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<東京怪談・PCゲームノベル>


時の牢獄

【壱】

 莫迦でかいという言葉はきっとこういうお屋敷のためにあるのだと思って、鬼丸鵺はずっしりと腰を落ち着けるようにして佇む日本家屋の前に佇んでいた。不揃いな短い銀色の髪に陽光が反射して煌く。白い肌は滑らかで、美少女という形容が相応しい容貌を明るい昼間の陽光が際立たせていた。どうするべきか考えるようにして人差し指を下唇に当てて、どうするもこうするもこの家の門を潜るしかないんだろうなと楽観的に考えながら、鵺はどうしてこんなことを押し付けられたのか理解できずにいた。
 事の発端は精神病院の院長である養父の様子を見てきてほしいという一言だった。面倒だという鵺を他所に、強引に手渡されたメモに記された住所を頼りに訪れてみれば何かわかるかと思ったのだったが、矢張りどうして自分がここにいるのかが理解できない。精神科医でもなんでもない自分が、同年代だからという理由でどうしてここに来なければならなかったのだろう。自分にこんなことを押し付けるくらいなら、養父自身が来たほうが効果的なのではないかと思う気持ちのほうが強かった。様子を見に行くくらいなら、院長という肩書きを持ちながらも常に暇そうにしている養父が行くべきだと思うのだ。
 とりあえずと思って、まず門を潜る。そしてインターホンも何も無い玄関に立ち尽くして、どうするべきだろうかと思った。勝手に開けて声をかけてもいいのか、それともノックしたほうがいいのかわからない。硝子の嵌めこまれた引き戸はひっそりと閉ざされ、まるで内側から開かれることを拒んでいるかのようだった。だからといって鵺が自らその戸を開けられるのかといったらそうではない。
「ごめんくださーい」
 硝子戸越しに声をかけてみるが返事はない。辺りを見回しても人の気配はしなかった。ひっそりと吹く風に手入れの行き届いた草花が静かに揺れているだけである。それを眺めて平和だと思う自分に、和んでいる暇はないと思って鵺は失礼を承知のうえでふと目に付いた枝折戸に駆け寄り、そっとそれを押し開けた。
 軽く開く枝折戸。
 その向こうには優秀な庭師の手による作品だということが一目でわかる立派な庭が広がっていた。砂利が敷かれ、踏み石が等間隔に並んだ上を弾むような足取りで行く。雨戸は開かれて、庭に面した縁側に光を当てるように硝子戸も開け放たれている。そのせいで整然と並ぶ障子戸の白さがよりいっそう際立って見えた。
「ごめんくださーい」
 誰へともなく云う。
「誰かいませんかー?」
 透き通るように響く鵺の声に応えはない。
 このままだと行き止まりになっちゃうよ、と思いながら歩を進めていると、不意に整然と並んでいた障子戸に隙間を見つけた。その向こうには鵺と同い年くらいの少年の横顔が覗いている。いるんなら返事くらいすればいいのに思いながら立ち止まって、障子戸の隙間から覗き込むようにして声をかける。
「ごめんくださーい。鬼丸精神病院から来たんですけど……」
 縁側に身を乗り出すようにして云うと、緩慢な動作で少年が鵺のほうへと顔を向ける。
 整った顔立ちの少年だった。一見鵺と同年代のように見えたが、まとう雰囲気は何倍も年老いたものだ。老成しているという言葉が良く似合う。綺麗な子だと思うけれど、ただそれだけはないとも思う。どこか壊れている気配がする。しかしそれは決定的なものではない。繊細な硝子細工がちょっとした拍子に欠けてしまったような、そんな些細なものだ。
「こんにちは」
 少年が微笑みと共に云う。
「こんにちはー。鬼丸鵺です。はじめまして」
