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獅子にならなかった柴犬
晴れた日の晴れた公園。
しおれたゴムのかたまりにクラウンが口づけると、たちまち長く細くふくれあがって、晴天を突き抜けんばかりに真っ青な流線形が誕生する。羽でもつけて飛ばしてやったらどんなにか傑作だろうが、そこをこらえ、結んでひねってくぐらせると、流線形は新たなつくりに生まれ変わる。かわゆいプードルのできあがり、いわゆるバルーンアートというやつだ。
それをじっと見ている、柴犬が一匹。名は、ゴンスケ。その場にいる誰もが知らない名前だけれども。
クラウンは修行途中の身分らしく、腕はそれほどたっていない。お次はひまわり色の風船でもうすこし複雑な造形に挑戦しかけたが、半ひねりしたところで、パン、と逝ってしまう。ほんのすきまのいのち。
こんな芸当は昔はなかったワン?
犬族が小首をかしげるようなポーズをとるときは、そちらの音を拾おうとしているときだという。だが、今のゴンスケはいったなにを聴こうとしているのだろうか。ゴンスケが顔をむけている方角、クラウンは破裂音を量産するばかりだし、そんなの気をいらだたせるだけでたいしておもしろいとは思えないし。だが、ゴンスケはしきりに首をくいくいとやる。まっくろの瞳は次々に、哀れな風船の末路を目撃する。完成品はまだプードル一匹きり。友だちもいなくて、さみしそう。
誰もが知らないけれど、彼だけが知っていることは、まだまだある。どうして彼はそんなにもクラウンが気になるんだろう、とか、他には。
ゴンスケはその昔、獅子といっしょに暮らしていました、とか。
※
「オレの息子だ、よろしくしてやってくれ」
日頃からぼんやりした痴れ言を口にしては他人を煙に巻いてばかりいるような男だったから、彼のことばはもはや大抵の場合、まともに取り合ってもらえなくなっている。けれども、この、いきなりの子持ち宣言にはさすがに、慣れたまわりのものたちでさえ色めきたった。とうとうどこぞで私生児でもこしらえてきたか、いいや、こすい商売女に勘定の合わぬ赤ん坊でもつかまされたか。しかしそれぞれの思いに反して、彼が片方の手で吊り上げてみせたのは、まえに突きだした鼻面が特徴的な赤毛の四つ足、いっそはずませてみたくなるほどちびっちゃくて丸々しくて、坂のてっぺんにでも置き去りにしたらすぐにしまいまで廻って落ちてゆきそうな。
「‥‥それ、犬じゃないんですか」
「犬じゃあねぇ」
男は仔犬のとなりに《かしら》をならべる。巨形の寄せ木細工、表面のほとんどにはあざやかな朱の顔料が塗りつけられているが、部分部分大胆にほどこされた金箔、銀箔、なにかの生き物の首をかたどったものなので、かしら、だ。丸い二つの目は一見したところおそろしげだけどもよくみれば愛嬌豊かで、頂には一角がつんとそびえる、それのふもとに元は馬の尾らしい白毛がさわさわと――よくできた獅子頭である。
「こいつぁ獅子の子だ」
了承、できるわけがない。どこが、という非難の声があがるまえに、男は仔犬にかしらをちかづける。
「ほーれ、見ろ。よっく懐いてやがる」
いうとおり。自身を一呑みしてもまだ余裕のあるいかつい大口が側に寄っても、仔犬はおびえるでもなくうなるでもなく、まだまだこどもの尻尾をちょこちょこ振り振り、親愛の情をしめす。一匹と一つをいっしょくたに地面に降ろしてやると、今度はみずから歩み寄り、のばしきってもかしらのてっぺんまでも届かぬ上背をいっぱいにつかってかしらについた耳を前足で押さえ、ぐまぐま甘咬みをはじめる。
「こんなにちっちぇえうちからこんなに胆が据わってんだ、こいつは獅子にちがいあるめぇよ。なら、オレの子もおなじだろう?」
