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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


『What a Wonderful City』

 夕暮の甘さなど認めず、真夜中の闇が口を開けて待っているような街だった。
少年が遊ぶには、もう数年待たねばならぬような歓楽街だ。耳鳴りがしそうな雑踏の喧騒を、彼は早足で通り抜ける。居酒屋の呼び込みも風俗の客引きも、坊や然とした17歳を引き止める無謀はしなかった。
守崎啓斗(もりさき・けいと)はリーバイスの尻からメモを引き出し、落書きのような地図を確認した。緑の瞳を、少し細める。この辺りから、枝道に入るようだ。
目的のビルは一目でわかった。工事用のビニールシートがてっぺんから下がり、ごついロープが張り巡らされている。劇場の緞帳(どんちょう)に見えなくも無い。いいだろう、これからショウの始まりなのだから。
半月前のニュースは啓斗もTVで見た。深夜の雑居ビル火災で5人死亡。死者を悼む言葉より、消防法やビル管理について多く語られた事件だった。
啓斗は、するりとシートの中に入り込むと、草間から受け取っていた鍵を取り出す。その雑居ビルのスチールドアの鍵だ。横のシャッターは煤けた瞼をさらして、堅く目を閉じていた。ガチャリと鍵が回り、幕の上がる音がした。
ドアが閉まると、外の騒がしさは嘘のように遮断された。中は未だに焦げた臭いがする。啓斗はリュックから懐中電灯を取り出した。丸い輪の中に、室内が映し出される。1階はエレベーターフロアだけで、店は無いようだ。出火は5階だったので、壁やエレベーターに煤がこびり付いた以外、荒れた感じはしない。
当然電気が通じていないので、エレベーターを素通りし、奥の非常階段へ向かう。ここの扉は入口の物より更に重く、足を踏ん張って開けねばならなかった。中は、剥き出しのコンクリートが上へと続いていた。

「草間のヤロー!口で止める程度じゃ『強く止めたんだが』とは言わねーんだよっ!殴るとか縛るとかしとけよ」
 繁華街の入口で、YAMAHAのXJRは停止した。メットを外した少年は、啓斗と同じ顔。ただし、色違いの青い瞳だけは、活発で直情な性格そのままに、さかんに瞬きをくり返す。
草間興信所に『打合せ』に行っただけの双子の兄が、夕食の支度の時間になっても帰宅しない。
『すまん、北斗。危険だから、応援を集めてからと言ったんだが。まあ、俺が、口を滑らしちまったんだ、"人の多い場所なんで、惨事が起こる前に処理はしたい"ってな。で、啓斗はその足で向かっちまった』
北斗は受話器を叩きつけて切った。草間では無く、自分の身を大切にしない兄に腹が立っていた。
ビル解体業者からの依頼で、不審な事故と怪我人が続き、『出る』と言うので作業員が気後れし、『見た』と言う者もいて、作業がストップしていると言う。
世間知らずの兄は、わかっちゃいない。怖いのは、火事で死んだ奴らじゃない。こういう街の障気を知らないのだ。

階段は特に不審な事は無かった。啓斗は懐中電灯で先を照らしながら進んだ。ヤニで黄ばんだ壁が5階まで続いていた。火事と言ってもそう燃えたわけでなく、亡くなった者達は煙にやられた。煤で汚れた以外、どこかが崩れているようなことはなかった。
5階の非常扉を開けた途端、その『気』を感じた。プラスチックが溶けたような、頭痛を催させる臭いが充満している。手元の灯をフロア中に巡らす。
安っぽいパブの外装は焼け落ちて残骸しか無かった。木枠のドアは外框だけがかろうじて残る。ガラスと木枠で飾られた入口の壁は、素通しになり、木枠は炭のように真っ黒になっている。滲みだらけの真紅の絨毯には、ガラスの破片や焦げた天井板の破片も散らばっていた。事故の後に警察も保険屋も入り、掃除は終わっていると聞いていたが、その後にもぼろぼろと少しずつ崩れているのだろう。
店内は、縦長の20畳ほどのスペースで、テーブルが2つとカウンター10席ほど。背の高いスツールが並んでいる。背後の棚には、かつてはグラスや酒瓶が並んでいたのかもしれない。
「きっと、渋いバーテンか綺麗なお姉さんがそこに立ってたんだろうな」
 その瞬間、右手に衝撃があった。手元の灯が絨毯に落ち、天井を照らした。
 あっと思う間も無く、右脇腹を何かが掠った。触れるとシャツが切れていた。
啓斗は懐の小太刀を素早く構えた。そして、隙を作らぬよう気をつけながら、左の手の甲を軽く切った。暗転だが、出血する程度に傷口が出来たのはわかった。
「来い!」
 啓斗は意識を集中し、左手を掲げた。彼は傷口を『門』にした。ヤツは、血の匂いをめがけて突進してきた。

