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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


神の手

 地震――?
 はげしい振動。人々は、よってたつ大地に拒絶されるのを感じて、あるものはしりもちをつき、あるものは手近なものに縋りついた。
 エリス・シュナイダーも、街路樹の幹に掴まって、揺れがおさまるのを待つ。
 かなり強い揺れだ。お屋敷のほうには大事ないだろうか……その思考を遮るように、誰かの鋭い悲鳴。
(…………)
 揺れはおさまっていたが、人々は口々になにかを叫んで空を見上げ、指さしている。エリスも自然と、そちらに視線を投げて――
 そこに、
 街を見下ろす巨大な顔を見た。
 涼やかな青い瞳、レースのカチューシャ……すなわち、エリス自身の顔を。

「みんな私のおもちゃです」

 彼女は言った。その声を、街にいるものたちは全員、はっきりと聞いた。
 高層ビルよりもはるかに高く、まさに空を埋め尽くさんばかりの、その顔。信じがたいことだが、これが幻でなければ、この都市は、ちょうど彼女の手の中にある――そんな縮尺なのだ。
 だから、そのメイドの声は、神の声のように響いた。
 いや――
 文字通り、その瞬間から、彼女こそが、この都市にとっての神だったのである。
 地上のエリスは、無表情に、それを見つめていた。


 エリスの細く、形のよい指……いつも言い付けで、花壇の花を手折ってグラスにいけている指が、花をちぎるのと同じように、ビルを折った。
 人々はそこに、テロルによってビルが崩壊していった光景が、人の指によってなされるのを見た。その建物の中には、当然、たくさんの人がいたはずなのだ。いつもと変わらず職場で過ごしていた人々の運命も、建物とともに小枝のように折られた。
 もうもうと土煙があがるのへ、エリスは、ふう、と息をふきかける。
 小麦粉を散らすようになされたその一吹きは、しかし、この都市にとっては嵐であった。人はおろか、車でさえが空に巻き上げられ、街路樹が折れる。
 突然の出来事に、呆然と立ち尽くすしかなかった人々の頭に、徐々に正常な感覚が甦ってくる。ようやく……都市の住人は自分たちの身に起こり始めたことを理解した。
 あとにやってくるのは、恐慌だ。
 その、人々の悲鳴と、怒号とが、エリスの耳に届いただろうか。
 彼女は、ビルをつまみあげると、しげしげと眺めている。

 男は××商事の営業部の社員だった。
 その日は、大口の契約がとれたので、彼は意気揚々とオフィスに凱旋したのである。今月はなかなかツイていたので、これでノルマはじゅうぶん達成できるし、いつもなにかと嫌味を言われている課長の鼻だってあかしてやれるだろう。
 ドアを開ける前に、カバンから契約書を取り出した。『勝訴』と書いた紙よろしく、皆に見せつけてやろう。そしてドアノブに手をかけて――
 刹那。事務室へのドアは、彼の真下に開く陥穽になった。床は180度傾いた垂直の斜面となり、彼はまっさかさまに、そこを滑落していった。書類が宙を舞う。男はなにか叫びながら、手を突き出した。契約書が。今月のノルマが。再来月のボーナスが。
 ブラインドごと、窓ガラスを突き破って、彼は空中へとダイブしてゆく。

 女は女優だった。
 さっき、地震があったようだけど……。けだるく、ベッドから身を起こして、伸びをする。時計を見ればもう午後だ。昨晩は遅くまで収録があって、部屋に帰りつき、寝たのは朝方だった。
 妙に外が騒がしいのに気づく。カーテンを開けようと、ベランダへ近付いた。空腹なので、なにか食べよう。冷蔵庫にはたぶん何もないから買い物にいかなくちゃ――
 そしてカーテンを開いた彼女の目に飛び込んできたのは――巨大な茶色の虹彩をそなえた……目、であった。
 女の部屋はマンションの十一階だ。巨人のメイドが、彼女の部屋をじっとのぞきこんでいたのである
 女はさきほどまで見ていた悪夢を思い出す。
 ほら、あの人ってたしか――ああ、最近、見ないと思ったけれど――ほんと、今は何やってるのかしら――やだ、実物はあんまりきれいじゃないのね――
 やめて。
 見ないで。私はお人形じゃない。鑑賞されるためだけの存在じゃない。
 しかし、彼女は見られているのだ。巨大な瞳に。感情を宿さぬ目に。じっと。
 見ないで……見ないでよ……見ないでったら!!
 女は血走った目で、キッチンから取ってきた包丁を片手に、ベランダから飛び出した。彼女の部屋はマンションの十一階である。

