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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


小さな反乱

アンティークショップのオーナー、碧摩蓮がその日も営業を終えようとしていたときだった。彼女の店は営業時間が何時から何時までと決まっているわけではなかったが、大抵は朝方に店を閉めた。要するに、客のいなくなったときが閉店時なのだ。
カウンターの上に広げたアクセサリーを宝石箱にしまい、店の扉には内側から鍵をかける。それから最後にランプを吹き消して、二階にある自宅へ帰るだけでよかった。暖かく柔らかなベッドで昼下がりまで惰眠を貪るのが、蓮 のなによりの楽しみだった。
けれどその夜は店の棚から妙な物音が聞こえ、蓮は開きかけたランプのシェードを再び閉じる。一瞬炎がゆらめいたが、すぐ元通り静かな明るさを取り戻す。
「一体なんだい?」
音のした辺りを確かめると、キャンドルと置時計に挟まれた黒檀の木箱が震えている。それは、客から頼まれて取り寄せた古いチェスセットだった。ということは、騒いでいるのはチェスマン、白と黒の駒たちだろうか。
「困ったね、明後日には客に納めなきゃならんのに」
彼らが騒ぐままではアンティークショップ・レンの名に傷がつく。なんとしてでも、客の来る前に大人しくさせなければ。

「我は黒のキングである」
一般的に市販されている駒とは違い一つ一つに表情まで掘り込まれている精巧な象牙細工が口をきいてもそこまで驚かなかったのは、ここが不思議なアンティークショップ・レンだったからかもしれない。この店の中ならたとえ万年筆が踊り出しても頷かざるを得ない。セレスティ・カーニンガムも鈴森鎮も神妙な顔で駒の言葉を拝聴した。
「以前我らを所持していた老公は大変なチェスの愛好家であったが、己より強いものにしか白い駒を許さなかった。それはつまり、どういうことか?」
いきなりどういうことかと訊ねられてもわかるわけがない、鎮はうろたえる。すると間髪いれずにセレスティが答えを返す。
「つまり、勝者は常に白い駒だったというわけですね」
「お主、なかなか勘が良い」
黒のキングはちらりとセレスティの顔を見上げる。
「我は不満なのじゃ。我に判断を任せれば勝てる勝負も、指す者のブランダー(悪い手)で幾度屈辱を舐めたことか」
つまり、黒のキングは本当の自分の力を誇示したかったのだ。この店を去ればまた喋ることも許されないただの道具へ戻ってしまうため、チャンスは今夜だけだった。
私はやめようと言っているのですけどねえと白のキングはため息を吐く。どうやら、白の駒も喋れるようだった。
「そういうわけで男、勝負じゃ。我の駒を動かすのは小僧、お前に任せてやる」
「なにが、任せてやるだよ!勝負つけたいのなら自分だけでやれよ」
見かけの割には年齢を経ている鎮、小僧扱いされたことが許せないらしく腕組みをして反感を露にする。
「いや、しかし・・・・・・その、我らは自分で動くことができぬため、誰かに指してもらわねばならぬのだ」
「なあんだ」
さんざん偉そうなことを口にしていた黒のキング、しかし意外な弱点に鎮は肩をすくめる。子供のようなわがまま、子供にはつきあってやるしかありませんねとセレスティはボードの上に白の駒を並べ始めた。チェスのルールなどまるで知らない鎮はキングに持ちかたが悪い、と文句を言われながら不器用な手つきで駒を並べた。
「それでははじめますよ」
チェスは白の駒から始めるのがルールである。まずは定石とも言うべきe4のマスへポーンを運んだ。黒のキングが嫌な目をするほど優雅な手つきであった。

