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<東京怪談ノベル(シングル)>


就職戦線・敵は目の前に有り

 目覚めると、白い日差しが部屋の中に溢れていた。
 自分の香りではない。だが、他人と言い切れもしない『誰か』の匂いのする枕に顔を埋めて、村上涼は夢現つにそれを眺めていた。
「んー。今、何時〜……?」
 眠い目をこすりながら、背を向けていた枕元の時計に手を伸ばす。
 午前十一時四十四分。
「は?」
 涼は、しばし固まった。
 寝ぼけ眼が見つめているのは短針である。その時刻の意味する一大事に気付くまで、十数秒を要した。
「十一時?」
 午後の面接まで、あと一時間と少ししかないではないか。
 これから家に帰ってシャワーを浴び、戦闘服に着替えて、面接会場となっている企業へ向かわなければならないはずなのだが。
 涼は、もう一度、目をこすり時計を凝視した。長針が一つ動いて、二五分を指す。
 午前十一時四十五分。読み違いでもなんでもない。寝過ごしたのだ。
「まっ、待ちなさいよ! 昨日──いや、今日……っていうか朝だけど! 寝る前にセットしたアラームはどーなったのよ!」
 パネルの内側にちょこんとある、ぴくりとも動かない銀色の針は、間違いなく十時を指していると言うのに、肝心なアラームは解除されていた。 
 誰がいつ止めたのか。
 などと、そんな事を考える余裕は無かった。隣に寝ているであろう男に抗議しようと、後ろ手を伸ばす。
 が、そこにあると思っていたふくらみは無く、涼の手は宙を掻きベッドの上にポスッと落ちた。
 振り返り、愕然とする。
 もぬけの殻であった。
 ベッドの片側は、すでに冷たい。
「なっ……」
 しかし、それもそのはず、今日は平日最後の金曜日であった。向こうも仕事なのだ。言葉たくみに言いくるめて、拉致った娘を自宅に残し、自分は出勤したのだろう。
「なっ、なんで起こしてくれないのよ!」
 涼は理不尽な事を叫びながら跳ね起き、ベッドの下に落ちていた衣服を、わたわたと身につけ始めた。
 寝しなにアラームをセットした事は覚えている。
 ヤツが止めたのであろうか。
 いや、違う。
 多分。
 そう、多分。自分で止めたのだ。
 彼の呼びかけを無視して眠り続け、けたたましく鳴り響いたベルを引っぱたいてから、再び眠りにつく姿を想像するのは難しくない。
 なにしろ、『寝かせてくれない相手』を前に、くたくたに疲れていたのだから。
 寝ぼけた上の自分の行為である。
 誰を責めるわけにもいかないのだが、それにしても大事な予定が狂ってしまった以上、不条理な怒りがこみあげてくるのが、人と言うものである。
 涼は適当に髪を整えると、カバンをひっ掴んで部屋を飛び出した。
「鬼! アクマ! 人でなしの蛸足!」
 駅の構内も階段も、走れる場所は全て走った。電車の待ち時間や、赤信号に地団駄を踏んだ。急いでいる時ほど、細かな動作がおぼつかない。ドアの小さな鍵穴が、敵に回った。
「あーっ、もおっ! いま、何時なのよっ!」
 バタバタと靴を脱ぎ散らかし、壁の時計を見上げて涼は卒倒しそうになった。
 十二時を二十分も過ぎている。
「シャワーは帰ってから入れば良いわよね、うん」
 さっきからフワフワと鼻をくすぐる『誰か』の残り香は、この際、無視するしかないようだ。
 涼は戦闘服と称するブラウスと息苦しいリクルートスーツに着替えると、慣れないヒールをつっかけ、転がるような勢いで走り出した。
「遅刻、遅刻、遅刻、遅刻〜っ」
 どこもかしこも全力疾走である。
 階段で一度、足をくじきそうになりながらも、滑り込んできた電車に飛び乗った。
 つま先と踵が痛いのは靴のせいだ。だが、腰が痛いのは何故だろう。
 その原因を考えると、またイライラした。
 宿敵と呼ぶ男。
 ああ言えばこう言う。どうやっても丸め込まれてしまう。逃れる事の出来ない罠のように、一つ乗り越えると、そこにもっと大きな罠が仕掛けてある。