 男はホストだった。
 今晩、同伴する予定の歳上の女を助手席に乗せ、自慢の真っ赤なスポーツカーを駆っているところだった。
「やだやだやだ。何なの、何なのよ、一体」
 助手席の女はわめきちらしていた。その声が男のカンに障る。
 かれらは、道路上で無惨に潰れ、炎と黒煙を吐いている車を見た。すこしまえに、天からの指が、まるで虫を潰すようにしてやってのけたのである。
 相当な圧力がかかったことは、道路のアスファルトさえひび割れ、へこんでいることからわかる。車そのものは、プレス機でスクラップにされたも同然だった。だが、そのぐしゃぐしゃになった鉄の箱の中には、人間が乗っていたのだ。まるで助けをもとめるように、ひしゃげた窓の隙間から手が突き出していたが、誰も、助けをさしのべることなどできなかった。
 街は逃げ惑う人々の混乱のるつぼである。
 道路は、交通法規などもはやなく、てんでバラバラな方向に走る車でごった返し、あちこちで衝突事故が起こっていた。
「危ないッ!」
 そのあいだをぬうようにして、空から降って来る指が、車をぷちぷちと押しつぶしてゆくのである。
 隣で、ひときわカン高い悲鳴があがった。
「煩ェぞ、静かにしやがれ!」
 一喝したが、悲鳴はおさまるどころではない。
「はやく逃げてよ。ああもうなんてこと、なんでこうなるの、ちょっとやばいわよ、はやく逃げて逃げて逃げて」
「煩ェってんだろうがッ!!」
 とうとう、男は女を掴むと、ドアを開けて放り出した。
 女は狂ったように、涙を流しながら窓を叩いた。圧化粧が溶けてぐずぐずだった。構わずアクセルを踏む。畜生。あんな女に構ってられるか。逃げてやる。逃げ延びてやる――。
 しかし、影が、彼の車を覆った。見上げれば巨大な指。ハンドルを切るが――間に合わない。そのとき、店先のウィンドーに映ったものを見て、彼はふいに気づいた。
 潰れていた車がすべて、赤い車だったことに。
 これは彼女のゲームなのだ。赤い車を選んで潰す。……助かったのは、車から下ろされた女のほうだったのだ。畜生――

 女は小学校の教師だった。
 泣き叫ぶ子どもたちは、とりあえず、全員、校庭に集められている。建物の中にいては、いざというときに生き埋めになる可能性がある。災害時は開けた場所に出るのがルールだった。とはいえ……
 災害? いったいどんな災害だっていうの、これが。苦々しく、彼女は考えた。遠くオフィス街のほうでは、なにかの爆発が起こっているようだった。
 先生、先生、と泣きついて来る子どもらを必死になだめるが、彼女自身、ずっと足が震えている。
 ふと、隣のクラスの担任である同僚の教師と目が合った。彼がうっすらと微笑み、頷いた。大丈夫、おれがついてる――という目。なんとか……勇気づけようとしてくれているのだ。さすがに、体育大出の彼のほうがいくぶん落ち着いている。
 本当は、子どもらは捨ておいて、彼にしがみつきたかった。ふたりのつきあいは職場には内緒だが、このさいどうだっていい。……そんなことを、一瞬でも考えてしまった自分を、教師失格だ、と、彼女が不安で痺れたような頭で考えていた、まさにそのとき。
「きゃーーーっ」
「先生! 先生!」
「うわあああ」
「何だ!?」
「助けてーーーーっ」
 何が起こったのか、理解したものはいるだろうか。運動場に残されたわずかの――幸運なものたちは、校庭に避難していたものたちが皆、巨大な手の中につつまれていったのを見ただろう。そして、その拳が握りしめられてゆき……
 彼女は恋人のたくましい身体に抱き着いた。彼もまた、腕を回してこたえてくれた。頼もしい、厚みのある筋肉の感触。しかし、そんなものを味わっている余裕はなかった。まわりは、子どもたちでいっぱいである。
「押さないでぇ」
「苦しいよお」
「痛い、痛い」
「ギャア」
 おしくらまんじゅうのような状態。息ができない。身体が軋む。圧力はもっともっと高まって――
 なにかが潰れ、破裂する音。そして、暗転。

