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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


待ち人は満開の桜の下に

【壱】

 囁かれるように噂は漂う。密やかな風の隙間を縫うようにして、電子の海を彷徨うようにひっそりとただ緩やかに言の葉に還元されて人から人へと渡り歩く。尾ひれを付けられ、飾り立てられ、いつしか虚構と成り果てながらその根底には真実が深く息づいている。
 インターネット上の掲示板という場所はそういうものが集う場所。ゴーストネットOFFともなれば、そうしたものが自ずと集まってくる場所であるということは云わずとも知れていた。だから多くの記事が書き込まれ、一つのスレッドが長く伸びていくのだろう。その長さの分だけ噂は脚色される。そしてその長さが途絶えた時、噂はひっそりと人の手を離れ、言の葉に乗って再度現実の人々の唇へと戻っていくのだ。
 凪塚響夜は仕事先でよく出会う葛城夜都によってもたらされた言の葉を頭のなかに整然と並べる。
 季節を問わず満開になる桜の木。
 それを見たものは死に至る。
 原因は不明。
 ただ密やかな都市伝説として息づくにはあまりにもリアルな事実が付き纏っていることを除いては、社会に蔓延する噂の一つにすぎなかった。多くの噂がそうであるように人が死ぬ、ということが現実であることは滅多にない。噂と不幸とを結びつけて、無理矢理関連を持たせようとするものばかりが噂であるといっても過言ではない。
 しかし今回響夜の元に寄せられた噂には、そうした秘密めいた香りの奥にひっそりと息づく現実が潜んでいるような気がした。人間が見ることを忘れてしまっている現実の一端。それが確かに息づいていると、響夜は夜都の唇から紡がれた言の葉から感じていた。
 細く、静かに夜風が吹き抜ける。
 さわさわと揺れるのは緑の葉真昼の陽光の下で見たならば、きっと鮮やかな緑色をしていることだろう。鬱蒼と茂る緑を見上げて響夜は思う。しかしひっそりと夜の闇に染み出す気配を見逃しているわけではなかった。
 ひっそりと人の心の隙間に忍び込んでくるような甘やかな気配。それは静かに夜の闇のなかに染み出して、心の奥深くへと密やかな魔の手を伸ばしてきているかのようだった。
「厭な空気ですね……」
 隣に立つ夜都がぽつりと呟く。誰かに向けて発した言葉ではないようで、夜都も響夜と同じようにして桜の木を見上げたまま何かを日常とは切り離された気配を感じているようだった。
 細く吹き抜けて行く風が妖しい雰囲気を辺りに漂わせている。静かな死の気配と虚ろな淋しさ。どこにも理由は見当たらず、ただ密やかに気配だけを辺りに漂わせているだけだ。これだけなら何も害はないものの。そう思いながら今夜も花は咲くのだろうかと響夜は思う。
 そしてふと気付く。
 何故ここに来たのだろうかと。
 何かを確かめたくてここへ来たということはわかる。しかし何故、夜都も共にここにいるのか。本家から暗殺業の指示があったわけでもなく、特別外へ出ようと思っていたわけでもないのだ。それが夜都と示し合わせたようにして今ここにいるのかわからなかった。ただの好奇心で動くほどの幼さを自分が持ち合わせているとは思えない。そしてそれは夜都も同じだろう。そんな幼さはいつからか失われ、まるで人形のようにして生きるようになっていたのだ。生きることの重み。それさえも操る人形のごとく軽く、取り留めのないものである。
「何故、ここに来たんだ」
 思いついたままの言葉を音にする。
 すると夜都は何故そんなことを訊くのだといったような体で響夜へと視線を向ける。
「特別、仕事があったわけではなかろう」
 冷ややかな響夜の口調にも仕事先でよく顔をあわせる夜都は慣れている。だから特別気に留めることもなく、答えた。
「そうですね。特別何があったわけではない。誰か頼まれたわけでもありませんしね」
 短いやり取り。
 沈黙。
 二人が示し合わせたように伏せた目のその視界の端を不意に白い花弁が過ぎていく。
 当時に桜の木を見上げると満開の桜。淡い紅色が月の光を浴びて白く輝いている。風が花弁を散らす。今はもうどこにも緑の葉の影はない。ただ満開の桜の花が、二人の視界を埋めているだけだ。
 響夜はただの桜ではないということにその光景を目の当たりにして漸く気付く。
 想いの残滓とそれに巣食う貪欲な妖の気配。
「呼ばれたのか……」
 響夜がぽつりと呟くと不意に視界が満開の桜に支配された。