 とりあえず挨拶、と思ってそう云うと少年は目の前の座卓に開いていた本のページに栞を挟んで、静かに障子戸に近づいてくる。黒髪がさらりと揺れて、白いというよりも蒼白い不健康な顔に浮かぶ微笑が手の届く距離で止まる。
「祖母は留守にしているんです。どうしたんですか?」
 丁寧な口調。けれどその端々に香る幼さは否めない。
「君の様子を見て来いって云われたの。詳しいことは聞いてないんだけどね」
 少年の問いに答えて、鵺は軽やかに縁側に腰かける。
「先生に云われたんですか……?」
「まぁ、そんなところ。どっか悪いの?そんな風には全然見えないけど。敢えて云うなら、君の顔色悪すぎだよ」
 鵺の軽い口調に少年が笑う。まるでそんなことを云われたのは初めてだといったような笑みだ。
「僕はね、人を殺したんだ」
 不意に砕けた口調で少年が云う。
 鵺はだから何?といったような体できょとんと頸を傾げる。
 そんな鵺の反応が面白かったのか、少年は不意に細く声を吐き出すような声で笑った。まるで風鈴が鳴るような笑い方だった。控え目で、それでいてひっそりと心の奥に響いてくる。そんな笑い声なのである。その声にどこまでも綺麗な少年だと思った。
「君みたいに綺麗な人に殺せる人なんているの?」
「本当に殺したよ。殺してと云われたから、そうしてあげなくちゃいけなかったんだ」
「ふーん」
 云って鵺は両腕をついて、空を仰ぐ。両足をぶらつかせて、遠くに向けて言葉を紡ぐ。
「君にとって当然なコトだったんでしょ、それって」
「そうだよ」
 少年が鵺の背中に云う。
「ならいいじゃん。何が悪いっていうの?」
 肩越しに云うと、今度は少年のほうがきょとんとした顔をした。それは初めて少年が初めて見せる十代の少年らしい表情だった。
 小鳥の囀る声がする。
 庭の草木が風に揺れる。
 柔らかな自然の音が二人を包んで、静かに時間が流れていく。
「君は不思議な子だね」
 不意に少年が云うので、鵺は笑って答えた。
「君も十分に不思議だと思うけど?」
 二人で笑いあいながら、鵺は何が少年に人を殺させたのだろうかと思う。殺してほしいと云われたから殺したと少年は云う。それが本当だとしたらそれはそれで結構だと思う反面、どうして少年に殺してほしいと思ったのだろうかと思うのだ。
「僕の唯一の友達だったんだ」
 まるで物語を語るような緩慢な口調で少年が云う。
「学校にも行かない僕の唯一の友達で、唯一の理解者だった。両親が早く亡くなったから、今は祖母と二人で暮らしているんだけど、祖母にも理解できない僕を彼だけが理解してくれたんだよ」
「なんでそんな子を殺したりしたの?」
「殺してと云われたから。それだけ」
「じゃあまた独りぼっちじゃないの?」
「違うよ。―――彼は会いに来てくれる。この部屋にいる僕にちゃんと今までどおり会いに来てくれるよ。だからこの部屋を出られないんだ」
「それっておかしくない?」
「そうかな?」
「だって、会いに来てくれるなら別にこの部屋を出たっていいじゃない。それなのにどうして部屋を出ないの?」
「……彼を殺したから」
 呟くように少年は云って、口をつぐんだ。
 まるで何か重大な齟齬に気付きかけてしまったとでもいうような不可解な口のつぐみ方だった。
「ねぇ。これからも遊びに来ていいかな?今度は用事じゃなくて、個人的に」
 気まずい沈黙を振り切るようにして鵺が云うと、不意に生まれた疑念を振り払うかのようにして少年が笑う。
「いいよ。誰もいなかったら勝手にあがってきて。二人暮しだし、別に気にしないから」
 笑う少年の表情から香る憂いにも似たものに、鵺は世界を知っているのだと思った。終わらない世界の存在。それは時に脆く、儚く崩れていく。けれどそれに縋らなければ生きていかれないからこうしているのだと思った。

