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<東京怪談ノベル(シングル)>


よくみるゆめ 〜Mon reve familier

 銀に映える藪をぬける。貝殻のたそがれる波打ち際をとおる。通夜の粛静にしずむベッドタウンをわたる。そうやっていくつもの夕・暮・昏・宵・夜を経てたどりついた不夜城都市、東京、もまた深い闇をかかえている。それは無垢のぬばたまとは光沢も質量もだいぶんちがったよそおいをしているけれど、都市の住民のほとんどはなにもきづいていないよう、乃至、知っていて知らぬふりをしているのか、すくなくとも御佩刀・緋羽(みあかし・あげは)の瞳にはそううつる。
 なんとも奇妙なところだ。しかし、胸をにごす不快はない。むしろ初めて遭遇する懐かしさ、断続的な胎動に頬寄せる安堵、ひとりでありながらひとりでないという自家撞着の充足――‥‥

(『それは淋しさの裏返し』)
(どこかの洋館、まるで浪漫映画の背景のようなつくり。女性は貞女か毒婦であることのみが求められる時代、そのどちらにもなれなかった彼女はたいていの時間を部屋にこもって過ごしていた。緋羽とふたり。対話、というより、彼女のほうが一方的なベクトルで語りかける。緋羽は人形のようにだまって耳を傾ける。ほとんどのやりとりはこんなふうに進行した)
(一度だけ。ねだられて、緋羽は自分の思惑を話した。ことばすくなに、種を撒くようにぽつぽつと、心に潜むとてもか弱いものようすを説いた。常とは反対、彼女は無言で緋羽の話をしまいまで聞くと、にっこりと笑んだ)
(『なんだか安心した。案外、普通だなって』)
(『その心象風景は、あなた自身が気づいていないことを映し出した。わたしはそう思うの』)

 、こうして心閑かに鳥瞰していると、海の底をのぞいてるような感慨になる。鋼鉄とコンクリートでできた海溝のすきまを器用に縫いあげる、車、人、してみると、彼等にとけこめない我身は鳥か。海面の上澄み、をさすらい、ついばむだけの。
「‥‥益体もない」
 資本にみかぎられ、破毀を間近にひかえたビルディング。その屋上から、緋羽は東京を見下ろしている。
 ないものはない。それが東京、だときいた。だから来たのだ、安寧みちる辺邑を捨て、それからいくつの零時を超越したか、緋羽はもうこまかなスケールをおぼえていない。もしかすると案外すくないのかもしれない、東京に巣くう魔性よりも多いのかもしれない。どちらにせよ、たしかめる術は失われている。
 見上げれば、九重の夜天。朔の月は抜き身の剣をおもわせる、ぱらぱらと注ぐ白い月の光が緋羽の衣裳をこつんと叩くと、薄氷のように最後の単位まで砕けてゆく。完璧な、おしまい

(『もう、時期だろう』)

 自由になってもよいのではないか、とあの人はいった。
 緋羽の以前の主だ。

(『キミのきれいな肌を、僕のひとりよがりな都合で汚した』)
(『その罪がこんなことばひとつで無に帰せるとは、思ってないけれど』)
(額にあてがわれたてのひら、利き腕の。緋羽からは死角になってみえないが、それはおそらく夜明けの睡蓮のように、淡い紅色にかがやいている。緋羽の刻印『令』の放つ光の照り返しをうけるから)
(彼の人はとても好ましい指をしていた。骨張って、ひんやりとしている。彼はときおり前触れもなくこんなことをしたが、緋羽はそれが嫌いではなかった――積極的に口にすることはなかったが)
(されるがままになっていると、体温を直に感じる。生きているとはそういうことだ。あたたかい、ということだ。つめたさは死に直結する予感だ)
(そして、刻下、孤絶の緋羽はぬくもりへ通ずる手懸かりを失っている)

 自由、とは、
「制約の無」
「勝手気まま」
「他から強制や命令をうけるでなく、自分の思うようにできること」
 そんなうわっつらの、指ではじけば×に罅いるような、テクスチャをなぞりたいわけじゃあない。
「して、真に『自由』とはなんぞ示す?」
 懐疑する。
 応答――どこからもない。かぼそい声は彼女の立つ鉄筋にひたひた染み入り、消える。緋羽に答えてくれる人はいない、もしも『主』がいたなら緋羽の望むものはすぐにでも手に入れられただろうか。
 ‥‥望む?
 吾はなにかを欲している?

(『烏が啼くから帰りましょう』)
(寺の鐘はゆらぐ芒よりものんびりと村中に響きわたり、逆に、お天道様は子どもの駆け足をはるかに越すいきおいでどんどん沈む。秋の日はつるべおとし。もっと遊んでいたいけど、そろそろ帰らなきゃ)
(『また、明日遊ぼうね』)
(『氷鬼しようね』)
(『影踏みもね』)
(子どもたちは明日の遊びを今日のうちにとりきめるけれども、それが完遂されることはあまりない。気まぐれというのもあるし、だいいちどんなに外で遊びたくっても、とつぜん雨が降ったりすれば埒もあかない。分かっちゃいるけど、指切りげんまん。明日、ぜったい逢うために)
(小さな手と、手。小指と小指。いたいけな誓い。山を見上げる空がすべて、山から見下ろす野がすべて、幼い季節。さよなら、と手を振り合う子どもたち――そのうちのひとり、不揃いの黒髪を蝶翅のごとき飾りでまとめた――皆とおなじように笑う――あれは、あの子は――‥‥)

 は、と胸を衝く。
 とりとめもなし、夢か現か幻か。
 いっしゅんよぎる景色をなかったことにする。それ、が堕としていった残滓まで、透明な龍のうねりのようなみどりの夜風にまぎれさせる。

