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<東京怪談ノベル(シングル)>


我、そこに何を思う

 空気は冷たく、澄んでいた。
 広々とした山の斜面を、風が渡ってゆく。 
 それは枯れ草の匂いを運び、渓の奥や稜線近くに残る雪をかすかに舞い上がらせた。
 冷たい爽やかな風であった。
 なだらかな起伏のところどころは、まだ深い雪に覆われている。一年の大半を冬の閉ざされた世界に支配され
ているということを顕著に物語っていた。
 雪の中から、灰色の岩が突き出している。
 その上に、一人の男が佇んでいた。
 凛とした雰囲気を持つ男。
 日向龍也。
 龍也は、チベットにいた。
 やぶにらみの双眸で、はるか彼方の稜線を見つめる。ヒマラヤ山脈の峰峯が白く雪を戴いて連なっていた。
 龍也は、ある目的のためにこの場所を訪れていた。
 8年前の出来事。突如襲撃された故郷。そして6年前には我が身も襲った集団。
 旅の途中、その本拠地がここチベットにあると、風の噂で聞きつけた。

 ―やっと見つけた。

 日が落ちるにつれ、空は急に曇り始め不穏な風が吹き始めた。虚空でごおごおと風が唸りをあげる。
 肌寒い風が龍也の頬をなぜていく。
 龍也はしっかりと前を見据え、顔をしかめる。
(この四年間で、世界中にあった支部は片っ端から潰した)
 握る拳に無意識に力を込める。
 凍りつきそうに寒かったが龍也の体は、すでに汗ばんでいた。
 龍也の視線が不意に動く。
 それはすぐ先の木に向けられた。 
 ざっ、と音をたてて雪が落ち、そこから白い獣が飛び出した。
 
 ―兎か。

 兎は頭をもたげると、一瞬鼻をひくつかせる。
 何か、不穏な気配を感じ取るかのように。
 そして、龍也は背後に人の気配を感じた。

 ―ざっと、二千てとこか。

 龍也は振り返る。そこには、黒装束に身を包んだ集団が姿を現していた。
 その数、およそ二千。白き斜面は一瞬にして黒に染まる。
 
 ―……たりねーよ。

 龍也は小さく吐き捨てるようにつぶやく。

 ―俺を殺りたいなら、その三億倍は連れてこいよ。

 龍也は顔を上げる。その赤き瞳には、黒い炎が宿っていた。体から細く白い、帯状の光が幾条も立ち昇る。
 黒装束の一人が、腰の剣を引き抜こうとしたその瞬間、龍也の体が動いた。
 金属の光芒が、尾を引いて走り抜ける。
 すごい速さだった。
 常人には、ただ光がひらめいただけにしか見えなかっただろう。その時間、わずか数分。いや、数秒か。
 一瞬にして、多くの気配が消えた。気づいた時には、大量の黒装束が折り重なるようにして倒れていた。それ
は無数の剣が突き刺さっていた。
 鞘から剣を抜こうとした男は、手を当てたまま絶命していた。鈍い光を放つ剣が、真上から男の脳天にめり込
んでいた。龍也の作り出した霊剣であった。
 しゅう、と血がしぶいて、白き世界に真紅の花を咲かせる。

 ―あー、かったりぃ。

 こき、と首を鳴らし、龍也はけだるそうにつぶやく。
 まだかろうじて立っていた男が、どう、とうつ伏せに倒れた。
 集団はすでに、先ほどの半分に減っていた。じりと黒装束達は後方へ退る。
 薄く龍也の口端が歪む。

 ―……一気に、やるか。

 しゃらん、と龍也の右袖から細い鎖がたれる。口の中で、龍也が低い声で何かを唱え始めた。呪であった。つ
ぶやきながら、ゆっくりと左腕に巻かれた布を解いていく。たちまち、手に刻まれた複雑な刻印が、淡い光を放
ち青く浮かび上がる。
 そして、世界が変化した。
 風吹く虹が掛かった青空と、無限に剣が突き立てられた草原。
 龍也の作り出した心象世界だった。
 雲が、すごい速さで動いていた。様々に形を変えながら、移動していくのがわかる。突如、雲が割れ、一条の
光が差した。
 黒装束たちは皆一様に動揺していた。自分達が相手にしている者が、大変な者であるということに今、気づい
たようであった。
 龍也は左手を高々と掲げる。突き立っていた霊剣が、ふわりと浮かび上がる。
 その数、数万本。それらはすべて龍也の左手でのみ、制御されていた。
 龍也は、にやり、と口端をゆがめる。そして冷徹に、その手を振り下ろした。瞬間、今までぴたりと止まって
いた剣が、ばねに弾かれたように一斉に降り注ぐ。
 
 ―ひゅひゅひゅんひゅんひゅんひゅんっ!!

 闇を切り裂き、大気を貫き金属が奔る。無数の剣が黒装束達の体から、生えた。
 飛来した刃物が突き立ったのだ。
 何が起こったかもわからなかったであろう。
 そのまま、彼らはどうと倒れる。
 ふ、と世界が戻る。
 そこは斜面であった。しかし、白の斜面はいまや真紅の花に彩られていた。無数の骸と樹木が一面に倒れてい
る。そのどれもに、剣が深々と突き刺さっていた。沈みゆく日の光に照らされ、黒々とした陰影がはっきりと浮
かび上がる。
 ―墓標。剣で作られた墓標。そう、見えなくもなかった。
 龍也は骸の丘を乗り越え、天を振り仰ぐ。
 落日が龍也の頬を染める。朱の色よりも、血の色に近かった。

 ―帰ろう、日本へ……。



<了>