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迷子の彼と『彼』
■オープニング■
「迷子？」
「もう少し言葉は選べないのかあんたは」
「そうね、もう少し上客にならそうしてあげないでもないわよ？」
涼しい顔でそう言ったサチコに、草間はちっと舌打ちを漏らしてコーヒーカップを手に取った。そこに満たされているのはブレンドで、この店では最も安いメニューである。
夕暮珈琲店。その名の通りどこか黄昏て見える店内には今は店主のサチコと草間しかいない。
「みゃあ」
もとい、それに足す事もう一匹。毛並みのいい黒い仔猫が眠たげにカウンターの上で鳴いた。それを横目でちろんと見やったサチコは姿に似合わぬ『低い声』で草間に質問を投げかける。
「それでその迷子がどうしたの？」
「迷子じゃなくて家出だ――尤も家族は誘拐だのなんだのと騒ぎ立てているがな」
草間はコーヒーを啜り眉を顰めた。味に文句があるわけではなく、依頼人であるところのその『家族』のヒステリックな物言いが思い起こされた為だった。
草間興信所に持ち込まれた依頼は行方不明者の捜索、であった。双方の意見を纏めて表すならそれが妥当である。
書置きを残して高校生の息子が消えた。依頼人であるところの母親はその存在を無視してこれは誘拐だと騒ぎ立てるが、書置きがある以上警察がそれを誘拐だと認めるわけがない。怒鳴ろうと喚こうとそれは『行方不明者』であり『家出少年』である。そしてその母親は、
「――何を思ったか怪奇探偵を頼るとはね」
「何を思ったかは余計だ」
「可愛くない態度ね。そういう態度だと協力してあげなくてよ？」
「……」
草間はカップを手に押し黙る。懐も暖かくないのにこの特殊な喫茶店に出向いたのは正しくそういう理由だったからだ。
「単なる誘拐や家出なら問題もなかったんだが……」
「誘拐された子供が強盗事件を引き起こしたりはしないと思うんだけど」
「正しくな」
実に嫌そうに、草間は吐き出す。
つまりそういう理由である。世間様を今騒がせているコンビニ強盗。顔写真も公開されているというのに尻尾さえつかませないその一団の、一様に若い顔ばかりの現場写真の中に件の少年の姿はあった。
妙な、妙な強盗団だった。
コンビニ強盗などと言う目立つ事件を引き起こしているくせに手がかりが防犯カメラに写っている以上のものは何一つない。そして顔がわかっているのに一団のうちの一人として網にかかることはない。
「――ここは訳ありのやつが顔を出すことも多いからな。見かけたら俺の所まで連絡してくれ。勿論お前だけへの依頼じゃない」
「わかりきったことを言わないで」
謎めいた笑みを浮かべたサチコは草間の依頼内容の書かれたカードを、店内のコルクボードに貼り付けた。
そして、
「僕を探さないで下さい。そしてそれを母に納得させて欲しいんです」
草間と相次いで現れたその少年はきっぱりとサチコに言った。余裕のある物腰も口調も、追われているものとは到底思えない。
その顔は草間から受け取った少年と本当に酷似していたが。否同じとさえ言っていい。サチコはその写真の置いてあるカウンター裏の小物入れをちらりと眺める。それに少年は反応した。
「探しても無駄だから。僕は僕で――」
言葉を切った少年はサチコの視線の先を追う。
「彼じゃない」
「さて、どうしたものかしら？」
サチコは迷った末に、少年の依頼をもコルクボードへ張り出す。
二つの相反する依頼。どちらを受けるのかそれは、
「――自由ね」
そう言って、サチコは笑んだ。
■本編■
涼やかな風が木陰を通り過ぎる。
少し動いて汗の滲んだ額に、その風は心地よい。ひんやりと肌を冷やし、そして爽快感へと変えていく。
木陰に設えられたベンチに腰を下ろした二人の男は、その風を楽しみつつの休憩の真っ最中であった。
「まー闇雲に探してどーなるってもんでもねえんだけどな」
