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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


逆回転談〜試飲警報〜

 守崎・啓斗(もりさき けいと)は悩んでいた。茶色の髪がさわさわと窓から吹いてくる風に揺れているのも構わず、ただただ悩んでいた。緑の目は憂いに満ち、ぼうっとしたまま手元の調合薬を見つめている。ただただ、呆然と。
「参った……」
 啓斗はそう呟き、小さく溜息をついた。今調合している薬は、忍薬。一歩でも調合を間違えると、毒にもなりうるものである。よって、調合時には細心の注意を払わなければならない。……ならないのだが。
「今月もまた、赤い」
 啓斗はぽつりと呟く。現在啓斗の頭を支配しているのは、手元の忍薬ではなく、家計簿の赤い色であった。啓斗の弟が、何時如何なる時でも家計簿を赤く染めてくれるのだ。その原因は、主に食費。
「あいつの胃袋は、どういう構造をしているのか……」
 啓斗は深い疑問に囚われる。同じような背格好に、同い年の双子の弟。確か、身長が5センチほど弟の方が高かったか。ただ、それだけの違いしかないのだ。それなのに、食事量は啓斗のものをはるかに凌ぐ。一度の食事に対し、何倍もの量。さらには、間食というものまで発生する始末なのだ。勿論、啓斗の摂食量が少ないというわけでもない。啓斗だって食べ盛りなのだから、普通に食べる。しかし、北斗はそれ以上に食べるのだ。大食い選手権も真っ青だ。
「いっその事、大食い選手権に出た方がいいのかもしれない」
 啓斗はそう呟き、こっくりと頷いた。そうすれば、弟は気の済むまで食べられるのだし、大会的にも恐ろしいまでの食べっぷりが披露されていいのかもしれない。……と、そこまで考えて啓斗はぷるぷると頭を振った。
(いけない。俺たちは忍なんだ。目立った行動はいけない)
 自分に言い聞かせるように啓斗は考え、それから再び溜息をつく。
「さて……どうするか」
 いっその事、デパートの地下にある試食を巡っていけば良いのではないかとすら思い始める。そうすれば、試食だけでおなかがいっぱいになりそうだ。それか、知り合いのところを回って、たかるか。
「……まあ、それは最終手段として取っておくか」
 ぽつりと呟き、はっとして手元を見る。調合していた忍薬は、いつも作っているものよりも少しだけ赤い。
「何だか赤いな。……量を間違えたか?」
 啓斗はそう呟き、少しだけ指につけて舐める。強い薬を作っていたわけではないので、少々こうして口にし、味を確かめようと思ったのだ。そうすれば、何が足りないのか、または何が多かったのかが分かるだろうと判断したのだ。
 しかし、それが一番の間違いであった。一口舐めただけだったのに、啓斗は目の前が赤く染まったのを感じた。思わずがくんとその場に崩れる。
 全身がどくんどくん、と大きく脈打っているようだった。
 全身の血が、燃え上がっていくようだった。
 そうして、それらの出来事が全て終わった後、啓斗は違和感を覚えた。そしてそれは、目の前にいつの間にか立っていた、弟もすぐに気付いたようであった。
「……あ……あ、ああ……」
 着ていた服が、ぶかぶかになっている。弟はわなわなと震えている。
「兄貴……?」
 今まで見えていた世界が、突如大きく見えるようになった。弟は啓斗を指差し泣きそうな顔になっている。
「……兄貴っ!」
 ついに耐え切れなくなったのか、同じような背格好の弟が、そう叫んで啓斗に近寄った。
「兄貴、兄貴だよな?一体どうしたんだよ?何があったんだよ?」
 おろおろとしながら、弟は啓斗に問い詰める。
「そんな……一度に言われても」
 啓斗自身、呆然としてしまっているのだ。一体何が起こったかなど、当の本人である啓斗が一番聞いてみたい問いである。
「と、ともかく医者だな、医者!ええと……この場合内科か外科か……」
 弟はじっと啓斗を見つめ、それからぽんと手を打った。
「そうか、小児科だ!小児科しかねーな!」
「お、おい」
 弟はそう言うと、もの凄い勢いで家を飛び出していった。後に残されたのは、啓斗ただ一人。しかも、本来の啓斗よりも随分背が小さく、随分幼くなっていた。
「俺は、一体……」
 ぽつりと呟き、啓斗はそっと鏡を覗き込む。そして、倒れそうになるのを漸く抑え、ただただ呆然と立ち尽くす。
 啓斗は、10歳ほどの子どもになってしまっていたのだった。