男は旅回りの神楽一座の座長だ。といっても、祭祀にかこつけては今宵限りと不埒な慰みも許される、いまだ芸能と神事にあきらかなくぎりのつけられていなかった時代のはなしである。一座の芸も、神性あふるる奉納舞から親しみぶかい傘回しまで多彩な種類をとりそろえていた。一座の根城は神の国・伊勢だったが、乞われればどこへなりとでかけて演舞を披露するので、地元に帰れる日は年に七日もない。無法者にからまれることはしょっちゅうだし、約束の手間賃にとどかぬことも一度や二度ではなかったが、それでも総勢11人の一座はたいそううまくやっていた、理由は様々だが、一行をまとめる男のからりとあとをひかない気質もおそらくはそのひとつだろう。
男は一座で必要とされる一通りの芸は抑えていたが、殊更得意とするのが、さきほどの獅子頭をつかって仲間のひとりと組んで演じる二人立の獅子舞だ。彼がかしらをかまえてきんきらの歯をカチカチっと動かすと、それを遠巻きに見守る年端もゆかぬ幼い子は今にもあたまからかじられそうな恐怖にこらえられず、うわっと泣き出す。それよりもうすこし年嵩の子は、弟だか妹だかの手をひきながら、莫迦だねつくりものだよ、と慰めて、だけどもあまったもう片方の手に霜のような汗をかく。獅子は子どもたちをやぶにらみに、一歩、一歩、道を行く。塵の隙間も逃すまい、と、精密な仕草で睥睨する。大人たちは、これで邪気や魔は祓われたにちがいない、と安堵する。
そういうたいせつな商売ものである獅子頭を、拾ってまもない仔犬に咬みつかせてにこにこしてるのだから、やはり彼は変わり者なのだろう。だから、しょうがないか、これもいつものこと、と一座の皆はだんだんとあきらめの気持ちになってくる。それに、だ。
なんだかんだいっても、仔犬はかわいい。
三角の外耳は今はまだ力なく伏せられているけど、そのうちぴんと立ち、一里むこうの虫の声だって聴きわけるようになるだろう。危なっかしい足取りも、骨や筋が固くなるにつれ、大地に負けぬ、大地を追い越す疾走をみせるようになるだろう。でも、けっこう優しい面をしてるから、鼻先に蝶がやすむ日もあるかもしれない。そういった可能性もふくめて、全部がぜんぶ、愛らしい。
「よかったな、ゴンスケ。今日からおめぇはオレたちの家族だぞ」
獅子の子というわりに平明な名前をつけられたゴンスケは、うん分かったよ、といいたげに、ワンと一鳴き、それからおもむろにかしらへの甘咬みを再開した。
11人が11人と1匹になった一座がそれからどうなったかというと、依然として、とてもうまくやっていた。もともと呑み込みのはやさでは定評のある柴の一族として生をうけたゴンスケ、誰かが無理矢理教え込んだわけでもないのに、いつのまにやら投げた球を飛び上がって空中で銜える技などを会得している。ひとりがおもしろがってそれよりもうすこし大きい、球というよりは玉、を地面に転がすと、いつだったかかしらを甘咬みしたときのように、よちよちの二本足で玉をせっせと押しはじめた。これは愉快、と、新しく招かれた土地での演舞のひとつにくわえる。それだけじゃ淋しいから、と、諧謔と愛情に満ちた旋律を足す。皆は歓ぶ、皆というのは一座だけのことではなく、演芸を愉しみに来たものたちも、また。おひねりが飛ぶ。それを上手にくわえあげて、ちょこりとお座り、ゴンスケのごあいさつ。そこでまた、やんやの喝采。
ゴンスケはたしかに、仲間であった。