本来英国人紳士の遊戯であったチェスは沈黙の中で思考を楽しむゲームである。そのため使う道具にも駒の裏へフェルトを貼るなどして、音をたてない注意が払われている。だがそうした道具作りの職人も、駒自体が喋ることに関しては対処のしようがなかったと思われた。それも当然、駒が喋ることなど普通はありえない。まして、駒と指し手が喧嘩することなど、平穏な生活を送る人間には想像の範疇を越えているだろう。
黒のキングは口うるさい。鎮は言われた通り素直に駒を進めているだけなのに、持ちかたが悪いだの動きがおかしいだのとまるで小姑だった。
「細かいことにこだわらなくたって、チェスくらいできるだろう」
「細かいことにこだわるから、チェスなのだ」
がさつな人間にこのゲームはできん、と黒のキングは断言する。その口調は、鎮がチェスなどさせるはずないと決めつけているようだった。なにを、と鎮は心の中でだけ反論する。今はもうやらなくなったが、昔はよく兄二人と将棋を指して遊んでいた。不慣れな駒に最初は戸惑ったものの、将棋に置き換えてみればなんとなく戦略も読めるのだ。
だから次に黒のキングが打ちたい手もわかっていた。
「今度は・・・・・・」
「この桂馬を進めるんだろう」
正確に言えば桂馬ではなくナイト。動きも多少違うのだけれど、軽快な足さばきは変わらない。言葉尻を取られる黒のキング、決して腐らない鎮の快活なざまあみろにセレスティはゲームを最後まで続けられそうだと先を読む。実は内心、いつ鎮が黒のキングに向かって癇癪を起こすかはらはらしていたのだ。
「もし、あなた」
桂馬、いやナイトが盤上を飛び回りセレスティの番になる。三手ほど考えたもののどの手を動かそうかと思案気に白のクイーンをいじっていると、黙りきりだった白のキングがセレスティに話しかけてきた。
「なんでしょうか?」
「あなた、以前にも私を使ったことは?」
黒のキングの威圧的な声に慣れすぎていたため、白のキングの声は頼りなく聞こえた。しかし確かな記憶力にセレスティは敬意を表すため、ビショップで相手のポーンを奪った。
「遠い昔のことを、よく覚えていますね」
誉められて面映いのか、白のキングは少し顔を傾けるような仕草をした。
「私たちは、先生に使われることが多かったですから。たまに先生が黒へ回られると珍しく相手の方をよく観察したものです」
確か以前の持ち主はスイスに在住する大学教授だった。水質学の世界的権威で、彼が日本を訪れた際対面した際親しくなり、何度かスイスへも招かれた。かのサンドイッチ伯爵のように、食事よりチェスの好きな好々爺だった。
「先生は、手に詰まると」
セレスティは、奪った駒を並べる瀟洒な小箱を指で叩いた。
「この箱へ眼鏡を入れられた」
「そうです」
噛みしめるように白のキングが目を細める。どこまでも優しげな表情が、しかし黒のキングにはいつだって勘に障る種らしい。
「なんじゃ、あんな奴。・・・・・・小僧、次の手じゃ」

中盤でお互いの作戦を読みあう段階となり、下手に攻め込むわけにもいかない場面を展開するとチェスというものはやや退屈になる。堅固な城壁の周りを馬にのってぐるぐる攻めあぐんでいるような心境だ。そういうときにこそ、判断ミスは起きやすい。
「あ」
セレスティが深く考えずポーンを前進させたとき、白のキングが切なそうな声を上げた。けれどセレスティの指す手には決して口出ししないと決めていたのだろうそれ以上言葉を続けはしなかった。
なんだろうとセレスティが気にしていると、相手の手番になって黒のキングが鎮に命令を下す。
「小僧、ビショップでg3のルーク取りじゃ」
「小僧じゃなくて俺には鈴森鎮って名前があるんだよ」
今までf4にポーンが居座っていたため踏み込めなかった白の陣地へ黒の駒が飛び込んでくる。しまった、とセレスティは思わず白のキングの顔を窺う。キングはこの手に気づいていたのだろう。
「申し訳ありません」
彼の配下が奪われてしまう、白のキングもクイーンもなにも言わないけれど、悲しんでいるのはよくわかった。
チェスは残酷なゲームだ。将棋と違って一度取られた駒は二度と使えない。人が死んだら決して生き返らないのと同じように。そのくせ、味方を殺してでも敵の王を奪い取らなければならないという決着が待っているのだ。
下手に道具が命を持ち、喋りかけてくると感情移入をしてしまうので我ながら困ってしまう。白のルークが敵になっても構わないから再び蘇ってもらいたい、なんて心のどこかで願ってしまう。
「次は決して、油断しませんから」
単なるゲームなのに、まるで十六人からの命を預かっているような気持ちでセレスティは呟いた。

