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<東京怪談ノベル(シングル)>


翳るもの、煽るもの。

 ぴちゃり、と滴が音を作りだす。この静かな空間ではそんな小さな音さえも、大きく鳴り響いているかのように、思えた。
 目を閉じて、脳裏に浮かぶのは父の面影。そしてその後の悪夢のような現実。たった一人残された者の生きる道は、人の道を外すことで、繋がれていた。
 肩書きは『所有物』。マフィアの幹部だった父を陥れ、自分を除いた家族全員を死へを追いやった張本人は、同じ幹部の人間だった。その、仇と呼ぶにふさわしい人間に、物のように扱われた日々。砂を咬むような時間。これ以上無いだろうと言うような、荒んだ生活を強いられていた中で、静かに従い、心根の奥で消えずに居たものは『敵討ち』と言う感情の炎のみ。その強い思いだけで、彼の生を繋いできたといっても過言ではなかったように、思える。
 その、彼の名は李 曙紅(りー・しゅーほん)。若干十七歳にして、マフィアの構成員であったのだが、現在はその組織に追われる身だ。
 『主』だった幹部が母国を離れ、日本に移動した際、自分の国で動くよりは、知らない土地で動いたほうがいいだろうと判断し、監視を殺して、逃亡した。日本と言う国は、彼には適しているようであった。人口だけが無駄に多い母国の中で、敵討ちのチャンスを狙っていても、未遂に終わってしまうのは頭で解っていた。だから、繋がりの無い国で動くと言うことは、曙紅には好都合であったのだ。
 人ごみに紛れ…夜の闇に姿を隠してもらいながら続く、逃亡生活。持ち家など、存在しない。それでも、『飼い殺し』であった頃よりは、数倍マシだと、曙紅は心の奥底からそう思っていた。
「…………」
 自分の腕に、自信はあるのだ。
 構成員として、その身に叩き込まれた、殺人術。良いも悪いも教えられることなく、後始末だけを、命じられてきた日々。銃器から爆発物関係まで、全てに手をつけた。そして今最も自在に操れるのは、鋼鉄をも容易く切断可能な、鋼糸であった。
 その整った顔立ちからは想像も出来ない、曙紅の能力。
 闇の世界で生き続けてきたせいか、彼の顔は実年齢よりは少しだけ上に見えるだろうか。感情も抑えてきたために、表情の起伏にも、乏しさが大きく見られた。曙紅がその表情を大きく変えるときなどは、おそらく仇を目の前にする瞬間のみなのであろう。
「………死にたくないだろう?…だったらヤツの居場所を、吐くんだ」
 黒いコートの襟に隠れながらの、小さな言葉。
 曙紅は今日も、追っ手に追われていた。その数は、曙紅が対峙するたびに、増えていっている気がしてならない。
 高い位置の電灯が、ちらちら、と揺れているのが解った。
「……それとも、死ぬ?」
 その下で、静かに事切れている、黒尽くめの追跡者達。逃亡を図ってから、もう数ヶ月が過ぎようとしている中で、曙紅は数え切れないほどの命を、その手で奪ってきた。全ては、敵討ちの為に、だ。
 積み重なった死体を目の前に、一人だけ生き残らせて、襟首を掴み、『元主』の居場所を聞き出そうとしている、曙紅。
 痛みとか、罪悪感なんてものは、今の彼には何処にも存在しないものだった。きっと、どこかに捨て去ってしまったのだろうと、自分の中で自己完結してみたときも、あった。今は、それすら、考えも付かずに居る。
 それでも黒い瞳は、いつでも死んではいない。
「……そう簡単にお前に言うと思うか…? お前は何処にも逃げられないんだよ。ここで俺を殺しても、また、次の追っ手がお前を追い詰めるさ…」
 襟首をつかまれたままの追っ手の男は、にやりと嫌な笑みを曙紅に突きつけていた。殺すなら殺せ、と、遠まわしに煽っているようにも見える。
「本当に居場所を知りたいのなら、帰ればいいだけの話だ。また、『オモチャ』に帰れば、お前は救われる……」
 一瞬だけ、眉根が揺れた。
 休む間もなく、男の口から繋げられた言葉を、全て聞き終えることも無く。
 曙紅の指から繰り出される糸は、目の前の命を、一瞬にして散らせていった。
「………馬鹿? あんた達は…」
 その言葉が、彼らの耳に届くことは、無い。
 ふぅ、と溜息を漏らし、曙紅はその場からゆっくりと離れた。残された死体を、気に留めることも無く。組織側としても、大事になっては困るのであろう、曙紅が手に掛けた追っ手達は、一度もメディア上で騒がれたことは無い。次から次へと放たれる追っ手が、死体処理を行っているのだろう。
 相変わらず、芸の細かいことだ…と曙紅は、薄く笑った。自分の居た場所だからこそ、行動の仕方が丸解りで。今でもそれをこうして笑ってしまえるほどに、なっている。
 結局、今回も碌な情報を得ることは出来ずに終わった。しかし、それに落胆することは無い。少なからずとも、現在の向こうの動きを読むことぐらいは出来るし、追われるたびに返り討ちにし、その死体から金品を奪ってしまえば、生活に困ることも無いのだから。
「…………」
 ふ、と緊張感が消え失せた瞬間、曙紅の身を襲う、脱力感。自分の身体の重みすら支えられなくなり、壁に全てを預けてしまう。
「……また、か…」
 五感及び身体能力を爆発的に上昇させると言う、隠された曙紅の、能力。いつ身に付いたのか、自分ではよく憶えていない。便利ではあるが、それを放出させた後の身体は、まったく使い物にならなくなってしまう。
 今の状態が、それだ。
 先ほどの追っ手のとのやりとりで、無意識のうちに潜在能力を表に出してしまったのであろう。
 ずる…と身体が崩れ落ちる感覚に、抵抗は無かった。
 それでも、その使い物にならなくなってしまった身体を、放置することは出来ずに。
 曙紅は、ゆっくりと時間を掛けて立ち上がる。
「ここで…倒れちゃ意味も無い…僕は、必ず…」
 震える膝を押さえながら、漏れた言葉。そして持ち上げられたその顔には、決意を新たにした、強い眼差しがある。
 決して許してはいけない、人間が居る限り。
 曙紅は倒れるわけにはいかないのだ。
「……まだ…」
 その小さい呟きは、暗闇の中に消え。
 曙紅は、ふらりとよろめきながらも、今日の『自分の身体が休まる場所』を探しに夜道を進むのであった。



-了-


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李・曙紅さま

初めまして、ライターの桐岬です。この度はご指名有難うございました。
曙紅さんは、とても興味深い方だなと思いつつ、緊張しながら書かせて頂いたのですが、如何でしたでしょうか…?
感想などいただけましたら、今後の参考にさせていただきます。
ご期待にこたえられているかどうか不安なままではありますが、今回はこの辺で筆止めとさせていただきます。
誤字脱字がありました場合、申し訳ありません。

桐岬 美沖。