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指名手配犯に女難の相
「あだだだだだだだだっ!」
26歳にして魔法使いの修行中、並びに全国指名手配犯である宇奈月慎一郎は今、道なき山を無理矢理道にして逃走しているところである。
車の運転は生まれて初めて。
と言うか、実は免許を持っているかどうか記憶にない。
そんな慎一郎、運転するはちょいとばかし失敬したパンダ車。そう、屋根に赤色灯がクルクル回ってるパトカーだったりする。
「どっどうしてっこんっなっことっにっ」
何処をどう走って来たのか分からない。ただ、車が進む方向にひたすら走って来た。
つまり、足元のペダルのどれがアクセルでどれがクラッチでどれがブレーキなんだかよく分からないので、適当に踏んだり離したりしてよろよろと走らせている。エンジンが掛かっているのが不思議な状態。そんな慎一郎に、公道を走れと言う方が無理で、気が付けばアスファルトから離れた岩と土と泥と木の間をガックンガックンしながら逃走している。
声に出して我が身の不運を嘆いてみると、舌を噛んで流血してしまった。
痛い。
慎一郎は喋るのを辞めて、心の中で叫ぶ。
―――どうしてこんなことにっ!?
……他の誰の所為でもない、全ては慎一郎がうっかり召喚してしまった邪神様の思し召しである。
こんな逃避行の最中にも、決して側を離れない愛用のノートパソコンをちょっと横目に睨んだりしていると、木々の間に道が開けた。
―――道路に出られるようですね……、良かった。
辛うじて操れるハンドルを堅く握って、漸く道路に出る。
久し振りにお目見えしたアスファルトは平坦で、タイヤに吸い付くようだ。
「ああ、これで少し人心地が付きましたね」
喋っても舌を噛まない。体に激しい衝撃も来ない。
やはり車は道路を走るべきものだと実感しながら、慎一郎は道路標識を探す。
適当に山の中を走った所為で、現在地がどこだか分からない。
警察の手から逃れる為に、是非とも現在地をハッキリ知っておかなければならない。次の修業の場も探さなければならないことだし。
「えぇと、この道の制限速度は……?」
道路と言っても、右は山、左が谷川の田舎道。
空腹だが食料を調達出来そうな店舗もなく、慎一郎は制限速度をキッチリ守って車を走らせる。
と、前方にパンダの群が。
「ひぃぃっ!お、お巡りさんですっ!あれは検問ですっ!捕まってしまう〜!」
何せ、拳銃密造及び車両盗難の立派な犯罪者である。捕まったらもれなく豚箱行き。
そんなワケにはいかない。
だってまだ、修業の最中ですから。
「逃げなければっ!逃げなければぁぁ!
慎一郎は呟きながら辺りを見回す。しかし、ダラダラと続く一本道、他に道はない。Uターンして引き返そうにも、それだけのスペースがないしあったとしてもそんな技が披露できるかどうか怪しい。
おたおたしている間にも、車は緩やかにパンダの群に近付いている。
ああ、片手で運転出来たなら、困った時の邪神様頼みが出来るのに。
気が付けば慎一郎は、ハンドルをめいっぱい左に切っていた。
車は、木々を掻き分けて谷川へダイブ。
「ほげら〜!!!!」
断末魔には不似合いな悲鳴が、待ち構えていたお巡りさん達の耳に虚しく響いた。
長閑な小鳥のさえずりが慎一郎の耳を心地よく刺激する。
ゆっくりと目を開いた慎一郎が見たのは、深く生い茂った木々と、その隙間から射す光。
「……とうとう天国に来てしまいました……」
呟いた慎一郎の顔に、何か生暖かい物が降ってきた。
死んでもあたたかさを感じるものか。
不思議に思いつつ、顔に手をやって確認する。
「まだ死んでいませんでしたか」
顔を歪めて起きあがり、手を地面に擦り付ける。
横たわった人に糞を降らせたのはどの鳥だろうか、見上げると枝に何羽もの小鳥が囀っていた。
ちょっと軽く睨んでみてから、慎一郎は自分を乗せてダイブした筈のパトカーを探した。
「おや?」
まさか谷の途中で引っかかったのだろうか、残骸らしいものさえ見当たらない。
慎一郎は立ち上がり、自分の体を確認してみた。
枝に引っかけたらしく、衣服が所々破れてはいたが、怪我らしい怪我はない。試しに歩いてみたが、何処にも傷みはなかった。
「さて、困りました」
取り敢えず空腹である。頼みの綱のノートパソコンは行方不明。旅行鞄も車の中だからして、所持金も心許ない。そして、迷子である。
一つ溜息を付いて、慎一郎は取り敢えず歩いてみる事にした。
「ここは何処なんでしょうねぇ」
ひたすら続く森。
歩けども歩けども道路にも町にも民家にも行き当たらない。
時間を確認しようと思い、見た腕時計は止まっていた。
身も心も疲れ切った時にはもう、辺りは夕闇に包まれていた。
「このまま何処にも出られなくて誰にも会えなかったらどうなるんでしょう……」
ちょっと弱気に呟いたところで、木々の間に灯る小さな光を見つけた。
ああ、神様!
