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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


終わりのないメッセージ


 「すみません、声を荒げてしまって……」

 草間と零の目の前に座っていた大男は、ものすごい勢いで立ち上がった。彼は切なる思いを胸に秘め、それを口にするのを我慢していた。しかし草間とのやり取りでつい興奮してしまい、大声を張り上げてしまう。その口から飛び出してきた言葉は草間や零たちの心の奥で響く……お互いに傷つけ合うような面談だったが、それでも草間は話を続けた。

 「依頼を持ちかけた者はもちろん、それを引き受けた者にも守秘義務が発生する。それが探偵業の規則だ。君の気持ちは痛いほどよくわかる。だが……」
 「ごめんなさい、藤岡さん……」
 「いや、いいんです。そんなことくらい私にでもわかります。だが、そこを曲げて何とかしてほしいと頼んだのは私です。それで怒ってるんだから世話ないよな。妹さんもそんなに気を遣わないで下さい。本当に申し訳ありませんでした。」

 二十歳過ぎくらいの男・藤岡 敏郎は非礼を詫び、テーブルの上に置いていた免許証を手に取る。それは彼のものではなかった。左端にはかわいい女の子が笑顔で写っていた。最近になって運転免許を取ったのだろうか、彼女はとても幼く見えた。名前の欄には北崎 瞳と書いてあった。彼女のことは草間たちも知っている。だから場の空気が重くなるのだ。
 瞳は草間興信所で個人に振りかかる超常現象を解決するために活動していた退魔師だった。ただ腕は未熟で作業を共にする能力者からよく『危なっかしい』との報告を受けていた。しかし、彼女が事件をこなすたびにここで見せるあの笑顔が草間を黙らせた。いつかも、彼が持つ免許証はここでの稼ぎで取ったものだと嬉しそうに言っていた。草間はその笑顔につられて「この調子でがんばれよ」としか言えなかった。だが今、そんな彼の心は自責の念でいっぱいだった。あの時、なぜもっときつく言えなかったのだろう。あの時、なぜ笑ってしまったのだろう……後悔の念は絶えることがなかった。

 彼女はもうここには来ない。仕事中の事故で彼女はこの世を去ってしまったから。
 だから、彼氏である藤岡が来たのだ。瞳はなぜ死んでしまったのかを知るために。

 藤岡は彼女の遺品である手帳に書いてあった『草間』の二文字からこの興信所を探し出したのだという。もはやこれは執念としか言いようがない。そんな彼がここまで来て諦められるわけがない。彼は胸ポケットから紙を差し出し、草間にそれを見せた。

 「これは……なんだ?」
 「私と彼女がよく行った場所です。彼女の部屋や彼女の持ってた小さな車、よく散歩した臨海公園に一緒に買い物した近くのスーパー……都内の映画館に喫茶店の名前。そして……息を引き取った病院。」
 「おふたりで……いろんなところに行ってらしたんですね。」
 「ウソかホントかはわかりませんが、葬式をしたお坊さんがこう言いました。『悔いを残されたのですかな……何か言い残したことがあるような、そんなお顔です。死人に口はないかも知れぬが、彼女の霊はあんたや家族に何かを語ってくれるかもしれませぬ』と。あの娘には特別な力があった。もしこの世にそれが残っていると思うと……なんだか無性に悲しくなって。だからあなたにお願いしたいんです。彼女の念を、残らずあの世に送ってやってほしいんです……」

 免許証の笑顔が一粒の雫でぼやける。藤岡は搾り出すように話し続けた。

 「私がそこにいってもきっと何も見えない。きっと何も聞こえない。きっと瞳を助けられないんだ。あなたなら、なんとかできるんでしょう?」
 「……………できる。いや、やるさ。ただ、俺にもそのメッセージを聞かせてくれ。それが条件だ。」
 「あ……ああ、構わないさ。こんなことはあなたにしか、できないんだから……ううう……」

 くしゃくしゃになった顔を手で覆って静かに泣き出した藤岡……それを見た草間が立ち上がって静かに二度肩を叩く。そして零に向かって無言で頷いた。彼女は何も言わずに電話に向かい、いつもの仕事をし始めた。彼女の言葉を探してくれる人を見つけるために。


