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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


ふりだしに戻る

 頭上から絶え間なく降りそそぐ熱線のような日差しを受け、こめかみから頬へと汗のしずくがつうと流れる。それを拭うことすらせず、ふたりの少年は向かい合ったままただ互いの挙動を見守っていた。
 今は夏。彼らはそれを思い出す。
 時刻はまだ十三時を刻んでいない。昼休みは始まったばかりだった。
 高校の制服の、半袖のワイシャツからのびた腕が太陽光線でちりちりと焦がされている。
 すこしでも迂闊な動きを見せれば、それは相手への絶好の隙につながるだろう。
 なんとかして向こうの攻撃をかいくぐり必殺の一撃をたたきこまねばならない。
 一対一の、それは決闘だった。

 うだるような暑さに知らず外村灯足は呼気を乱しかける。だがそのとき、校舎の屋上のウォークトップの上を、じり、と相手の靴がいざったのを感じ取った。それが何を意味するか脳が理解するより早くふたたび全身が緊張する。が、遅い。
 湿気で重くるしい風圧が顔をはたいた。
 ガードしようとした腕をそれはむなしくすりぬける。
 続いて頬に感じたのは、間違いなく拳のぶちあたった衝撃。瞬間、脳みそがゆさぶられ、痛みは一瞬遅れてやってきた。痛みと興奮と高揚とで、びりびりと皮膚がはりつめる。ほんのわずかな間にアドレナリンが分泌されたものか、異様に鋭くなった灯足の認識が、第二撃を見舞うべく敵のかたいげんこつが後ろへ引かれる光景をはっきりととらえる。
 ぐいと相手のふところに踏み込んで頭突きを見舞ってやった。
 がつっ、と鈍い音がする。
「うげっ」
 手ごたえはあった。悲鳴ともつかない声がそれを証明している。
 もろに鼻面にぶつかられ、綾小路雅は二歩、三歩とたたらを踏んで後退した。
 学校の屋上は一部がバスケットコートになっている。白線の上に、ぽた、ぽた、と赤い鼻血が落ちる。それを見下ろし鼻を押さえながら、雅は抑えた声で灯足をにらみつけた。
「やりやがったな」
「お互いさまだろうが」
「手加減してやりゃいい気になりやがって」
「手加減するなら俺のほうだっつうの。チビ助が」
「んだとッ、もう一度言ってみやがれ殿っ」
「何度でも言ってやらあ、チービチビチビっ」
「このバカ殿。タコ殿ッ」
 遊びたい盛りの十代の男子高校生にそう豊富な罵り言葉のボキャブラリーがあるはずもない。まるきり子供の喧嘩である。そのくせ腕力だけは大人並かそれ以上なのだからなおさら始末が悪い。
 もし仮にここに冷静な第三者がいたならば、この時点で「もしかしてこのふたりは結局気が合うのでは」と推察して、畜生やってられっかと仲裁を放棄したことだろう。

 だがしかし、誰にとっても不幸なことに、この場にはひとりだけ、(冷静でない)第三者がいた。
「や、やややややめてくださいふたりともっ」
 その外村織葉は激しくどもりながらも、ふたりの間に割って入る。ふたたび拳をまじえようとした両者は、思わぬ乱入者にひとまず動きを止めた。織葉は眼鏡の奥でいまにも泣きそうになりながら、幼なじみ同士のふたりを見比べる。
「なんで、なんでこんなことっ」
 兄の灯足とは違い日頃荒っぽい事とはほぼ無縁のおとなしい弟は、兄が友人と流血沙汰になったというだけでもう平静ではいられない。流血といっても鼻血なのだがまあ血は血だ。
「いつもふたりは仲良しじゃないですかーッ」
「言うな。それはもう過去のことだ」
 雅が首を振って、後輩にして幼なじみである織葉がそれ以上の言葉を口にするのを制止した。
「みみみミヤ先輩、これ、な、何かの冗談なんですよね、ね」
「織、さがってな。怪我するぜ」
「ほ、灯足。喧嘩なんてやめましょうよ、ね、ねっ?」
「織」
 今にもすがりつかんばかりの弟を一瞥し、灯足は近寄ってはいけないとしぶい仕草でおしとどめる。
「……刑務所には差し入れに来てくれよ」
「灯足うううっ」
 この間灯足が見ていたVシネマとおなじ科白だと気づく暇も、そもそも未成年なのだから入るのは少年院なのではとつっこむ余裕もあるはずがなく、おおげさな言葉を真に受けてますます織葉が取り乱す。
「だ、大体、何が原因なんですかッ!? 喧嘩するには理由があるはずでしょうっ?」

 それでも追及をやめない後輩がほとんど悲鳴じみた声でたずねると、何故か、その場に沈黙が落ちた。

「い、言ってみてくださいっ。話し合えばわかるはずですっ」
「……ぜってー許さねーからな、殿」
「鼻血出しながらイキがるんじゃねーよ、ミヤ。たったあんだけのことでいちいち大げさに騒ぎやがって。どうやらちっちぇえのは背だけじゃねえみたいだなあ」
「ンだとコラっ、確かめてみっか!?」
 織葉の乱入でなしくずし的に燃えつきかけていた闘志が、先ほどの問いで再燃しはじめてしまったものだろうか。真ん中にいる織葉を微妙に無視しながらまたもにらみ合いが始まる。
「り、理由はなんなんですかッ?」
 下品な罵りあいに震え上がりながらもなけなしの勇気を振り絞って仲裁役がたずねると、そんなに知りたきゃ教えてやるよと雅が不気味に口角を吊り上げて、笑った。
「こいつは……こいつはなあ、こともあろうに」
 きっと眦を吊り上げ真っ向から灯足のことを指さして、雅は弾劾のことばをつきつける。
「俺の弁当の、最後に大事にとっといた鳥カラを食いやがったんだッ!!」


