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<東京怪談ノベル(シングル)>


ものがたりのはじまり

平凡な日常。
いつもと変わらない日々。
これも、決して悪くは無いけど…でも…?
…何かが手招きしている気がする。

『…おいでよ。』
だれや?うちを呼ぶのは〜?

「…おじょう…さま。さくらおじょうさま?」
「…う…ん。もう…朝かいな?」
豪華な天蓋付きのベッドから身体を起こした少女は目を擦りながら呟いた。
ベッドの横に控えるのは青い服、白いエプロンとヘッドドレス。
今は、よほどの金持ちの家か萌えの世界にしか存在しないと言われる典型的なメイドは、はい、と答えると典型的な答えを返した。
「はい、お目覚めの刻限でございます。どうか起きてくださいませ。お食事の用意も整っております。」
「…わかった。ありがとな。」
少女は身体を起こし、ベッドから立ち上がった。引かれた純白のカーテンの向こうには暖かい春の光。朝の日差し。
風が薄麦色の髪をさらりと靡かせて身体を覚醒へと導く。
「…うん!今日も、いい天気になりそうや。」
少女、綾波・さくらは大きく伸びをして微笑んだ。

日本人の朝は和食で始まる。
綾波家は実は日本、いや世界でも指折りの大財閥である。
もちろん、その台所には天才的な腕を持つお抱えシェフが群れをなしている。
が、朝の食卓は庶民的。
白飯、鯵のひらき、やきのり、味噌汁、温泉卵。
それらが並ぶ大きなマホガニーの机の向こうから二つの明るい顔がさくらを出迎えた。
「おはようございます、さくらさん。」
「おはよう!さくら。よく寝られたかい?」
「おはよう。おかあはん、兄はん。?お父はんと姉はんは?」
「お父さまは、今日は大阪へおでかけですよ。」
「あいつもなんか、用事があるって早く出かけたよ。」
ふたりの返事にさくらは、そっかと頷くと卓の端に座った。いただきます。と口に運ぶ。
平凡に見えても最高の技術で作られた最高の味。
「学校はいかがですか?」
「楽しいよ。みんな優しいしな。」
「あ、あいつがさ、今度の休み、さくらと買い物にでもいきたいなって言ってたぞ。俺も一緒に行きたいな。さくらの好きなもの買ってやるよ。」
「あら、お父さまもさくらさんとおでかけしたい、っておっしゃっていましたわよ。」
「なら、みんなで行こうか?なあ、さくら?」
「そやね。」
「みんなでのお買い物なんて久しぶりで楽しみですわ。さくらさんには春の桃色がとても似合いそうですもの。」
笑っている。楽しげな母と兄。それを見つめるさくらもまた?

通学路の朝はまるでモーターショー、と言ったのは誰だったか?
名門桜ノ宮学園の前には古今東西の名車が一列に整列し並んでいる。
正門の前に横付けされたその一台からさくらはゆっくりと車を降りた。
「では、いつもの時間にお迎えにあがります。」
「ありがとな。」
お辞儀をして運転していた執事は去っていく。
校舎に向かって歩く中、明る声がいくつもさくらにかかる。
「おはようございます。さくら様」
「ごきげんよう。」
「おはよう。みんな。」
いつもと変わらないあいさつ。いつもと同じ朝。でも、空にかすかな雲が集まりだした。
本人自身も気がついていない、さくらの心の中を表すように。

女子校の休み時間と言えば必ず賑やかなおしゃべりとなる。
それはどこであろうと変わらない。だが、その内容は…。
「GWはお父様、お母様と一緒にスイスに行きましたの。春のスイスは美しかったですわ。」
「私は別荘でのんびりといたしました。偶然ですが宮家の方々も同じ場所においでになっていたそうですわ。ご挨拶を頂きましたの。」
やや普通とは違うようである。
優雅なセレブの…早い話が自慢話が続く。
「今度、私の誕生会を行いますの。みなさん、ぜひ…?さくら様、どうなさったんですの?」
窓際の席のさくらに、クラスメートの一人が心配そうに声をかける。
「…ああ、ごめんな。誕生日やっけ?おめでとう。」
「さくら様、どこか具合でも終わるいのでは?」
ぼんやりとしていたさくらを、彼女達は彼女達なりに心配しているのだろう。
さくらは笑顔を作って手を振る。
「大丈夫。気にせんといて。あっ!ほら、チャイムやで。席に着かんと。」
近づく足音に生徒達は慌てて席に着く。
教師は黒板に向かう。踊るチョークの音。流れる教科書の読み声。
だが、どれも遠い風の音に似て、さくらの耳には通り過ぎていくだけ。
(なんやろこの気持ち。)
自分は恵まれていると思う。生活に不自由は無いし、家族は自分にベタベタに優しい。
学校生活だって、いじめとか校内暴力とは無縁で、みんな親切、それなりに楽しい。
でも、何かが、何かが違うと感じてしまうのだ。
「お金って、名誉って、そんなにに大事なもんなのやろか・・・」
あくびをひとつ。手で軽く押さえる。
その時、また聞こえた気がした。あの声が…

