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<東京怪談ノベル(シングル)>


桜花の理

 春もそろそろ過ぎ去ろうとしている。
 桜の季節は流れゆき、街にはもう花弁の残滓もなかった。
 陽気は和やかで過ごし易いソレから、ゆっくりと湿気を含む蒸し暑いモノへと変化しつつある。そんな雑踏を揉まれるように歩く彼――、

 名の綴りは春日イツル。
 長身の美貌に雪色の肌を持ち。
 左右異質な色彩眼。

 と来れば、同性異性と選ばずに人目を惹きそうな外見であった。そしてイツルはそれを裏切らない、謎めいた性格も持っていた。「仕事」も、身に纏う雰囲気を裏切らない――少しく平凡ではないものだし。
 表と裏の両方で…。
「――暑い、な」
 そんな彼が歩道の人並みから離れ、木陰で立ち止まり漏らした言葉。
 素直な苦情であった。
 街の喧騒を尻目にし、ハンカチで薄っすらと滲む汗を拭い、何となしに溜息を漏らす。
 明るく照りつける陽光に片手をかざし、瞳を細めて空を見る。
 もう何度目になるだろうか、雲を掴むような鉄の森での散策は。何時頃からだろうか、人込みだろうと、意識せずに人を探すようになったのは。意識内だろうと意識外だろうと、常に『彼女』の存在を感じ取ろうとする自分。
「…暑い」
 もう一度、苦いものを吐き出すように紡ぐ。
 顔を射す木漏れ日に、何故か、遥か遠い昔に過ぎ去った、想い出が蘇りかけた。
(…何故?…めぐり逢えると信じているのに…)
 何よりも強く願い続けて来たイツルの心。
 想い続けてからどれだけの月日が流れたか、しかし未だに願いは適わずじまい。イツルは小さく唇を噛むと、汗を拭ったハンカチを上着のポケットに仕舞った。
 手首の袖を捲り、洒落た腕時計に視線を落とす。とりあえず休日の午前はあと僅か。午後のことを考えても、そろそろ休憩するのが丁度良かった。
 そう思って近くに手頃な場所はないかと首を廻らせる。
 すると矢先、車道を挟んだ向かい側――都合良く喫茶店を発見した。
 本当に見つけたいモノとは裏腹に、こういったモノならば直ぐに見つける自分の要領に何と無く苦笑いが込み上げてくる。と、そんな折…喫茶店の窓越しに、探し求める相手を見た様な気が、
 一瞬の錯覚?
「―――!?」
 思考は刹那にも満たない。
 後はもう勢い込んで走り出したイツル。
 混み合う車道も、其処から飛び出すドライバーの野次も、耳に届かないの様子でお構いなし。件の喫茶店へと駆け寄り、勢い込んで店の扉を潜った。
 
