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夕闇に溶ける金の彩
ほんの最近までは、落ち着いてお茶を飲む余裕さえなかった気がする。
北條雪子、彼女が持つ霊を視る力は人より強いもので……それに目を付けた怨霊や悪霊の類に狙われる事になり、陰鬱な日々を過ごす事になった。
常に脅えながら、誰かを巻き込まないように距離を取って過ごしていた所に優しく差し伸べられた手。
転校したてで、決して親しくなかったはずの雪子を見守ってくれたクラスメート。
そのクラスメートの居候で魔女宗―――ウィッカだと言うシェラン・ギリアム。
彼の用いる魔術により今は前ほど脅えずに済んでいる。
自らの力で身を守る術を教えて貰える環境が出来た事も幸運だろう。
最近、時間を見つけてはシェランに霊を払う方法を教えて貰っているのだ。
もっとも、男性であると言う事を含めても……シェランが多少怪しげな身なりであり、母親が仕事で外出中の時に限られていると言う事情があったりもするのだが……。
それでも前よりもずっと安心して暮らせるようになったのは紛れもない事実なのだ。
「召喚されたものでなければ、辺りに存在する霊という物は拒絶の意志さえ強ければ追い払えるんですよ」
生への執着を持つが故に雪子のように力を持つ健常者に取り憑き現世に留まろうとする、そうして憑依した人間の生命力を奪うのだと言う。
これも彼に教わった事である。
「私でも、大丈夫ですか」
教えて貰い始めて日が浅い、それまでは驚異でしかなかった霊を払おうというのだから、シェランがおこなった様に特異な力を持ってして排除するのだろう。
彼に出会うまではなんの力もない一般人だったのに、可能なのだろうかと疑問が残っていても不思議ではない。
そんな雪子の考えが伝わったのか、シェランは優しく微笑む。
「大丈夫、雪子は飲み込みが早いですから」
「……はい」
本来の性格は明るくて真面目な性格なのだから、切っ掛けさえ出きれば後は気持ちの持ちようで何とかなるだろう。
焦る必要は、無い。
「それでは今日はこのぐらいにしておきましょうか」
「はい、今お茶入れますね」
紅茶とケーキを出し、他愛のない話をしながらゆっくりとお茶を飲む。
「そう言えば、前に学校にきた事ありましたよね」
「何度か様子を見に行った事が……大丈夫ですよ、捕まったりはしませんから」
何度か顔を出して、その度に騒ぎになったりしているのだ。
上手くやるといっているが……その度に関係者として話を聞かれ困っているのは、クラスメートの彼であったりする。
「あんまり困らせたら可哀相ですよ」
「はは、気を付けます」
小さく笑い会ってから、シェランのティーカップの中が少なくなった事に気付いた雪子が席を立つ。
「お茶、新しく煎れてきますね」
「ありがとうございます」
湯を沸かすついでに新聞を取り、いつもの場所に置いた後、沸かしたばかりのポットと温めたティーカップを持ってテーブルへと戻る。
「………―――」
かけようとした声は、言葉にならなかった。
窓の外。
沈みかけた夕日を見つめる目線は、今までに見た事のない感情が含まれている。
学校であった時や、こうして教えて貰っている時の笑顔から同一人物なのかと思えてしまうほどだった。
真剣な表情と言うだけなら、怨霊を払う時に見た物に近い。
だが……決定的に違うのは外を見る目がとても遠くを見ていると言う事だ。
何て深くて悲しい瞳をするのだろう。
何を、考えているのだろう。
彼の思考を満たしているのは……何?