 男は電車の車掌だった。
 よろよろと身を起こすと、彼の電車は横倒しになっていた。
 ずきり、と頭が痛む。手をふれると、ぬるりと生温かい液体の感触。血だ。
 どこかで赤ん坊がないている。呻き声。すすり泣き。弱々しく、助けを呼ぶ声。親が子を呼ぶヒステリックな金切声。
 乗客を安全なところへ……と、職務を思い出しかけた彼の意志は、はかなくも萎える。「安全に誘導」どころの騒ぎでは、すでにないのだ。
 割れた窓枠に足をかけ、なんとか、這い出す。
 乗務員が逃げ出すのを、見咎めるものなどない。皆が皆、自分と連れの安全を確保するのにせいいっぱいの状態なのだ。線路の上に、傷ついた蛇かなにかのように、長々と、列車は、脱線した車輌をよこたえている。そこは高架の線路であったから、落ちなかっただけ幸運だったと言わねばなるまい。
 彼は、言葉もなく街を眺めた。
 これは世界の終わりか――。
 空へ昇る幾筋もの黒煙。地をなめる炎。崩れたビルの残骸。黒焦げになった車。そして、おびただしい人の屍……。
 しかし、空は快晴で、黙示の時を告げる炎の指は見当たらぬ。
 そのかわり――
 空からはひとりの巨大なメイドが、都市の惨状を見下ろしているのである。ぬっ、と視界をふさぐ大きな手。神の手だ、と男は思った。人間が蚊を叩くように、小さな命を一瞬にして薙ぎ払う、圧倒的な力を持つものの手。
 人の世界は、核でもなく、ウィルスでもなく、黙示録の天使ですらなく……ひとりのメイドによって終わりを迎え――

 女はメイドだった。
 言い付けで、外出した帰りだった。
 ふいに、はげしい地震におそわれ、街路樹に掴まる。
 揺れがおさまり、彼女が目にしたものは……


 目が醒めた。
 エリスはソファから身を起こす。いつのまに眠ってしまったのかしら。それに――
(変な夢……)
 ふと気づくと、TVがつけっぱなしになっていた。
 これだ。このせいで、おかしな夢を見てしまったのだ。
 彼女はとっととスイッチを切る。臨時ニュース、という文字が、一都市をえぐった巨大なクレーターの空撮映像とともに、ぷちん、と途切れる。
 忽然と消え失せた都市にまつわるニュースを、だから、エリスが見ることはなかった。しかし、その必要もなかったのだ。
(本当に、変な夢)
 彼女は戸棚に歩みよるとそっとその戸を開けた。
 そこにずらりと並ぶのは……無数の、都市のミニチュア。
 いや――
 じっと目をこらしてみれば、それは到底、模型などとは呼べぬ精巧さであることが見てとれたはずだ。都市はすべて廃墟であった。なにものかに蹂躙され、一切が死に絶えた後なのである……。
 そのひとつに、エリスは愛おしそうに手をふれると、その無人の街路に耳を傾けた。まるで、貝殻の中にこもる潮の音を聴くように――、彼女は、そこに充ち充ちた阿鼻叫喚の悲鳴の幻を、聴こうとするのだった。

(了)