心の中で呟いて、慎一郎はその光を目指して歩く。
行き着いた先は、奇妙な建物の並んだ場所だった。
「はて、」
元々はテーマパークか何かだったのだろうか、一般の民家には有り得ない建物がずらりと並んでいる。
どの建物にも灯りはついておらず、慎一郎は建物の向こうに灯りを見つけ、そちらに足を向けた。
「休園日でしょうか……、それとも閉園中?」
見ると、建物はどれも廃れている。どうやら既に閉園されているらしい。
造りは随分チャチなものだ。子供だって1度来ればもう満足してしまいそうな程。経営不振で閉園に追い込まれても無理もない。
「もっとこう、子供達の気を惹くものを作らなければダメですよ、うん……」
などと呟きながら更に足を進めると、川に出た。
さして広くはないが、水量は多い。川を渡ると、灯りのついた巨大な建物がある。
灯りが付いているからには人がいるのだろう。一宿一飯を頼めるものならば、是非ともお願いしたい。
一本の橋を見つけ、渡りかけた慎一郎は、小さな立て看板を見つけた。
墨字で、『このはしわたるべからず』。
「つまり、真ん中を渡れば良いのですね」
今時こんな看板を正直に受け取る輩がいるだろうか。
苦笑して、慎一郎は真ん中を堂々と歩いた。
随分古い橋だ。歩く度に板がギシギシ鳴って頼りない。
「これはもしかすると本当に渡らない方が良かったのかも知れません……」
と、そんな後悔は先に立たず。
「ふぎゃっ」
右足が見事に腐った板を破った。
慌てて何かを掴もうとしたが、何せ橋のど真ん中。手すりも何もない。
腐った板は重みに耐えきれず、哀れ慎一郎は川に落下。
「……侮れません、この橋……」
結果、ずぶ濡れになった慎一郎は這うように岸に上がった。
もうこうなっては何がなんでも前方の建物に入り、一晩泊めて貰わなければ。
兎に角田舎だ。まさか自分が全国指名手配の身とは思いもよらないだろう。
冷えた体を震わせながら、慎一郎は漸く建物の前に辿り着いた。
見ると、温泉宿の看板。
「温泉宿ですか、助かりました……」
何が助かったって、懐具合だ。
早速、慎一郎は宿の扉を叩き、出てきた女将らしい老婆にヘコヘコと頭を下げる。
「働かせて下さい!何でもします!」
こんな萎びた、俗世間から忘れ去られたような温泉宿に客が来るかどうか怪しいものだが、慎一郎は客室係兼浴場掃除夫として雇って貰えた。
三食昼寝付きの高給……なんて美味しい仕事ではないが、取り敢えず衣食住には困らない。どうやらテレビやラジオと言った情報源もないようで、お巡りさんの目からも逃れられる。
こうして宇奈月慎一郎26歳只今魔法使いの修業中☆は3度目の正直、修業の地に落ち着いた。
「おまえ、橋を壊したな」
慎一郎が温泉宿で働き初めて3日目、一人の男が浴場を掃除する慎一郎の前にやって来て言った。
この温泉は湯治場としては結構有名なようで、毎日どこからか具合の悪い客がやってくる。
今、目の前にいる男もそんな客の一人なのだろう、手足に痛々しい程包帯を巻いている。
慎一郎は愛想の良い笑みを浮かべた。
「あ、はぁ。看板に従えば痛い思いをしませんでしたねぇ」
「慰謝料を払って貰うぞ」
男の言葉に、慎一郎は首を傾げる。
橋を修繕する費用を出せと言うのならば分かるが、何故慰謝料なのだろうか。
「おまえの所為で踏んだり蹴ったりの目に遭ったのだ。どうしてくれる」