 その電話に飛びついたのは久しぶりの休暇を満喫していたシュライン・エマだった。この件に関しては特殊な事務作業をいろいろと行い、強く印象に残っていたのだろう。彼らにしてみれば草間名義の香典を出した時点である程度の区切りはついていたはずだ。そんな矢先だった。シュラインは上着を自分の机に置くと、ソファーでうつむいて黙っているふたりの肩を軽く叩く。

 「武彦さん、零ちゃん……あんまり沈み過ぎるのもよくないわ。でも気にするなっていう方が無理よね。」
 「シュラインさん……」
 「でもね、その力のことで前向きになれたのは紛れもなく草間興信所のおかげよ。私も感謝してるし、みんなそうだと思ってるはずだから。さ、私たちにできる仕事をやりましょ。」
 「ああ、そうだな。」

 草間も零も一応の元気を取り戻す。続いてシュラインは目の前にいる青年に話しかけた。

 「このたびは……ご愁傷様です。草間興信所で事務をしておりますシュラインと申します。この件に関して興信所からはこの私が協力させていただきます。」
 「藤岡、敏郎です。よろしくお願いします。」

 言葉少なに挨拶した彼は静かに頭を下げる。シュラインはさっそく過去の事件に関する太いファイルを取り出して、その中から北崎 瞳が関わったことのある事件をひとつひとつメモ帳に筆記していく。初めての参加から最後の事件まで、その小さなスペースが真っ黒になるくらい書き続ける。彼女はこの中から初心者の瞳が関わったことのないことなどを丹念に調べ上げていった。その作業はなかなか終わりそうにない。複数のファイルを見ながらも手はキーボードに向けられ、指は忙しく動いていた。
 しばらくするとまた興信所を沈黙が支配したが、サングラス姿の村沢 真黒が来たことでそれも少しは和らいだかに思えた。が、暖かい空間になるどころか周囲がいろんな意味で血相を変えるような事態になるとは誰も予想してなかっただろう。真黒は藤岡と同じソファーに座り、さっそく胸ポケットからタバコの箱とライターを取り出し、煙をふかし始める。自分だけ吸ってるのは申し訳ないと思ったのか、タバコを箱から一本出して草間にそれを向ける。

 「お前は吸わないのか?」
 「そんな気分じゃない。お前は気楽でいいな。」
 「ああ、そうだな。私は単なる暇つぶしのつもりだし。まぁ、悲恋ネタなら曲の詞に使えると思ってな。」
 「真黒さん……お隣に瞳さんを大切に思ってた方がいらっしゃってるんですからちょっと……」

 今回の件を頼んだ手前、草間も零も強く彼女を制止することはできない。シュラインも嘆息はするものの、今はそれどころではない。みんなが藤岡の顔色を伺いながら真黒に警告を促していた。そんな空気を読んだのか、真黒は依頼人の硬い表情を見て少し笑った。今度は草間たちの表情がこわばる。彼女はブツブツと何かを話し始めた。

 「……人は死ぬより死なれる方がつらい。そんなこともわからずに逝くヤツはバカだ。」
 「あなた……あなたはいったい何のつもりでそんなことを言うんですか!」
 「お前、さっき事情を話しただろう。ちょっとは察してやってくれないか。」

 藤岡が、そして草間がものすごい形相で彼女を睨みつける。真黒の言葉は煙とともに宙に浮いていた……彼女はそれに息を吹きかけると、さらに言葉を続ける。

 「いい男が何をそんなに怖い顔してんだ? 私は詞のフレーズを思いついたから口ずさんだだけだが、今のはどうだった?」

 シュラインが真黒に聞こえる声でわざと大きな溜め息をついた。完全な人選ミスだ。しかし草間は怒るに怒れず、零も十分に注意しきれない。元を正せば自分たちが悪いのだから、ここで怒るのは筋違いだ。真黒はそれがわかっていて軽口を叩くのだろうか。零は彼女の言動と表情が一致しないことに疑問を持っていた。相手に失礼な冗談を言うにしては表情がやけ厳しい……彼女は藤岡よりも真黒の顔をじっくりと見るようになっていた。
 そんな零の気持ちを裏切るかのように、部屋中にけたたましい着信音が鳴り響く。それは真黒のポケットから響いてくるものだった。彼女は「やっとか」と言いながらそれを取り出す。激しいサウンドは彼女が所属するロックバンド「スティルインラヴ」の曲のサビだった。メンバーからの着信はそれがかかるように設定してある。彼女はその場で電話に出た。

