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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


セピア 〜輪廻〜

 再び目を閉じた。ぴったりと合わせた瞼に浮かびあがってくる記憶。
 渡会R人の過去の姿であるキースだけではない、カレンの想いも蘇る。おそらくは、当時のキースには知り得なかった出来事さえも。
 それは想いの強さ。
 来世を祈る、ふたりの想いの強さ。
 自分の中に溢れてくるたくさんの記憶の断片は、前世からつながっているもの。
 僕はしっかりと思い出す。辛くとも、心の目を開いて。

                           +

 心から抜け落ちた何か。カレンはそっとキースがいつも座っていた椅子に腰掛けた。彼が見つめてくれていたのは自分。絵筆を持ち、カンバスに走らせながら見つめてくれていた熱い眼差しを思い出す。
「キース様……。貴方は私のことをどう思っていて下さったのですか……」
 ふたりをつないだ唇の熱。鮮明に覚えている。カレンはそっと指先で触れて、もう一度…と願っている自分に気づいた。
「私は、私の気持ちは――。もう…お逢い出来ないの……?」
 問いかけても、答えるのは少し困った笑顔の幻影。壁に飾られた肖像画を見つめた。ドレスの青。背景の光と影。柔らかく微笑む自分の顔。いつも鏡で見ている姿ではない。恋を知る迷いのない、体から喜びが満ち溢れる姿だった。まだ乾いていない絵具の匂い。キースの残り香。彼の胸の中にいたことを強く感じたくて、カレンは絵に近づいた。
「……何かしら? ここだけシワが深い」
 近づいて不思議に思った。ドレスの裾。額に隠れそうな端に、サインにも似た深いシワが描かれていた。全体的に白を基調とし、淡い色彩で描かれているのにその部分だけ色彩が濃いのだ。
「これは文字の綴り? ……まさか!」
 張りつくようにして見入った。シワのように見えたものはアルファベット。大きな絵を強引に取り外し、急いで用意したオペラグラスで覗きこんだ。
 そこにあったのは、愛の言葉。

『いつまでも愛しています。永久にこの絵とともに貴方が幸せであらんことを』

 カレンの目に涙が溢れた。手で拭っても溢れてくる涙。キースがいないのだという現実が、今になって胸を激しく切り裂いた。ずっと涙が出なかったのは、辛い現実を信じたくなかったからかもしれない。頬を伝い零れ落ちるのは透明な雫。心を潤すことのない喪失の河。
 告げたいと願った。自分もまた、キースに運命を感じていたことを。愛していたことを。
 今更、願っても叶わないかもしれない。けれど、カレンは彼を求める心を押さえることができなかった。せめて、一言『私もです』と伝えたいと。

「許さんぞ! あの男なら街を出た。どうせすぐに、他の女に囲われているのだろう。大事な娘に軽々しくも手を出しよって」
「キース様はそんな方ではありません!」
「カレン!! キース様だと。お前はあの善人面に騙されているのだ。大方、財産目当てか」
「止めて下さい!! 父上、私はあの方を探しに行きます。止めても無駄です。決めましたから」
 激しく恫喝する父親を背に、ドアを固く閉ざした。朝になれば妨害の手が廻り、屋敷から出られなくなることは容易に予測できた。カレンはメイドのひとりに、自分の代わりにベッドで休むように頼んだ。メイドの少女が自分の身代わりになったことで、父親の怒りを買い解雇されてしまうかもしれない。そうなっても良いように、紹介状と少しだが金貨を渡した。
 窓から庭へ出た。月明かりが闇を照らす。大通りに出ると駅馬車を止めて、カレンは街を目指した。

 何度目かの朝を迎えた。そして知り得た現実は、カレンを一気に崖下につき落した。
「ああ、その男なら死んだらしいよ。なんでも街から追い出されて、村の酒場で飲み過ぎたって話しだよ」
 体から力が抜けていく。足が立たない。まだ何も伝えていないのに。
 喪失感が覆い被さる。暗幕が視界を遮り、何も見えない。
「お嬢さん。大丈夫かい? 気をしっかり持ちなよ」
 彼を殺したのは私だ。私を描きにさえこなければ、彼は死なずにすんだのに。私のせいで――。
 心が壊れていく。初めて知った恋心。初めて知った慕情。初めて知ってしまった、愛した人を失う辛さを。永遠に知りたくもなかった現実を。
 カレンは宿屋の女の腕を払い街に飛び出した。待たせてあった馬車の御者が叫ぶ。その声も届かない。耳の奥で繰り返されていたのは、キースの自分の名を呼ぶ声だけ。
 『カレン様。キースと呼んで下さい』
 降り出した雨が体を打つ。泥道になった通り。引きずられたドレスが汚れていることにも気づかず、カレンはさ迷い歩いた。雨霧に浮かぶキースの幻を追うように。