手にしたファイルを団扇代わりに更なる風を己の顔に送り込んでいるのは無精髭も目立つ三十絡みの男、佐久間・啓（さくま・けい）である。
ぐったりとベンチに背中を預け、伸びたゴムのようにずるずるとずり下がっていく。いくらなんでも寛ぎすぎのその様子に、真名神・慶悟（まながみ・けいご）は僅かに眉根を寄せた。
「別に闇雲って訳でもあるまい？」
「ま、確かに手当たり次第の闇雲ではねえわな」
ずりずりと再び元の位置に戻り、啓は団扇代わりのファイルを開いた。住宅図のコピーらしい地図には赤いボールペンでびっしりと書き込みやチェックがなされている。
「場所がコンビニに特定されるとしてだ。一回目の事件が神保町で、二度目が調布だぜ？ やたらと闇雲に近いじゃねえか」
「まあ、な」
慶悟も苦笑して肩の力を抜いた。
コンビニ強盗は、計画性よりも発作性の高い犯罪と言えるだろう。確実に現金はある場所だが、綿密に計画を立てて襲う程に大量の現金が保管されている場所ではない。普通は連続したとしてもその範囲はそう広くはないし、それにここまで捕まらないというのも珍しい。
「――コンビニ強盗ってえもんの常識からずれてやがんだよ」
「そんなものに常識と言われても困るが――確かにな」
慶悟は頷き、顎に手を当てた。隣で腐っている男の顔を見て、ふと問いかける。
「それにしても、だったらなんであんたはこっちの依頼を受けたんだ？」
「あ？」
「対象がはっきりしている分、母親の説得へ回った方がいくらか楽だったんじゃないのか？」
説得は慶悟には専門外だ。なにより犯罪者を見逃すのは寝覚めが悪い。だからこそ少年の捜索の方を請け負ったが、隣でぼやいているこの男の動機が気になった。楽して得できるならそっちの方がいいという人種であるし、何より正義感から動く人間にはとても見えない。
「あ〜、それな」
ぼりぼりと首筋をかきながら、啓はめんどくさそうに答えた。
「ぎゃんぎゃん喚くだけのババアの話聞くのも楽じゃねえし。なにより、ババアの説得してんなもんが記事になると思うか？」
「なるほど」
「別にコンビニ強盗がどうとはいわねえよ。記事になってくれるならそれでいーんだ。記者が求めてんのは真実じゃねえ、読者に受けるネタだしな」
「実にわかりやすい動機だな」
呆れたように啓を見た慶悟だったが、別段それは軽蔑をはらんだものではなかった。
隠しもせずにするっと言ってのける悪びれなさがいっそ清清しかった。
人は矛盾が鬩ぎあって一つの個を作り出している。
人として完全な姿というものはない。そもそも人であるということが不完全であるということなのだ。
いくつもの可能性と矛盾とを持って人はそこそこ完全に近い形で存在する。
矛盾があって、いくつもの要素があって初めて――
「それでも『人』足りえるわけですか。興味深い……」
「……それでごみバケツの蓋を開けてどうするつもりなんだあんたは？」
「いやいねえかなあとな」
「いるわけがないだろう」
疲れたように慶悟は肩を落とした。
闇雲に調査したところで何がどうなるわけでもない。地図を片手に、狙われたコンビニめぐりをしていた二人だが、四件も回るうちにすっかり腐ってしまっていた。
何しろ位地からにして一定していない。
それぞれの店で聞き込んでみれば、襲撃の人数も時間帯も一律ではない。ただ襲ってきた集団の年齢が、どれも二十歳にも届いていない少年達だったと言うところだけが一定している。
警察が行き詰っている理由が嫌というほどわかる。
「でーてこーいがきんちょどもー」
「言って出てくるか！」
「言って出てきたらめっけもんじゃねえか。どーせでてこねえのはかわらねえよ」
「……随分飽きてきてるだろう、あんた」
「まあなあ」
啓はやれやれと背伸びして、その意見を肯定した。
回れど回れど帰ってくる答えが同じでは、飽きるなというのも退屈するなというのもどちらも無理な相談である。