【弐】

 初めての訪問を境に、鵺は度々少年の家を訪れるようになった。時々共に暮らしているという祖母に会ったりもしたが、大抵彼女は家を空けていた。少年の話だと、習い事をしているのだという話だ。
「独りにしておいてもらえるほうが気楽だよ。いつも心配してばかりで、見ているこっちが辛くなるから」
「普通はそうだよね。鵺も過剰な心配は勘弁してほしいもん」
 座卓を挟んで向かい合って、目の前のクッキーをつまみながら鵺が云う。祖母が用意していったのだというそれを出してきた少年が手を出す気配はない。
「ねぇ。お友達はその後も来てるの?」
 不意に訊ねると迷うこともなく少年は頷く。
「で、やっぱり君はこの部屋を出るのが怖いわけ?」
 再度少年は頷く。
「鵺にはそれが上手く理解できないんだよね」
「どうして?」
 クッキーでもそもそした口腔に湿り気が戻ってくるのを待って鵺が答える。
「だって、大好きな人が来てくれるならそれだけでいいじゃない。生きていても死んでいても鵺なら来てくれるっていうそれだけで満足だよ」
「僕は……」
 ゆったりと呟いて、少年が座卓の上で組み合わせた自身の手に視線を落とす。
「時間が停滞していくようで怖いんだ。僕の周りだけ時間が止まってしまうみたいで、怖いんだよ」
「この際だからはっきり云うけどさ、それってどこかで相手のことを否定してるんじゃないかな?だって相手がいてくれるなら、ここにちゃんと来てくれるなら生きているか死んでいるかなんて関係ないでしょ?それなのに君は自分の時間が止まってしまうみたいで怖いだなんて云ってさ、おかしいよ。なんて云うんだっけ……、そう、矛盾してるって云うんじゃないのかな、そういうの」
 鵺の言葉に少年が沈黙する。
 世界を壊してしまうかもしれないと思う心と壊れていくのかもしれないという心が鵺の内側でせめぎ合う。
 少年の持つ世界は、もう既に壊れ始めてしまっているのではないだろうかこの部屋のそこかしこに漂う死の気配。それはこの部屋に初めて足を踏み入れた当初から気付いていた。それが訪問を重ねるにつれて日々薄れていくのがわかる。少年の意識が鵺に向かえば向かうほどに、部屋を満たしていた死の気配が薄れていくのだ。
 輪郭をなぞるように伸びる不揃いな銀の髪に指先を差し入れるようにして頬杖をついて、鵺が云う。
「まぁ、今答えを出す必要なんてどこにもないんだけどさ。なんとなく鵺はそう思ったんだ。それだけ」
「……うん。わかってる」
 何がわかっているのだろうかと思いながら、鵺は再び残り少なくなったクッキーに手を伸ばす。
 その日、少年が口を開くことはなかった。
 ただ静かに沈黙のなかに沈んで何事かを考えているだけで鵺の存在さえも忘れてしまっているようだった。その間だけ、死の気配は濃くなっていく。濃密に圧し掛かるようなものになっていくのがわかったのだ。六畳の部屋を満たす死の気配。それは少年の心そのもののような気がした。決してそれは病んではいない。ただ少しだけ、淋しいだけなのだと鵺は思う。何が少年をここまで追い詰めたのだろう。考え出せばきりがなく、答えのない闇のなかへとどこまでも深く沈んでいってしまいそうな疑問だった。

