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喜びと不安と…愛おしさと
その日、ウィン・ルクセンブルクは体調に異変を感じていた。
それはGWに入る少し前の事。
思い当たらない事がないわけではない。
1月に卒論をだしてから、いつ子供ができてもいいと思っていた。
ウィンは不安と期待が入り交じった思いを抱えながら、仕事を終えた後、ホテル近くのレディースクリニックへと訪れた。
レディースクリニック、と銘打ってあるが、産科、入院施設もある為、喧噪に包まれている。
そしてウィンが自動ドアをくぐって中に入った途端、その喧噪は一瞬やんだ。
不思議な雰囲気が流れる。
しかしそれはまたすぐに先ほどまでの雰囲気に飲まれた。
…否、先ほどまでとは少し違っていた。ちらちらとウィンを見るものが多数いた。
直接的な視線を浴びせてくるのは純粋な子供の好奇心。
月の光を紡いだような金糸の髪に、クールのように見えて、しかし暖かみを持つ青の瞳。なにものにも染まらぬ透き通った白い肌。
日本人の中にまざるとなお一層その容姿が目立つ。
しかしウィンの方は我関せず。目立つ事になれているのか、興味がないのか、わかっていないのか。……一番最後はあり得ないだろう。
「25番 ウィン・ルクセンブルクさん。中待合室でお待ち下さい」
呼ばれて立ち上がり、モデルさながらのウォーキングで歩いていく。だがその足にはかれている靴はヒールの高いものではなく、ほぼペタンコである。
中待合室に入ると、検診に来ていたのあろうか、まだ新生児、と呼ばれる赤ちゃんと目があった。…正確にはまだ視力があまりないので、離れた位置に立っているウィンは白い固まりくらいにしか見えないため、視線があうことはないのだが…確かにあった気がした。
ポカーンとした顔でウィンを眺めるその様子に、知らず笑みが浮かび、自分の下腹部に触れた。
「ルクセンブルクさん、先にお小水とってきてもらえますか? 紙コップに名前を書いて、中に窓口がありますから」
言われてウィンは少し困ったような笑みを浮かべた。
でもそれは仕方のない事。すませてから再び待合室に入る。
呼ばれて今度は先生の前へ。最終生理などを問われ、内診台へとのぼる。
「……妊娠8週目ですね、おめでとうございます」
診察室の戻り、親しんだ女医の顔が笑む。
「でもまだ油断は禁物ですよ? ちゃんと赤ちゃんが育っているか確かめたいので、1週間後、また来て下さいね」
「はい」
小さく応えたウィンだが、その実それは条件反射の返事にしかすぎず、心は別のところにあった。
ウィンにも、そして彼にも父親はいない。新しい家族の存在に、背筋がぞくぞくっとする思いと同時に、体の中が暖かくなるのを感じた。
「えっと、それから」
と何か真っ黒なものがうつっている白黒の写真のようなものをデスクの上に置き、それをボールペンの裏でトントン、と叩いた。
「これがおなかの中の写真ね。ここにあるのが胎嚢(たいのう)。これが赤ちゃん。でもまだ小さすぎてほとんどうつってないのが正直なところ」
「あの、二つありますけど……」
「うん、それなのよ。双子みたいね」
「双子……」
女医の言葉を飲み込むように、ウィンは繰り返した。自分も双子である。それ故に母親からどれほど大変だったか聞かれていた。
嬉しさと、自分のそんな大それた事ができるのか、という不安。
「ルクセンブルクさんの場合、体型かわっちゃうかもしれないわね」
と苦笑しながら女医はいった。双子の子の場合、おなかがふくれるのもほぼ倍。いくら双方が小さいとはいえ、それはかなりの大きさになる。
「産むならきちんと職場に話をしてね」
それに「はい」と再び反射的に返事をした。
母子手帳が貰えるのはもう少し経ってから、と言われた。
多少の不安があるとはいえ、喜びと嬉しさを払拭するまでのものではなく。
ウィンは鼻歌まじりに買い物をしつつ、彼へとメールする。
しかし直接言いたいので「妊娠した」とは言わない。
『今日早く帰ってきてねv』と送信。そんなに時間待たずに『わかった』という返事がきた。
どのタイミングで言おうか、料理をしながら考える。
食べる前?
食べた後?
それとも食べている最中?
帰ってきてすぐに言うのもいいかな……。
玄関に診察券……おいておいてもわからないか、いきつけだしなぁ、と思考はとまらない。
だが家事にかなりされたウィンの手元に狂いはない。
魔法のようにテーブルの上に料理が並べられる。
そしてセッティングが終わった頃、彼の帰宅を告げる音が聞こえた。
ウィンの顔に自然と笑みが浮かぶ。それはいたずらを考えついた子供のようでもあった。
「おかえりなさい」
玄関の先には本当に急いで帰ってきたように、はぁはぁと肩で息をする彼の姿があった。
「た、ただいま……」
「あのね……」
くすっ、と笑いながらウィンは彼の耳元に唇をよせた。
後日。
「ただいまぁ♪」
「おかえり……また買ってきたの?」
困ったような笑みを浮かべるウィン。
彼の手には大量の荷物。
「これがベッドメリーで、こっちが小さな木馬。真っ白で綺麗だったんだ♪」
優しい青い瞳が歓喜の色を浮かべている。
「ベッドメリーならこの間買ってきたじゃない」
「でも、ほら、一つのものずっと見てると飽きちゃうかもしれないだろ? 二つくらいかえがないと」
言う視線の先にはすでにベビーベッドが二つにベッドメリーが飾られている。
生まれるのは12月。先の話なのに、すでに赤ちゃんがやってきたかのような装丁である。
「これじゃ12月までには私たちの寝るところがなくなっちゃいそうね」
苦笑。でもその瞳には彼と同じ色が浮かんでいた。
結婚式の日取りなどまだ決まっていないが、ドレスが着られるうちがいいかな、と考えながら食事の用意をする。
今から子供の名前やらなにやらに夢中になっている彼の姿を見て微笑み、ふとまだふくらみのかけらもないおなかをみた。
「元気に生まれてきてね、待ってるから」
そっと下腹部にふれて囁いた。
「……胎児にテレパシーって通じるのかしら」
くすっと笑ったウィンの顔は、多分今まで見た事がないくらい、美しいものだった。
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