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FADE
SCENE...4
着替えてくる。
相変わらずの仏頂面のまま告げて自分に背中を向けた銀華を見送るときに、彼――ゼゼはそう、気付くべきであったのかもしれない。
果たして護衛の任務についている令嬢(彼女はこの学園の本物の生徒だ)と共に女子更衣室から出てきた銀華は、令嬢とまったく同じ形の制服を身に纏っていた。
膝が隠れるか隠れないかというほどの、紺色のジャンパースカートである。
その上に丈の短いベストを羽織り、シンプルだが仕立ての良さそうな白のブラウスが襟だけのぞいている。すがすがしく可愛らしい印象を与えるそんな制服の、
「……何その、リボン」
溜まらずぶっ、とゼゼが噴きだす。
胸の前で、大きなリボンが揺れていた。
「……」
銀華の傍らでくすくすと笑っている令嬢の、ふわりと巻いた柔らかな髪が揺れる。すぎるほどに似合いすぎている彼女の着こなしの前に、銀華の女子制服姿はあまりにも浮きすぎている。
「着替えるって、云うにこと欠いてそれなわけ……?」
息も絶え絶えにそう問いかけるゼゼの顔を、銀華が剣呑な眼差しで睨め付けた。
彼女からしても、こんな『女らしい』服に着替えることに、抵抗がなかったわけではないのだ。
任務の一環であるからと、腹を決めた。
それなのに、この同居人(成り行きからの関係ではあった、が)の笑いようと云ったらどうだ。
大抵のことには動じぬよう、身と同時に心も鍛えたとささやかな自負を持つ銀華の『女』がわずかに揺らいだ。
「……生憎、預けられた服はこれしかない」
が、そんな感情の起伏を感じさせぬ銀華の声が、ゼゼに浴びせられる。「人のことを笑えるとは、余程自信があると見えるな」
「……何云ってるの?」
今度はゼゼが、絶句する番だった。
彼の問い返しに、銀華が無言のままでずいと紙の包みを差しだす。
中に何が納められているのかの、確認の余地はなかった。
「素敵…!」
数分後、ゼゼの着替えを手伝った令嬢の開口一番、である。
細く肌理の細かな首すじが、清しい白のシャツには良く映えた。
「……何だかすごく、――穢されたような気分なんだけど」
自分の膝を見下しながら、ポツリとつぶやくのはゼゼだ。「股がさあ、気持ち悪い。スカート」
「似合っているじゃないか」
――私よりも。
本人の不服を尻目に、銀華は複雑な思いを込めたため息を深く吐きだすのだった。
そんな、多少ハプニングめいた出来事があったとは云え。
大股で踏みだした一歩にスカートの裾が膨らみ、銀華が慌てて膝を押さえる。
そもそもが履き慣れていない、『スカート』という衣服のせいだ。膝と膝を合わせながら歩を踏むような、女性らしさの仕草を銀華は身に付けていなかった。
ましてや、自分には一生縁が無いであろうと思われていた場所――学校、である。
擦れ違う生徒の一人一人全員が、自分とは住まう場所の違う者たちなのだろう。銀華は窓の外を見下す振りをして彼らから目を逸らす。
「あ、軽べつの目だ」
そんな銀華の胸の内を知ってか知らずか、ゼゼがこっそりと耳打ちした。「民衆はブタだ、みたいな目になってるよ」
驚いて銀華が、ゼゼの横顔を凝視する。彼の言葉を否定するためだった。
銀華の心に揺らぎの石を投げ込んだ当の本人は、すでにすっかりスカートにも慣れてしまったように足の爪先と爪先をわずかに触れさせて佇み、両手を後ろに組みながらちらりと銀華に視線を投げ返す。
彼女にとって、同世代の少女たちは決して侮蔑の対象ではなかった。
少女たちは命の危険を知らず、一人生き抜く術を知らず、花のように笑い、白く透き通るような指先をしている。庇護の対象となることを当然とし、自分を中心に世界が回っていると本気で信じ込んでいる。
それでも、どうしてだろう。
銀華は少女たちを、憎んだり、蔑んだりすることがどうしても出来ないでいるのだった。
「………違」
「お? 見たことないのが二人いる。委員長、これ何?」
銀華が紡ごうとした否定の言葉を遮ったのは、不意に背後から投げかけられた男の声のせいだった。
「!?」
「……へえェ」
跳ねるように背後を振り返り、銀華が男と僅かに距離を取る。
それと同時に、まるで『くるりん』とでも音を立てそうな仕草でゼゼが男を振り返る。視線を止めたのは男の胸元辺りだったろうか、首を真上に見上げさせると漸く男の顔に視線が届いた。
共に華奢な二人にとっては、かなりの長身である。どこで仕立てたのかと問いたくなるほど身の丈に合った詰め襟を着こなし、胸には小さなロザリオを光らせている。
一目見て、ここの教師であることに疑いはなかった。
全く両極端な反応を見せる二人の様子を、その男は意味深な眼差しでしばし不躾に見つめる。野暮ったい黒縁の眼鏡の奥で、品定めの眼差しがふと細められると、破顔した。
