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<東京怪談ノベル(シングル)>


故郷へ捧げる剣

 その朝、空は澄みわたり、風は西から吹いていた。空気はさわやかで、ほのかに花の芳香が漂っていた。
 タラップを降り、数時間ぶりに大地を踏みしめる。

―帰ってきた。 

 龍也の心は、感慨深い思いに満たされていた。
 彼は、背の高い男だった。肩幅は広く、ウエストは細く引き締まっている。白いTシャツの上に、特殊素材の
ジャケットを着込んでいる。ぴったりとしたズボンに包み込まれた脚は、ブーツに突っ込まれていた。胸元を彩
るシルバーアクセサリーが、日の照り返しを受けて鈍く光る。
 龍也は緋色の目を細め、ゆっくりとあたりを見回す。
 発着場は、いつもながら多くの飛行機が離着陸し、にぎわいを見せていた。
 一機は明らかに総点検の最中で、腹をぱっくり開けていた。到着したばかりの一機は、貨物扉を開け、下で待
つ車に積荷が流されている。
 乗客たちは、すでにターミナルに向かって歩き始めていた。平らなアスファルトの上に、影が揺れる。
 龍也は、大きく深呼吸すると、一歩を踏み出した。

―葛城を、目指して。


* * *


 眼前には、巨大な森が広がっていた。
 地平線は、端から端までこの森に覆われている。美しい場所であった。自然が創りたもうた結界。そんな表現
が似合いそうだった。どこからか、鳥のさえずる声がする。あたりはむせるような緑の芳香に包まれている。
 心が落ち着くようだった。
 そそり立つ木々のつくりなす長い回廊が、奥へと伸びていた。ぽっかりと開いた自然の入り口は、まるで龍也
をいざなっているかのようであった。
 龍也は、しばらく森を眺めていたが、やがて、すっと足を踏み入れた。


 
 木々は高々とそそり立ち、はるかな頭上で緑の天蓋をつくりなしていた。枝を縫うようにして間から、光が差
し込み、ところどころに金の粒を落としていた。
 ふと、右手の方向に木の葉をゆするかすかな風の気配が感じられた。そよぐ木の葉をたどっていくと、ほどな
く、森の中を曲がりくねって走る小川の岸辺に出た。柔らかい苔のカーペットに覆われた地面は、真新しい足跡
が、いくつか残っている。

―狐だ。

 と龍也は思った。
 小脇には、スミレの花が可憐に咲き乱れていた。

―何度も、通った道。

 迷うことはなかった。何年経とうとも、体が、心が、覚えていた。
 川の中央には、岩が転々と頭を覗かせている。水がそれらの岩を叩き、白い泡立ちを見せていた。龍也は、そ
れらを足がかりに軽快に川を飛び越えると、目的の場所に向かって走り始めた。
 

 龍也は駆ける。枝や落ち葉を踏みしめ、なかば埋もれた木の根や岩を越えて、龍也は駆ける。前方が、徐々に
明るくなる。更に龍也は速度を上げる。
 そして、突然目の前がひらけた。
 龍也は一瞬立ち止まり、あたりを見回す。
 そこは、廃墟であった。焼け爛れた大地に、無数の瓦礫。そこここに、茶けた岩や焦げた大木が転がっている。
 死の臭いが漂っているようであった。
 だが。

―目指した場所は、すでに、ここにはなかった。

 龍也はゆっくりと頭を振ると、おもむろに廃墟内を歩き始めた。
 ここが、彼の里であった。


 一通り歩き、龍也は廃墟の中心で立ち止まる。そこは平らな場所だった。腐った葉に覆われ、ときおり、風が
乾いた葉をかさかさと鳴らす。
 龍也は、目を閉じる。
 一瞬、空気が変化する。びゅごう、と風が足元の砂を巻き上げ、小さく舞い上がる。
 数秒、身の周りに輝く白い霊剣が姿を現した。
 その数、87本。
 龍也は、目を開く。瞬間それは空に高く浮かぶと、一斉に大地に突き刺さった。

 ひゅんひゅんひゅんひゅんひゅんっ!

 眼前は、今や無数の霊剣に彩られていた。
 よく見ると、その一本一本に、名前が刻まれていた。

―墓標代わりの剣。

 龍也の脳裏に、記憶が蘇る。
 耳に響く怒号。自分を追う人々。老人が、龍也の後ろで何事かつぶやく。子供達は母親に抱かれ、家の中へと
消える……。
 彼は里の人間全員の顔を、すべて覚えていた。
 
―たとえ、自分達を追放した人々であっても。

 龍也は、その場にしゃがみこむと、跪き大地を軽く撫でた。ざらついた砂が、龍也の指に付着する。龍也は砂
を払い、ゆっくりと立ち上ると、おもむろに空を仰いだ。
 雲の隙間から太陽が見えた。その時ぽつり、と雨粒が鼻先に落ちた。

 ―狐雨か。

 青々とした空の下、霧のように細かい雨が、優しく降り注ぐ。それは陽光に照らされてきらきらと輝いた。
 まるで、焼け爛れた大地を癒すかのように。
 龍也は、ふと微笑むと、ゆっくりとその場を後にした。
 87本の霊剣は、いつまでも輝いていた。