【参】

 訪問を重ねるにつれて祖母が鵺に好感を抱くようになっているのが態度からわかった。最初は銀色の髪に赤の瞳に怯んでいるような気配があったのだったが、回を重ねるごとにそれは緩やかに溶けていった。いつの間にか夕飯をご馳走なるまでになり、泊まっていったらいいのにとさえ云われるようになってしまった。そうとなれば夜遅くまで居座っていても、咎められることもなければ冷たい目を向けられることもない。
 すっかり日が沈んで、月明かりだけが淡く照らす室内で二人は何をするでもなくぼんやりと向かい合っていた。言葉を交わす必要もなく、ただ二人でそうしていることが意味があるようになっていったのはいつからなのかわからない。気付けばどちらからともなく口を閉ざし、時折ぽつりぽつりと言葉を交わすだけになっていた。その言葉も意味もない、二言三言である。
 もう限界なのかもしれない。
 鵺は思う。何が限界なのかといえば、少年の世界だと云う他ない。現実を敢えて突きつける必要もなく、現実がなんであるかもわからなかったが自覚しなければいつか駄目になるような気がした。少年ばかりではなく、少年がこの部屋ごと駄目になっていくような気がしたのだ。
 未だに鵺には少年の気持ちが理解できない。何故怖いのか、どうして生きている人間でなければならないのか、そして時間が停滞してしまうことに怯える必要性がどこにあるのか。少年の抱える総てが鵺には理解し難い心理である。ありのままを受け入れることができればそれで十分じゃないかと思うからだ。そこにある世界をありのままに受けいれることができれば、誰がなんと云おうともそれが自分の世界になる。
 世界を確立するということ。
 それは時に淋しい社会との断絶を意味する。
「ねぇ。やっぱり怖いの?」
 少年が浅く頷く。
「鵺にはわからないよ」
「……何度も聞いたよ」
 答える少年の声には力がない。惰性で呟いたような弱々しさだ。
「わかろうとしてないっていうのもあるけどね」
「いいよ、無理に理解しなくても。君と話していると何もかもがわからなくなってしまうし……。今、僕が怯えているものが本当に怯える意味があるものなのかどうかわからなくなっていくんだ」
 座卓の上で組み合わせた腕に頬を当てるようにして、鵺は座卓の上に上体を預ける。
「それでいいんじゃないの?」
 鵺は呟く。
「だって君の世界と現実は君の頭で決めることでしょ」
「君もそう云ってくれるんだね」
 少年の声に鵺は顔を上げる。
「彼もそう云ってくれたんだ。全部僕が決めることなんだよって。他の誰がなんと云っても、それだけが本当なんだよって、まるで世界の総てを知ってるみたいにして云ってくれたんだ」
 懐かしむような口調で云う少年に、鵺は気付いたのだと思った。自分が確立したと思っていた世界のほころびを、ささいなそれを見つけてしまったのだと思った。
「じゃあ、この部屋のなかの総てが妄想でもなんでもなくて君自身の現実だってことはわかっているんだね」
「わかってる。―――でもわかろうとしていなかったかもしれない。手のなかに残る彼を殺したという感触が、それをわからせまいとしていたのかもしれない。彼がいたから僕はこの部屋の世界を信じることができて、彼を失ってしまったと思うから怖いと思うのかもしれない。僕は、僕の世界じゃなくて彼の世界を維持しようと思って必死になっていただけなのかもしれないね」
 少年の口調にはどこか淋しさが漂っていた。
 現実の重みとそれと同じだけの軽さ。
 そのアンバランスさが少年の心を蝕んで、遠くへと幽閉していたのだと鵺は思う。
「じゃあさ、それが厭なら壊せばいいじゃない。壊して新しい君の現実を作ればいいじゃない。部屋から出ることができないって云うなら、この部屋ごと燃やしちゃえばいいんじゃないの。そうすればゼロになるし、そこから始めればいいと思うけど、それじゃ駄目なのかな?」
 比喩も誇張もなしに云う鵺の言葉に少年が笑う。
「やっぱり君は面白いことを云うね。最初に君と話してからずっと思ってた。君なら何かを変えてくれてくれるんじゃないかって。期待してたんだ」
 まっすぐに鵺を見て笑う少年に偽りの気配はなかった。
「でも、違ったね。僕はまた同じことを繰り返そうとしていただけにすぎないんだ」
 云って、少年はすっと腰を上げた。そして自らの手で障子戸を開け放つと、外の空気を胸一杯に吸い込むようにして鵺を振り返る。
「散歩に付き合ってもらえるかな?」
 少年の純粋な誘いに、鵺は笑って頷く。そして弾かれたように立ち上がって、少年の手を取った。
「全然オッケーだよ!」
 鵺は満面の笑みで云って、痩せた少年の手を引いて縁側を歩き出す。
 少年は隣にいた。
 自らの足で、鵺の隣を歩いていた。
 今度は誰かの背を追いかけるように世界を作るようなことはせずに済むだろう。思うと自然と鵺の足取りは軽くなる。特別な病ではない。ただ少しだけきっかけが足りなかっただけ。それだけだ。
「これからも友達でいてくれる?」
 訊ねる少年に鵺は深く、大きく頷く。
「当たり前でしょ!」
 答えて笑う鵺の銀の髪が月の光に煌いた。
 それを眩しそうに視線で追いかけて、少年は笑う。
「ありがとう」
 言葉は透明な響きで鵺の鼓膜を震わせ、いつになく心を軽くした。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2414/鬼丸鵺/女性/13/中学生】


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■         ライター通信          ■
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初めまして。沓澤佳純です。
初めてのご参加ありがとうございます。
違った価値観を突きつけられることで少年が自ら新しい何かに気づくきっかけを与えて下さってありがとうございます。鬼丸様の明るい性格は書いていてとても楽しかったです。
それではこの度のご参加本当にありがとうございました。
今後また機会がありましたらどうぞよろしくお願いいたします。