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幽霊の、正体見たり、その心は?
【猫と狼と】
「あっはっはっはー!!!」
毎度馴染みの草間興信所のドアに手を掛けた途端、世にもお気楽な笑い声が響いてきて、上総辰巳(かずさたつみ)は、この時、瞬時にして、自らの身の危険を悟ったという。
これはまずい。かなりまずい。部屋の中には、間違いなく、あの村上涼(むらかみりょう)がいる!
平素にあっては扱いにくい雌猫であり、酔えば大虎と化して暴れまくるこの娘は、向かうところ敵なし状態の辰巳をしても、時々、尻に敷かれかねないほどの勢いだ。いや自分が負けるなどとは露ほども考えてはいないわけだが、ともかくも厄介であり、難敵であり、気力体力充実していなければ、およそ関わり合いにはなりたくない、上総をしてもそう思わせてしまう、ある意味、もの凄い人種なのである。
帰ろう、と、上総は決断した。決断したら、行動は早かった。くるりと回れ右をする。
なに、どうせ暇つぶしに来ただけなのだ。今更草間の顔を拝み損なったところで悲しくもないし、それよりも、酔いどれ涼の魔の手から逃れる方が、遙かに重要な項目である。
が。
「ちょーっと待ったぁ! なにコソコソ回れ右してんのよキミは! ここで逢うたが百年目。さぁ来なさいよ入りなさいよそれともナニ私の酒が飲めないっての!?」
捕まった。
素晴らしいタイミングで。
きっちりとネクタイを締めた襟元を、容赦のない力で、ぐいと掴まれる。本気で喉が締まった。
ヤクザ三十人を相手にしたって、こんな不覚を上総がとることは、まず無い。
もしかして、こいつは、無敵か不死身か、実は尋常ならざる異能力を持っているのでは……と、微妙に遠目で考えた上総の視界の端っこに、この事務所の主が、ぼうだの涙を流しつつ、いじけてそっぽを向いて座っているのに気が付いたのは、次の瞬間のことだった。
「おい、草間……」
同情と言うよりは、単純に目障りだったので退かそうと、上総は、探偵に話しかける。
「何だ!?」
噛み付くような剣幕で、草間がそれに答えた。どうやら、涼に荷担して応接間を茶店代わりに使う者全て、敵と誤認識しているらしい。
「事務所が宴会場と化すのは、今に始まったことではないだろう? 賑わうのも人望の一つと考えて、割り切ることだな」
「このままでは、俺は、光熱費代と押しかけ客の飲み食い代で、路頭に迷う!」
草間が頭を抱えた。
たぶん、哀れに思ったわけではないだろうが……上総が、ふと、意外なことを呟いた。
「草間。何か、簡単な仕事はないか?」
探偵が、訝しげに、上総を見つめる。わずかに目が泳いで、机の上に置きっぱなしになっているファイルに、行き着いた。
「あとで奢れよ」
ファイルから、一枚の依頼文書を抜き取って、上総が涼に話しかける。
まるで某宿敵と会話する時のような、軽口の叩き合いが数分続き、不意に、涼が、わかったわよと叫んだ。
「廃屋の幽霊が怖くて、探偵仕事が出来るかー!」
見事に挑発に載せられて、鼻息荒く立ち上がる。
主催の涼が抜けると、宴会は、たちまち縮小モードへと移行した。そろそろ帰るかと、思い思いに立ち上がる。素知らぬ顔でさっさと部屋を出て行こうとした一人を、涼の金属バットが、すかさず襲った。
「後片づけをする! これ宴会の常識!! さぁ、さっさとやるわよ!」
かっとんだ性格に見えて、村上涼は、なかなかどうして、締めるべきところはきっちり締める。
手早く指示を出してあっと言う間に片付けると……いや片付けさせると……何故か金属バットを装備したまま、今度は、上総に話しかけた。
「何よどういう風の吹きまわしよ? キミがおっさんに優しいなんて、不気味なことこの上ないわよ?」
「丁度良いアルバイト先が、後先考えない万年リクルーターに潰されてはかなわないからな」
「チョットそれ聞き捨てならないわよ!?」
「油売ってないで、とりあえず勉強でもしたらどうだ? 落ち続けると、落伍も癖になるぞ」
「キミ本気でこの村上涼に喧嘩売ってる!?」
「勝てる喧嘩を売ってどうする。売られた喧嘩なら喜んで買うが、おまえ相手に買ったところで、自慢になるどころか自分が情けなくなるだけだ」
「ま、またコレ系の性格……」
あまり認めたくはないが、毒舌の滑りの良さは、この男、某宿敵をも上回る。
なんで、自分の周りには、こんなのばかり集まるんだと、本当に遠い目で、涼はつらつらと考える。多分に、彼女のキャラクター性が、この手の男どもを引き寄せているのだが…………むろん、本人にそんな自覚は毛頭無い。
「まぁいいわ! とにかく行くわよ! 何事も経験でしょ! ご近所お化け屋敷探検も、就職の何かの役には立つかも知れないしね!」
いや、絶対に、役立たない。
頭の中で思うだけに留めておけば良いのに、男の方が見事に口に出して呟いてしまい、また、二人の間で一悶着が沸き上がる。
相性は、最悪のようである。
とりあえず、穏便に仲良くなるのは、諦めた方がよいかも知れない……。
【幽霊の、正体みたり?】
ご近所の奥さん・48歳小太り・本人実名を出したくないとの希望により以後「おばさん」と称す・の発言は、以下のようなものだった。