 「ああ、私。そこの階段を上がってすぐ。」

 どうやらここへの道案内をしているようだ。真黒の他にメンバーの誰かがまたここに来るらしい。興信所のメンバーは不安を隠そうともしない。またこんなのが来たらどうしようかと思いつつ、シュラインは早く外に出られるように情報を絞り込もうと必死だった。そしてひとりの女性がノックした後にドアを開けて入ってきた。今度は表情の明るそうな娘でひとまず周囲は安心する。しかし目はとろーんとしていて、動作もそんなにてきぱきしていない所を見ると『天然ボケ』という言葉を連想してしまう。真黒はソファーの空いたところに彼女を座らせ、一応の紹介する。

 「私のバンドメンバーのひとり、飯合 さねと。表情が緩いのは昔からだから気にするな。こいつ、これでも霊感が強くってな……霊が見えるらしいから喋ってんのもわかるんじゃないかと思って。」
 「んん〜〜〜? シンちゃん、一応わかるで〜。でもさっき残留思念ってゆーとったから、それと霊と一緒かどうかが気になるけどな〜。」
 「大して変わらないんじゃないのか、その辺は。見えたら見えたでいいし、見えなかったら見えなかったで構わないさ。」
 「それでええんなら、協力するで〜。」
 「その娘、霊……能力者なのか?」

 草間が驚くにも理由があった。電話で連絡したのは真黒ひとりだけだったのだ。まさか身内の人間を、しかも今回必要な霊能力者を連れてくるなど想像もしていないことだった。藤岡も真黒の見る目が変わる。そして表情も心なしかやわらかくなった。

 「グッドタイミングね。一応、目星はつけておいたわ。瞳さんが過去に関わった事件で妖しそうな場所は……やっぱり最後の事件現場かしら。あそこは誰も何も処理してないわ。そこにいる可能性は十分にあると思う。零ちゃん、お留守番お願いね。私たちは藤岡さんを連れてその辺を回るから、いつもの仕事してて。」
 「……そうだな、それが一番だな。零、お前は留守番だ。俺は車を出さないといけないからな。」
 「兄さん……わかりました。それじゃシュラインさん、よろしくお願いします。」

 また同じようにふたりの肩を叩くと、彼女は真黒とさねとに目配せする。真黒はさねとを立たせてさっそく瞳を探しに行くことにした。藤岡もそれに倣う。真黒はドアに向かいながらつぶやく。

 「しかしこれで、その死んだ娘のメッセージがアンタに向けてのものじゃなかったら、笑い話にもならねぇな。どれ、顛末を見てみるかな。」
 「シンちゃん、こんなことして曲になるん? ロックにはならへん気がするんやけど??」
 「おいおい、今さら仕事を降りるなんて言わないでくれよ。今日はさねとだけは意地でも連れていくからな。」
 「それはそれで……いいんですよ。別に私への言葉なんかなくても……」

 ドアに向かう途中に小さな窓が目に入った。藤岡は何気なく外を見る……その景色は瞳も見た景色なのだろう。嬉しそうに報酬を持ってはしゃぐ彼女が印象的だったと草間が話してくれた。そして今、ここに自分が立っている。これは運命なのだろうか……彼の心に自然と瞳への言葉が浮かんでくる。

 『瞳……ここで過ごした時間は楽しかったかい?』

 ただ、そう思いながら協力者とともにその場から出ていった。彼らは思い出の場所へと赴く。


 探索には時間がかかる。草間の提案で先に食事を済ませることにした。藤岡が彼女とよく一緒に行った『喫茶店アテンザ』で軽くブランチを取る。藤岡は辺りを見回す。まるで初めて来た店のような、そんな素振りを皆に見せた。景色が変わるとはこういうことをいうのだろう。瞳を失って初めて来る喫茶店はかなり趣きを変えたように見えた。他のメンバーと同じような感じで首を動かし、空いている席を適当に見つけて座っていく。真黒とさねとは同じ席に座り、ウエイトレスが持ってきたお冷をもらってとりあえず適当に注文した。