「あの、シェランさん」
「どうしましたか、雪子?」
振り返った時の表情は、普段通りの笑顔だった。
その切り替えは今見た物が幻であったかと錯覚したほどだが……雪子は確かにあの表情を見ている。
引き込まれそうなほどの悲しみを宿した瞳。
気付いたら、言葉が出ていた。
「シェランさんは、どうして日本に来たんですか?」
唐突な問に瞬きをしたが、ずれかけたサングラスをかけ直してから雪子に言葉を返す。
「研究のためですよ、日本の密教は興味深いですから。もっとも……途中で行き倒れ、なんて事になってしまったから彼の家に厄介になっている訳ですけどね」
「でも、そのお陰で私も助けて貰えましたから」
「彼に感謝しないとですね」
シェランがこの時期にこの町に来なければ雪子はこうしていられなかっただろうし、クラスメートの彼の優しさが無くてもそれは同じ事だっただろう。
「そうですね」
うなずきながら、雪子は改めて自分が彼について何も知らないと言うことを再確認する。
「今までは魔女宗にいたのに、どうして一人なんですか?」
「はは、そうですね。話すと長くなるんですが……シュガーポットを取って貰っても?」
「あっ、はい」
渡したシュガーポットから一杯分だけ砂糖を入れ、ゆっくりとかき回し始めた。
すぐには口を付けず、スプーンからフォークに持ち替えてケーキを切り取って口へと運ぶ。
「このケーキ、本当に美味しいですね」
「そうですか、良かった」
「紅茶と実に良く合います」
うっすらと湯気の立つカップへと口を付けゆっくりと味わうように飲み下す。
そんな動作を目で追っていた雪子に、シェランが微笑み返す。
「……ええと、こっちに来たのは? でしたよね」
「はい」
うなずく雪子に、シェランはカップを置いてから途切れていた会話を再開させる。
「ええと、ほら、行き倒れたりするような事があったでしょう。だから向こうでも色々とありまして……」
苦笑しながら自分の髪を掻き回すシェランに、雪子は一体どんな失敗したのだろうかと、そんな考えを巡らせる物だった。
ぼやかすような言葉には、隠しておきたい事があるのだろうが、少なくともそれは大事であるかのような口調ではない。
「ここまで遠く離れたとこに来て、家族の人とか心配してるんじゃないですか?」
何か失敗をするような性格であるのなら、心配するに違いないと、そう思ったからの問いかけ。
「そう……ですね」
透けるようなブルーアイズが、紅茶をのぞき込む。
「きっと、心配ばかりかけていますが、今は……ね」
ほんの少し曇ってしまった瞳の色にまずい事を聞いてしまったかと思ったのだが……。
僅かに揺れた感情に引かれるように、問を重ねてしまう。
それは、気になっていた事だったのかも知れない。
「あの、えっと……恋人は、居ないんですか?」
「………」
明確に口を閉ざす。
それが思い詰めた表情だと解ってしまった瞬間。
どうしてこの質問をしたのか雪子本人にも解らずに黙り込んだ。
部屋の中を満たす沈黙に戸惑いながら、なんとか取り繕う言葉を紡ぎ出す。
困らせてしまったのが自分だとしたら……そう考えるととても苦しくなった。
あんな表情をさせてくて聞いた訳ではない。
だだ、ほんの少しシェランの事が知りたかっただけなのである。
「あの……ごめんなさい、私」
「いえ、いいんですよ」
きっと、こうして謝る事でも困らせているかも知れない。
そう思ったからこそ、どう言葉を続ければよいのか解らなかった。
そんな雪子に困ったように笑うシェランが先に口を開く。
「気にしないでください、雪子」
「………」
「あまり遅くなると夕飯を食べ損ねてしまいますからね、そろそろおいとまします」
深めに帽子をかぶり、席を立つシェランを引き留める事は出来なかった。
きっと、困らせてしまうから。
「また練習しましょう」
「……はい」
外はすっかり暗くなっていて、夕闇の中へと消えていく。
次に会う時はきっと……何事もなかったように笑うのだろう。
今日の出来事がなかったように……。
遠ざかっていくシェランの背中。
黒と微かな金の色彩が夕闇に紛れて消えてしまうまで、雪子はぼんやりとそれ見つめていた。
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