「出るのよ出るのよ! あの家!! 真夜中に、怪しい人魂を見たって人が、もう何人も!!! 何とかしてよ。こんな時に役に立たなければ、せっかくの怪奇探偵もナンボのものでしょ」
すっかり、ご近所では、怪奇探偵で名が通っているらしい。
これで解決してしまったら、ますますもって、そっち方面の名声が高くなるのだろう。それはそれで、哀れな気がしないでもない。
ともかくも、おばさんの案内に従って、二人はいよいよ家へと突入した。家と言えば聞こえはよいが、早い話、廃屋である。やたらめったら広さだけはあり、なるほどお化けの5匹や6匹、住み込んでいても不思議はない。
廊下は、あちこちが腐って底が抜けている。気を付けて歩いていたのに、剥がれて反り返った板に足を取られ、涼は見事にすっ転んだ。
「痛ぁっ!」
「間抜け」
「いきなりソレ!? 大丈夫とか、まともな一言は言えないわけ!? キミは!」
「見るからに大丈夫そうな相手に、わざわざ聞くのは、ただの無駄口だ」
簀巻きにして、いつか、東京湾に沈めてやる。
結構本気で、涼がそう思ったかは、定かではないが……。
不意に、遠くで、がたんと物音がした。
「いたか」
何処か嬉しそうに、上総が走る。相手は幽霊のはずなのに、彼は迷わず銃を抜いた。むろん、上総の銃は、他には類を見ない特殊な能力を有しており、実体の有る無しにかかわらず、破壊的な威力を誇るが、いきなり獲物を抜くのは、どこか、この男らしくなかった。
銃になど頼らなくとも、肉体こそが、武器。
腕も、足も、その気になれば、雑多な霊など存在そのものを粉々に粉砕してやれる。傲慢尊大、合理主義にして実力主義、基本は鬼、の上総辰巳の手にかかれば、なるほど、魂の欠片すらも残らないのは、間違いない。
「ちょっとキミ! ここに連れがいるってこと、多少は考えなさいよ! その頭は飾り物!?」
後ろの方で、村上涼が騒いでいたが、鬼は、見向きもしなかった。
「ここか」
廊下を走り、階段を駆け上る。同じようなドアがたくさんある並びに来ると、上総は、躊躇うこともなく、一つの扉の前に立った。
気配を感じる。人の……いや、人がいた気配を。
今は無人だが、ここには、間違いなく、誰かが住んでいるのだ。
微かな生活感を、上総は、恐ろしいことに、家に入った時点から既に見抜いていたのだった。だからこそ、銃を抜いたのだ。霊よりも、人の方に、より効果が高いと、知っていたから。
扉を、開けた。
「……………………」
思考が、不覚にも、停止した。
部屋の中は、華やかだった。
部屋中に、色取り取りの布きれが落ちている。いや、ただの布きれと、上総は思いたかった。思い込もうとした。思わなければ、あまりの馬鹿馬鹿しさに、彼のハードボイルド人生25年間が、一瞬で否定されてしまいそうな……ともかくも、空恐ろしい光景が、広がっていたのである。
「ちょっと凄い数ねぇ! これ、全部、女物の下着じゃないのよ!」
そう。部屋中に散っていたのは、ランジェリー。
たぶん、千枚……いや二千枚はくだらない。とんでもない数である。履き古したものも、新品もある。村上涼は、これ可愛いわね〜と、呑気に物色したりもしているが、上総辰巳がそれをやったら、ただの変態である。彼としては、その場に固まるしか手立てがないのだった。
「何なんだ……これは」
脳の回路は、まだ、回復しない。
涼の方が、ことこういう場面に関しては、余程冷静だった。なるほどね〜と、一人納得している。
「わかるように説明しろ!」
「わかんないの? アタマ悪〜い!」
万年リクルーターに、言われてしまった。さらに二重のショックである。
「ここって、隣の区で連続発生していた下着泥棒の根城だったのよ!」
そんな話が、あったのか……。自慢じゃないが、上総辰巳の性格からして、下着泥棒なんぞに構うはずがない。こと、この件に関してだけは、上総は完璧に無知だった……だからこそ、涼に後れを取ったのだ。
「ここに隠していたのねぇ……。幽霊話なんかでっちあげて。そんなに下着が欲しけりゃ、買えばいいのよ。変態でもお客さんなら、下着屋さんは喜んでくれるわよ」
とりあえず、お巡りさんに、通報通報……。てきぱきと、村上涼が、事態を処理してゆく。
固まっている上総を尻目に。
「悪夢だ……」
と、上総が呟いたかどうかは定かではないが……。
「邪魔! 銅像と化しているなら、外でやんなさいよ! 図体でかい分、余計に邪魔!!」
と、涼がここぞとばかりに怒鳴ったことを、一生、上総は、忘れないと思ったとか……。
【後日……】
「また一緒に事件に遭遇したいわね〜!」
「二度と御免だ……」
「どうしてよ? 下着泥棒逮捕にご協力ありがとうございます、って、せっかく金一封もらったのに」
「とにかく二度と御免だ!」
「何よ下着泥棒の一人や二人や三人……」
「そんなにたくさんいてたまるか! 下着泥が!!」
「わかんないわよぉ? このさもしい世の中、下着で心を慰める男性陣の、なんと数の多いことか!」
「結論付けるなー!!!」
ともかくも、終わったらしい……。
ちなみに、翌日、上総辰巳が勤務先を休んだのは……ここだけの話である。
間違っても、村上涼に知られてはならない。
「ちょっとぉ……聞いたわよぉ?」
彼女の地獄耳に、それは、通用しなかったようだ……。
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