 「これ、探偵さんのおごりやの?」
 「自分からおごりだと言わなかったら、こっちからおごりと言わせるだけ。」

 そんな偉そうなことを言いながらおしぼりで手を拭く真黒。きれいになった手でさっそくタバコをつかみ、それに火をつける……そしてすぐに煙が明るい店内へと飛んでいく。さねとはお冷を飲みながら話そうとするが、それを真黒に怒られる。「行儀が悪い」と彼女の行動を一蹴するが、その言葉に嫌味はない。さねとは店内をきょろきょろ見回し、改めて真黒に聞く。

 「シンちゃん、女の人の霊を探すの?」
 「ああ、車の中で見せてもらった免許証の娘をな。それ以外には話しかけなくてもいい。面倒になるだけだから。」
 「そんな暗い霊と喋る気ないわ〜。話もジメジメしててつまらんし〜。」
 「今度は残留思念とかなんとか言ってたから、いなかったらいないと言えばいい。」

 その言葉に頷き、さっそく店内を見始めるさねと。その間、無意識にお冷を口に持っていきブクブクさせようとするが、そのたびに真黒からのツッコミが入る。さねとの話によると、ここは人間が多くてとても霊が来そうにないという。逆に残留思念はその場所にずっと留まる性質があるらしいので、いればすぐにわかるかもしれないと言った。真黒はそれを聞いて丸のような煙を吐いて返事をする。そしてその内容を隣の席に座るシュラインに伝えた。

 「そうね、昔のファイルを見てもそんな感じだったかしら。ただ残留思念は霊と違って襲いかかってくることがないから比較的安全かもね。」
 「藤岡がここで彼女を待たせたということがあって、さらにそれが強い念で縛られているなら可能性はあるということか?」
 「そんなところね。どっちかといえば瞳ちゃんの方が待たせることが多かったような気はするけど……そんな話を二度ほど聞いてるし。」
 「じゃ、ここは探偵さんのおごりで食事するだけか。しっかり頼むよ、その辺のことは。」
 「ひとり千円までだ。」

 さねとは綿密な打ち合わせをする真黒の姿を見て、彼女が文句を言いながらもなぜそこまでこの依頼に協力するのかがわかった。それと同時に意地悪っぽく笑い始める。

 「なーんや、シンちゃんも心配なんやな。あの藤岡って人のこと。昔からこういうの放っとけないタチやったもんな〜。」

 ウエイトレスが持ってきたナポリタンとアイスティーを嬉しそうに見つめながら、彼女はお食事を始めた。そんな幼なじみの心中も知らずに真黒もフォークをおもむろにつかんでペペロンチーノを食べ始めた。


 彼女を探し、次はスーパーに寄った。ここはさねとを先頭にぐるっとくまなく店内を歩いただけだが、どこにも瞳の姿がない。臨海公園にも姿はなく、藤岡も少しずつ弱気になっていく。彼女は誰にもメッセージを残さずに行ってしまったのだろうか……場所を回るたびに彼女と過ごした日々を思い出すのか、彼の口数もだんだんと減っていく。それを慰めることもできない草間たちだった。さねとは場所を回るたびに「ごめんな〜」と謝るが、公園では真黒がそれを言わせなかった。いないものは仕方がない……真黒にとって、それが藤岡やさねとに対する気遣いだった。
 そして有力な情報である事故現場などを回ることにした。その際、さねとには十分な注意を払うよう、草間やシュライン、そして真黒に警告される。今から行く場所は霊と呼ばれる物体が多いところだからだ。下手な奴に捕まると大変なことになる。それを聞いて藤岡は頭を垂れるばかりだ。自分が真実を知りたいがために、自分は協力してくれる人間を知らないところに連れ回している。そんな罪悪感に似た感情を心の中に抱いていた。しかし、それと同じくらい大きく大切な思い出が真実を知りたいと叫んでいる。彼の中にも葛藤があった。

 『君と出会った時間は数えるほどしかないのに、君を思い出させることは数え切れないほどある……失って初めてわかるなんて、バカだよな。今さら気づいたって、遅いよな。でも、俺は……』

