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<東京怪談・PCゲームノベル>


解けない問題


 デスクの上にばさり、と、書類束が置かれる。
「こんなものでいいかしら」
 八島真は、ダブルクリップで止められた分厚い紙の束を手に取ると、
「先日お願いした七十二号事件の現場検証ですね。拝見――」
 と、いって紙を繰りはじめる。
「……なるほど。面白いですね。ありがとうございます。この霊圧調査の手法、きちんと導入すれば、警察の捜査技術も向上するでしょうにねぇ。……費用はあとでお振込しておきますよ」
「そのかわりにあの鬱陶しい黒服をどけてくれるってことでもいいのよ」
「残念ながらそれはできません、鍵屋博士」
 白衣をひっかけた少女は、苛立ったような表情で、なにか言いかけたが、それを遮るように、目の前に横合いから小さな箱が差し出された。
「これでも食べて気を落ち着けるんだな」
「あなた――」
「おや、ケーナズさん」
 鍵屋智子は、反射的に手にとってしまった箱から、ほんのりとした温もりと、甘い香りを感じた。
「妹のホテルで出しているアップルパイだが、よかったら食べてくれ。さっき寄って来たところだから、焼き立てだぞ」
 ケーナズ・ルクセンブルクが、微笑を浮かべて、そこに立っている。
「これは、すいません。ああ、いい匂いだ。……どうされました?」
 ソファへと促しながら、八島は立ち上がった。
「なに。その後の様子はどうかと思って。それと……これはちょっとまずいかな、実家のワイナリーでできたワインなんだが」
「おやおや! でもせっかくですからいただいておきますよ。事件のほうはね、……まあ、なにかと後片付けはありますが……。ケーナズさんと鍵屋博士のおかげでできた『アンチ・ギフト』は充分に、活用させていただいてますよ」
「それを聞いて安心したよ」
 苦笑のようなものを、ケーナズは浮かべた。
「二時間かそこらで薬をつくるなんてありえない話だったからな」
「あ、榊原くん、これ切って、お茶いれてくれない?」
 八島は職員のひとりにパイの箱を渡すと、ケーナズに向き直って、
「そういえば、きちんとしたお礼もできてませんでしたね。その節は本当に――」
 深く、頭を下げた。
「ね、あの薬だけれど」
 話の腰を折るように、智子が発言する。あいかわらず、自分のペースをくずさない質のようだった。
「もとの『ギフト』みたいに錠剤にしたほうがいいんじゃないかと思ってたんだけど。今、注射で使ってるでしょう?」
「酵素が壊れるからできないといったのは、おまえだろう?」
 ケーナズがあきれたように言ったが、智子は、負けずに言い返す。
「だからそれは、あのときは時間がなかったからよ。コールドプロセス製法なら可能なはずよ」
「ん、そうか……低温ですこしづつ加工する――なるほど」
「たぶん35度から37度くらいの温度帯なら……」
 そんなふたりを、ぽかん……と、八島が眺めていた。
 専門的な話についていけなかったものらしい。それに、こういう部分でだけ、鍵屋智子がいきいきと発言するのも、妙に新鮮だったのだ。
「そうだな。それは検討してみたほうがいいかもしれない。……しかし、実際のところ、『ギフト能力者』はまだ多く残存しているのだろうか?」
 最後の問いは八島に向けられたものだった。
「そう多くはないと思います。ただ……今でも、『ギフト』そのものがすべて回収し切れたわけじゃないので……頒布はかなり大々的にやったようですからね。二次的に首都圏外に持ち出されたものもあるかもしれないし。いっそ、鍵屋博士には探知機をつくってもらったほうがいいかもしれませんよ」
 片眉を跳ね上げて、彼は応える。
「厄介な置き土産というわけですね……あの“来訪者”の」
「“かれら”のことはよくわからないが――それを悪用する連中がな」
「月野氏本人は、あくまでも慈善事業だったと主張していますがね」
「とんでもない」
 ケーナズは語気を強めた。
「仮に出発点がそこにあったとしても、その過程や結果で起こったことを理解してもらわねばな」
「周辺にいた腹心の連中や、計画の運営に加わっていた『ギフト能力者』たちは、ほとんど、世界制服でも考えかねないくらいだったようですからね。……あの青年社長も、ある意味で、『ギフト』の力に振り回された人間のひとりだと言えるかもしれません」
「力を使いこなすのは難しいことだよ」
 ケーナズは言った。
 その言葉が、はっきりとした実感をともなっていると知って、八島はもうそれ以上、余計な感想をつけ加えようとはしなかった。


