コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


脅迫的依存関係とその現実と

 残される気配と残り香と
 そこはかとない淋しさはいつだって
 現実を嘘に変えるには十分な温度

 あいつが去る音を背中で聞いて、じっとりと二人分の体温が染み付いた布団の上で有佐ユウシは寝返りを打つ。薄いドアは閉ざされて、つい先ほどまでそこに雑然と並んでいた一足の革靴は去った。いつからか部屋に染み付いた癖のある煙草の香り。缶ビールの空き缶が灰皿代わり。枕元のそれをうつ伏せになって眺めて、組み合わせた腕の上に頭を預ける。自分の頭の重みを両腕で感じながら、どうしてこんなにも独りなのだろうかと思った。
 腕に圧し掛かる重みは今、ユウシ一人分の重みだ。
 つい先ほどまで触れていた他人の温度は遠くに去り、気紛れが生じない限りは今夜中に戻って来ることはないだろう。そしてきっとその気紛れは生じることはない。確信にも似た強さはそれまでの経験から推測した結果だ。日常のなかで知らず知らずのうちに無意識がはじき出す結果。それは習慣として日常に定着して、当然のこととして日々の一部になる。
 そうしたものが今までいくつあっただろうかとユウシは思う。借金の保証人などという莫迦みたいな役回りを引き受けて、闇金に手を出すに至った結果、ユウシは人を安易に信用することをやめた。友人も作らない。できる限り必要最低限の人間とだけ割り切った関係を持つようにしてきた。深く付き合うようになればなるだけ分け合う秘密も多くなる。たとえそれが些末なものだとしても、いつかそれが弱みになるのかもしれないと思うと怖かった。些細なことが自分を駄目にするような気がしたのだ。無口になったのはそのせいかもしれない。
 自ら内面を語るようなことは弱みを見せることと同じだと思っている。それゆえにいつしか音になる言葉は相手によって厳選されるようになり、いつしか音にならない言葉のほうが多くなった。ふと気付くとそうした注意を払わずに話しをできるようになっていたのがあいつだというのだから皮肉もいいところだ。
 今更あいつに隠すことなど一つもない。借金のことも能力のことも知っている。それらを知られてしまっているとすれば、二十六年という人生のなかにあった出来事のなかで隠すことなどないに等しい。否、全くないといっても過言ではないだろう。自分らしい自分でいられる。あいつといると時折そんな安堵さえ感じることがある。それが好意に似ているのではないかと錯覚することもあるほどだ。囚われて逃げられないから自分を誤魔化すためにそんな妄想を抱くのだと自分を納得させようとしてみても、確たる証拠が得られるわけでもない。好意を好意だと認めてしまうことは容易い。しかしその向こう側に何があるのかといったら、何も無いということは明らかだった。
 そうした明白な現実にもどかしさを感じる自分が不思議だった。可笑しかった。自分の立場をわきまえるべきだと忠告する自分さえいる。それなのにもどかしさを一蹴することはかなわない。狡猾なあいつの掌の上で踊らされているだけだと思っている心とは裏腹に、何かを求めようとしている自分がいるのだ。
 それがあいつの作戦なのではないかと疑う心と踊らされているわけではないという心がせめぎ合う。
 あいつが睦言のように語った嘘とも本当ともとれない数々の言葉を思い出す度に、前者が強くユウシの心に焼きつく。それでも後者を捨てることができないのは不意に見せたあいつの笑顔が網膜に焼きついて離れないからだろう。
 狡猾そうに笑って便利な駒の一つでしかないのだと思っている風を装っているだけなのではないかと思う。駒の一つだと思われていることこそが現実で、思う心は自分の浅はかな望みでしかないのではないかと思いながら期待を捨て去ることができないのだ。
 殺してやろうと思って手をかけた。
 けれどそれを達成することはできなかった。
 あいつが笑ったからだ。
 まるで殺してくれとでもいうように、潔い笑みを浮かべたから殺すことができなかった。
 不思議と後悔の念はなかった。ただどこかで自分がどうしようもなく卑小な人間のように思えるだけだ。逃れられないから殺してしまえと、短絡的に行動を起こした自分を悔いるだけなのである。おかしなものだ。あれだけ逃れたいと思っていたというのに、あいつの笑顔一つで誤魔化されてしまった。
 借金という現実が惰性のように今日まで関係を持続させている。
 総ての借金が返済できたあかつきには、本当に胸を張ってあいつから自由になることができるのだろうか。問題はあいつではない。自分の心の問題だ。依存しているかもしれない。そんな疑いを生じさせる自分の心だけが今はユウシの頭のなかを不思議な怯えで満たしている。
 缶ビールの縁に手を伸ばして、残された吸殻に触れてみる。
 独りなのだと思う。
 飲み友達もいない。アルバイト先の飲み会にも何かと理由をつけて顔を出さない。酒を共に飲むのもいつからかあいつだけになってしまった。特別楽しいわけでもないのに、缶ビールを買っておくのはどうしてなのだろう。不必要とも思えるそれに金を払う理由がわからない。
 ユウシの日常に馴染んでしまったあいつの存在。
 それが残した屈辱は数知れないというにも拘らず、淋しいと思う心にいとも簡単に土足で踏み込んでくる。腰を落ち着けて去ろうとしない。
 依存している。
 そんな予感はいつか確信に変わるのだろうか。
 思うとなんだか怖かった。
 自分ひとりがあいつにのめりこんでいのではないかと思うと、底知れぬ闇の底へと突き落とされるようで怖かったのだ。
 いつか必ず逃れてやろうと殺意まで覚えた相手に対して、のめりこんでいくなどと考えただけでもぞっとする。しかしそのぞっとする現実が今目の前にあるような気がするのだ。あの笑顔が網膜に焼き付いて離れない。あの笑顔を目にしたその日からユウシのなかから不思議とあの日のような衝動は姿を消して、必死になって逃れようと思えなくなってしまった。あれほどまでに逃れたがっていたというのにおかしなものだ。思う心は楽観的には考えられない焦りにも似た何かに支配されている。
 脅迫的な依存関係にしか過ぎない。
 自身を納得させるために言葉を綴る。
 借金を理由に築かれ依存関係。
 だから借金というそれが消えてしまえばきっと終わる。
 何気なく閉ざされたドアへと視線を向ける。
 開かれることのないそれ。
 不意に次に開くのはいつだろうかと無意識のうちに考える自分に気付いたユウシはそんな自分を振り払うように、依存しているわけではないと胸の内で繰り返しながら強引に目蓋を閉じた。