 運転している草間も無口だ。隣にいる藤岡の表情を見ると言葉が詰まる。そして、その表情を後ろで見るシュラインも辛かった。だが、自分が見つけ出した可能性に賭けると自分の心に言い聞かせた。誰かが信じてあげなければいけない……彼女は車の行く先をまっすぐに見つめる。ふと気づくと、真黒もさねとも同じような姿で座っているではないか。凛とした表情でじっと前を見据えている姿を見て、シュラインも背筋を伸ばした。


 廃墟と化したビルの目の前で車は止まる。あの日、ここに悪霊が潜んでいたという。すでに何人もの一般人が犠牲になっていた。地域住民がそれを危惧し、草間興信所に依頼を持ちかけた。そして瞳を含めたメンバーがここで戦いを繰り広げ……そして彼女は帰らぬ人となった。草間は事件解決後に花を添えに来たっきり足を運んでいない。当時そこに多く手向けられた花々は、地域の人たちによって丁寧に手入れされているおかげで今もきれいに咲いていた。
 その花の前にしゃがみこむ草間。自分の捧げた花がまだ生きているのを見て、自重気味に笑った。

 「そうか、まだ咲いていたのか。そんなに時間が経つのは遅いのか。世の中、都合よくできていないってことだな。」
 「あれ、あの娘……?」

 自分が手向けた花を愛でながら静かに話す草間を遮ったのはさねとの言葉だった。彼女は何かを察して視線の先をじっと見る……ビルの物陰でぼんやりと女性の姿が映っていた。それは写真の中で笑っていた女性と同じだった。さねとはろくに警戒もしないで、そこまで駆け寄る。そしてその顔をじっくりと見直した。

 「やっぱり……自分、瞳ちゃんやろ?」
 「さねと、なんだって……?」
 『あ……見えるの、私が。あなたには、私が、見えるの?』
 「見えるよ、ちゃんと見えてるで〜。なんか話すこと、ある?」

 周囲の人間は瞳の残留思念に話しかけるさねとの言葉に耳を傾ける。今の彼女は他の人間には見えない。ただその話の流れを聞くしかないのだ。藤岡も息を飲んで話を聞いている。

 『私……幸せだった。たぶんこのまま死んじゃうだろうけど。』
 「えっ、死ぬのがわかってて幸せやの? なんで??」
 「さねと……」

 真黒の言葉はツッコミではない。彼女もその言葉に耳を疑った。今から自分が死ぬとわかった時の瞳の気持ちが再び語り出す。

 『あの悪霊は人の命をたくさん奪った。けど、私でおしまいになったから。みんなが倒してくれたから。だから……なんにも心配ないの。明日からは近所の子どもたちも安心して暮らせるから。』
 「わかるよ、倒したから安心できるんはわかる。でも……でもな、自分はそれでいいの?」
 『何にもできなかったんだ、私。小さい頃から泣き虫で、何にもできなかった。何かしようと思ってもそれはせいぜい両親や友達だけだった。今ね、私はたくさんの人を安心させられたの。素敵なことだと思ってるわ。私がいっちばん、人の役に立てた瞬間なのかもしれないな。』

 さねとは言葉を伝えなければならない。だがそんな余裕などどこにもなかった。彼女の気持ちを理解してあげるのに精一杯で、周囲にそれを説明するどころではなかった。目は少し潤んでいる。

 「瞳ちゃんの大切な人、ここにおんねんで! 見えるやろ! なんか言うてあげてよ!」
 『どこの誰かは知らないけど……聞いてくれてありがとう。みんなが病院に連れていってくれるから、またそこで会えたらいいね。』

 そう言い残すと、瞳の姿はどんどん薄くなって消えた。さねとは呆然とそれを見届けた。そんな彼女の肩をシュラインが叩く。

 「想像はしてたけど、残留思念って……そうね、留守番電話みたいなものよ。自分の伝えたいことだけがそこに残る。そんなものらしいわ。藤岡さんに彼女は見えなくても、彼女には藤岡さんが見えるかもしれない……あなたはそう思ったのね。でも彼女は、彼女の形をした伝言板に過ぎないの。ね、だから……」
 「シュラインさん、病院行こ。」
 「さねと、病院にも彼女がいるんだな?」
 「早よ行こ! 病院に行って話を聞こ!!」

