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<東京怪談ノベル(シングル)>


水の鎧〜みなものバージョンアップ大作戦(前編)〜



 家に着くと、そこに姉と妹の靴はなかった。
 毎度のことだがどうやらみなもが1番最初に帰宅したらしい。
 がらんとした玄関を開けるときに、それでも律儀に、
「ただいま」
と言う。
 いつもなら返って来る声どころか、人の気配すらないのだが、その日は違った。
 ふと視線を足元に落とすと、玄関に明らかに男物だとわかる大きな皮靴があった。
 一点の曇りもないぴかぴかに磨きあげられた革靴。
 それに気がついた海原みなも(うなばら・みなも)は自分の脱ぎ捨てた靴を揃えるのもそこそこに居間へと走っていく。
 勢いに任せて飛び込むと、そこには、

「お父さん!」

 信じられないことに父親が、そこに居た。


 母親もめったに居ないのだが、父親はそれに輪をかけて―――下手をすると年に片手程しか家に帰ってくることはないかもしれない。
 そんなみなもの父親が珍しく自宅でくつろいでいるのを見て、みなもは彼女らしくない大きな声を出したのも無理はないだろう。
「ど……どうしたの?」
 みなもの父親は一般的な家庭の父親とは言い難い。
 それなのに、今、目の前でソファに腰掛けている姿はまるで同じ学校の友人たちの父親のような顔をしている。
 そんな父親だから、ただ気が向いて帰ってきたというわけではないだろうことはみなもにも容易に想像がつく―――
 それでも父親が家に居ることが嬉しくて、内心どきどきしながらみなもは穏やかに近況などを話して聞かせていた。
 姉のこと、妹のこと、学校のこと、姉妹が係わった事件や姉と妹の悪戯……そんな話をにこにこと聞いていた父親だったが、みなもがアルバイトの話をした瞬間、キラリとその目が光った。
 いろいろなアルバイトはしたが、特に父親が食いついて来たのはメイドのアルバイトをしていると言った時だった。
 そのメイドのアルバイトの話を聞いた父親はにっこり笑って、
「メイドのアルバイトをしているんだったら戦闘用の芸も身につけたほうがいいだろう」
と。
 どうしてメイドのアルバイトがそんな話になるのかわからずに、みなもは目を白黒させる。だが、父親は、
「メイドたるもの家内の平和も守れるようでなくてはいけないからな」
と言うのだ。


 メイド=ボディガードではないのよ、お父さん―――


という叫びは全く聞き入れてはもらえずに、父親に導かれるままみなもは車に乗ってある場所へ連れて行かれた。
 当然、ソコも普通ではない場所だったのは言うまでもない。


■■■■■


「ここは秘密の場所だから」
 車に乗ったみなもにアイマスクをつけさせた父親がみなもを連れて来たのはどこかの寂れたような小さな倉庫のようながらんとした場所だった。
 かすかに独特の空気を感じて、海の近くであることだけは判った。
 だが、どうしてこの場所が秘密の場所なのか……何の変哲もないただの倉庫にしか思えない。
「ここ、普通の倉庫じゃあないの?」
 みなもがそう尋ねると、父親はにっと口端を吊り上げる。
「ここは時間の流れが緩やかなんだよ」
「どれくらい?」
「―――そうだなぁ、まぁ、それはお楽しみだよ」
 そういうが早いか、父親が荷物にかけられていた布を取り払うと、そこに現れたのは荷物ではなく、水の入った大きな水槽だった。
 それも、1つ2つではない。
 その水槽たちを前に、
「みなもは“ナノ”という単位を知っているかい?」
とみなもに問いかけてきた。
 あいにく、まだ中学校では聞いたことのない言葉にみなもは首を横に振る。
 “ナノ”とはラテン語で小さな人という意味をもつラテン語が元になっていて、正式にはナノテクノロジーと言うのだと言う。
「ナノというのは10億分の1をあらわす単位なんだが」
 一言で“10億分の1”と言われてもあまりにも単位が違いすぎて、ぴんとこない。
「“ナノ”メートルというのが、1メートルの10億分の1なんだが―――せっかく、みなもはナノ単位で水を扱えることが出来るんだから、それで新しい『鎧』の作り方を教えてあげようと思ってこの水を用意したんだよ」
 この時点ですでにみなもは話についていけずに目を白黒させている。
 父親は、みなもがナノ単位で水を扱えると言うのだが、今までそう判って扱っていたわけではないのでいまいちピンとこない。
 そのみなもに、新しい水の鎧を作る芸を覚えさせるために父親がしたのは、簡単な物理学と素粒子の勉強だった―――


「―――というわけだ、判ったかい?」
 延々と続く、父親いわく簡単な勉強だったが、誰がどう見てもそれは全くこれっぽっちも―――それこそナノ単位ほどの大きさも―――簡単ではなくて、みなもは内心、涙していた。
 しかし、苦痛な頭脳での講義は終わり、ようやく実際に水を使っての講義となった。
 まず水槽の中いっぱいの海水の水分子配列を安定させるため、水をハニカム―――六角の穴を組み合わせた形状に変化させる。そうやって強い力で密接させた水の塊―――クラスターを何重にも重ねた層にして全身に纏わせるというのだ。
 この地球上に、今のところではあるが原子以下のものが存在しないのだから当然、例えその平面状にしたクラスター1枚でも『何か』を通すことは不可能であるのだが、それを更に多重構造にするため、原子から組成されている『モノ』全てはみなもの皮膚に到達することすら出来ない。
 まずそれが『鎧』の第一段階となる。
 その鎧を纏ったみなもの姿は、さながら銀色の全身タイツを着たような状態で、普段は青いみなもの髪も同時にクラスター化されているためそれすら銀色に変わっている。
 ただ、顔だけは感覚器官が集中しているので意図的に薄くして視界を確保させたみなものその姿はまるで特撮モノに出てくる正義の味方の変身後のような姿だ。
 更に、彼女の父親は強度を強化させるために、多重にした水の間に水素原子を単独で泳がせる。
「お……お父さん、これっ……ものすごく重いんだけど」
 そういうみなもに、
「それはそうだ。いくらナノ単位まで分解したから薄いとはいえ、これだけ重ねると見た目よりも遥かに重いに決まっているさ」
何もそんな事はあたかも常識であるように父親は答える。
 それを聞きながらも、なみなもの力では腕や足を動かすので精一杯だ。
「動けなかったらただの置物と同じだ。それを纏って体を動かすためには重力の強い力によって鎧でかかる力を相殺させる必要がある」
 それを応用させればベクトルを運動方向にあわせてパワーアシストも出来るから、がんばるんだ―――あっさりと口にする父親は親切なのかそれとも……
 とりあえず、これを実践で使えるようにするには極力無意識で出来るようにしなければならないのは当然で……


 みなもがそれを意識せずに出来るようになるためにかかった体感時間は約3ヵ月―――
 更にそれを応用して使いこなせるようになるためにはいったい後どれくらいの時間が必要なのか……想像するだけで、みなもは眩暈を起こしそうになった。