『…おいでよ。』

さくらは路地を歩く。
『申しわけありません。車が途中で故障して…少し伺うのが遅れます。』
執事からの電話にちょっと溢れる冒険心。
一人で学校を出た。車の中からだけでは見えない初夏の風…
「あ〜〜ん!もう遅刻しちゃう〜〜!」
元気な少女が風を巻き起こし横を駆け抜けていった。
「せっかく皆が…、遅れたら絶対怒られるわ。」
呟きながら走る少女。
(うちより、少し上やろか?待ち合わせに遅れそうとみた!がんばりや。)
さくらは行きずりの出会いにちょっと微笑む…が、次の瞬間!
BONN!
「は?はにゃ?」
そこにはさっきまで二人の少女がいたはずだった。だが、今そこにいるのは一人の少女と一匹の…白猫。
「ん?あなた…。」
残った少女は走る足を止め、振り向く。
「はにゃ…ん!」
猫は少女の視線から逃げ出した。
(な、なんで、こんなとこでこんなことになるんや〜〜〜!)
思考は実は猫ではない。もちろん身体は猫だけど、心は…実はさくらなのだ。
(確かに、自分は時々猫になってしまう。訳なんか解らんいけど、ほんの時たまのはずや!)
(で、でも人前でこんなことになって…どないしょ〜〜。)
さくらの心は焦りと戸惑いがデッドライン寸前。
とりあえず、路地の向こうへ。視線から逃げ出そ…。
ドン!
「はにゃあ〜〜。」
そこで猫の、さくらの思考は途切れた。
「…どうしただ?迎えに来たのに…。この猫は?」
「あっ、すみません。…さん、多分…連れて…。」
そんな会話を遠くに聞きながら…。

〜♪〜〜♪〜
(音楽が聞こえる。あれは、うちも知ってる。ハッピーバースデー?)
男の声、女の声、少女の声、子供の声。
こんなに多くの声が重なるとこの歌はこんなにも楽しげに聞こえるのだろうか?
頬が熱くなる感触にさくらは目を覚ました。
「ここは…?」
「…気がついたの?良かった。」
ふすまが開きさっきの少女が笑顔で現れた。猫のすりっぱ、黄色いエプロン。そして、強い…笑顔。
「あ…うち!」
さくらは自分の身体を見る。布団から半分出た体は、ちゃんと人間の形をしていた。制服も着ている。カバンも横に…。
「あなたを気絶させちゃったの、あたしの知り合いなの。ごめんね、勝手に連れて来ちゃって。」
後でちゃんと送るから、と言って少女は小さく舌を出した。
「なんで?驚かへんの?うち…。」
彼女は自分の「あれ」を見たはず。驚くはず…。俯くさくらに少女は笑って手を振った。
「別に?うちの下宿人さんにはいろんな人がいるから。気にしないよ。あなたはあなたでしょ?」
「うちは…うち?」
そんなことを言われたのは初めてな気がした。こんなに親しげに笑いかけられたのも…。
「おーい!管理人!主賓がいなきゃはじまんねえだろう!」
隣の部屋から呼び声がする。
「?管理人?」
「あ、あたし。この下宿の管理人してるのよ。今日は住人さんたちが誕生パーティしてくれてるの。よかったら、あなたも混ざらない?」
自分に向かって真っ直ぐ伸びる手。迷いの無い笑顔。
「う、うちも?ええの?」
「これも縁だし、友達になりましょうよ。」
ずっと、欲しかったもの…。あると思ったけど、自分には本当は無かったものが、そこにあるような気がした。
「ケーキはね、特製チョコレートケーキなの。あなたチョコケーキ好き?」
「チョコケーキ!大・大・大だ〜〜〜いすきや!」
「良かった。おいでよ!」
「う、うん!!おおきに。」
差し出された手をさくらは掴み、立ち上がろうとした。

…だが、それはやってくる。回る視界、揺れる思考。
「…どうしたの?大丈夫?」
伸ばした手が空をきる。自分は「それ」を掴みそこねた…。
遠ざかる彼女の声、名前も聞いていないのに…。
「ま、待って!!」

「まだ、待って!!」
「はい、待ちますよ。さくらさん。次の問題は貴女にやってもらいますからね。」
「へっ?」
優しい口調の厳しい声。
さくらさん、と呼びかけられて、さくらは自分がどこにいて、何をしていたかを半瞬の後、気がついた。
ここは教室、自分の席。
そして授業中。目の前には…教師。
(あっ、ひょっとしてヤバイ?うち、夢見てたんか?)
「私の授業はいい子守唄でしたか?では、次の問い3から5までを黒板に書いて答えてください。簡単でしょう?」
「は、はい…。」
俯きながら前に出るさくらの後ろに生まれる、暖かいとは言えない笑い声は、どんな名門でも消えることは無いのだろうか?

(…ただの…夢やったんやろうか?)
さくらは、一人 校庭の片隅で空を見上げていた。
不思議で、でも平凡な少女、下宿屋の管理人と言った…彼女との出会い。その言葉も笑顔も…まだ覚えているのに。
「ええ顔、しとったなあ。彼女。」
あれは、きっと自信。自立し、そして自分は一人では無い事を知っている…笑顔。
「うちも…あんな顔、できるやろか?いつか…。」
自分の中に目覚めかけているものに、さくらはまだ気がついていない。
それは、告げているのだ。
甘い、ぬるま湯のような世界から抜け出すべき時が来ている事を…。

「うちも、下宿屋。やってみようかなあ。名前は…さくらそ…。やめとこ。何か拙い気がするわ。」

終礼のチャイムが鳴り、部活も終わり、下校時間になっても正門前に、まだ車は来ない。
腕時計を見たさくらの携帯がアニメソングの軽快なメロディで着信を伝える。
「はい、うちやけど。」
「お嬢様。申しわけありません。車が途中で故障して…少し伺うのが遅れます。」
とくん!
心臓が何かを告げる。
路地の向こうで走るのは…あの少女?
さくらは携帯を切った。
車ではだめだ、自分の足で追って、自分の手で、掴まなければ。

「今度は、特製チョコレートケーキ食べるまで、醒めんといてな♪」

のほほん、をちょっぴりだけ今はカバンにしまって、さくらは走り出した。