「転校生ですわ、石重田先生。藍銀華さんと、ゼゼ・イヴレインさん。いろいろと校内のことを教えて差し上げて下さいましね?」
――にっこり。
花びらの零れ落ちるような笑みで令嬢が、男――石重田朔哉に返した。
「ああ、ハイハイ――そう言えばそんなこと朝の会議で云ってたっけね」
いかにも適当そうな口調で、石重田が笑う。
「ずいぶんと尻の肉が薄いやつら。もっと肉を食えよニクを」
「あら、この二人はそこが魅力的ではなくて? それにお肉ばかり召し上がっていたら、先生みたいに固太りになってしまう」
「ほんとな! 霜降りかってくらい、もうなんか最近脇腹とかやばいのな! ズボンのベルトに脇腹の肉が乗っかったりすんのな!」
石重田が力説している。
が、銀華もゼゼも、そんなのは知ったことではない。
「委員長はこんなこと云ってるけどなあ、ニクは良いぞニクは!」
そんな話の矛先が、今度はゼゼに向けられる。とっさに目をぱちくりとさせたゼゼが石重田を見上げる。
「そんな尻が薄いと力も出ねェだろ、……ゼゼっつったか」
「……イヴレインです、石重田神父さま」
「お前ももう少し肉付けた方がかわいいぞ、銀華」
「藍と申します。石重田神父様」
二人とも、この男に下の名前で呼ばれることが不快らしい。丁寧な口調でやんわりとそう訂正するも、当の本人はまったく気にしたふうもなく胸の前で両腕を組んだ。
「愛想の良い子は好きだけど、愛想のない子はもっと好き」
「貴様はマゾヒストか」
銀華の口がつい、滑った。
「……これから聖堂の講義ですの。石重田先生、ごきげんよう」
眼鏡の奥で片眉を引き上げた石重田の返答を待たず、令嬢が左右の腕に銀華とゼゼの腕を絡めて云った。
「え?」
「ごきげんよう、神父さま」
「……ごきげんよう」
そして足早に、二人を引き連れて廊下を引き返していく。
あとには廊下の真ん中に、神父一人が残された。
「……」
石重田はあっけに取られたような表情のままで三人を見送り、角を折れて見えなくなった姿に嘆息する。「もう少し仲良くしてくれてもいいのに。俺、ホモじゃないし」
「駄目じゃない何云ってるの! こういう学校に通うお嬢様はそんなこと云わないから!」
「……つい」
「びっくりして、逃げてきてしまいました」
速足で駆け抜けた校舎を背に、中庭の木陰で三人が口々に告げる。
中庭を抜けると小さな聖堂があり、一限目はそこで神学の講義を受けることとなっていた。
「あの男は、本当に神父なのか」
「ええ、石重田先生とおっしゃって、今年からいらした新しい神父様。英語のクラスを見て頂いているけれど、授業中もあんな調子でいらっしゃるの」
さすがに、不審に思われただろうか。銀華が自問する。
まがりなりにも山奥のキリスト系の学校で、あんな物言いをする生徒は皆無だろう。追って来るはしまいかと校舎からの気配を伺うが、石重田が三人を追ってくる様子はなかった。
「もうあの男とは接触したくないな。私は英語の講義を休講する」
「無理だわ。きっとその方が怪しまれてしまうもの」
はふ、とため息を吐いてゼゼが大きな木に背中を預ける。あつい、などと口走りながらスカートの裾をはたはたとめくった。
「あの男が『鈍い』ことを祈るしかないよね。あああと、面倒だから『敵』であっても欲しくない」
「同感だ」
万が一、石重田が令嬢を狙う組織の一派であるとして、銀華とゼゼが彼女の護衛であると――厳密に云えば、護衛は銀華一人ではあるのだが――感づかれてしまえば、後々面倒なことになるだろう。
追っての数が増えることにになるかもしれない。
「しばらくはおとなしくしているしかないだろう」
「しばらくって、どれくらい?」
「厭なら帰れ」
そっけの無い銀華の言葉にゼゼがむくれる。銀華が今一度と校舎の方を振り返ってから、腕時計の時間を確認した。「行こう。これ以上目立つわけにはいかない」
目立つような言動を起したのは誰だと、ゼゼが喉まで出掛かった言葉を押し呑んだ。ちらと令嬢の横顔を盗み見ると、
「ええ」
笑っている。
仕方がないので、ゼゼもにへらと笑った。
「――ああ、そうだ」
令嬢の後を追って歩き始めた銀華が振り返り、ゼゼに言葉を投げ掛ける。「さっきの……」
「ああ」
全ての言葉を待たずに、ゼゼは短く返答した。「知ってる。判ってるよ」
木漏れ日の切れ切れにのぞく空が青い。
まぶしげに目を細めてそれを見上げたあとで、ゼゼが銀華に向けて笑んだ。「怖くないよ――みんな、キミをバカにしたり、いじめたりはしないから」
「………」
銀華の表情に、感情の起伏は汲み取れない。
深く澄んだ蒼い瞳が揺らぎ、笑んだので――
「そう、だな」
二人は令嬢の後を追い、足早に聖堂へと向って行く。
(了)
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