 さねとはいつもの穏やかな雰囲気のまま興奮していた。彼女は車に戻り、後部座席に陣取る。真黒が移動中に説明するようさねとに言って聞かすと、彼女もさっさと病院に行こうと言い出す。草間もシュラインも、そして藤岡もただ首を縦に振るしかなかった。そして車は再び動き出す。


 車の中でビルでのメッセージを聞かされた藤岡はうつむいたままになった。自分の知らない彼女を知ったからか、少しショックを受けているようにも見えた。きっと彼女は藤岡にさえも危険なアルバイトのことを話していなかったのだろう。草間とシュラインはあの時の悲しみが波に押し戻されたような感覚を持った。純粋な彼女だからこそ自分の気持ちをはっきり言ったのだろう……それをふたりは心で受け止めた。そして合点のいかないさねととタバコを吹かす真黒……彼女たちの心中は計り知れない。車は病院へと急ぐ。

 車は病院へと着いた。藤岡が言うには、彼女は病室で息を引き取ったらしい。その病室に向かって歩き出す一行。ゆっくりと昇るエレベーターの中でも皆、一様にして無言だった。そしてまだ使われていない病室の前にたどり着く。藤岡はあの日、ここで安らかな彼女の顔を見たばかりだ。ただそこで立ち尽くしていた。その背中を片手で押す草間……彼は藤岡に503号室のドアを開かせた。
 そこは悲しいほど広い空間だった。ベッドの上には何もなく、花瓶はあっても花はない……廊下から吹きこんだ風がわずかに白いカーテンを揺らすだけ。寂しいという言葉が似合うその場所で、さねとは部屋の隅にいる彼女を見つけた。瞳もその存在に気づき、少し微笑んだ。それはすがすがしいものだった。悔いという言葉など微塵も感じさせない。

 『ありがとう、こんなところまで来てくれて。私はもういないだろうけど。』
 「私が聞いたげる。何でも言うてな……」
 『親不幸じゃないんだよ、こう見えても。お父さんもお母さんも私より先にあっちに行ってるんだ。そういう意味では心残りはそんなにないかな。急に部屋を空けちゃうから、みんなに迷惑かけちゃうけど……友達にお願いしよっかな。最期のわがままでね。』

 冗談めかして言うわりには顔が笑っていない。当たり前といえば当たり前だが、その表情がさらにさねとの心を揺さぶる。

 『あと……草間さんとシュラインさん、それに零さん本当にごめんね。自分でもドジなのはわかってたの。でも、このお仕事をやりたかった。やってみたかったの。少しは自分らしくなれるかなって思ってた。心の底から。だから、何にも気にしないで。』
 「草間さんシュラインさん、瞳ちゃんごめんねって言ってるわ。自分らしくなりたかったんやって。」
 「……………っ。止められなかった俺にも責任があるんだ。瞳はもっと自分らしくなれたはずなんだ……もっと輝けたはずなんだ、絶対に。」
 「武彦さん……そんなに自分を責めないで。瞳さんがああ言ってるんだから。」

 シュラインが草間を励ます。瞳のいる場所から目線を逸らし、うつむく彼の背中をさすって落ちつかせる。徐々に瞳の姿はぼやけてくる。まだあの言葉は聞こえてこない。さねとは焦った。必死の形相で目を凝らしたところを真黒に見られてしまった。

 「さねと、まだなんだな?」
 「まだやねん……まさか……」
 『最後にね、どこの誰かはわからないけど伝えてほしいの。藤岡 敏郎さんっていうんだけど……その人に本当にありがとうって伝えて。最後まで言えなかったんだ、このお仕事のこと。心配かけるといけないと思って黙ってたの。いろんな言葉と一緒に心の中に片付けて置いたんだ。でも、余計なことは言わない。私は遠いところに行っちゃうし、そんな遠距離恋愛なんかしない方がいいしね。』

 待っていた言葉がやっと来た。さねとは一言一句間違わずにそれを伝える。誰もいない壁際に向かって無意識に話しかける藤岡。

 「瞳……俺は、俺は……」
 『私、幸せ過ぎた。あなたと一緒の時、とっても幸せだった。だから、もうこれ以上は言わない。これがあの人へのメッセージ。』
 「幸せだったのは君だけじゃない、俺もそうだったんだ……瞳、礼を言うのは俺の方なんだ……!」
 『あっちで会う時までに……いい人を探してね。それがあなたのためだから。』
 「俺は瞳を愛してる! 今も、今も……」
 『また、会えるよね。きっと。あっちで。』
 「俺にそこまでしてなぜ……瞳ぃぃ!!」

