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<東京怪談ノベル(シングル)>


 白い絵本


 白い絵本は、その日見た夢を映すという。

 つまりは、同じ一冊の本でありながら、その本を手にする者によって、その内容は少しづつ違うという事になる。何とも曰くありげな本だった。
 それが本だけの成せる業なのか、はたまた神聖都学園という場所のせいなのかは判然としなかったけれど、高等部の図書室の誰もが容易に手に取る事の出来る場所に、無造作に置かれている事実は、少なくとも後者のせいのように思われた。
 その日見た夢を映すというその絵本は、夢判断などが流行った一時期重宝がられ、占い好きの乙女達にこぞって借り出されたらしいが、今では流行も過ぎたのか借り出す者も殆どないという。
 まるで忘れ去られたみたいにその本棚に置かれていた。

 月夢優名がそれを手に取ったのは単なる偶然からだ。
 昨日の夜、少しだけ夜更かしをして読み切った本を図書室に返しにきた昼休み。まるで見つけてくださいと言わんばかりに、カラフルな背表紙に紛れた、何も書かれていない真っ白な背表紙が目に止まった。
 わずかな好奇心で本を取ると、教科書より一回り大きいくらいだろうか、白いハードカバーの表紙には銀の箔押しで『白い絵本』とだけ書かれている。
 シンプルだけどどこかかわいらしい本に、表紙を開くと1行だけ、こう書いてあった。

【あなたが今日見た夢を映します】

 少しだけ興味が沸いた。
 自分は普段どんな夢を見てるのだろうとふと思った。夢なんて覚えていない事の方が多い。
 図書室ではそれ以上中を開かず、優名は本を借り出すと、さっそくとって置きの場所を目指した。
 学園内の広い中庭の片隅に石榴の植えられた場所がある。
 意外に人気の少ないその場所にはベンチがあって、石榴が放つ甘い香りに浸りながら読書を楽しむ事が出来る。最近見つけたお気に入りの場所だった。
 そのベンチに座って絵本を開く。
 真っ白いページが続いていた。
 めくってもめくっても白いだけのページ。
 まさか、ただ白いだけの絵本なのだろうか。
 拍子抜けした気分であくびを一つ。そういえば昨日は夜更かししてしまってあまり寝ていなかったんだと、優名は軽く目を閉じた。
 穏やかな昼下がり。