 その人間の、心の底の望みをかなえるというふれこみで蔓延した『ギフト』――。
 現実的には、それはなんらかの特殊能力を発現させるという結果を生む。
(厄介な置き土産、迷惑な贈り物――そう、厄介だな、まさしく)
 ケーナズの脳裏に生々しく甦る、壁にぶつかって次々と壊れていく食器類。
(ケーナズ! ケーナズなの!?)
 叱責とも恐怖ともつかない叫び声は母か、それとも妹か。
 弱々しくかぶりを振ったのは……せめて、こんなつもりではなかったことを、伝えたかっただけだ。
 もう十年以上も昔の話だが――
(それでも十年。十年しか経っていないんだな、この力を完璧に制御できるようになって)
 部屋中の家具が揺れるのは、地震ではない。
 母が大事にしていたウェッジウッドを割ってしまったのは、悪戯ではない。
 十代の少年には、強力過ぎる天性の念動力をコントロールすることができなかったのだ。
 ポルターガイストの嵐の中に、少年は立ち尽くすことしかできなかった。
 その後の、長い訓練を経て、ようやく手綱を取ることができるようなったその力が、歳若いケーナズとその家族にもたらしたのは、壁の傷だけではない。壁の傷ならば修復もできようが……。
(本当は、人が持つべき力じゃないのかもしれない)
 ケーナズは思う。
 今でこそ――
 傍目に見ればケーナズは便利に力を使っているように見える。けれどもそこには、ケーナズなりのルールがあるのである。
(だからせめて、安易に自分のためには使わない、と決めたんだ)
 誰にも見られていないときに、ちょっと遠くの物を取るとかいった、ご愛敬程度のことや、時には妹とのささいな喧嘩(とケーナズは思っている)に使ってしまう程度のことはあるにせよ。
 世間に名を知られることのない機関や、人脈からもたらされる、彼の秘密の仕事に赴く場合に、今のケーナズの力はおもにあてられているのだ。
 しかし、あるいはそれは、まったく力を封印してしまうことは、やはりできなかったと、いうことを、逆説的に示しているのかもしれない。伊達眼鏡で素顔を隠した、製薬会社の研究員、ドイツ貴族の血を引き、実家が豪奢なホテルを経営している、ドライブとテニスが趣味の青年……それだけのケーナズ・ルクセンブルクとして――あるものにしてみれば、それだけで充分と見えたかもしれないが――生きることはできなかったのだということを。


「んー……」
 少年は、眉間にしわを寄せて、数式をにらんでいる。
 やがて、諦めたように、どさりと、本を放り出す。オープンカフェのテーブルの上に広げたノートと、積み上げたテキスト、参考書。すっかり冷えたコーヒーを啜りながら、リョウはうらめしげに「数学I」の問題集に目を落とした。
(受験では捨てるにしても、大検じゃ必須なんだよね……。参ったな……)
 それでもけなげに、もう一度、本を開く。
 しばし、問題を凝視していたが――
(ダメだ。まったくわかんないよ……。独学じゃ無理かなぁ……でも予備校はお金かかるな……)
 椅子の背もたれに体重を預け、ぼんやりと空を見上げる。
(智子ちゃんに聞いたら教えてくれたりするかな――?)
 しかし、あの“天才少女”の高飛車な口調を思い出すや、
(絶対、無理だな。「そんなくだらないことで電話しないで。わたしは忙しいの」とか言うな)
 片頬をゆるめる。
(それとも、ケーナズ……)
 知らずに、胸ポケットの携帯に手をのばす――。
(いや、ダメダメ! もうちょっと、自分で頑張ろう。もうちょっとだけ……)
 そうして、身を起こしたとき、
「えっ……?」
 彼は目の端で、よく見知った人のシルエットをとらえたような、そんな気がして、はっと、すばやく視線を周辺へ投げた。カフェの前の通りは、行き交う人々で混雑していた。そんな中に、たしかにその人の姿を見たように思ったが――。
(気のせい……? どうかしてるな)
 シャーペンのおしりで、頭を掻く。
 つまっていた問題はあきらめて、先を進もうとページを繰ろうとして……
「あれ?」
 少年は、指を止めた。

(危ない、危ない)
 急発進させたポルシェの運転席で、ケーナズは、独り、唇に笑みを浮かべる。
(しかし、これじゃストーカーだな)
 自嘲じみた微笑だった。
 遠目に見た、少年の姿を思い返し、また、そこに、出会った夜の光景を重ねる。
 野生の小動物のように、瞳の奥に怯えをひそませて、しかし、あくまで強気に、彼は向ってきたのだ。『ギフト』が与えた、かりそめの力で武装して。
(どうも……ああいう、あやういところが、いけない)
 ハンドルを切る。
(つい手を貸したくなるんだな……)
 道の向こうの遠い空へと、彼は目をやった。

「これって……」
 小さな奇跡――あるいは天使の悪戯のようなそれを、少年の指がなぞった。
 つい先程までは何もなかったはずの余白に、いつのまにか書き込まれた公式。
「……この公式を使えばいいってことね」
 こらえきれずに笑い出す。
 周りの客たちの好奇の目が注がれたが、少年は構わなかった。
「ちょっと反則じゃないかな、こんなの」
 そして彼もまた、なにげなく、空を見上げるのだった。

(了)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1481/ケーナズ・ルクセンブルク/男/25歳/製薬会社研究員(諜報員)】

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■         ライター通信          ■
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リッキー2号です。
NPC登場シチュノベ・ゲームノベル(?)、ご依頼、ありがとうございました!

タイトルはいろいろな意味を含めてみました。
遠くからリョウくんを見守る(文字通り)ケーナズさん……ちょっと『巨人の星』風ですね(!?)。
二係にも差し入れをありがとうございました。今後も、八島サンおよび二係とは懇意にしていただけると、心強いです。鍵屋博士は……、まあ、どうでもいいですが(笑)、なんだか不思議な関係ですよね……。