 決して自分の気持ちを明かそうとしない瞳に対して叫び続ける藤岡……誰にも彼を制することはできない。その一言がやさしさに満ち溢れ、その言葉が彼に語りかける。「愛している」という言葉はなかったが、これは紛れもなく愛の言葉だった。いよいよ瞳のその姿は消えていく……

 『ありがとう、みんな。私の遺言、聞いてくれてありがとう。これで私は全部……』
 「瞳……瞳ぃっ!」

 そう言い残すと、そこから彼女は消え去った。病室には何も残らない。ただ、殺風景な表情をさらしているだけ。すべてを伝え切ったさねとは窓の外を見る。気持ちいいくらいの青空がそこに広がっていた。そこに瞳の面影を探した……雲の中に、風の中に。だが、その潤んだ目は何も見えなくなっていた。真黒は彼女の肩に手をやった。

 「もういいんだ。お前は探さなくていい。これで……いいんだ。」
 「シンちゃん……」
 「お疲れ様。ホントにありがとね。辛い役目をお願いしちゃったかしら……」
 「ううん、別にええよ。私も人の役に立てたから……」

 さねとの言葉を聞いて、少し乱暴に頭を撫でる真黒だった。彼女は何も言わずにそこにいた。ただ、空いた手でサングラスを外し、さねとの代わりに窓の外にいるかもしれない瞳を探していた……


 この件に関しては一応の決着がついた。シュラインはみんなが帰った興信所の中であのファイルを片付けていた。草間も零も店じまいの準備をしている。しかし、その表情は決して明るくない。すべてのメッセージを受け取った草間のショックは特にひどく、このままではしばらく引きずりそうな雰囲気だった。そんな様子を察して、シュラインは電話の受話器を取る。そして大きな声で元気よく言った。

 「特上、3人前っ!」
 「お、お前……寿司屋に電話してるな! しかも特上ってお前……」

 慌てる草間を置き去りにしてシュラインはさっさと用件を伝えると、そのまま受話器を下ろしニヤッと笑う。

 「まぁまぁ、今回は私のおごりよ。それだったらいいでしょ?」
 「シュラインさん……」
 「立派な娘がいたのよ、うちに。それを誇りましょう。誰も間違ってなんかいない……それが私たちに対する彼女のメッセージよ。」
 「お前……」
 「さ、さっさと片付けましょうか。武彦さん、吸殻はちゃんと流しに持って行ってね。」

 元気に号令をかけるシュラインを見て、いつものようにきびきび動き始めたふたり。それを見て自分も重いファイルを持ち上げようとする。その時、彼女は小さな声でつぶやいた。

 「……お疲れ様。あなたのこと、誰も忘れたりしないわ。」

 そう言ってファイルの表紙をやさしく叩くと、それをわずかな隙間に埋めた……


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/ PC名 /性別/ 年齢 / 職業】

2866/村沢・真黒    /女性/22歳/ロックバンド「スティルインラヴ」のベース兼ヴォーカル
2975/藤岡・敏郎    /男性/24歳/TI社の一般社員
2867/飯合・さねと   /女性/22歳/ロックバンド「スティルインラヴ」のキーボード兼ヴォーカル兼作曲担当
0086/シュライン・エマ /男性/26歳/孤児院のお手伝い兼何でも屋


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■         ライター通信          ■
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皆さんこんばんわ、市川 智彦です。今回はちょっと物悲しい物語を書いてみました。
久しぶりにこんなノベルを書いたら涙腺が弱くなりました……もう年ですね。
伝えきれない思いを抱えて死んだ女性の物語、実は凄まじい仕組みになってます。
それはオープニングを読んでくださった皆さんならわかるかもしれません……?

シュラインさんには草間興信所でありそうでない物語にお付き合いして頂きました。
まさに彼女の言う通り「力のことで前向きでいられる場所」です、ここは。
改めてというか、草間興信所の別の一面を見せて頂いたような気がしました。

今回は本当にありがとうございました。また別の依頼やシチュノベでお会いしましょう!