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<東京怪談ノベル(シングル)>


river end

 「さぁ嬉璃殿、どちらかを選ぶが良い」
 「は?」
 嬉璃は、唐突な源の申し出に目を丸くしつつも、源が差し出した二枚のカードのうち、右側のを選んで引き抜いた。それを表に返して見てみると、

    川

 と一文字だけ書かれている。
 「…なんぢゃ、これは」
 「おお、川か。承知した。では嬉璃殿、早速川に赴こうぞ」
 「だから、物事はちゃんと最後まで説明せい!」

 …そして、なんのかんの言いながら嬉璃が連れて来られたのは、あやかし荘から程近い一級河川の上流である。その道すがら、嬉璃は源から、今回の冒険の主旨を聞く事が出来た。
 「…伝説のおでんダネ?おんし、まだ諦めてはおらぬのか」
 「当たり前じゃ。これは、おでん屋台を営む者の宿命にして義務。努力を怠っては商売人として本郷家の名が廃ると言うもの、しかもここ暫く、おでん屋台の客足も遠退き、赤字とまでは行かずとも、満足いく収支は得られてはおらぬ。この危機を打開するために今必要なのは、幻のおでんダネを置いて他には無い!」
 「おでん職人とやらは、相当厄介な宿命を背負っておるのぢゃの…。それはともかく、客足が遠退いたのはおでんダネのマイナー化ではなく、ただ単に春になって暖かくなっただけだと思うがな」
 「……。そのような可能性もあるかもないかもマガモにアイガモ、あるかもしれんがないかもしれん、そんな事も無きにしも非ずんばずびずばー、ぱぱぱやー」
 「おお、カワセミぢゃ。誠に美しき羽根の色よのぅ…」
 「……。目論見どおりとは言え、入らぬツッコミと言うのは、げに哀しきものか…」
 ふ、と哀愁を帯びた表情で遠くへと視線をやる源の横を、鮮やかに無視をした嬉璃が、すたすたと早歩きで追い抜いていった。

 「ところで。おんし、矢鱈と大荷物ぢゃが、何が入っているのぢゃ」
 そう言って嬉璃は、隣で源が背負っているリュックを片手で軽く叩く。それは、登山用、しかも長期に渡る冬山登山でも使用に耐えるような、縦に長い大きなものである。大人が背負っても頭の上から飛び出すようなサイズのものを、標準体型とは言え六歳児が背負っているのである。当然、源の身長の倍程もあるような大きなものなのだが、それを源は実に軽々と背負っていた。その上、叩いた手の感触から、その中にはぎっしりと物が詰まっているようである。一体、何十キロあるのかと首を傾げる嬉璃に、源が笑ってその場でジャンプをし、リュックを背負い直した。
 「これか?わしはな、嬉璃殿。これまでに幻のきのこ、幻のキャビア、と大いなる自然の恵みと対決してきた。そのいずれも、残念ながら敗北と言う幕を引いたわけだが、その最大の原因は、対策日数の少なさだと思うたのじゃ。だから、今回は腹を据え、二泊三日ぐらいは覚悟の上で…」
 「待て。その覚悟は立派だが、それにしてはその荷物は多過ぎぢゃろう。…まさか、おんし……」
 「勿論、嬉璃殿の分も入っておるぞ」
 何を当たり前な、と言うような顔で源が嬉璃を見る。思わずがっくりと肩を落とし、嬉璃が溜息をついた。
 「おんし…そう言う事は、先にわしに言うべきぢゃろう…わしにだって都合と言うものが…」
 「何の都合があると言うのじゃ。あやかし荘で茶を飲み、昼寝をし、酒を呑み、管理人の娘や下宿人の雑誌記者を揶揄うのが嬉璃殿の仕事の全てではないか」
 「何を言う!わしにはTVショッピング鑑賞と言う、重大な任務があるではないか!」
 それを任務と言い切る嬉璃に、先程のおでん職人の指名を笑う事は出来ないだろう。
 そう叫んで憤る嬉璃に臆す事もなく、源はまたにやりと笑ってリュックの脇ポケットから何かを取り出した。
 「その辺抜かりはないぞ、ほれ。最新型のポータブル液晶テレビじゃ。なんなら、この後、これを嬉璃殿に進呈してもいいのじゃが?」
 「………。まぁ、いつもおんしには世話になっておるからの。たまには付き合ってやろうか」
 そんな嬉璃の返答を聞いた源は、嬉々として目的の清流へと向かった。