そういうふうに楽しくやりながら、いつしか5年のときが過ぎる。5度めの初夏は朗天がすくなく、閉じた杜のようなぶあつい灰色の雲が十日も二十日も天の円蓋を占めていた。蒸し暑い。いっそどしゃぶりでもおこれば、鬱々と地にこもる瀟気もにじみながせたかもしれないが、生憎と一粒だって降臨しやしない、悪いモノは発散の行き場を失い手近な肉を繁殖の茵にえらぶ。――流行病の噂を聞くようになるまで、幾日もかからなかった。いやだねぇ、気をつけなけりゃ。日々の挨拶がお互いへの忠告にとってかわられる。旅回りの一座のなかも、おなじようになる。
おう、おめえもな。座長の男はいつものように、真剣みの足りぬ態度で返辞を返す。そのとき、彼等はとある宿場町の木賃宿を仮の住まいとしていた。めずらしく客がほとんどいなかったことと、座長の特権で、一人一部屋――正確には、くわえて、こっそり一匹――の贅沢をあずかった彼、「病に対抗するにゃ、精気をやしなわにゃ。今日は、各自、好き勝手すっか」ひさしぶりのいとまを告げる。一座が思い思いに街の一角へ出かけるのを見届けてから、彼自身はというと、部屋にひきこもってしまった。
ひとりではない。ゴンスケもいっしょである。煎餅布団にごろりと横たわった男のうえに、ゴンスケは臍をこすりつけるように全身でのしかかる。こうすると、腹に人の体温が直接つたわってきて気持ちいいのだ。
「ったく、しゃあねぇなぁ。重いっていってんのによ」
そういいながらも彼はこばまない。むしろ、頬から顎にかけてやわらかな部分を、獅子頭を繰るための骨張った指で、ぐしゃりぐしゃりかきまわす。慣れた手つきで、髭などの弱い部分はたくみに避ける。10分ほどはただそれだけの時間であったが、ふいに止まる。夕暮れの風のような唐突さで。
ちょっと物足りない。おあずけをくらったときとおんなじ瞳の色で、ゴンスケが男を見上げると、彼はつと、横を向く。こんな安宿の部屋の窓からでは、たいしておもしろい風景がひろがっているわけがない。しかし、彼は見果てぬむこうを、見る。
「‥‥なぁ、ゴンスケ。おめぇはおめぇ親父のことおぼえてっか?」
5年もとなりにいれば、なんとなく分かってくる。こんな含んだ物言いをするときは、ゴンスケをとおしてべつのなにかにも語りかけようとしているときだ。ゴンスケのうしろにいる精霊かもしれない、幽霊かもしれない。しかし、ゴンスケがいなければ、それはたしかにできないことなのだ。だから、ゴンスケはじっとしていた。男の好きなようにさせておいた。
「オレの親父はな。体中に紫の斑点浮かせて死んだよ。流行病でな。そういうのにやられやすい血、らしい」
花がな、咲くんだよ。
とても醜い花が開ききっちまった。
男はゴンスケをかいぐりした腕をつつむ袖を、一気くたにひきおろす。そこではもう半分以上の面積を、人の肌とはおもえぬ色がはびこっている。今にも血を噴きそうに、静脈が無数の瘤になってうきあがっている。
そんな腕では、もうかしらをとることは難しい。
「知ってるか、ゴンスケ。鯉は滝を昇ると竜になるんだ。そんならおまえだっていつか獅子になったって、おかしかねぇわな」
袖をまた元通りにして、男はふたたびゴンスケをなぜはじめる。ゴンスケはやはり、されるがままになっていた。時折まなこの近くの皮膚がつっぱって、猫みたいな瞳になることもあったけど、それでもされるがままになっていた。
「死にやすいからな、意外と」
人は。
人でなくとも。
生きてるものは、すべて、死にやすい。死にやすいから、生きたい、餓鬼じみた天の邪鬼な希望だ。しかし、只人の身にはこれが意外にむずかしい。金子をつぎこんでも、めいっぱいの努力をしても、絶対的にかなうとはかぎらない。
それでも、望みは変わらない。変わってしまえば、それは望みではない。
「まぁ、おめぇは生きろよ。柴のまんまで生きにくいなら、獅子になってでも」