【弐】

 愚かしいほどの口論。女の喚き声。男はそれに辟易しているといった体で不貞腐れたように俯いている。白い指が闇のなかから伸びていく。女の細腕で何ができるというのかといった様子で顔を上げた男の目には恐怖。
 愚かしいことだと思って響夜は嘆息した。
 痴情の縺れ。
 よくあることだ。
 独占欲と嫉妬心。何がそれほどまでに相手に固執する必要があるというのだろう。一人では生きていけないというのは錯覚に過ぎない。一人でも生きていくことはできない。生きているだけなら誰にでもできることなのだ。それを断ち切るか、断ち切らずに続けるかは本人が決めること。それを忘れて人の生死に手を出すことほど愚かなことはない。
 だから利用されたりするのだと響夜は思う。
 満開の桜の下で繰り広げられる虚ろな芝居。
 幾度繰りさえてきたかわからない殺人の光景。
 男は地面に倒れ、女と呼ぶには幼い少女がどうしたらいいのかわからないといった体で立ち尽くしている。
 ―――私、本当に愛しているのよ。
 声が響く。舞い散る桜の花弁の隙間から細く、哀れな声が響いてくる。常人ならそれに心動かされたりするのだろうが、響夜の心には僅かな動きさえも与えない。ただ愚かだと思うばかりだ。
 ―――待っているのに、どうして来てくれないの?
 まるで自身の恋人ではなく目の前の響夜と夜都に云っているかのようだった。
 身勝手なものだ。自らの手で殺めておいて、何を今更待っているのだというのだろうか。
 ―――ずっと、ずっと待っているのよ。早くここに来て……。
 どんなに待ち続けていても殺した相手が来るものか。
 思いながら響夜は云う。
「どんなに待ってもお前の恋人は来ない」
 冷徹に放たれた言葉に少女が響夜に視線を向ける。人の形をしていてもそれが妖であることに響夜はもう気付いていた。利用されているだけだと気付くこともできない愚かな妖。人間であればやり直すこともできたであろうにと皮肉を込めて思う。
「自らの罪を忘れて待っているなどとふざけたことを云えるものだな」
 ―――私が何をしたというの?
 初めから自身に罪などないと断言するように女が云う。
 ―――私はただここで待っているだけよ。
 その言葉に響夜の傍らで静かに二人のやり取りを見つめていた夜都が口を開く。
「愚かな。殺したのは自分自身だろう。その相手が何故ここに現れるというのだ。待つは無駄かと己の心に問えば良い。歪が誠を教えてくれたろう」
 そしてさりげなく続きを促すように響夜に視線を投げた。
「忘れているだけであろう。ならば教えてやろう。保身のために忘れた記憶、はっきりと思い出すがいい」
 冷たく云い放つと響夜はその躰から淡く金色の炎を紡ぎ出すように召喚に、少女が喪失していたであろう過去の記憶を突きつける。それがいかに残酷なことであろうとも、現実であることに変わりは無い。響夜が思えば思うほどに少女が喪失していた記憶は明瞭なものになり、それまで何故自分がといった体で哀れみを誘うようにしていた少女の顔が強張っていく。
 人を殺しておいて、その記憶を喪失したというだけで安穏とした生活を送れると思うとは愚かなものだ。
 どうして人はこんなにも愚かになれるのだろうか。
 思う響夜と同じようなき持ちで夜都も傍らでそれを見ているのだろう。その双眸には哀れみどころか、憎しみにも似た思いが滲んでいる。身勝手な衝動を責めるような思いは二人が今、共有している紛れもない一つの感情だ。愚行。相手を思いのままにできなかったゆえに衝動に従ったという現実は紛れもない愚行である。他人を居のままに操れるなどという浅はかな考えをどうして人は持つことができるというのだろう。愛しているから、大切だから、憎んでいるから、そうしたものは利己的な思いが根底に潜んでいるだけの自己本位なものでしかない。相手のことを考えて云ったという言葉でさえも、そうなのである。