(ずいぶん、わがままな人だった。僅少の賃銀を賭博に費やし、竹葉に変え、あっというまに全部なくした。地道な労働は嫌いだった。祖より伝わる刀剣を唯一の矜恃とし、それにすがって生きていた。他にはなにもなかったが、他人に悟られないよう、濁声と態度ばかりが大きかった。そういう人に仕えたひとときがあった)
(『どうして逃げない?』)
(『他は誰もいなくなった。親はオレがものごころつかぬうちに、死んだ。女房は子どもを連れて出て行った』)
(ある日、いつものようにひととおり癇癪を起こしたあと、杯を壁にぶつけて気が済んだのか、息を荒くしながらそんなことを尋ねてきた。緋羽は云った。あなたが緋羽の主であるゆえに)
(『何故、オレがおまえの主だ?』)
(盟約を為したから。答えは主の満足するものではなかった。そうではなく、盟の成立した条件だ。しかし理由は緋羽も知らない。首を横に振り意思をしめすと、彼はまるめた紙のように顔をゆがめる)
(『分からなくても、おまえはそこにいるのか?』)
(はい。緋羽は無感情に答える。主はいっそう狂おしくことばを重ねる)
(『ずっとずっとオレのそばにいるのか? どこまでも? 地の果てでも? これ以上、オレが墜ちるところまでいっても?』)

 ――‥‥その人とはどうして別れてしまったのだろう。
 疑念だらけだったあの人を思い起こす。今の己はすこし似ている。自由の意味が分からない、己の欲するところが分からない、だが緋羽には彼のようにことばをぶつける相手をもたぬ。自問自答にもかぎりがある。今宵はこのあたりできりあげるがよかろう、でないとそれにつぶされそうだ。行き場をなくした思惟が、暴力的な吹きだまりと化し、彼女を呑み込む。
 緋羽は『飛翔』をひろげる。やっぱり睡蓮のような紅が、一寸の濃密からだんだんと薄暮のごとく均等に拡散して、羽になる。うちおろす、4枚。2ずつの前翅、後翅、一体となりはためく。つらぬく翅脈も、紅。瞳をうっすら濡らす光も、紅。

(いちばん新しい主は、思慮深い人だった。雲をみれば一刻あとの雨に思いを馳せ、風をきけば遠い国の律動を想像した。優しすぎるくらいに見えぬもののことを想った)
(そして彼は罪人でもあった。誰かをあきらかに害したわけではない、原罪、というやつだ。生まれつきの背の荷に重量をおぼえ、思い悩んだあげく、因縁を種の起源にまで求めた。できれば、他の者はこんな苦痛からは解放されて欲しい、いつもそんなことを思っていた)
(緋羽と話すとき、まっすぐ目を見詰めることもあった。痛そうに逸らすこともあった。緋羽の額に視線をやるときは、とても悲しそうだった)
(『キミは僕から離れるべきだ。その翼でちからいっぱい羽ばたいて』)

 自由になってほしい、といわれた。
 でも。
 主の不在、それだけでこんなにもがらんどうになってしまうのに。流動と回転、変化をもとめてやまない世界をとりまく気が、器の心をさみしく奏でる。からん、と響く。清澄な鉱質の音が、大気をふるわせる。震動はどこまででもひろがってゆくかもしれない、地球の発疹のように。

(主たちの記憶をけっして亡くしたりはしないが、しかしそのひとつひとつに明瞭な仕切りがあるわけではない。経験を必要とするたび、いらぬと判じたはずのものまでひっぱりだすことも多々ある。ちょうど、ひとつひとつ糸につながれた数珠玉をたぐるようなものだ)
(反応する。継続する。連鎖する。拡大する。応用する。結合する。置換する)
(深層のチェックフラッグ。無心のブラックボックス)
(‥‥とても不思議だ、からっぽのような自分のなかにこんなにも大きなうねりがあるなんて。だが、それは充足につながらない。もちろん未満でもなければ、過剰でもない)
(ここには『あなた』がいない。緋羽の現実、現在、現況、はただそれだけ)

 足よりも下。なだらかにひろがる薄闇。小さな緋羽にはずいぶん大きく思えるが、面積だけを問題にするなら、世界規模の観点からいえばごく普通だろう。人口密度からいえば、トップクラス。加速度的に物流の膨張をつづけ、ついにはボーダーを内側から破壊し、魔でもあり聖でもありわけのわからぬものへとみずから同化する、異界へのエキュメノポリス。それが東京だ。
 ここでなら緋羽はなにかを見つけられるだろうか。
 しっかりと形あるものか――たとえば新しい主――、冷たい水のようにつかみどころのないものか――たとえば自由の意味――、それは分からぬ。まだきっかけすらすくいあげていないものを、これ、と断じることは不可能である。だいいちに、東京は混沌、緋羽も混沌。混沌が混沌に言及するのも、おかしな顛末だ。
 茫として、杳として、まっくらな東京。
 あるいは、未来。
 そこへ一輪、赤い花、夜天。緋羽はふわりと、なきもののように、飛空する。

※ ライターより
 遅くなって、申し訳ございません(定型文句ですか(汗))。
 発注の文にたよりっきりの壷ポエムのようなできとなってしまいましたが‥‥。というかタイトルそのものが、シ○ニィ・シェ○ダンではなく、ヴェルレーヌのそれです。上田敏です。どうしてもうまいものを思いつかなかったので、借りてきてしまいました。
 昔の主を好きなようにつくってよい、とおっしゃってくださってので、3人ほどでっちあげてしまいました。なんかそのうちのひとりに力が入ってるようなのは、気のせいではないと思います(汗)
 なんにせよ、緋羽さまのはかなくもどこか芯のあるようなところが表現されていれば、よいのですが。