 カラン――歓迎する鈴の音色は、耳に、儚く響いた。


***

 はらはらと、身に舞い落ちる淡い花弁。
 髪に、頬に、肩に、優しく降り注ぐ…、
 其れは桜。
 この国が誇る落葉高木であり、美しさに措いては、遠く異国へも名高い…桜色。
 染井吉野と、まるで麗しき佳人のような綴りは誰が付けたものか。
 ―――酷く懐かしい空気の匂い。
 俺は緑と淡い白に包まれ、石畳の階段をゆるり、ゆるりと上っていく。
 朱に縁取られた鳥居を潜ると、其処はもう目的地…神社の境内だった。
 秋には落ち葉、春には…散り行く桜花が埋め尽くす境内。
 忙しく掃き清める巫女の後ろ姿を目に止めると、限りないやすらぎと安堵感を憶えるのは、俺の日課となっている。
 そっと足音に注意して近づくと、その耳元で
「―――、毎日、毎日…ご苦労様っ」
 彼女の名。それと供に、もう常套句と為りつつある言葉を吹きかけた。
 背後からの声と、直ぐ近くでの息遣いに、びくっと、驚いた巫女。
 そんな様子に相好を崩しかけてしまう俺はちょっと性質が悪いかもしれない。
 彼女は直ぐ掃き手を止めると、慌てた様子で俺へ振り向いた。
 長い黒髪がふわりと風に舞い、それは身の衣装と相俟って一層優美に俺の目へと映る。ばかりか――爽やかなその風が、彼女の可憐な匂いをも運んで来る。
 真っ直ぐに彼女の眼差しが俺を見つめるが、不意をつかれて少々怒ってるらしい。しかし、間近で俺を視界に置き続けたことで両頬を、そう――舞い散る桜と同じ色へと染めた。そんな様子を眺めれば、此方も柄にもなく照れてしまう。そっと視線を外しながら俺も頬を染める。
 何のことはない、どちらも恥ずかしいのだ。
 恋人という契りを交わしている、人の世の穢れなき巫女と、半鬼である自分。
 互いに周囲の者から見れば決して許されない、禁断の恋であり愛であった。
 そしてまた、忍ぶ恋故に羞恥の色も浅くない。
「悪戯…」
「怒った?――ゴメン」
 慌てた彼女が何か言おうとする前に、指を立て微苦笑で制する。
「ええっと、今…暇――じゃないよな?」
 続けて俺は、どう見ても掃除中の相手に向かって躊躇いがちに訊いてみた。
 と、此方の問いに箒を後ろ手で隠した巫女。ゆっくりと考えるように小首を傾げると、俯いてほっと一息、首を左右へ振ってくれる。
「少しぐらいなら…大丈夫だから」
 そう、はにかむような笑顔で。
 ふわり、と境内に舞い散る桜が、春風に煽られ二人の身体に舞う。
 桜色の『かざはな』は、美しく幻想的だった。
 俺が彼女の白く細い手を握ると、互いに心得たもの――二人は花弁のアーチを潜り抜けて石段を降りる。

 カラン――何処かで、淡い鈴の音色を鳴った気がした。

***

「―――……ん」
 頬に冷たい感触。
 まどろみから意識が戻り、薄っすらと瞳を開くと其処は――。
「っ?――…あ、?」
 其処は――件の喫茶店であった。
 そっと周囲を眺めてみるが、当然何処にも『彼女』の姿などないし、舞い散る桜もあるはずなく。
 ならば脳裡には懐かしい名残りも遠い記憶の悪戯、夢であったことを悟ったイツル。
「あ〜あ、夢…か」
 ぽつりと、疲れたように、けれど少しだけ穏やかな表情で呟いた。
 落胆もあったが、イツルの嫌う目覚めの悪い夢ではなかったせいもあり、心は少し晴れやかであった。
 そう、少し前に慌てて駆け込んだこの店にも、やはり彼女の姿は見つけられなかったのだ。意識が過去の光景を思い出すと、偶にやってしまう見間違い。少し似ている人影と思えば、思い込んだだけ、手痛い空振りをすることにも慣れてしまった。
 冷めかけた珈琲を一口啜ると、軽く伸びをして椅子に背中を預ける。
 もう一度、瞳を瞑った。
(――たとえ夢でも、おまえに逢えたのは救いかな?)
 心中で呟いてみる。
 メニュー片手の若いウェイトレスが、そんな彼の様子に首を傾げつつ「?」の表情で通り過ぎて行った。心なしか去り行く彼女は、顔を赤らめ名残惜しそうであったが、目を閉じたイツルは気付かない。
「あ―…」
 ちょっと恥ずかしかったかも。
 また深く『彼女』を想ってしまって、苦笑するイツル。
 瞼を開くと、頭を掻く仕草を一つ、そして腰を上げた。
 手早く会計を済ませると、何故か此方をしげしげと伺うウェイトレスに片目を瞑り、反応を確認しないままで店の扉を外へと潜る。

 カラン――見送りの鈴の音色は、耳に、優しく感じた。