 人は世界に生まれ落ちた時から一人だ。
 そして一人であるからこそ他人を自らの意のままに操ることなど不可能なのである。
 金色の紡ぎ出す忘れ去られていた過去の現実。
 少女の姿が歪む。
 それはその姿が二人を幻惑するための果敢無いものであったことを告げる合図だ。
 ―――どうして…、私は人を殺してなんかいないわ。信じて……。
 消えかけながらも少女は希うような響きの声で云う。
 ―――裏切ったのはあいつのほうよ。私は悪くないの……。お願いよ、信じて。
 縋るような双眸には涙すら浮かんでいる。
 しかし響夜にも夜都にもそれは虚ろで下手な演技としてしか捉えることができなかった。本質はそこにはない。自らの罪を忘れることで作り出した悲劇で人を誘惑し、死に至らしめる。憐憫の情で人の心に訴えようとする愚かさに吐き気すら覚えるほどだ。
「まだ現実がわからぬか。おまえが此処に居る必要などどこにもない」
 その言葉が合図だとでもいうように不意に強い風が吹きぬけた。満開の桜の枝が揺れ、桜吹雪が二人の視界を閉ざす。その風に攫われるようにして掻き消える少女の姿。風に混じるのは細い嘆きのような、悲鳴のような鋭利な声だった。けれどそれも風がおさまると、当然のように溶けて消えていった。
 そしてその後に浮かびあがったのは、淡紅色の着物を纏った銀髪の女とも男ともつかない中世的美貌を持つ現の世界に潜む妖の姿であった。風に揺れる細い髪に桜の花弁が纏わりつく。それが美貌を際立てる。蒼白い容貌を際立てるまるで鮮血で彩ったような薄い唇。そこには残忍な微笑が浮かんでいる。
『おまえたちは、ただの人ではないんだね。―――惜しいことをしたものだよ。おまえたちを喰えたならあたしはもっと美しくなれただろうにね』
 唇が言葉を綴る。
 冷たい声は満開の桜の美しさには似つかわしくない残酷な響きで二人の鼓膜を震わせる。
『あたしの持ち駒を消してしまうなんて、まったく面倒なことをしてくれたもんだよ』
 長い爪に飾られた細い指先で顔に纏わりつく髪を払って、妖は笑う。持ち駒と云い放つ声には潔さどころか、総ての人間を愚かなものだと嘲っているような響きがあった。
『まぁ、良く働いてくれたからあたしもこうして人の形でおまえたちの前に立てるのただけれどね。その辺は感謝してやらなければあの愚かな女も報われぬだろう』
 心にもないことを簡単に口にすることができるものだ。人の弱みにつけこみ、それを利用する。狡猾な妖の心理をわからないでもなかったが、人を殺しすぎた妖は許されようがないだろう。
「どうする?」
 妖に視線を向けたまま響夜が夜都に問う。
 答えの代わりに腰の刀に手を伸ばし、ふと誰が許し誰が罰するのだろうかと夜都は思う。常に抱き続けている自らの疑問。答えなどでないことは初めからわかっている。けれど眼前にそれを突き出されて、答えを迫られているようなこの状況においてそれを簡単に振り払うには躊躇いがあった。
 柄を握る手の力が緩やかに解けていくのがわかる。
 まるでそれを見抜くようにして妖は二人の上に花弁を散らした。
 しかしそれは淡く、果敢無い淡紅色の柔らかなものではなく鋭さを持つ刃のようなものだ。咄嗟に響夜がそれを振り払い、刹那反応が遅れた夜都の頬に鮮血が滲む。
「愚かしき者は滅するまで」
 夜都が呟くと、響夜は自身の役割はこれまでと思って一歩引いた。

