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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


coincidence

 酒は、付き合いで呑むものではない。
 それが影崎實勒の主張である。
 酒は呑みたい時に呑みたいように呑みたいだけ呑むのが楽しいのであって、ささ、一杯どうぞいやこれはこれは恐縮です、最近如何ですかいやぁなんともはっはっは。などという益体ない体裁が行き交う席の中に在って、實勒の機嫌はすこぶる悪い。
 さる殺人事件が解決した打ち上げの席、料亭の一室に用意された祝いと労いの場の一画、宴の開始から手酌でひたすら黙々と、周囲にビール瓶の防壁を築く實勒に、酌をしようなどという猛者は現われない。
 事件を統括した警視正の伝手で豪勢にも芸者衆を呼んでの宴席で一人、酒杯のみを進める姿は浮く所の騒ぎではない。
 最も、實勒が宴席を厭うのはいつもの事、監察医である彼の検案が事件の解決に多大な貢献を及ぼした為、誘わざるを得なかったのが本音なのだが、その拘りを今更咎め立てぬ程の了解は宴席の面々にはあるが、半玉と呼ばれるまだ半人前の芸者に至ってはビール片手に近付いただけで向けられる射抜くような眼差しに-実の所、いいだけ酔いが回り始めて半眼になっているだけなのだが-脅えて足を竦ませる始末だ。
 わりと上座に設えられた實勒の席だけを別として、盛り上がりつつある宴の場、断りの声と共に、次の間と隔てた襖が開かれた。
 二十畳程の室を借り切っての宴、そうでなくとも人数にしては過分な広さを持つ部屋に更に奥行きが生まれる。
「いらっしゃいませ」
と、新たな空間…舞台を模したと思しき別室にて深々と頭を下げたのは芸者姿の女性である。
 中央に三人、端に笛、三味線、小鼓とをそれぞれに抱えた女性達は姿だけの艶やかさだけでなく、場にあるだけの存在感そのものが、まさしく花の如き香である。
 芸者はその和装の襟を一人前と認められた白を身に着けた者を一本、襟の赤い半人前を半玉、若しくはその色から金魚と呼ぶ。
 玄人であるを示した白襟の艶やかさは、始まった舞に、奏でる音にこそ現われるかのようだ…まさしく、芸の者である、その名の通りに。
 だが、この場、最も目を奪って華やかに舞う立ち方よりも、客の目は三味線を奏で唄う、その声の張りと艶、三味の音を紡ぐ地方の一人、年若いと言える芸者に集まっていた。
 白粉を乗せた肌の肌理、額に落ちる黒髪が緑を湛えた眦に落ちてその対比を際立たせる。
 小さく、けれど厚みを持たせて塗られた紅の鮮やかさが恋を唄う声に更なる艶を乗せて、舞台の折は客は箸と杯を止めるのが礼だが、それすらも忘れて見入ってしまう、際立った芸は自然と全ての手を止めた。
「ありがとうございました」
その声に漸く、呪縛を解かれた人々はぎこちなく活動を再開する。
 披露を終えた芸者衆も三々五々、ビール瓶や銚子を手に酌に周り出す、軽い挨拶と交わされる会話、それは儀礼的なそれと質を違えた心地よさを持つ。
 まだ手酌を続けながら、實勒は芸者の一人…三味線を弾いていた彼女の姿を遠目に首を傾げた。
「呑んでるかね」
「見てわかりませんか」
ビール瓶の要塞の上方からそう声をかけて来たのは、宴席を設えた現場統括者…警視正の姿があった。
 立場、そして階級から見ても上司である…實勒をこの場に引っ張り出した相手に不遜な物言いで答える。
「呑んでるな」
うん、と勝手にひとつ頷いて、中年を越え初老にかかるには早い壮年の上司は實勒の前に膝をついた。
「奏子はいいだろう」
突拍子のない固有名詞に訝しげな視線を向けると、上司はくいと顎で先の芸者を示す。
 その視線に気付いてか、奏子、という名らしい芸者は話していた相手と二言三言交わすと、引き止めているらしいそぶりの相手を笑み一つで黙らせて彼女はこちらへと足を向けた。
「いつもご贔屓にありがとうございます」
す、と膝を落として頭を下げる、その流れも洗練されている。
「奏子の予定が空いててよかったよ」
「金魚の頃からご贔屓様のお声掛かりですもの」
袂を口元にあて、小さな笑いを零して、芸者は實勒へと向き直った。
「こちらは?」
「彼は監察医でね。名前を……」
「お弔いの人!」
突如、それまでの花の風情が明るい年頃の女性のそれと変貌して實勒を指差す。
 その指先を返して今度は自分に向け、彼女は営業用でない笑みに目元を綻ばせた。
「覚えてないかしら? 草間興信所の新年会で会った……」
「あぁ、あの……」
言われて遠い記憶を手繰り寄せてみれば。
 無理矢理引きずり込まれた新年会の席で、妙に陽気な女性が居たのを思い出す。
「あれは君か」
思わぬ再会に實勒は面白そうに細められた眼をじっと見た。
「随分と感じがかわるものだな。解らなかった」
「お弔いの人は相変わらずつまらなさそうね? 今日のお料理に鯛は居ないようだけれど……」
「あぁ、それがな。卵から孵ってから良質の無農薬ハーブを餌にそれはそれは大切育てられていたというのに、遠い地でこんな姿を晒すは無念と地鶏の照り焼きが……違う!」
しみじみと語りかけていた實勒が言を切るのにころころと笑い、奏子は裾を捌いて卓の前にきちんと座り込んだ。
「何だ君達は知り合いだったのか」
「えぇ、ちょっとした御縁がありまして」
ちょっとした、のあたりの微笑みに力が籠もる。
「そうか、なら積もる話もあるだろうから、奏子、影崎くんを頼むよ」
にこにこと笑いながら立ち去る上司…宴席で一人しかめっ面に場の空気を乱している人間をどうにかしなければいけないのも、人の上に立つ者の勤めである。
 本日の實勒担当を奏子に任せ、見た目よりも気苦労の多い警視正は別の部下を労う為に席を立った。


