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<東京怪談ノベル(シングル)>


インタレスティング・ドラッグ:『挽歌』


――5つ数えろ。
  後悔する時間をくれてやる。

「 5 」

 くわえ煙草を吐き棄てて、革靴でそれを踏みにじる。
 埃っぽい空気の中を、張暁文は歩いていた。
 遠くに汽笛の音。

「 4 」

「“抜けた”やつがいる。消える前に『ギフト』を手に入れたと話していたらしい」
 歌舞伎町の裏通り……いつのまにか、異国籍のものたちが我が物顔で歩くようになった街の片隅にある、中華料理店の一室だった。
「こいつぁ、たしか、このあいだこちらに来たばかりの」
「そうだ」
「……それで?」
「見つけだして殺せ」
 無造作に、男は言った。小龍包を頬張りながら、ついでのように出たその言葉で、あるひとつの命が消されることが決定されたのである。

 とある埠頭の、使われなくって久しい倉庫だった。
 暁文は、散歩でもするかのように、気を抜いた風で歩いているが、それにだまされてはいけない。今――、かすかな物音を耳にしただけで、電撃のように、トカレフの銃口がそちらを向いた。肉食獣は完全に狩りの態勢に入っている。
 そして、怯えた草食獣が、逃げてゆくのを、彼は目の端でとらえていたのだ。
「待てよ」
 静かに、暁文は言った。
「鬼ごっこの時間はもう終わりだ」

「 3 」

 空気の抜けるような音とともに、撃ち出された弾丸が、男の額に穴を穿つ。
 ゆっくりと倒れていく男の手から、懐中時計が落ちて、がちゃりと音を立てた。
「クソッタレ」
 日本語で、暁文は罵った。
 麻薬を手にして消えた男。しかしその薬は、ただ、陶酔をもたらすものではなかった。その名の通り、望む力を与える――そんな効果を秘めたものだったのだ。
 消えた男と薬を追う暁文の前には、命も意志ももたぬ敵が立ちふさがった。
 流氓の殺手は、しかし、いかなる妨害にも怯むことはない。

(力は手に入ったのか?)
 暁文は問う。
 ゆっくりと、だが確実に獲物を追い詰めてゆきながら、心の中で問いかけるのだ。あるいはそれは、自問だったのかもしれない。
(『ギフト』はおまえに何をくれたんだ?)
 暗い倉庫から、白々と明るい外へと、まろびでてゆく背中を目にした。
 片頬をゆるめる。
 次の瞬間――、暁文の姿は忽然と消え失せていた。
 瞬間移動。
 それが暁文の『能力』だ。
(俺にはこの力があった。だから組織は俺を拾った)
 暗い水底から浮かび上がってくるような、遠い記憶。
 ――大人(ターレン)、この子の名は暁文と言います。
 壇上から彼をねめつけた眼光は、冷たい。
 ――きっと、お役に立ちますよ……。
 その後ほどなく、はじめて手にした銃はひどく硬く、重かった。
(ほんのすこし、人より速く動ける程度のことさ)
 年端もいかぬ子どもに、銃が扱えるはずもない。そして、いかに末端の構成員といえども、単に銃が撃てればよいというものではないのだ。黒社会にはしきたりがあり、掟があり、覚えねばならないことは一通りではない。
(あとのことは、てめぇで身につけるしかなかったんだ)
 黒い炎を宿したような暁文の瞳が見据えているのは、何だったか――。
 暁文が行く手に立ちふさがっているのを見て、男は息を呑んだ。

「 2 」

 銀色に輝く、光る飛行物体。
 暁文は、まずテレビ画面でそれを見る。電器屋の店先に並んだ画面すべてに、その臨時ニュースの映像が流れていた。唖然とする群集を残して駆け出す。
 だが、彼がかけつけるより早く、飛行物体は飛び去り、そして、その建物は崩れ去っていった。
(畜生)
 がれきの前で、暁文は奥歯をかみしめる。
 だが、闇社会のものたちの目は、どこにでも光っているものだ。
 爆破されたビルからは、沈む船から逃げ出すネズミのように、幾人もの人間が脱出していたと、誰かが暁文の耳に入れてくれた。
 奴もその中にいるな。あいつはそういう小狡いネズミだ。暁文の直感はいつも正しい。