あけたごみバケツの蓋を抱きしめてそのまま路地に座り込んでしまった啓を見下ろし、慶悟は煙草に火をつけた。疲れているのはお互い様である。
「……こうまで出てこないというのは……人以外の存在にでもなったか……？」
「幽霊ってやつかい？」
「そこまでは言ってない。何かに憑かれでもしたのかと思っただけだ。極言かもしれんが、それなら『僕じゃない』って発言とも矛盾せん」
「けど行動とは矛盾してるわな」
蓋を投げ捨てた啓は、胸ポケットから煙草を取り出してしわしわになっているそれを口に咥えた。
「コンビニ強盗って辺りがどうにもな。取り付かれて衝動的にコンビニ強盗？ ってのは頂けねえよ。衝動的にやるなら傷害か殺人ってもんじゃねえのか？ 小粒なのだと器物破損か。少なくともコンビニ強盗……しかも連続ってのは矛盾が過ぎるぜ？」
「あんたも言ったろう、コンビニ強盗の常識からずれていると」
「そりゃまあなあ」
言って啓はふかりと煙草の煙を吐き出した。そしてふるふると数回頭を振る。
「それにしたってだ。いくらなんでもスケールが小さすぎるとは思わねえか？」
「スケール？」
「目先の金。それがコンビニ強盗の動機ってもんだ。憑依されて目先の金か？ なんかでかいことしてえなら、コンビニじゃなくて銀行襲うんじゃねえのか？」
目的が己の生存ではないのなら。何かに操られているのなら尚のこと。
慶悟は眉を潜めた。初めから感じていた。今その感覚は更に強くなっている。
「噛みあわない……」
あまりにも矛盾している。理屈がつけられないのだ。
「矛盾……案外キーかも知れねえな」
無責任に言った啓は、根元まで灰になった煙草をアスファルトに押し付けた。微かに指の皮に火が当たって、啓は顔を顰めた。
――熱さのせいばかりでもなく。
マイナスされた分。
個が独立し、マイナスとなった分。
存在は希薄となる。
それは完璧から遠ざかる。要素を消された分、要素が独立した分。専門性は高くなっても、全体としては希薄さが増す。
――予想外の結果だ。
それもまた実験。
だからその出会いは、ある意味では必然。
「まあもう不要になりましたから。後始末が楽で助かりますね」
「んーじゃもうひと頑張りしますかねえ」
何本目かの煙草をもみ消して立ち上がった啓は、んーっと背を伸ばして慶悟を促す。促された慶悟はやれやれと呟きながら自分も最後の一本をもみ消した。
「で、どうする？」
「まあ、足跡追ってもなんもならんことはわかったわな。つーともう手当たり次第にコンビニ見て回るしか……」
「……この界隈だけでもいくつあると思ってるんだあんたは」
しょうがねえだろ、そう言い掛けた啓の言葉よりも早く、悲鳴は響いた。
その警鐘に反応できないほど二人は揃って鈍くはない。
はじかれたように駆け出した二人は、悲鳴の響いた先に、一軒のコンビニエンスストアと、そして幾人もの少年を見た。
「おいおいおいおい。マジかよ？」
「同感だがどうする！？」
「こんだけいるんじゃターゲット絞って追うしかねーだろ！」
ばらばらに逃げようとする少年達のうちに目ざとく目標を見つけた啓は迷わずその後を追う。
そしてそれはまるで用意されていた結果であるかのように。
その足を慶悟が止め、その肩を啓が掴むまでにはさほどの時間を要さなかった。
「手間ぁかけさせて……くれてねえのかひょっとすっと？」
「俺に聞いてどうする？」
ぜいぜいと息を吐き出しつつ言う啓に、同じく息を整えながら慶悟が答える。そして、
「手間だと思うならはじめっから追いかけてんじゃねえよ」
少年が答える。
「お前が例のガキか？」
「どれをさしてレイのだのといってんのかはわからねえけど。まあ、多分そうなんじゃねえの？」
啓の手を振り払い、少年は手にしていた万冊をジーンズのポケットに無造作に押し込む。
柄の悪いその様子は、あの喫茶店の店主から聞いた少年像とはまるで一致しない。慶悟は眉を潜めて問いかけた。
「お前は……一体何なんだ？」
