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<東京怪談ノベル(シングル)>


ロツェラ




 “またパーティーに出席する”
 言葉を噛み砕いて、呑み込む。
 今度はお父さんと一緒に、パーティーに出る。
「そうだよ」
 お父さんが柔らかに言った。
「仮装夜会に、二人で出席するんだよ」
 ――今から家を出よう。そこに、迎えの車もくるから。


 お父さんに連れられて着いたのは、ある専門学校の前だった。
「どうしてここに?」
「支度を整えなければいけないからだよ」
 事前に話をしてあったらしい。数人の生徒さんに出迎えられ、道具の並べられた部屋に通された。
 訳がわからずにいると、生徒さんの一人があたしの耳元に口を寄せてきた。
「……あのケンタウルスはなかなかだったわよ」
 瞬時に頬が赤くなる。
(もう!)
 あたしの表情を味わった生徒さんは、作業を開始した。
 前回のことよりも、これから何のメイクをするのか教えて欲しいのにな――小さな声で文句を言ってみるが、生徒さんは聞こえないふり。
 それならばと、お父さんの方を見る。これから何の姿になる予定なのか、教えて欲しかったから。
 でもお父さんは何も言わなかった。代わりに、口元に静かな笑みを浮かべた。
 ――大丈夫だよ。心配しなくてもいい――
 お父さんにそんな表情をされたら、あたしは何も言えなくなってしまう。
「これを着てね」
 生徒さんから渡されたのは、薄い布に羽をたくさんはりつけたものだった。蛍光灯の光を受けて、羽が半分透けて見えている。
(鳥なのかな……?)
 視線は生徒さんに合わせながら、半分頷く。
「わかりました」
 硬そうな見た目とは違い、羽の細い毛ひとつひとつが指に柔らかく絡みついた。
 服を脱いで、翼の形をした袖に腕を通す。それは肌に吸い付いて――締め付けられている気さえする。
「三十分くらいで慣れるからね」
「はい」
 そろり。手を動かしただけで、くすぐったさが肌の上を走る。指部分が翼の一部になっているため、爪をたてることが出来ない。
(ひっかいて肌が赤くなるよりはいいかもしれないけど――)
 早く慣れるといいな。
 次に渡された衣類は、重かった。見るからに中国風のもので、赤を基調としたところに金で絵が描かれている。蛇――の一種なのだろうか。でも体の中央には長い翼がついている。
「柄も色もちょっといじっちゃった」
 いたずらっぽく笑っている生徒さん。
 仕上げは、お面。汚れひとつない白に、鳥をイメージしたのだろう、耳の部分にはやはり羽がついている。目の部分には、細い三日月型の穴が開いていた。
(こんな狭いところからちゃんと見えるのかなぁ)
 転んだりしないといいけど――。
「こっちは出来たよー」
 別の生徒さんの声。そっちを見ると、やっぱりあたしのような衣装を来たお父さんがあたしを見ていた。でも柄は虎だったから、きっと虎のイメージなのだろう。
 ――虎仙人みたい。
(色も黄色っぽいし、お面も勇ましそうだもん)
 お父さんのあちこちを眺めるあたし。それが面白かったのか、お面の向こうから、篭った笑いが聞こえた。
「みなもちゃん、こっちむいて」
 生徒さんがあたしの両の耳にお面の紐をかけてくれた。
「これで完成、っと」
 狭まった視界の中央に、生徒さんの顔がある。
「では、いってらっしゃいませ」

 学校を出ると、一台の車があたしたちを待っていた。
 ピカピカに磨かれて、夜のために黒の車体が一瞬一瞬光っている。
 外で佇んでいた運転手さんが、ドアを開けてくれる。中は広くて、あたし一人では居心地が悪い。
 嬉しかったのは、お父さんが先に入って、手で招いたくれたこと。お父さんは助手席に座るのかもしれない、と勝手に思っていただけに、落ち着いた。
 でも、お父さんのすぐ隣に座るのは気が引ける。気恥ずかしい気がしたのだ。離れてもいないけど、近くもない位置に腰を下ろす。
(どうしよう……)
 もっと寄ろうかな、どうしようか。今動いても変に思われないだろうか。
 ――トン、トン。
 お父さんが、座席をそっと掌で叩いた。おいで、というように。
 トン、トン。
「みなも」
 お父さんはあたしの名前だけ声に出した。
 その音の響きが、優しかったから。あたしは反射的にお父さんの肩のすぐ近くに自分の肩を置いていた。
 車が走り出してから、お父さんは雨雫が落ちるときのような静かな声で呟いた。
 ――気温が下がってきているね。今夜は冷えるかもしれない。


 ……お父さん、ここはどこ?
 ……さぁ、どこだったかな。

 白い、まるでお城のような建物。中央には丸い時計が付いている。
 ――ここの時計はずっと止まったままなんだよ、とお父さんは説明してくれた。
 幻影のように漏れる光の中で、小さな湖が揺れていた。ひっそりと静かに在る場所――時を止めているのは時計だけではないかもしれない。
(物語の中で、こんな城を見たことがある)
 おとぎ話の中に迷いこんだみたいだった。それも、お父さんとあたしの二人だけで。
 心細く、その分楽しくてたまらないような気持ちとは、このことだ。
 お父さんはあたしの肩に一瞬手を乗せて離し、先を歩き始めた。

