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あの日の少女
今日は講義が少なく、三時前には大学を後にした草壁小鳥は新しい本でも買おうかと街中を歩いていた。
気分的にはただ何となくぶらつきたい、その程度の事。ふらりと本屋に立ち寄っては冷やかして歩いていた。
そんな時、小鳥の目は一軒の和服小物を扱う店で止まった。浴衣を着たマネキンの前に扇子やかんざし、手ぬぐいなどが並べられている。中には可愛らしい和が施された鈴や、この店のマスコットなのか兎の小さな人形がちょこんと座布団に座っている。
「あ……」
(かわいいな……コレ)
人形を見て微かに小鳥は微笑み、何気なく扇子を手に取った。これまた兎が描かれている。漆の塗られたかんざしは蛍光灯の下で美しい光沢と繊細で風流な飾りが施されている。そして、小鳥の前にたつマネキンの浴衣は兎を日本画のタッチで鮮やかな彩りで描いたセンスの良い、それでいて可愛らしいデザイン。
「いらっしゃいませ。お気に召していただけました?」
店の置くから出てきた女性店員が品の良い笑みを浮かべて小鳥に話かけた。
「えぇ……まぁ……」
「学生さんですか?どうです?夏祭りなんかお友達と浴衣を着て出かけるときっと楽しいですよ。こちらなんか、きっと良く似合うと思いますよ」
早口で言いながら袂を持ち上げたのは目の前に飾られている兎柄の浴衣。
小鳥は不快に少し顔を歪め、なおも話を続けようとする店員を制した。
「あの……ただ、見ているだけですから」
「そうですか?では、何か御用がありましたらおよび下さいね」
軽く会釈し、また店の中へ戻っていく店員の後ろ姿を見ながら、小鳥は溜息をついた。
――幼い頃は、地味で男の子っぽかったにしても四歳上の姉や二歳下の妹の可愛らしい姿に憧れ何度かスカートをはいた事もある。それは姉のお下がりであったのだが、それでもそれなりにスカートを身につけていた記憶はある。
いつからだろう……そう、あの日からスカートをはく事を止めたんだ。
あの日、家族で遊園地に行く事になった。親は姉妹におそろいのフリルのついたワンピースを買ってくれていた。一歳になったばかりの妹から十二歳の姉まで皆おそろい。早速着替え終わった姉妹たちはとても可愛らしく、今思い出しても天使のようだと、思う。
あたしは着慣れないワンピースにしばらく着るのを躊躇ったが、親に促され着替えた。着慣れない憧れのフリルのワンピースにモジモジしていた私に、親は満面の笑顔で可愛いと言ってくれた。
嬉しかった。家を出た時、私は満面の笑顔でとても上機嫌で家を出たと思う。
……あの時が一番はしゃいだんじゃないかな。
遊園地では一通りの乗り物に乗った。コーヒーカップ、メリーゴーランド、ジェットコースター、大きなブランコなど。とにかく憧れのワンピースを着させて貰った事と、可愛いと言って貰えた事。それに、遊園地という場所にはしゃいで、クタクタになるまで駆け回った。そして最後に……ミラーハウスに入ったんだ。
薄暗い入り口でまだ幼かった下二人と親と別れ、あたしと姉と妹の三人はミラーハウスの中へ足を踏み入れた。
しばらく黒い幕で壁を覆っていた通路を歩くと、一面鏡で囲われた道に出た。
……頭が真っ白になるってああいう事を言うのかもしれない。
鏡一面に映し出されたのは間違って女の子の服を着た少年のような自分の姿。呼吸をする事も忘れ、滑稽な仮装姿のような自分に囲まれたまま、幼いあたしの胸にはぽっかりと暗い穴が出来たようだった。
愕然として目を見開いていた鏡の中のあたしが、不機嫌な顔になりあっかんべぇをしたように見えた。
それから後は良く覚えていない。
ただ、頭の中では、なんでこんな似合いもしないワンピースを着たあたしなんかに可愛いって言ったんだろう、と親への不満と怒り。可愛いものを身につけるのが当たり前のように存在する他の姉妹への嫉妬。それでも普通の女の子のような格好に憧れる、寂しさ。
全てが綯交ぜになって幼いあたしの顔から表情を消していた。
眩しいくらいのオレンジ色した夕陽に照らされた遊園地は、あぁ、ツクリモノなんだと幼い心に影を落とした――
小鳥はポーズを取っているマネキンを見た。手触りの良さそうな浴衣の袂で兎が跳ねている。
「良く似合うと思いますよ……か」
憮然とし、呟いた小鳥は視線を落とした。
台の上に並べられているハンカチの大きさに加工された手ぬぐいのひとつを、小鳥は手に取った。
小さな兎たちが薄緑色の布地の上を駆け回っているような柄だった。
少し目を細めて手ぬぐいを見る小鳥はいつもの表情と違い、純粋などこにでもいるような少女の表情をしている。
が、すぐにいつもの無表情にも近い無愛想な表情に戻った小鳥は手ぬぐいを置き、店を出た。
『買わないのですか?』
顔のすぐ右側から聞こえた声に、小鳥は小さく口を動かした。
「……アンタには関係ないよ」
ふっと店を振り返った小鳥は、店の前でどこか羨ましそうに。そして憧れの混ざった眼差しで浴衣を見上げる少年のような少女の姿を見た気がして、微かに自嘲気味な笑みを浮かべた。
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