北斗は、レースゲームでもするように、人をうまく擦り抜けて走った。メインストリートは、正面で下卑た劇場が猥雑な笑みを漏らす。居酒屋の角を右へ。看板を持った宣伝のオヤジとぶつかりそうになり、怒声を背中に浴びて左へ折れた。
欲と血と金が渦巻く街。喧嘩で殴った刺されたは日々普通の出来事って街だ。『処理』された組の下っ端の血も、ヤク中で行き倒れた娼婦の反吐も、ここのアスファルトに全部吸い込まれ、街自体が怨念の怪物になっている。北斗は、ナイキの底でその灰色の道を踏みつけ走った。チラシを差し出す手を振り払い、柄スーツ男のアタッシュケースの角で手に痣を作り、でかい白人の肩にぶつかり英語で無い言葉で怒鳴られながら。

『ヤツ』はノブを回すことはできないようだった。啓斗は非常ドアに体を預け、コンクリートの階段に座り込んだ。ドスンと時々ドアに体当たりはしてくるが、スチールのドアは暫くは破られることは無いだろう。
左の二の腕の血はまだ止まらない。右足首の靱帯もヤバかった。
ここで死んだのは5人と聞いていた。あの6人目は、何だ?ケタ違いに強い。吸い込んだ5人を祓ってからでなければ、あいつを招き入れるのは無理だ。飽和状態だった。今『門』を開いてあんな強力な奴を入れると、命取りになる。だが、啓斗の血の匂いで興奮したヤツは、啓斗を追って来ていた。
 足を痛めた自分がここから逃げるには、階段を尻をついた態勢で、両腕で支えて降りて行くしかないだろう。だが、この左腕ではそれも無理な話だ。痛みと出血で、気が遠くなっていた。
 北斗は、夕飯は食べただろうか。今夜は、銀鱈の西京漬けと菜の花の芥子和えを作る約束をしていたのに。キッチンテーブルで待ちくたびれて、茶碗を箸で叩きまくっているかもしれない。
「俺、バカかも」
 大きな被害が出る危険があるというので、草間の忠告も聞かずやって来たが。大勢を守るどころか、一番大事な弟さえ満足に守ってやれない。
北斗は、悲しいと怒る。悲しみを怒りに変えて怒鳴り散らす。ハラが減って怒っているのは、物悲しい気分を払拭したいからなのだ。
 啓斗は、殺すのも、助けるのも。かつては仕事だからやっていた。人の命が『大切だから』助けたいなんて、以前は思ったこともなかった。
『あの頃は、自分の命もどうでもよかったからな』
 でも今は、弟や、周りの皆との生活に、胸が痛いほどの執着があった。皮肉なものだ。やっと、死にたくないと思い始めた人生なのに。今ごろ死神に腕を引っ張られるなどと。
 ドアにヤツの強い衝撃があり、もたれた啓斗の体はバランスを失った。右手で壁を抑えたまま、意識が遠のいて行った。
「おいっ!」
 声と同時、シャツの胸ぐらを強い力で掴まれた。懐かしい声にはっと顔を上げる。
「こんな所で独りで死にかけてんじゃねーよ、馬鹿兄貴がっ!ああもう、むかつくったらねえぞ!」
「北斗・・・」
 北斗の怒りは、いつも悲しみだ。闇に慣れた啓斗の目に映ったのは、青い瞳に張った涙の膜を震わせながら怒る、北斗の顔だった。
「草間から聞いたよ。ハラ減ってんだ。早く片付けて、メシ作ってくれよ!」
 啓斗は、自分の唇が笑みの形を作っていくのを感じた。
「そうだな。・・・まず、俺の中の5人を祓ってくれ。湯葉のお吸い物もオマケで付けるから」

 そうして6人目を無事に片付けた双児は、雑踏を抜けてやっと北斗のバイクまで辿り着いた。腕から流血し、足を引きずりながら肩を借りる少年がいても、この街では決して誰も振り返らなかった。ここでは日常茶飯事の出来事なのだから。
「やっぱ、いくらハラ減ってても、先に病院だよなあ」
「いいよ、血はもう止まったし。深夜だから救急病院じゃないと受け付けてくれない。病院を探すのも面倒だ」
「大丈夫、この辺は多いんだよ、そういう病院。深夜の急患が多いからな。外国人用の病院や闇医者なんかも多い」
「北斗・・・」
「ん?」
「何故、このあたりの事情にそんなに詳しい?」
「えっ」
 兄の詰問に北斗はフリーズした。瞬きさえも止まってしまった。
「まあいいか」
と啓斗は苦笑する。
「18歳未満だってこと、忘れるなよ。俺、ヤだからな、補導された北斗を引き取りに行くの」
「そんなヘマはしないってば。足、平気?後ろに乗れるか」
北斗は、一つしかないヘルメットを啓斗に差し出す。
「北斗はノー・ヘルでいいのか」
「だから、捕まるようなヘマはしないってば。行くぜ」
北斗が、ゆっくりと夜の街にバイクを滑り出させた。
啓斗は北斗の腹の前できつく指を組む。何かの誓いのように。祈りのように。
胸に触れる北斗の背中が温かかった。
<END>