 以降の時間は、所謂お座敷遊びに移行した。
 と言われれば、艶めいた物を想像する諸氏も多かろうが、実際の所はゲーム色が濃く酒の席を楽しむ為の物だ。
 芸者衆は巧みに客を遊びに誘い、ペナルティは罰杯と呼ばれる御猪口一杯、と他愛ない遊びに杯を重ねるに酔いも心地よく回るという寸法である。
 だが、實勒にとっては自分のペースを崩される困惑しかない。
 常ならば無視か拒絶に辞退するのだが、
「お弔いの人も一緒に♪」
と実に楽しげに奏子が腕を引いて誘うのである。
 金比羅ふねふね、おいけに帆かけて、しゅらしゅしゅしゅ♪、と三味線と歌に合わせて小箱の上に交互取り合うゲームや、投扇興などの雅な遊戯に時をかけて夜は更けていく。
 ただ呑むだけでない酒の席にほろ酔い気分も心地よく、参加した面々は感謝と羨望とを上司に向けて会はお開き、となった。
 有志は二次会と洒落込む様子だが、實勒は義理は果たした、とばかりの帰り支度である。
「お疲れ様」
廊下でポンと肩を叩かれ、振り返れば奏子が笑んで立っていた。
「お弔いの人って、あまりこういう席は得意じゃないみたいね」
襟足が気にかかるのか、掌の感覚で確かめる動きに手首がくと曲がる。
「好きじゃない」
違う言葉に訂正し、實勒は改めて奏子を見た。
「いい加減にその呼び方はやめろ」
不機嫌な言葉に、けれど奏子は動じない。
「だって私、あなたの名前も知らないもの」
笑って言われれば、自分も相手の名をきちんと把握していない事に気付く。
「……影崎實勒という。奏子、というのは芸名か?」
「本名よ。真迫奏子というの。覚えておいてね」
考えてみれば、互いにきちんと名乗り合った今が初めてか、と知らず互いに笑みを零す。
 それにふと気まずさを感じ、實勒はこほんと咳払いをして誤魔化した。
「君には悪いが。酒は酒だけで楽しみたい人種でな」
場を和ませ、人を楽しませる事を生業とする彼女にしてみれば甲斐のない客ではあるだろう。
「ふぅん……」
奏子は人差し指を唇にあてるとしばし思案の表情をした。
 指の向こう側で、紅を引かれた唇が動く。
「三味線はお酒の邪魔になるかしら」
半ば独り言のような、それに實勒は先の演奏を思い起こす。
 決して音が多いと思えない、弦が空気を震わせて紡ぐ音。
 同じ律の鼓膜を心地よいと感じるか、強すぎると感じるかのギリギリの域。
 それを和らげてまた強め、重なる声の張りは三味線の音を相俟って、撥が弦ビィンと弾く高さも悪くない。
「唄も」
實勒が思わず口をついた言葉に「え?」と奏子が顔を上げる。
「唄も、悪くないな。邪魔にはならない」
「そう」
短く奏子は答えて、笑う。
 その表情は喜びと誇り、凛と立つ花が咲き綻ぶ様に似て、實勒はその笑みを見れただけ、その日の不満も大した代償でないと感じる自分に苦笑する。
「じゃあ今度は仕事抜きで如何?」
髪を払う仕草と共に差し出された提案に、實勒は軽く眉を上げた。
 艶やかな華のような女性、それを前にしてさて自分はどんな時間を作れるか…それを思うと途端に気持ちが萎える。
「次の偶然があれば、な」
「そう?」
奏子は軽く肩を竦め、面倒そうな返答を受ける。
「じゃまた次の偶然に」
「そうだな」
言って二人は申し合わせたかのように、互いの脇をすり抜けた。