はケーナズの言葉にノルンが首を横に振る番であった。
「違うわ。もっと深い……深いこと。あなたたちには決して分からないでしょうけれど、ね」
ノルンはそう答えると、屋上を駆け出した。
「またどこかで会いましょう」
それを最後の言葉に、ノルンは屋上から身を躍らせた――地上に向かって。
「なっ!」
慌てて駆け出すケーナズ。ノルンが身を躍らせた場所へ来るが、どこにもノルンの姿はない。地上に落ちた様子もない。
ケーナズはゆっくりと周囲を見回した。
「消えた……」
ノルンの姿も気配も、もうどこにも見当たらなかった――。
【怪盗ノルン 了】
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【 整理番号 / PC名(読み)
/ 性別 / 年齢 / 職業 】
【 0086 / シュライン・エマ(しゅらいん・えま)
/ 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員 】
【 0328 / 天薙・撫子(あまなぎ・なでしこ)
/ 女 / 18 / 大学生(巫女) 】
【 0381 / 村上・涼(むらかみ・りょう)
/ 女 / 22 / 学生 】
【 0389 / 真名神・慶悟(まながみ・けいご)
/ 男 / 20 / 陰陽師 】
【 0645 / 戸隠・ソネ子(とがくし・そねこ)
/ 女 / 15 / 見た目は都内の女子高生 】
【 0662 / 征城・大悟(まさき・だいご)
/ 男 / 23 / 長距離トラック運転手 】
【 1481 / ケーナズ・ルクセンブルク(けーなず・るくせんぶるく)
/ 男 / 25 / 製薬会社研究員(諜報員) 】
【 1855 / 葉月・政人(はづき・まさと)
/ 男 / 25 / 警視庁超常現象対策班特殊強化服装着員 】
【 2181 / 鹿沼・デルフェス(かぬま・でるふぇす)
/ 女 / 19? / アンティークショップ・レンの店員 】
【 2980 / 風宮・駿(かざみや・しゅん)
/ 男 / 23 / 警視庁対超常現象本部機動チーム 】
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■ ライター通信 ■
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・『東京怪談ゲームノベル』へのご参加ありがとうございます。本依頼の担当ライター、高原恵です。
・高原は原則としてPCを名で表記するようにしています。
・各タイトルの後ろには英数字がついていますが、数字は時間軸の流れを、英字が同時間帯別場面を意味します。ですので、1から始まっていなかったり、途中の数字が飛んでいる場合もあります。
・なお、本依頼の文章は(オープニングを除き)全18場面で構成されています。他の参加者の方の文章に目を通す機会がありましたら、本依頼の全体像がより見えてくるかもしれません。
・今回の参加者一覧は整理番号順で固定しています。
・大変お待たせして申し訳ありませんでした。ここに怪盗ノルンのお話をお届けいたします。結果から言いますと、壷は盗まれず守り抜くことが出来たため、一応成功となります。ノルンには逃げられてしまいましたが……そう簡単に捕まっちゃ面白くないでしょう? ちなみに逃げ切った理由はちゃんと存在しています。それはいずれ明らかになることでしょう。そうそう、煙は無害ですのでご安心を。
・この『怪盗ノルン』、シリーズとして何度かお目見えするかと思います。ちなみに元ネタはいくつかありますが……言わなくても分かりますよね?
・シュライン・エマさん、77度目のご参加ありがとうございます。色々と考えを巡らせていますねえ……鋭いかも。まあ今回の場合、民間人という立場がネックになったので仕方ない部分があるでしょうね。
・感想等ありましたら、お気軽にテラコン等よりお送りください。きちんと目を通させていただき、今後の参考といたしますので。
・それでは、また別の依頼でお会いできることを願って。
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