「なぁ、おい」
 その男は、一見して何ということのない青年だった。組織を堂々と裏切るほどの大胆さも、狡猾さも持ち合わせているようには到底見えなかった。現に、今の彼は怯えるネズミでしかなかった。
 偶々、手の中に転がってきたものに、すがったに過ぎないのだ。
「おまえの『ギフト』とやらを見せてみろよ」
 追い詰められたネズミが、獣の雄叫びをあげた。
 ふいに、地面が音を立てて変型し、石柱となって屹立した。飛び退いていなければ、足元をすくわれていただろう。
 それはひとつにとどまらない。
 次々に、柱は地中から飛び出してくる。
「殺してやる」
 上海語で、男が呟くのが聞こえた。
「これが俺の『ギフト』――『ゴー・トゥ・ハリウッド』だ。まともにあたれば骨が砕けるぜ、大哥!」

「 1 」

 黒社会を抜けたものが、またそこに舞い戻ってくることなど、出来はしない。
 そして誰の庇護も失った異国人が、いつまでも身を隠していることもまた、不可能なのである。
 男の足取りは難なく知れた。そして、死神は、放棄された埠頭の倉庫に舞い降りたのである。なるほど、空き倉庫の片隅には、開いた缶詰めが散らかされ、人間が寝泊まりしていた形跡があった。
 くわえ煙草を吐き棄てて、革靴でそれを踏みにじる。
 埃っぽい空気の中を、張暁文は歩いた。
 遠くに汽笛の音。
「5つ数えろ」
 暁文は言った。
「後悔する時間をくれてやる」

 ぜえぜえと、肩で荒い息をする。恨めしげな目が暁文をにらんだが、彼は無傷でそこに立っていた。
「それだけか?」
「え……?」
「おまえの手品はそれだけか、と聞いている」
「くそぉおお」
 先に出現した柱を壊しながら、さらに突出してくる石柱群。だが、暁文は目を疑うような素早さで、その攻撃をかわしていくのである。
「バカが」
 小さく、毒づいた。
(これしきの『能力』があれば、思い通りになると思ったのか? いったい何が欲しかったんだ。金か、女か、それとも……。おまえは愚か者だ。力はただ持っているだけじゃ意味がない。使い方を知る必要がある。他人から与えられた力の、使い方がおまえにはわかるか――?)
 銃口が、男の心臓の位置を、正確に狙いすました。
(俺がどんな思いで、力を身につけてきたか。お前にはわかるまいよ。錠剤ひとつで特別な力とやらを貰っちまったおまえには。たしかに俺は生まれつき与えられていたのかもしれない。けどそれは、錠剤ひとつぶんの差だ。たったそれだけの違いだ。おまえはそのことを錯覚している。錠剤ひとつで力を手に入れ、ただそれだけのおまえと、俺との本当の違いを理解していない)
 他人から簡単に与えられたものは、たやすく奪い去られることもある。この男はそれを知らなければならない。自らの死をもって。

「 0 」

 ――銃声。

 東京都内にバラまかれた、人間に特殊能力を与える薬物『ギフト』は、数多くの能力者を生み出し、その結果、多くの血が流されることになった。
 銀色に輝く『円盤』の出現と消失があったあの日をもって、事件は一応の終局を迎えたかのように見え、そのように報道された。
 その影で、ひとりの中国籍の男の死は、話題にもならなかったし――そもそも、死体を含め、事件があったこと自体、日本の警察の知るところではなかったのである。

 そして、張暁文は、今日も、変わらず歌舞伎町の裏通りを徘徊しているのだ。
 上海流氓の、腕利きの殺し屋、あるいは、胡散くさい自称サラリーマン・中島文彦として。猥雑な無国籍な街を、倦んだような足取りで、歩いているのである。


(終劇)