 螺旋階段の上から、声が降りてくる。
 ――リャーーーアーー……スーーーーーウゥ。
 長く続く音。水飴を瓶から取り出すときのように、引き伸ばして、引き伸ばして……息継ぎを挟みながら、声は話した。
 ――リャーーアー……スーーーーウゥ。
 ――リャーア……スーーーウゥ。
 同じことを何度も言う。でも、音と音の間が短くなってきている。
 ちょっとずつ間隔を狭まっていった音が「リャア、スウ!」になったときだ。それまで聞いていただけのお父さんが、あたしの手を握って、声の方に移動する。
 話し相手は男の人で、あたしたちと似たような格好をしている。違うのは柄だけ――この人は龍の姿をしていた。
 戸惑うあたしに比べ、お父さんは落ちついている。
「ユィ」
 そう言って、あたしを紹介する身振りをした。
「ゥラ」
 男の人と握手をする。お面の間から笑みが零れている。この人の手は温かかった。
「これでいい。みなも、あとは下に降りて過ごそう」
 階段を降りると、女の人から葡萄を渡された。友好の印だという。
 翼になった手を使い、やっとの思いで一粒を口に入れた。種無し葡萄だった。
 水で洗われたばかりの、瑞々しい葡萄。食べきる頃には、羽の先が薄紫色に色づいて、小さな花のようになった。
 そこへボーイさんが来て、グラスを選ぶように言った。ほおずき色、コスモス色、ワインレッド、コバルトブルーの液体がそれぞれのグラスに注がれていた。
(コスモス色が綺麗かな)
 グラスを取ると、ボーイはその飲み物を指して「ロツェラ」と言った。
「その飲み物の名前だよ」
 お父さんが教えてくれた。あちらの言葉で“素直”という意味らしい。
 グラスに唇を当てて口の中へ流し込み、舌の上で味わう。チョコレートのようなベタついたのとは違う甘さがある。
(美味しい)
 ゆっくり飲み込んだ。
 何回か繰り返すと、舌が痺れてくる気がした。それでも飲んで、最後の一口をも終えてから気が付いた。
(これ、もしかしてお酒かも――)
 お父さんの顔が二重に見える。足がもつれた。お父さんがあたしを抱きとめる。
 あたしの顔の前には、お父さんの胸がある。体温と一緒に、熱っぽい匂いが鼻腔をくすぐった。
 ――優しい匂い。でもお母さんのとも違っていて。こういうのを男の人の匂いというのだろうか。
 あたしは自分の顔をお父さんの胸にうずめた。
「……ねぇ、お父さんの身長って、いくつ?」
「どうして?」
「あたしより高いんだもん」
 お父さんの胸が上下に動いた。微かに笑ったのだ。お父さんは、自分にもわからないというように首を横に振った。
「ごめん。いつ計ったのかも、憶えていないんだ」
「ううん」
 今度はあたしが首を振る番だ。
「どうしても聞きたいって訳じゃなかったから」
 声が上ずっていた。緊張していた。恥ずかしかった。
 酔っているせいかもしれない。お父さんとこんな風に話をしたことはなかった。
 気持ちを静めようと、お父さんの背中に手を回して強く抱きついた。何でもいいからお父さんと話がしたかった。
「お仕事、大変?」
 そうだね、とお父さんは返した。
「今年は、もっと家に帰ってこられるようにしたいね」
「……うん」
「みなもは?」
「あたしは――」
 口を開いたら、どんどん言葉が出てくる。友達のこと、勉強のこと、将来の悩み、お姉さまのこと、妹のこと、お母さんのこと……。
 お父さんはゆっくりと相槌を打ちながら聞いてくれた。……そう、そうなんだね、うん、それでみなもはどう思ったんだい……。
 話し終えたとき、お酒の酔いは大分引いていた。気分は高揚したままだったけど、お酒のせいで歩けないということはない。
「ここでは踊れるんだよ」
 お父さんが言った。
「踊る?」
 顔をあげたら、お父さんと目が合った。身体は熱っぽくて、白昼夢を見ているようだった。
 うん、と頷く。
 夢でも現実でも、この喜びは変わらない気がした。


 一泊して生徒さんのいる専門学校へ戻り、衣装を脱いでから家に帰る。これからお父さんは仕事らしい。
 お父さんはあたしの唇にいたずらっぽく指を当てて、昨日のことは内緒にしようと言った。
 確かに妹が聞いたら羨ましがるかもしれない。
 でも――あたしは微笑んだ。
「口を滑らせたら、ごめんね」
 そのくらい、楽しかったんだもん。

 お父さんが、驚いたような、照れて困惑したような表情を浮かべていた。



 終。