【参】

 漆黒の鞘から姿を表す白銀の細身の妖刀。眼鏡の向こうの銀の瞳には鋭さだけが宿っている。漆黒の黒装束の裾を揺らして、夜都は一歩を踏み出す。白い指先で頬に刻まれた傷をなぞり、自身の鮮血のついた指先で下唇をなぞる。そして妖に向けた視線は手にした白銀の妖刀の銀にも劣らぬ鋭さで満開の桜の木の下に佇む妖に向けられた。
「殺しすぎた己を呪うがいい」
 軽やかな跳躍。
 魔を滅する刀を振るう。
 罪を罰する資格が自身にあるかどうかなどはわからない。
 けれど今は、切り捨てる他ない。
 思って、振り上げた夜都の目の前で妖が笑う。
『おまえにあたしを罰することができるのかい?』
 その言葉にふと手が止まる。
『おまえがあたしにしようとしていることは、あたしがしてきたことと同じだとは思わないのかい?』
 振り上げている腕が震えるのがわかる。
 冷静沈着である筈の自分の心が揺れているのがわかる。
 不意に頸筋に走る鋭い痛み。
『切り付けられて痛みを覚えるのはあたしも同じ』
 妖の鋭い爪が夜都の頸筋の皮膚を切る。
『殺しすぎた己を呪うのはおまえも同じであろう』
 言葉に今の自分が隙だらけであることに気付く。らしくもない。思う心とは裏腹に後退さる自分がいる。刀の重みがそれ以上の何かを訴えるかのようにして夜都の手に圧し掛かる。一体いくつもの魔を狩り続けてきたことだろう。大義名分は自分のためだけではなかったのだろうか。実の父親の食事のためと思ったの行動はただの云い訳にすぎなかったのではないだろうか。
 迷いが行動を鈍らせる。
 妖の艶かしい笑みが嘲笑に見える。
 縋るように響夜に視線を向けると、彼は一つ深く頷いて云った。
「愚かしき者は滅するまで。―――今は妖に惑わされず己を信じる他あるまい」
 響夜の言葉に背を押されるように、夜都は刀を握る手に力をこめた。そして躊躇いもなく切り込んでいく。振り上げた刀に月の光が鋭く反射する。手に、腕に感じる樹木を切り倒す手ごたえ。満開の桜の花弁が波のように押し寄せてくる。悲鳴もなく、妖は最後の時まで艶かしい笑みを浮かべていた。
 ―――我、愚かなり。そして人もまた愚かなり。無限の闇を恐れぬ者などこの世にはおらぬ。
 風に攫われる刹那に残された言葉に、夜都はやりきれなさを感じる。それは響夜も同じであったようで、振り返った先で小さな嘆息が漏れる気配がした。
 いつものように残骸となった妖の傍に紫黒が走り寄っていく。
 正義などどこにもない。悪さえも、本当にそこにあるのかは定かではない。それは響夜自身がよくわかっているのではないだろうかと、夜都は思う。
「己を責めるな。……矛盾の上に生きるほかないのだ」
 肩に置かれた手。
 冷たさばかりのそれが、今は救いを与えてくれる温かなものに感じられた。
「我、愚かなり。そして人もまた愚かなり。無限の闇を恐れぬ者などこの世にはおらぬ」
 ぽつりと呟かれる言葉。
 妖を切り捨てたばかりの白銀の刀を漆黒の鞘に収めて、響いた金属音にやりきれなさばかりだと夜都は思う。響夜が妖が遺した最後の言葉を繰り返したのもそれを感じたからなのかもしれない。
 我、愚かなり。
 それは人の言葉であり、感情を持ち、自己を持つ者総てに向けられた言葉なのだろう。
「果たして人とはなんであるのだろうな。利己心の塊だというのに、時に幸福な現実を見せる。その矛盾こそが残酷の根源のように思えてならぬ」
 妖の残骸を喰らう紫黒を眺めるでもなく眺めながら響夜が云う。
「凪塚さん……」
 呟いてみたが、続ける言葉が見つからなかった。
 それはあまりに痛々しい表情で響夜が喰われていく妖の姿を響夜が見つめていたからだ。
 人は矛盾の上に生きている。
 罪も罰。
 与える者と与えられる者。
 それは矛盾によって判別され、時代と共に移り変わっていく。それを許容し続けることに疑問を覚えた時が悲劇の始まりなのだろう。
 恋人を殺した少女。
 それは確かに罰せられる対象になるのかもしれない。
 その少女の想いを利用した妖。
 それもまた罰せられる対象なのだろう。
 けれど果たしてそれが真実であるのかといったらそうではない。いつしか立場が逆転する日が来ないとも云いきれない現実。その中で響夜も夜都も生きている。見えない法に支配されたそのなかの世界で、今は生きていくしかないのである。
「ここで我らに逢ったが貴様らの不幸と知るがいい……」
 呟いた響夜の言葉が虚ろに響く。
 月はいつしか雲に隠され、辺りはいつしか静謐な闇に包み込まれていた。
 一つの事件が終わる。
 しかしそれはあくまでも一つの事件の終わりなのである。
 これからも同じように矛盾を孕んだ出来事がこの世界のどこかで続いていくことだろう。
 思って二人は一つの終焉を共有した。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1710/凪塚響夜/男性/15/人形師兼暗殺者】

【3183/葛城夜都/男性/23/闇狩師】



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■         ライター通信          ■
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この度はご参加頂きまことにありがとうございます。沓澤佳純と申します。

>凪塚響夜様。

初めまして。沓澤佳純と申します。
書いていて清々しいというか、冷徹な雰囲気でありながら冷静に世界を見通されている方なのではないかと思いながら書かせて頂きました。凪塚様の背景に軸を置いて書いていたら実年齢よりもひどく大人びた雰囲気になってしまったのですが、少しでもお気に召して頂ければ幸いです。

>葛城夜都様。

二度目のご参加ありがとうございます。
め、眼鏡…!と前回も思ったのですが、眼鏡好きの私なもので眼鏡にはつい愛を感じてしまいます。(苦笑)
そんな私の趣味はさておき、今回もまた楽しく書かせて頂きました。
凪塚様との関係が上手く書けていればと思います。


凪塚様、葛城様、この度のご参加本当にありがとうございました。
少しでも私の作品がお気に召して頂ければ幸いです。
今後また機会がありましたらどうぞ宜しくお願い致します。
この度は本当にありがとうございました。