 御崎・月斗(みさき つきと)は一房だけ金色が混じった黒髪を風に靡かせながら、守崎家の前に立っていた。黒の目でじっとチャイムを見つめ、それから小さく息を吐き出す。
「ま、いいか」
 月斗はそう言うと、チャイムを押すこともなく、ノックをする事もなく、玄関を開けた。
「おーい、啓斗。いないのか?」
 月斗は玄関先からそう叫び、相手の反応を待った。だが、待てど暮らせど返事は無い。
「いねーのか?」
 月斗は小さく首を傾げ、それから靴を脱いで家に上がった。勝手知ったる守崎家である。月斗は「啓斗ー」と呼びかけながら家中を探すが、姿が無い。
「おかしいな……玄関は開いていたから、誰かがいるんだと思ったんだが……」
 月斗はそう呟き、ふと気付く。無人に思われた守崎家だが、確かに人の気配がすることに。
「……いや、いるな。誰かは必ず、いる」
 月斗はそう言い、きょろきょろと注意深く辺りを探った。そして、一つの押入れから強く気配を感じた。
「ここ、か……?」
 月斗はごくりと喉を鳴らし、そうっと押し入れをあける。と、そこには10歳くらいの少年が中で体操座りをして入っていた。押入れを開けた月斗を、びくりと体を震わせてからじっと見つめている。
「お前、一体ここで何を……?」
 月斗はそう言いかけ、気付く。
 少年が着ているのは、見たことのある柄の着物であることを。
 少年の顔が、誰かを酷く思い出させるような顔をしているということを。
「まさか……」
 にわかには信じがたい事実が、月斗の頭の中を巡る。だがしかし、答えは一つしか思い浮かばなかった。
「まさか、お前……啓斗か?」
 月斗が問い掛けると、少年……啓斗はこっくりと頷いた。
「ななな……なんでそんなに小さくなってるんだ?」
「分からない……」
「というか、なんで押入れなんかに入ってるんだ?」
「どうしていいか、分からなくて……」
「何でお前はそういう事になってるんだ?」
「分からないってば……」
 月斗の頭がパニックを起こし、浮かんでくる疑問を次々と啓斗にぶつけていく。すると、徐々に啓斗の目がうるうると潤んでゆく。
「何かしら原因が……」
「分からないってば!」
 突如、啓斗は大声を出したかと思うと、泣き始めてしまった。うわーん、と外見にそぐわぬ幼い泣き方で。
「お、おい啓斗。な、泣くなよ」
「だって、だってー!」
 おたおたしながら月斗は啓斗を宥めようとするが、啓斗は大声で泣くばかりだ。
「あー分かった分かった!俺が悪かった!……まずは、その押入れから出ような」
 月斗はそう言って啓斗の頭をそっと撫でると、啓斗はようやく声だけは収め、まだ潤む目をごしごしとしながらそっと押入れから出た。月斗は一先ずホッとし、それから見上げてくる啓斗に視線を合わせる為に、しゃがみ込んだ。
「……で、何があったんだ?」
「ええとね、薬をね……ひっく。いつもより変でね……ひっく。ぺろってしたらもくもくーって」
 まるで宇宙語である。しかも、途中途中に先ほど泣いていた名残が残っている。思わず月斗は大きな溜息をつく。
(……普段の啓斗からは想像もつかない……)
 普段から、何故だか月斗の方が兄で、啓斗の方が弟のようだといわれていた。客観的に、例えのように。だが、実際にこういう状況になろうとは、誰が予想していただろうか?
「悪いが……全く分からんぞ?啓斗」
「え?」
 じわ、と目に涙がたまっていく。
(しまった!)
 月斗は慌てて手を振る。
「ああ、違う違う!俺がさ、よく聞き取れなかったんだよ。うんうん」
 月斗の慌てように、泣きそうになっていた啓斗の顔がきょとんとする。
「だからさ、良ければもう一度教えてくれないか?な?」
 啓斗はこっくりと頷き、再び繰り返す。先ほどと一文字も違わぬ言葉を。しゃっくりだけが無くなった、言葉を。
「ええとね、薬をね……。いつもより変でね……。ぺろってしたらもくもくーって」
(そういう意味じゃない……)
 月斗は思わず突っ込みそうになり、やめた。また泣かれでもしたら、面倒な事になるのは目に見えている。
(相手はいくら啓斗といっても、10歳くらいのガキなんだから)
 月斗はそう考え、そっと「10歳」と呟く。今目の前にいる啓斗は、10歳くらいの少年となっている。自分は、それと2歳ほどしか違わぬ、12歳。
(10歳なのに、こんなにも幼く……いや、俺が12として……)
 少しだけ考えかけ、頭を振る。今はそのような事を考えている場合ではない。月斗が直面している問題は、年齢ではない。突如若返ってしまった……もとい、幼くなってしまった啓斗なのだから。
「そういや、あいつは?」
 家の中をきょろきょろと見回し、月斗は尋ねた。守崎家にはもう一人住人がいたはずなのだから。
「あのね、病院行くって」
 啓斗は少しだけ泣きそうな顔をしながらそう答えた。一人という認識をしてしまったのかもしれない。
「病院……」
 行ってどうするんだよ、と突っ込みたくなる言葉を、ぐっと月斗は飲み込んだ。ここで突っ込めば、下手すると啓斗が泣き始めるだろう。ただでさえ、啓斗は一人でいるという事実を不安に思っているのであろうから。
 月斗は大きな溜息を再びつき、そっと啓斗の頭を撫でた。
「じゃあ、あいつが帰ってくるまで一緒に待ってるか」
 月斗がそう言うと、啓斗は潤んだ目をごしごしと擦り、それからにっこりと笑って「うん」と頷いた。無邪気そのものの笑顔。
(普段の啓斗からは、想像もつかないな)
 また違った意味でそう考え、月斗は苦笑した。普段の啓斗であれば、こんな風には決して笑わないだろう。こんな風に、無条件に笑ったりはしない。
(これはこれで、いいことなのかもしれないけど)
 だが、だからといってこのままでいるのはいい事とは思えない。やはり、啓斗は啓斗として、元に戻って貰わねば。
(早く帰って来いよ)
 心の奥底で、月斗は啓斗の弟に呼びかけた。弟が帰ってきたからといって、何が変わるかなどは分からない。だが、少なくとも今の啓斗よりも状況説明は優れている筈だ。一体何がどうなって、こんなことになってしまったのかを。


 だがしかし、二人とも全く気付いてはいなかった。啓斗の口にした薬は、ゆっくりと効いていっているという事に。

<更なる不安を抱え込み・了>