また、手が止まる。男は立ち上がる、ゆるやかに部屋を出て行こうとする、あとをついてゆこうとしたゴンスケに「待て」の命令をかける。そんなことは久しくいわれていなかったので、ゴンスケはおどろいたが、けっきょくはいわれたとおりにした。後足をそろえて、その場に待機した。
「よろしく、な」
――神楽一座の座長が逃亡する、という異常事態があかるみにでたのは、宵の口、木賃宿の提灯にはじめの灯火がはいったころである。
※
たった300年まえの昔話。人の一生を50年で換算すれば、生きて、死んで、をたったの6回程度、循環することになる。
ゴンスケは長じて獅子になることはなかった。主と別れたときよりいくぶん体格は変わったかもしれぬが、それも誤差といっていいくらいの、微塵のちがいにおさまっている。彼は、柴だ。柴でも、生きられた。いや、それはたしかに『死』もふくめてが生粋の柴犬なら、ゴンスケは柴をなのれないのかもしれないが、光を回転反射させるつぶらな瞳も、なにかを乗せたくなる平らかな額も、太く締まった口吻もすべては柴のもちものと大差ない。
そして、今はここにいる。
初夏の日の公園、風は緑、光は絹。
まぶかなとんがり帽子のせいですぐには判別できなかったが、クラウンはそこそこ年若いようだ。離れた当時の主よりも、まだ年が下、300年も生きたゴンスケとくらべれば、若輩者もいいところだ。ならば、芸が未熟なのも、しかたがない。なに、焦ってもしかたがない。人に抱腹と解放への糸口をあたえる仕事なのだから、自身がどっしりかまえてゆかぬと、お客様を安心させられない。
――それができなくなったとさとったから、あの人はみずから去っていったのだろう。
実際、座長をうしなった一座は、それからほんのすこしずつうまくたちゆかなくなった。芸の質が落ちたとか、そういうことはほとんどない。座長の芸は見事だったが、それを支えるものたちもきちんと技術はあった。なのにどうしてちぐはぐになったか。まとめるものがいなくなったからだ。うしろで見守ってくれる、そういう人を失ったからだ。ほとんどなしくずしに一座は解散し、ゴンスケはいっしょに往こうと誘ってくれた人のもとを逃げ出して、旅に出た。
まぁ、生きろや獅子になってでも。そう云った男を捜す旅。
彼は、生きろ、といった。依願であり、いいつけだった。なら、きっとあの人も生きている。人にあれをしろ、と命じた自分がそれをなさない、そんな人ではなかった。ゴンスケは信じていた。主の生を、それ以上に、主の気性を。いいかげんなところは多かったが、本質的なところで勝手にうらぎる人ではない、と。
ゆぅるり移動する。
クラウンは跫音もなく突如、近付いてきた犬に、目を丸くした。そうすると、すこしだけゴンスケの瞳に似ていた。だから親近感をおぼえたのだろうか、彼は唯一の完成品、プードルをゴンスケの首のまわりに巻いた風呂敷のところに置く。それはわりによい具合におさまり、絶景かな、そういいたげにプードルはきゅっきゅっと音をたてる。ゴンスケはプードルをあやすように、一度、ワン、と吼えて、それからクラウンにむけてもう一度吼える。
いいものありがとうございます、
まぁ、がんばって上達してくれ。ワン。
心の中でだけ、主の口調を真似する。
まぁ、生きろ。
行く先は、遠かった。
※ライターより
‥‥はやくしあげよう、と思うときにかぎって、おそくなります。そんないいわけはともかく、申し訳ございません。
書いたあとで気がつきました、いかにも捏造が多すぎました。そして、時代考証がむちゃくちゃです。えーと、生類哀れみの令? 知らん、とそんな具合に。つくりすぎのご主人様ですが、枯れ木も山のにぎわい、ということで(なんか違う)
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