 心地よい睡魔に誘われた彼女の膝の上に乗った絵本の文字が――――

【あなたの日常を映します】

 そんな風に書き換わっていたのだけれど、まどろみの中でうたた寝を始めてしまった優名がそれに気づく事はなかった。


   *


 眠りから目を覚ますと、カーテンの隙間から差し込む眩しい日差しに視界を奪われ、目を開けても閉じ目ても乳白色の世界が広がっていた。
 やがて焦点がぼんやりと寮の天井を映し出す。
 心地よい朝の目覚め。
 間髪入れずアナログ時計が鳴ったのを止めて、優名はベッドを降りた。朝はあまり慌てたくないから少しだけ早めに起きるようにしている。
 机の上にのる大好きな石榴の実におはようの挨拶は忘れずに、カーテンを開けると浴室へ向かった。勿論、半身浴なんてしている時間はないので、体を起こすように全身に軽くシャワーを浴びるだけ。
 学校の準備は前の晩にしてあるから、それを再度確認して身支度を整えると鞄を手に部屋を出た。
 いってきます、と声をかけた相手は、たぶん机の上の石榴。
 朝食は学食でとる事が多い。洋食の朝が多い学食の、この日の朝食もトーストにベーコンエッグ。だから和食が恋しくなった時は自分で作る事もあるけれど、今日のところはこれで満足。
 食後の紅茶を飲み干して、優名はそのまま学校へ向かった。
 授業は真面目でもなく不真面目でもなく。
 休み時間を、話しかけてくる友達とのたわいもないお喋りで過ごす。大抵聞いてるだけの事が多いけれど、それで充分に楽しかったりもする。今は近くのケーキ屋さんの新作ケーキの話題で持ち切りだ。勿論、甘いものは大好きだから、喜んで聞いていた。
 午前の授業の終わりを告げるチャイムに優名は一人学食へ足を運ぶ。今日の日替わりメニューは中華丼。内容によっては購買でパンを買う事もあるけれど、この日は食堂でランチをいただく。
 昼休み、残りの時間を優名は一人読書で潰した。
 図書館に行って、静かな場所を探してはのんびりとページをめくるのが日課のようになっている。
 午後の授業を終えた放課後は部活動もしていなのでそのまま寮へ帰った。
 この学園に通うさがなのか、まれに妙な事件に巻き込まれる事もあるけれど、大抵は何事もなく寮に辿り付く。
 ただいま、と机の上の石榴に声をかけて鞄を置いて人心地。
 スコールのような水音を浴室いっぱいに満たしてシャワーを浴びたら、そのままのかっこで飲み物を用意して優名はフローリングの床にぺたんと座った。
 お気に入りの石榴の刺繍のクッションをお腹に抱いて机の上の石榴を愛でる。
 一年中、鮮やかなガーネット色を見せてくれる枯れる事のない石榴。そんなプリザーブドフラワーが作り出すささやかな魔法に心和まされる。
 あっという間に過ぎてしまう穏やかなひと時に優名がふと時計を見やると、そろそろ部活が終わる時間になっていた。
 混む前にと慌てて制服を着こんで夕食をとりに学食へ向かう。
 少し早めの夕食を終えて部屋に戻ると優名は半身浴を楽しんだ。湿気を嫌うプリザーブドフラワーを持って入れないのが少しだけ不満だけれど、長い針がゆうに二回りはするくらい時間をかけてゆったりと一日の疲れを癒す。
 その後は宿題や予復習をして明日の準備をすると眠気が訪れるまで本のページをめくる。石榴の写真集だったり、趣味の刺繍の本だったり。
 その内うとうととし始めて優名は本を閉じた。
 机の上の石榴におやすみなさいと心の中で呟いて布団にもぐりこむと、すぐに夢の中へ――――。


   *


 眠りについたところで目が覚めた。
 一日を終えたようなけだるい疲労感があるのに、時間はまだ昼休みの途中、あれから十分も経っていないようだった。まだ眠い。或いは、もう眠い。
 何て夢を見たんだろう。
 まるで一日過ごしたような現実は夢で、まだ今日は半日も残っているのかと思うと何だか理不尽な気がしてきた。やった筈の宿題も勿論、終わってない。
 こんな夢を見たのは初めてだ、と思ったところで膝の上に乗る絵本に気が付いた。白かった筈のページが極彩色に見えたのも束の間、淡くぼやけて再び白いページに戻っていく。
 何となく、この本の仕業か、と思った。
 優名は溜息を吐く。一日を得したのか、損したのか、何とも複雑な気分だ。
 寝る前に読んだら良かったかしら、なんて思わなくないが仕方がない、午後一時。
 絵本を閉じて立ち上がる。 
 ふと、絵本に挟まっていたらしい紙切れが落ちた。誰が挟んだものなのか、走り書きのメモ。

【起きている時には夢を、眠っている時には現実を】

 普段どんな夢を見ているのかと思って開いたのに、どうやら現実の方を見てしまったらしい。
 正しくそれは現実の中の日常。毎日繰り返される平凡な一日。
 だから、一日多くそれ体験したところで飽きるわけもなく。
 優名は本を手に歩き出す。
 さて残りの今日の半日はどんな風に過ごそうか。学食で夕食をとった後だから、今度は自炊してみるのもいい。久しぶりに肉じゃがでも作ろうか。明日はお弁当にしてもいい。
 時折不思議な出来事に遭遇する。

 それも含めて日常。


 白い絵本――――。
 起きている時に開けばその日見た夢を映し、眠っている時に開くと現実を映すという。それは何とも曰くありげな本だった。



 −Fin−