さすがに黒のキングはキングだけあって強かった。しかしセレスティも負けてはおらず、いや常に強者の持つ白い駒を使っているだけあってやや優勢だった。それは他人が百歩進むときに百一歩進むような、実に微量な差であった。
それでも終盤になれば、おのずと優劣は現れる。盤上にある黒い駒と白い駒の割合は倍ほどに違い、黒のキングは追い詰められていた。
「チェックです」
さっきから二度セレスティがチェック(王手)を宣言しているのに黒のキングは決して負けを認めようとはせず逃げ回っている。ぐるぐると回りまわって、どこかにたどり着ければいいのだけれどチェスボードは山手線とは違う。
「小僧、我をb7へ動かすのじゃ」
「・・・・・・なあ」
鎮は言われたとおりにキングを自分の手前右隅へ移動させたが、置いた後利き手をぎゅっと握り、切り出した。
「もう負けを認めろよ」
「なにを言うのじゃ、小僧。まだ我は負けておらぬ」
「だけど」
と言って鎮は盤上を見下ろした。黒のキングを追い詰めるようにして白の軍勢が右隅へ終結しつつあり、残った黒の駒たちは遠巻きにそれを見つめているといった状況になっている。
「お前、どんどん味方から離れていっちまうよ。まるで家来を見捨ててるみたいだよ」
鎮の言う通り負けるまいと逃げ回っている姿は、残った駒たちを置き去りにして独りぼっちになろうとしているようだった。大きな波にさらわれ、孤独に打ち上げられた椰子の実を思わせた。
「我は負けるのか。また、負けるのか」
「キング」
白のキングが、黒のキングを呼んだ。
「先生がいつも私を使っていたからといって、先生を恨まないでください。憎まないでください。先生は私たちを本当に大切にしてくださったではありませんか」
「なにを」
黒のキングも言い返す。愛されていたのはお前だけではないか。いつも先生が選ぶのはお前のほうではないか。
実は、黒のキングは負けることばかりが口惜しいのではなかった。負けるということはつまり、チェスの名人だった先生から使ってもらえないことだった。だから、強くなれば負けなければ先生に使ってもらえるはずだったのだ。
「それはあなたの考えすぎです。先生はいつも、あなたを使うのを本当に楽しみにされていました」
「そうです」
セレスティも頷き、奪った黒のビショップ、ポーンをいとおしく眺める眼鏡をかけた老享受の横顔を思い出す。
「先生はいつも、自分より強い相手を求めておられました。ですから、あなたがた黒い駒を扱われるときは本当に嬉しかったに違いありません」
「・・・・・・」
黒のキングは黙り込んだ。セレスティはゆっくり白のナイトを取り上げる。
「次は、私の手ですが」
自分の思うことが相手に伝わるようにと、ゆっくり噛んで含めるように言い聞かせる。
「このナイトを左へ走らせればチェックメイトです。けれど、右へ動かせばドローとなります」
どうしますか?と黒のキングの答えを待つ。

「考えるまでもなかろう」
キングははっきりと答えた。
「我が情けを受けるような屈辱、耐えられるはずがない」
高圧的ながら、潔い決断だった。
「小僧・・・・・・いや、鎮といったな。我を倒すのじゃ」
「倒す?」
またセレスティが補足した。
「負けを認めることですよ」
ああ、と鎮は頷き、ややためらい、それから決意してゆっくり黒のキングを倒した。象牙細工の澄んだ音がチェスボードを叩いた。
それきり、チェスの駒は道具に戻ってしまった。だが白のキングと黒のキング、二つの駒をよく見比べてみると黒の駒の表情のほうがほんの少しだけ、唇をきつく結んでいるように見えた。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

1883/ セレスティ・カーニンガム/男性/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い
2320/ 鈴森鎮/男性/497歳/鎌鼬参番手


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■         ライター通信          ■
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明神公平と申します。
いつも勝ち負けのあるボードゲームは、ゲームの側にも某かの
言い分があると思います。
本当は全ての駒に思いはあったのでしょうけれど、キング
一人に代弁させてしまいました。
「嗜む程度」
と言いながらセレスティさまが勝負に負ける姿が浮かばなかったので
かつて名人と優雅にチェスを楽しむ思い出話を挿入させていただきました。
長く生きていらっしゃる方ほど、過去を思わせてみたくなります。
またご縁がありましたらよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。