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骨董的邂逅
藍原和馬にとって、骨董品店を営む『師匠』は少々不可思議にして捕らえどころのない存在である。
長く時を刻む自分よりも更に時を重ねている彼女は、ことあるごとに独自のルートからなにがしかの情報を手に入れてきては、『仕入れ』と名付けられた長い旅に出掛けてしまう。
その間は何故か強制的に(たとえ何があろうとも)和馬が留守を預かるという図式が出来上がっていた。
だが、今日はこの図式ではなく、興信所絡みの面倒な調査を徹夜で終えた直後の問答無用な呼びつけだった。
「和馬。あんたこれから暇でしょ?ちょっとそこまでお遣いに行っておいで」
開口一番、彼女はねぎらいの言葉ではなく次の指示を言い放った。
「ええと、師匠……?俺、今まさに十数時間ぶりに事件から解放されて休憩中だったりして、このあと更に別のバイトも控えてたりすんですが……」
「行っておいで」
「ですから、師匠」
「行け」
「………あの…っ!」
彼女は、嘆願ではなく腕力にモノを言わせた命令で以って弟子を使う女性であった。
そして彼は、非常に残念ながら師匠である彼女の『ご指名』を跳ね除けられないようにしっかりと教育された男だった。
当然、勝敗は火を見るより明らかで。
「和馬、何度も私に同じことを言わせないように」
「…………了解しました」
口答えに対する鉄槌を受け右頬を赤く腫らしながらも、和馬は紙片に走り書きされた住所を頼りに骨董品店を後にした。
桜の時期をとおに過ぎ、照り返しの眩しいアスファルトの道を幾度も折れて入り組んだ路地へと入り込んでいけば、やがてポツンと取り残されたやや大きめの児童公園に出る。
「あぁと、ここでよかったのか?」
ぽりぽりと、すっかり赤味の引いた頬を掻きながら、何度も紙片の文字と公園を比較する。
日の光に晒され、少ないながらも子供達が遊ぶこの場所はどう見てもあまり取引に適しているとは言えない。
だが、どうやらここに間違いないらしい。
自分がひどく場違いだと感じながらもぐるりと周囲を見回すと、指定されたベンチが目に入った。
そこには、牡丹の色鮮やかな振袖に包まれた日本人形が、陶器の肌をこの眩しい陽の元に惜しげもなく晒している。
これは人形にとってあまりいい保存方法ではないだろう。
いやそれよりも、問題は目の前にいるのが日本人形であり、かつ、どうもまっとうな存在ではないということだ。ある種の力の存在――幻惑だろうか。周囲の誰一人、彼女を人形だと認識しているものがいない――を、鋭敏な嗅覚が嗅ぎ取っている。
だが、彼女以外にそれらしいものはなく、それらしい人間もいなかった。
「ええと、あんたは?」
「四宮灯火と申します」
「…いや、名前を聞いてるんじゃなくって……あぁと」
「……わたくしのことは……どうぞ…お気になさらずに……」
「いや、でもな」
「……では…わたくしはいないものと…そう思ってくださいませ………」
「いや、だからな」
どう説明すれば伝わるのか、和馬はしばし頭痛を覚えながらも天を仰ぐ。
指令書によれば、自分はいわゆる西洋アンティークドールをもらい受けに来たはずだ。つまり、それを持ち帰らねば、自分を待っているのは悲惨極まりない師匠からの制裁である。
容易に想像出来てしまったそのシーンが脳裏をよぎり、思わず苦悩の呻きが口から洩れた。
「……どう、なさいました?」
「うん?うん……地獄の一丁目まで魂を飛ばしてた」
遠くを見つめながら、和馬は灯火へと力なく笑ってみせた。
「……もう間もなく、いらっしゃいますわ……ご安心、下さい…藍原様……」
「なんで分かるんだ?いや、そもそも俺の名前……」