                              +

 気づいただろうか。いや、一生気づかれない方がカレン様のためになるとも思った。
 キースは街から離れ、村の酒場にいた。声をかけてきた男と飲み明かす日々。絵筆さえも持つ気になれない。愛しい人を求める心。それを押さえ込むには多量の酒の力を必要としたのだ。
「お前、女のことくらいで泣くな〜」
「放っておいてくれ」
「まぁ、そう言わずに飲め、飲め」
 男の歳恰好は自分とよく似ていた。身の上も最近解雇されたことなど似通っていた。酒場のマスターが迷惑そうに時折、視線を配っているのに気づく。と、男が突然倒れた。口の端から泡を吹いて。
 ――男は死んだ。ずっと酒に溺れていたのだろう。誰も看取る者のない者同士、キースは男を埋葬してやった。村から街へと戻る。身内を探してやらねばならない。街にくればカレンの想い出が蘇り、辛くなるだけだと分かっているけれど。
 雨が降り始めた。
「これは雷雨になるな……。早く、役場に行かなければ」
 キースが小走りに大辻を渡った時、馬の嘶きと激しい罵声。甲高い悲鳴が起こった。俄に騒ぎ出す通行人。
「なんだ? 事故か?」
 雨で視界が悪い。馬車は急に止まれないために、馬車同士の事故は起こりやすかった。いつもなら通り過ぎる場面。だが、この時キースは激しい胸騒ぎに襲われた。
「若い女が馬車に轢かれたぞ!!」
 弾かれたように飛び出した。馬車の前に倒れている人影。心臓を突き刺す黒い予感。
「まさか……まさか! そんなはずない!!」
 キースの願いは天に届かない。横たえられていたのはブルードレス。長い黒髪。青白い頬。狂おしいほどに求めた魂の片割れ。
「カレン様!! なぜ、なぜ…貴方がこんなことに……」
 膝をつき、覗き込んでいる野次馬を払い除けた。そっと華奢な体を抱き上げる。僅かに上下する胸。体温を失い始めている手を握り締めた。涙が零れて視界を不鮮明にするのを拭った。眉間から流れる赤い血。すぐさま雨に流されいく。弱々しく吐き出される息。キースはあまりにも痛々しい姿に、カレンを強く抱き寄せた。
「僕がいけなかった。愛を告げるべきではなかったんだ。貴方を失ったら、僕は――」
「……」
「……えっ…?」
 寄せた頬。耳に囁かれた小さな声。抱きしめているのがキースだと気づいた、カレンの最後の力。
「キース様……。わ…たしも……愛し…ています」
「僕は、僕は貴方を失いたくない。死んでは駄目だ」
「ごめ…んなさい……」
 辛うじて紡がれた謝罪の言葉に、キースは頭を振る。
「天よ。願わくば、この人を救い給え。僕はどうなってもいい、だから――」
 雨が激しく顔を叩く。カレンが助かるのならば、何もいらない。何もいらないのに。
 震えるキースの手をカレンが握り締めた。慌てて視線を、虚ろに開いた碧の瞳に向けると、カレンはゆるく微笑んだ。
「……私は、貴方の絵筆…の中に…生き続けます。絵を…絵を描き続けて……」
 永久なる笑み。
 永遠の幸せを手に入れたかの如く、満足そうな表情のまま、カレンはその瞼を二度と開かなかった。

 キースの痛哭が街に響いた。雨の音さえも、それを遮ることはできなかった。
 頭の中で繰り返されるのは幸せそうなカレンの笑顔。初めて口付けた後の朱に染まった頬。まっすぐに空を見上げた真摯な瞳。そして、腕の中で消えた青白い顔。
 何度、後を追おうとしたか。
 河の流れに身を任せれば、カレンと同じ場所に行けるかもしれない。酒さえも、何の助けにもならなかった。失ったのは魂の欠片。砕けて心臓に突き刺さり、今にも自らの呼吸をとめてしまいそうだった。
 だが、その度に思い出したのは最後の言葉。カレンの唇が紡いだ約束の言葉。

『愛しています。絵を描き続けて……』

 来世を祈る。
 再会できると信じて。自分にできることは、カレンの愛した絵を描き続けること。
 きっと出会える。絵の世界を通して。
「カレン様……カレン。永遠に愛している。例え、僕がキース・ルゴーでなくなっても」
 互いに愛したのは姿ではない。その魂。まっすぐに見詰め合える未来を信じて。

                         +

 再び零れた涙を拭う。
 僕は決心した。まずは絵を描こう。描くものがカードでよかった。その分、柑奈さんに逢う機会が増えるから。

 絵具を拭いてくれた彼女の手を思い出した。触れられることの幸せ。
「彼女は生きている…それだけでいいんだ」 
 タロットカードに僕の願いと想いを込めて、柑奈さんに贈ろう。
 愛している。
 きっと生まれる前から、僕が前世を思い出す前から。


□END□

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 病気療養のため、納品が遅れてしまい申し訳ありませんでした。ライターの杜野天音です。
 はぁ〜書いてて悲しかったです。気づくとぼんやりと口を半開きのままにしてました。愛する人を失う――それは本当に辛いことです。来世を祈ったふたりが現世で出会えてよかったです。これから、柑奈さんがR人さんの想いに気づくといいですね。
 如何でしたか? 素敵な物語をありがとうございました。