そして、その問いに、彼は答える。
「俺は俺だよ。……多分不完全な、アイツじゃねえ、俺なん、じゃねえか？」
彼は。
分裂した人格の片割れは、そう、答えた。
「……分裂症ってのはよく聞くけどな……まさか本気で分裂してんのかあ？」
啓が呆れたように問う。
片方はモラルを残した彼。しかし子供のような判断力しか持たず。
片方はモラルを無くした彼。しかし狡猾さを引き継いで。
人は一個の人格でそれが一でありそれすら不完全で。
分裂したそれらは専門性を際立たせながら、しかし希薄となる。
「所詮は二分の一、か」
慶悟の言葉に、彼は嫌そうに頷いた。
「まーな。俺もなんだってコンビニなんか襲ってっかなんざわかんねえし。捕まる前に辞めなきゃなとは思うけど、捕まらねーならそれでいーと思うしな。ただ、なんか違うってのはわかる。前は金欲しいなとか思っても強盗ってダイレクトに結びついたりはしなかった気がすっし。なんでそうだったのかはわかんねえし」
「わかんねえ、ねえ？」
「わかんねえ事がなんかわかんねえ。けどよ――」
正を無くして。今、俺が希薄であることはわかる。
「問題はだ」
モカ・マタリを啜りながらケーナズ・ルクセンブルク（けーなず・るくせんぶるく）が言う。
その翌日。場所は夕暮珈琲店だ。
「何故分裂したのか、か？」
慶悟もブレンドを口元へと運びながら、そう問い返した。
それについては微妙に心当たりがある。心当たりが合っても、確証がないために口に出しはしなかったが。
「困った人だこと」
「ん？」
「なんだ？」
サチコの呟きに、ケーナズと慶悟が反応する。しかしサチコは微笑するだけで答えない。
「ま、いーんじゃねえのか無理に考えなくてもよ」
重くなりかけた空気を打ち払うかのように、啓が軽く言う。
少年は一人に帰った。
二人ともに己に欠如している何かを懐かしんで、まるで、
「迷子、ねえ？」
シュライン・エマ（しゅらいん・えま）がサチコを見上げて言った。
迷子になった己の片割れを迎えに行くかのように。希薄な自分を埋めてくれるそれを求めて。
「彼も、彼も迷子だったということですか……自分という迷宮の、迷子」
セレスティ・カーニンガム（せれすてぃ・かーにんがむ）の言葉に、サチコは頷いた。
喫茶店の中では、鬼頭・郡司（きとう・ぐんじ）と黒仔猫がまた壮絶なおっかけっこをはじめている。
迷子が戻って、平穏もまた戻った、その証拠であるかのように。
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【整理番号 ／ ＰＣ名 ／ 性別 ／ 年齢 ／ 職業】
【0086 ／ シュライン・エマ ／ 女 ／ 26 ／ 翻訳家＆幽霊作家＋時々草間興信所でバイト】
【0389 ／ 真名神・慶悟 ／ 男 ／ 20 ／ 陰陽師】
【1481 ／ ケーナズ・ルクセンブルク ／ 男 ／ 25 ／ 製薬会社研究員（諜報員）】
【1643 ／ 佐久間・啓 ／ 男 ／ 32 ／ スポーツ新聞記者】
【1838 ／ 鬼頭・郡司 ／ 男 ／ 15 ／ 高校生・雷鬼】
【1883 ／ セレスティ・カーニンガム ／ 男 ／ 725 ／ 財閥総帥・占い師・水霊使い 】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、里子です。今回は参加ありがとうございます。遠大に遅れてしまいまして申し訳ありません。＜平伏
異界一回目。毎度の事ながら嫌な感じのお話で。
異界では明確に敵を設定していますので、ノリが軽い話以外は、微妙に重いというか嫌な感じの話になってしまうことと思われます。
……にしてもあの敵殴りたい……（お前まで嫌ってどーする）
今回はありがとうございました。また機会がありましたらよろしくお願いします。
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