何かを知っているらしい彼女の言葉に、思わず素で聞き返す。
「向こうから……貴方様を探しておられる気配が…近付いてまいりましたから……」
言われて彼女が指差す方へ視線を向けると、肩で息をし、悲壮な顔つきでこちらへと歩いてくるひとりの青年が目に入った。
「遅くなりまして申し訳ございません……藍原様、四宮様」
灯火もまた自分と同じ件で関わるのだと気付き、それからもう一度視線を戻した和馬は、深々と頭を下げて詫びる男の背後にうっすらと纏わりついている影を見た。
彼の手に取引対象であるはずの人形はない。
訝しげにそれを問うより早く、理由は彼によって明らかとなった。
彼は人形を持ってこなかったのではなく、持って来られなかったのである。
「面倒をお掛けして申し訳ないのですが、どうぞよろしくお願いいたします……」
そうして青年は公園から路地裏を経、いくつもの曲がり角を折れて、その先にようやく垣間見える古めかしい屋敷へと2人を案内した。
門をくぐれば、男に纏わりついていた影の本体と思しき気配が感じ取れる。
ざわりとした感覚に眉をひそめつつ、和馬は後ろを歩く灯火をそっと盗み見る。
彼女の表情は変わらない。だが、耳をそばだて、何かを探るような仕草は見て取れた。もしくは、何かと対話しているかのような。
「ここなのですが……」
吐息と共に吐き出された青年の呟きに我に返り、顔を上げると、庭の片隅にひっそりと佇む土蔵が視界に入ってきた。
「以前母より聞きました話では、もう何十年とこの土蔵は閉じられ、人形も長い間ここに仕舞われたままでいたようなんですが……」
だが、屋敷の老朽化が進み、代替わりをきっかけに建て替えを視野に入れてこの蔵の中のものは出来る限り処分しようと話し合った。
しかし、計画はすぐに頓挫することとなる。
「気付くと誰もこの人形を手にすることも、そしてここへ入る事も出来なくなっておりまして……そこでご連絡させていただいた次第なのです」
「なるほどな」
和馬はようやく得心がいく。
師匠は児童公園の場所指定以外まったく説明してくれなかったが、思い返せば彼女の頼みでいわゆるまっとうな範囲内で済んだものなど何ひとつないのだ。
土蔵の重い扉は開け放たれている。
だが、正面に据えられたガラスケースから睨みつけるアンティークドールは、その目に明確な敵意を閃かせ、嫌悪とともに渦巻く感情が高圧的な意思を発していた。
それが蔵全体を取り巻き、中に入ろうとするもの全てを拒絶して威圧しているのが見て取れる。
「………あの方は…誰にも…触れられたくないと……仰ってます………」
和馬のすぐ後ろに控えていた灯火にはドールの声そのものが届いていた。途切れ途切れでかすかな意思だが、それでもただの敵意ではないことが分かる。
「お、いい感覚してるじゃん、灯火」
彼女が選ばれた理由を和馬はようやく理解する。
「で、このお嬢さんがここまで他人を拒絶するの分かりゃ手っ取り早いんだが……その辺も分かるか?」
「……いえ……あの方の声が……壁に邪魔されて………」
「そうか」
ちらりと灯火を振り返り、彼女が首を横に振るのを横目で確認すると、和馬はもう一度蔵の中に立つアンティークドールに視線を戻した。
「まあ、こんぐらいの障壁なら簡単に破れるだろ」
結界自体はそれほど強力ではなく、さほどリスクを考えなくとも破ることの出来る範囲だった。
和馬は指先で空に印を刻み、チカラある言葉を発することで閉ざされた入り口を問答無用で抉じ開けた。
途端、
(来ないで―――っ)
「あの方の、声が―――」
(誰も、私に触れないで)
灯火へと直接流れ込んでくる感情はどこまでも一途で哀しく激しい。
(私に触れないで!やめて、こないで!)