 「ところで、川へと赴いた理由は何ぢゃ。前回、前々回同様、何か目的があるのではないか?」
 上流へと遡る度に、川幅は狭くなり、岩も大きくなって足場は不安定になる。が、それにつれて川の水は清く美しく澄み、手を浸ければ凍るかと思う程の冷たさを湛えている。源と嬉璃は、岩から岩へと身軽に飛び移りながら、更に上流を目指す。
 「良くぞ聞いてくれた。前回、前々回の舞台となった場所を覚えておるかの?最初は山、次は海。と来ればその次は…」
 「……それだけの理由で、川に決めたのか」
 呆れたようにそう呟く嬉璃に、源は尖がった岩の上で器用に片足でバランスを取りつつ、チッチッと立てた人差し指を振った。
 「見縊るでない、その辺、ちゃんと事前調査は済んでおる。確かに、山、海と来たから次は川、と思ったがの。じゃが、考えてみれば川魚と言うのも、本物を求めようとするならば、市場では中々手に入らぬ贅沢な食材。岩魚!アマゴ!サツキマス!アジメドジョウに柳川鍋!」
 「そうそう、出汁の染み渡ったドジョウに溶き卵が程好く絡んで…って、それは川魚でないであろ」
 ていっと、嬉璃が裏手ツッコミを入れるが、場所が離れている所為で、ツッコミを入れる仕種だけになったが。
 「まぁそれはともかく。岩魚の骨酒は旨いじゃろ?と言う事は川魚の出汁と言うのも侮れんと言う事じゃ。それで考えたのは、幻のおでんダネと同時にげっちゅーしよう、これで他のおでんダネも一味違うね♪な幻の出汁カモン!…と言う訳じゃ」
 「…おんしの表現はともかく、主旨は大方理解した」
 「清聴、感謝じゃ。で、わしの目的じゃが…やはり清流と言えば初夏の味と香りの鮎じゃ。鮎を捕らえるぞ、嬉璃殿」
 「おんし、今しがた、鮎は初夏の香りだと申しておったではないか。今はまだ皐月の季節であるぞ」
 「案ずるでない。既に鮎の放流は始まっておる。解禁前ではあるがな」
 それはようは、獲っちゃいかん時に獲ると言う事だな。
 「しかもわしは、どこの川にどんな鮎が放流されるのかも調査済みじゃ。鮎の稚魚には海産、湖産などがあるが、やはり食って旨いのは湖産の鮎じゃ。この川にはその湖産が放流されておる」
 ぺらりと源が懐から取り出した書類のようなものを隣から覗き見した嬉璃が、目を眇めて源を見詰めた。
 「…これは漁業組合の内部資料であるな。どこからこんなものを入手してきたのぢゃ」
 「それはそれ、蛇の道は蛇と言うであろ?まぁ細かい事は気にするでない。それもこれも、わしのおでん屋台の為じゃ、それぐらいの悪事は致し方ない」
 「…悪事だとはっきり認めている辺り、おんしらしいと言うか…」
 「当たり前じゃ、わしは自分が何も知らぬ世間知らずの小娘だとは思っておらぬぞ?この世の中には、酸いも甘いも同じ数だけある、であれば、甘いものだけを選ぶ為に手段を選ばぬのは当然の理じゃろうて」
 ここまではっきりきっぱり言い切られると、寧ろ天晴れな気分になってくる。
 「ま、それはよい。で、その鮎を如何にして獲るつもりぢゃ?まさか、また海女になって潜ろうとか言うのではないだろうな?」
 嬉璃がそう言って目を眇め、源を見詰める。どうやら、源がまた海女になると言い出す事を確信しているような目だ。それを跳ね返し、源がふふふ…とアヤシク笑う。
 「嬉璃殿…日々、技術も人も進歩しておるのじゃよ。わしが同じ過ちを繰り返すと思ったら大間違いじゃ」
 「ほほぅ?それは楽しみぢゃ。その進化の程とやら、早ぅ聞かせて欲しいものぢゃの」
 「合点承知!目の玉ひん剥いてよぅく見やがれ!」
 ちょっと江戸っ子が入った源が、自分の着物の襟元を掴むと、がばっとそれを一気に脱ぎ捨てる。その下から現れたものと言えば!
 「……何のつもりぢゃ、それは」
 「見ての通り、スキューバダイビング用のドライスーツじゃ!この間は、古式ゆかしい海女の格好であったから失敗をしたのじゃ。今回は、この最新技術を駆使した最新鋭のドライスーツじゃからな、最早鮎どもの命も風前の灯!あーゆーレディ?」
 「………。」
 いや、格好は関係ないだろう。そうツッコミたかった嬉璃であったが、この後の展開がどうなるのか楽しみだったので、放置しておいた。源は、嬉璃が何も言わぬのをいい事に、嬉々として川べりへと、向かう。渓流の、まだ水冷たい中へ、源の身体は飛び込んでいった。


 ―――数時間後……。
 渓流の岩場の上に、疲れ果てた源の身体が打ち揚げられていた。
 「…おんし、大丈夫かえ」
 投げ出された源の手の先辺りに座り込み、ポータブル液晶テレビでお気に入りの番組を鑑賞しながら嬉璃が、言った。
 「だ、大丈夫ではない…あな悔し……川とはげに恐ろしきものよ…川自体が、わしの侵入を拒むとは…」
 源は、何度も何度も何度も、川へ潜ろうとしたのだが、不可能だったのだ。さすがの源と言えど、馴れない格好で気だけが焦り、いつも以上に体力を消耗したと言う訳だ。
 「と言うか、それはおんしがウエイトをつけておらぬからではないのか?」
 「うえいと?」
 源が、うつ伏せの状態から顔を上げる。嬉璃の視線は相変わらずテレビに釘付けだ。
 「ドライスーツが浮くのは、それは構造上当たり前の事ぢゃろ。潜る為には、身体にウエイト、つまりは重石をつけて潜るのが、スキューバダイビングの常識ぢゃて」
 「………」
 「おんし、まさか知らなかった訳でもあるまい?」
 ちろり、と冷ややかな横目が、源を貫く。ショックの余り、断末魔の痙攣を全身に蔓延させつつ、源が懐から何かを取り出した。それは、一番最初、嬉璃に引かせたカードの片割れである。それを嬉璃の方へと差し出すその手が、ぶるぶると震えた。
 「わしは…わしはまだ負けん!わしにはまだこれがある………!」

 まだ続ける気か!