どうしてくれると言われても、橋の所為で酷い目に遭ったと言うならば慎一郎も同じだ。板の腐った橋を何時までも立て看板一つで放置しておく方がおかしい。県なり市なり、町なり村なり、あの橋を架けた者に文句を言うべきではないか。
しかし、男は大層恨めしそうな顔で慎一郎を睨み、
「呪ってやる、おぼえていろ……」
と言うや否や、ドロンとばかりに消えてしまった。
「呪われてしまいました……」
ワケが分からず、慎一郎は掃除を終えてから女将に男の事を話してみた。
途端、女将の顔色が変わる。
「あのぅ?どうかしましたか?」
益々首を傾げる慎一郎。
女将はまるで厄介者を見るような目で慎一郎を見て、深々と溜息を付く。
聞けば、あの橋は杉の木で出来ているそうだ。
その杉の木の精と言うのが好色な奴で、この温泉宿にやってくる女性と言う女性を誑かす。相手が子供だろうが大人だろうか老婆だろうが既婚だろうが何だろうが、家族連れだろうがお忍びだろうが何だろうがおかまいなし。性別が女性であれば兎に角甘い言葉を囁いては付きまとう。
それが、温泉宿の不評を呼んでしまった。
困り果てた女将が、大工に頼んで木を切らせ、川を渡す橋にさせたのだそうだ。
そして、立て看板の言葉を無視し、橋の真ん中を渡った女性にのみ声を掛けても良いと言う約束までさせた。
客の大半は子供向けの頓知と思い、お構いなく端を渡った。
お陰で被害者は減り、元々効能の良い温泉に客が戻って来たのだが、その肝心の橋を慎一郎が踏み抜いてしまった。
慎一郎の前に現れた男は、その橋の精だ。
痛々しい包帯は、慎一郎が橋を踏み抜いたが為に彼が負った怪我。
―――呪ってやると言ったからには、おまえさんも何かしら被害にあうだろうが、こっちも約束を守って貰えなくなるだろうさ。さぁ、どうしてくれようか、この疫病神め。
女将としては、この迷惑千万な疫病神を今すぐにでも追い出してしまいたい。しかし、そうすれば橋の精の鈍いを受けるのは温泉宿だけになってしまう。
追い出せずに追い出せない厄介者を、女将は苦々しい思いで睨む。
―――まぁ、壊した張本人が心を込めて修理すれば怒りも萎えるだろうさ。橋大工の修業でもして、とっとと橋を直して出て行っとくれ。
迷惑料として、ここにいる間の賃金はナシだよ、と無情にも女将は言った。
「た、ただばたらき……」
ちょっと涙が出そうになった。
更に女将は、慎一郎が逃げられないようにと町中にビラを配ると言う。
あっちでもこっちでも指名手配の身。
「助けて邪神様……」
恐らく谷の何処かに引っかかっているのであろう愛用のノートパソコンに思いを馳せつつ、慎一郎はとぼとぼと女将の部屋を出る。
さて、これから師となる橋大工を捜さなければならない。
この慣れぬ地で、どうしたものかと頭を抱える慎一郎に、不意に若い女が声を掛ける。
―――随分沈んでるじゃないか、おにいさん。
見ると、見目麗しい女。しかし、先程の男同様、痛々しいまでの包帯姿。
―――逃げようったってそうはいかないよ。あたしは、あんたにどこまでもついて行くからね。
それがあたしの呪いなの。
そう言って笑う女。
頭の中の抽出を開けて記憶を辿ってみれば、杉は雌雄同株であった。
「オソロシイ……女性はオソロシイです……」
製鉄工場と言い、この温泉宿と言い、精霊と言い、女ほどオソロシイ生き物はない。
宇奈月慎一郎26歳、魔法使いの修業にちょっと挫折してみる春の宵。
end
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