(あの子以外の誰も)
知っている。
自分はこの感覚を痛いほどよく知っている。
あの方が必要だった。あの方以外は必要なかった。あの方だけが恋しくて、だから求める。あの方以外の誰のものにもなるつもりはなかった。
人形は、『死』を理解できない。
人形は、過ぎ行く『時』が理解できない。
灯火は既にもうこの世にはいない少女を待ち続け、そして探し続けている。
既に何十年と時を経てしまったが、それを計ることなど人形の身では出来るはずもなく、ただひたすらにただひとりを想い、求め彷徨うのだ。
いつかもう一度、あの腕が自分を抱いてくれる日を夢見ながら。
櫛でそっと髪を梳いてくれた手。
優しく抱きしめてくれた腕。
愛しげに語りかける声と、見つめる瞳。
恋しい。
『……あの方に…あの子に……彼女に………会いたい……』
意識も感情も全てが引き摺られ、同調を起こす。
(あの子に会いたい)
あの方に会いたい。
他の誰のものでもなく、ただひとりの―――
『触らないでっ!』
「――――う、わっ」
悲鳴が衝撃波となって和馬を弾いて壁に叩きつけた。
「な、なんだ?灯火!?」
思いがけない場所からの攻撃に不意を突かれながらも、和馬は壁に手をついて立ち上がる。
『触れ…ないで……あの子だけ…あの子以外の手は、許さない………』
意思を持ち、異形のチカラを宿すほどに強く願う。
灯火に呼応しているのか、蔵の調度品がそこかしこでカタカタと音を出し、動き出す。
「灯火!おい、灯火!引き摺られてんなよ!!」
悲鳴を上げて剥き出しの敵意をぶつける彼女の名を呼び、正気に戻そうと腕を伸ばすが、
『触らないでっ!わたくしに触れないでっっ!!』
まるで触れてしまったらそこで何もかもが終わってしまうのだと信じてしまっているかのように拒絶は繰り返される。
投げ付けられる木箱や美術品を壊さないように抱きとめながら、和馬は必死に思考をめぐらせる。
彼女は今、灯火でありながら灯火ではない。
せめて、人形たちの見る『あの子』が分かれば―――
「おい!コイツの持ち主ってのは誰だ!?」
振り返り、戸の影で目を見張り硬直している青年に言葉を投げる。
「えっ」
「だから、持ち主だって!コイツのもともとの所有者は誰なんだ?」
「そ、それはあの、私の祖母で」
「よし。ちょっと悪いがその記憶使わせてもらうからな」
青年の額を大きな手の平に納めて和馬が唱えた呪は、けして攻撃のためのものではなく、まして自身を守るものでもなかった。
紡がれる旋律は青年の記憶からひとつのカタチを作り出す。
「お、おばあ……」
「もちっとしっかり思い出してくれよ。若い頃とか写真で見たことあったらその辺も――いつっ!ああ、くそっ!」
背に衝撃を喰らいながら、それでも和馬は意識を手の平に集中しチカラを注ぎ込む。
不安げな青年の表情はあえて無視した。
彼の記憶を投射した老婆の姿はゆるやかに時を巻き戻し、呪の完成と共に、ソレは和装の少女へと変わった。
彼女は、すぅっと閉ざしていた目蓋を上げて、人形の名を音に変える。
瞬間。
感情のままに拒絶を繰り返していた嵐が不意に収まり、ゴトゴトと調度品が失墜するとともに空気の色が変わった。
『…もう……いつまで待たせるのよ……貴女ったらいつもそうなんだから』
瞳が恋しさに揺らぐ。
灯火の口を借りてこぼれ落ちる溜息は、呆れているようで、その声には嬉しそうな色が滲んでおり、口元には愛しげな笑みが浮かんでいた。
待たせちゃってごめんなさいね?一緒に行きましょう?
そんなふうにはにかんで笑う少女の手を、灯火に重なるアンティークドールはそっと握った。
和馬と青年が見守る中で、長く長く待ち望んでいた再会は果たされ、人形の意思はこの世界から少女の幻影と共に浄化され、消えた。
そして、夢の中を漂うのにも似た儚い感覚から目覚めた灯火にも凪が訪れる。
「目、覚めたか?」
「……藍原…様……ご迷惑を、おかけしました……」
深々と詫びる灯火の頭を、気にするなと和馬はヘラリと笑って軽く撫でる。
変わらず探し人への切ないくらいの恋しさはあるけれど、今は胸の辺りが少し暖かい。
「……あ…人形を……」
「ん?ああ、そうだな」
視線で促す彼女に頷きを返し、和馬は穏やかな幸福の中に眠るアンティークドールをガラスケースごと抱き上げた。
彼女はもうその手を拒まない。
「んじゃ、これはもらっていくからな?」
「はい。どうぞ、よろしくお願いいたします」
青年はどこか呆けたようになりながらも、ゆっくりと頭を垂れた。
「さてと、ちょっと時間喰っちまったがこれで任務完了だ。お互いお疲れさん…て、お?灯火?」
扉の前は自分と青年が塞いでいた。周囲は蔵の壁に囲まれてどこにも出口はない。キョロキョロと見回しても彼女の姿は見当たらない。
和馬の聴覚に触れることなく、あの牡丹の柄が白く華奢な肌を際立たせる日本人形はこの空間から消えていた。
どこへ行ったのか、灯火を辿る糸はここには残っていない。
「なんだったんだろうな……」
口の中で小さく呟き、いくつもの疑問を残しながらも、和馬はアンティークドールを抱いて屋敷から師匠の待つ骨董品店へと急いだ。
愛しいヒトを想い続け、待ち続け、そして異形となって捜し求める少女人形。
彼女との二度目の邂逅は、そう遠くない未来、金の瞳の主が守る骨董品店の片隅で果たされることとなる。
END
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