 向こうは、それを意識してやっていない。ただ、涼が勝手にかかってしまうだけだ。
 だからこそ、腹立たしいのだ。
 勝てない相手と、どこかで認めているから、余計に悔しいのだ。
 しかし、勝手な事を言えば、彼が自分を構いさえしなければ、こんなにイライラする事も、疲れて腰をさする事も、目覚ましを消して寝過ごす事もないのである。
 乗り換え駅で降りた時、時計はすでに一時を回っていた。
「どうしよう」
 ホームを移動し、二つの駅を超えて、見たこともないビルを探すには、どう見繕っても二十分は必要だろう。
 涼は携帯を取り出した。
 言い訳など、何も思いついていない。メールの着信に気付いたが、今はそれどころではなかった。
 登録してきて相手先の番号にダイヤルする。
「もしもし。本日、御社で面接の予定がある村上と申しますが──」
 取り次ぎの女性に用件を告げ、担当者を呼び出して貰う。その間も、涼は移動し続けた。
 やがて、受話器に現れた若い男は、遅刻を告げた涼に、不機嫌を隠さずに言った。
「それは構いませんが、面接をするのは貴方だけじゃありませんので。他の方が済むまで、三時間ほど待てますか? その間に、別の面接先が見つけられるかもしれませんね」
 涼は、冷たく素っ気ないその声にカチンと来た。待ったところで、遅刻した悪印象は拭えそうにない。どころか、ここまで言われてのこのこ出向いてゆく涼では無かった。
 思った事を黙っていられない口が、勢いのままに言葉を吐き出す。
「けっ! こ〜ですっ! そんな嫌味を言うヤツのいる会社なんて、入ったって楽しくやっていけるかーっ! こっちから願い下げのお断りだっつーのよ!」
 ブチ。
 涼は燃えさかる闘志を抑えきれず、携帯をギュッと握りしめた。
 また、やってしまった。
 せっかくこじつけた面接が、パーになってしまった。
 それと言うのも、遅刻したせいである。遅刻した理由は、あの男にあるのだ。断じて、目覚ましを止めた自分ではない。そう思わなければ、怒りの矛先が向けられない。
 要するに、八つ当たりであると分かってはいても、止められないのである。
 涼は、この不平不満を爆発させるべく、再び画面を見下ろした。
「そう言えば、メールが来てたわね」
 ボタンを押して次の液晶が表示したのは、これから愚痴を垂れ流そうとしている相手であった。履歴は午前十時二十分。
「え? なんなのこれ……」
 文面には、起きたかどうかを問う内容が記されていた。心配して連絡してきたのだろう。何度か家に電話もしたようだ。
 だが、その頃、涼は爆睡中であった。
「全然、聞こえなかったわよ!」
 涼はワナワナと震えた。
 これから怒ろうと思っていた相手である。
 面接を台無しにした、張本人でもある。
 眠りを妨げ腰痛の原因を作ったのも、この男であるし、出勤前に何度も起こそうと試みた挙げ句、気がかりで外出先から電話してきたのもこの男である。
 良くも悪くも全てこの男のする事が、涼を振り回すのだ。
 これは涼にとって、涼が向こうに怒りぶつける行為より、理不尽であった。
「敵よ! 敵! 敵ったら敵! 宿敵、天敵、女の敵! そもそも、『あんな事』をするから起きれなくなるのよ! もう金輪際、ヤツの車にも口車にもぜーったい! 乗らないんだからーっ!」
「良いねぇ、若い人は」
 小太りの中年サラリーマンが、携帯を握りしめて絶叫する涼を横目に、ニヤリと笑う。涼はキッと目尻を吊り上げ、男を睨んだ。
「うるさいわね! 知らないおっさんにそんな事言われる筋合いはないわよ!」
 男は涼の剣幕に気圧されて、そそくさと足を早め去って行った。その背中には目もくれず、涼はガックリと肩を落とす。
「負けないもん……負けて溜まるかコンチキショー!」
 涼の望む『内定』の二文字は、宿敵と言う最大の障害の向こうに輝いていた。




                    終