 …………ああ。
 空が青い。




 仲裁むなしくふたたび取っ組み合いの喧嘩になってしまうともう織葉には手が出せない。
「すすす、すいませんこれ借りますっ」
 全力疾走で一階の保健室まで行って救急箱を借り受け、何度も転びそうになりながら屋上にとって返すと、うだるような校舎内の暑さも手伝ってそれだけでもう全身汗みどろになっていた。
 騒ぎを聞きつけ、すでに下の階にいた生徒たちが集まりはじめている。制服の集団をかき分けてどうにか屋上に這い出ると、まっさきにその惨状が目に入った。
「お、遅かった……ッ」
 今にも死にそうな息の下で床に突っ伏す。
 屋上を囲む鉄製の手すりは、今はその用をなさないほど大きく曲がっていた。どうやって作られたものか、ウォークトップのあちこちにクレーターめいた穴があいており、その上に点々と不吉に赤黒い血が続いている。事情を知らなければ、どこの怪獣が暴れたのかと織葉だって思っただろう。
「灯足、ミヤ先輩っ」
 その中心にはこの騒動を引き起こした張本人のふたりがいる。

 いい加減暴れ回って力尽きたらしい雅と灯足は、ぐったりとひしゃげたバスケットのゴールにもたれかかって座っている。
「……おう、織。俺の勝ちだぜー」
 ひらひらと手を振りながら灯足が、少しも反省していない声のまま、腫れあがった顔でそんなことを言う。その脇から雅の手がへろへろと伸びて、灯足の耳をピアスごとひっぱった。
「あでででっ。ミヤ、ちぎっ、耳ちぎれるっ」
「誰が勝ったって? ん?」
「すいません本当はドローです」
「……どっちだっていいですよそんなの……」
 自分のいない間になにがあったのか知りたくもないが、いつのまにか両者のわだかまりが解けていることだけはどうやら察せられ、心から脱力しながら織葉は溜息をついた。
「手当てしますから。怪我見せてください」
 どうやら肝心な騒ぎはもう終わってしまったらしいと、野次馬たちが気づいて階下へと戻っていく。
 キーン、コーン、と、昼休みの終了を告げる予鈴が遠く聞こえてきた。
「……ああ、貴重な休み時間が」
「午後の授業、どうします?」
「たりいからフケる。昼休みなのに、殿のおかげで全然休めなかったしよ……」
「こっちの科白だっつのそれは」
「も、もうやめてください、喧嘩」
 血のにじんだ雅の拳に湿布を貼りながら、織葉が怯えた声を出した。
「心配しなくてももうそんな力出ねえよ……今ので食った昼メシほとんど消化しちまったぞ俺は」
「俺も。あー腹減った。あちーし」
 心底力の抜けた声のふたりを前にして、織葉はそもそもこの騒動に巻き込まれて昼食を食べ損ねたのだと、しかし言い出せなくて口をつぐむ。言ったところで何にもなるまい。
(せっかく購買まで行ってお昼を買ってきたのに……)
 兄たちと食べようと屋上まで出かけたのが、思えば運のつきだった。ちょっと遠い目になりかけて、そういえばと思い出す。

「そ、そうだ。僕、購買部でパン買ってきたんです。こ、これあげますから、仲直りしてくださいっ」
 ずっと手に提げていたビニール袋から、購買部で人の荒波にもまれながら死ぬ思いで買ってきた焼きそばパンを差し出し、織葉はけなげにも講和を申し出た。
 それがまさか後輩のなけなしの昼食だとは思わないまま、雅と灯足はそれを見下ろして一瞬顔を見交わした。数秒の間、視線だけで複雑なアイコンタクトが行われる。
 両者のあいだで意見はすぐにまとまったようだ。

「……いやいや。悪かったな織。ほらもう仲直り」
 一転してにこやかに笑い、雅はわざとらしく灯足と肩など組んでみせた。
「何言ってんだよミヤ。そもそも喧嘩なんてしてなかったよなあ俺ら」
 ふざけてただけだって、うん。
 一点の曇りもない笑顔で灯足が言うと、年長者ふたりは顔を見合わせて「なーっ?」と仲良く声をかけあった。
 食い意地のためにはプライドも売り渡す、それが育ち盛りのあかしであった。
 しかしそんな演技過剰には欠片も気づかず織葉は心底胸を撫で下ろす。
「よ、よかった……」
「心配かけて悪かったな織。そんじゃいただき……」
 焼きそばパンに伸ばされた二人の手が、しかし和解のための獲物がひとつしかないのに気づいて惑う。

「……織、こいつの分は?」
「……織、こいつの分は?」

 示し合わせたようにぴったり息を合わせまったく同じ科白を吐いた雅と灯足が笑顔のまま待ち続けても、残念ながら和平の焼きそばパンはいつまでもふたつに増えることはない。
「……この場合、元凶の殿が譲るべきだよな? 鳥カラ食ったんだから、これは俺が食うべきじゃね?」
「体小さいほうが燃費がいいんだぜ? より飢えてるほうに回すべきじゃねえの?」
 目の前のふたつの顔にふたたび険悪なムードが漂う。
 まさか、このような事態を招くとは。なすすべもなくゆらりと立ち上がったふたりを前にして、織葉は自分の昼食抜きがまったくの無意味であったことを知った。

 こうして、また、ふりだしに戻る。