コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


『待ち人の風景』
 初夏の訪れが、毎年早くなる気がする。
ジリジリとアスファルトを焼く陽差しは、カレンダーに春の花が舞う月とはとても思えない。北斗は暑さを持て余し、髪を掻き上げる。伸びすぎた前髪の下から、苛立ちを隠そうともしない青い瞳がのぞいた。
 近くの鏡みたいな自動ドアに、信号待ちのサラリーマン達が映り込んでいた。背広を腕に抱えている奴が多い。北斗もガクランを脱ぎたかったが、大きなスポーツバッグ一つでもうんざりなのに、これ以上荷物が増えるのはご免だった。
『早く兄貴に夏服を出してもらわねーと』
 守崎家では、家事全般は双子の兄・啓斗の仕事だ。
『いや、その前に、メシだ、メシ!』
 だからもちろん、調理も兄の仕事である。
『ちっくしょう、そろそろ出て来ぉい!今日は早く終わるから、下で待っててと言ったくせに』
 兄は精神を痛めて、高校に通学もできない状態になった。現在は、このオフィスビルの中にあるフリースクールに通っている。
 北斗は、自分の高校から直行でここへ来た。かれこれもう30分は待っている。北斗のミスは、兄に何時に終わるか聞いておかなかったことだ。そして今も、そのミスに気づいていない。
 北斗はスポーツバッグをわざと音をたてて置き、それからスニーカーの結び目を直した。ほどけていたわけではない。他にすることが思いつかなかったからだ。額に溜まっていた汗が耳の横を流れた。
 その時、軽やかな音と共に、ビルのエレベーターが1階に止まった。北斗はやれやれと振り仰いだ。ガラス張りのフロアの奥、銀の扉が開く。フリーターっぽい男を先頭に数人が降りてきた。小柄な少年、ミニスカートの少女、眼鏡の青年。待ち人の姿は無かった。
『くそっ、まだかよ』
 北斗の脇を抜けた眼鏡の青年は、北斗を一瞥し、明らかに眉をしかめた。
『ち、なんだ、感じわりぃな』
 ガクランの前を全部開け、開襟シャツのボタンを2つも外した北斗の姿は、お世辞にも行儀がいいとは言えなかった。だが、フリースクールに通う青年にとって、学生服自体にも忌み嫌う何かがあるのかもしれない。
『あんな感じの悪い奴と、机並べてんのかぁ?』
 今は兄は問題無くフリースクールに通ってはいるが。もともと、高校の校舎には『念』が多すぎて精神が参ってしまった人だ。ここの学校の生徒の方が、ぼーっと高校に通う奴らより、よっぽど『念』が強いと思うのだが。兄はここの授業でも精神を消耗させているのじゃないだろうか。
 北斗は、腕時計を睨んだ。もう40分を回っていた。
『バカ兄貴、何モタモタしてやがる』
 さっきのが生徒だとしたら、授業はとっくに終わったはずだ。誰かと友達になって話し込んでいるようなことは、今の啓斗からは考えられない。
 自動ドアに北斗の姿が映る。疲労して、トイレで鏡を見つめ続ける同じ顔の様子が見えるような気がした。少し青ざめた顔色で、精気の薄れた目で、悲しそうに下げた眉で。たぶん洗面所の白い陶器のへりをきつく握って。蛇口から滴が落ちても、啓斗はずっと鏡を見つめている。
 自分の頬を叩いて気合を入れたのは、北斗の方だった。大きく深呼吸をして、今度は空を仰ぐ。高いビルの電光掲示板のデジタル時計が、さらに10分たったことを告げた。背中を汗が流れて気持ち悪い。
『ああ、ハラが減った・・・』
 スニーカーの爪先でトントンと地面を蹴る。信号が変わる。クルマも人も流れ出す。ポケットに手を突っ込む。ポケットから手を出す。また信号が変わる。全面鏡張りのようなビルの表面を、雲が流れていく。電光掲示板の数字が変わった。そしてまた信号も変わった。
『何か、あったわけじゃないよな?』
 危険なことがあれば、北斗にも感じ取れているはずだ。そんなはずはないと、首を振る。
ただ、啓斗が意識を失っていれば別だが。
『・・・。ハラ減っていると、ロクなこと考えねえな』
 やめた、やめた。楽しいことを考えよう。
こんな暑い午後は、やはりかき氷だ。抹茶。小豆。練乳がけもいい。いや、葛切りの喉ごしも魅力だな。つるつると喉を冷たい葛が通りすぎて胃にするりと収まる感じ。それとも、喉ごしなら水羊羹か。
『・・・。』
 腹が鳴った。北斗は両腕で腹を抑えた。周りに人がいなかったかどうか、きょろきょろと辺りを見回す。
 ククッという微かな笑い。聞き慣れた声を北斗は逃さなかった。
 振り向くと、目を細めた啓斗の笑顔があった。
「北斗の動き、面白いなあ。なんだか、遊園地のからくり人形みたいだったぞ。」
「って、おまえなあっ!」
「ゴメンゴメン。数分前に降りて来てたんだけど、あんまり面白かったから・・・」
 お、お、面白かっただとーーーっ!
ひ、人が、このくそ暑い中、立ちん棒で待ってたのにっ!色々心配してたのに!
ハラだって減ってるんだぞぉぉぉぉ!
「なんでこんなに遅かったんだよっ!」
 胸ぐらを掴みそうになる右手を、かろうじて握って堪えた。そういえば、兄は朝着て出たトレーナーは脱いでリュックに入れたらしく、涼しげなボーダーの長袖T一枚だった。ビルの中は冷房が効いていたのか、汗一つかいていない。
 一方北斗の前髪は汗で額に張り付き、握り拳も汗ばんでいる。
「先生に用があってね。先生の雑用が終わるのを少し待ってたんで。ごめんよ」
「質問かよ?熱心なこった。ここ来んのは、単位の為の出席日数稼ぎに過ぎないんだろ」
 北斗は肩をすくめて言い捨てた。そんなつもりは無かったが、怒りが納まらず、棘と誤解されかねない言葉を吐いたことに気づかなかった。
 だが、啓斗は、軽くクスリと笑っただけだった。
「勉強じゃないよ。講義が横道に逸れた時、先生が水羊羹を手作りした話をされてね。北斗、昨日、水羊羹が食べたいと言ったろ?だから、作り方を訊ねに行ってたんだよ」
「え・・・」
 そういえばそんなこと、言ったかもしれない。昨日から急に暑くなったから。でも、あんなの、啓斗に頼んだわけじゃなくて、独り言だった。そばに啓斗がいたかどうかも覚えていなかった。
 北斗は、思い切り口を尖らせる。もう、怒れなくなってしまった。いや、兄の柔らかな笑顔を見たら、本当はもう怒りは消えていたのかもしれない。
 また信号が変わる。人波が動きだす。一瞬だけ、ビルの谷間をすうっと風が通って、二人の髪をなびかせた。

「でー!草間んとこ寄るんなら、こんなに買物するなよー!」
 両手にスーパーの袋を下げて、北斗は肩で草間興信所のドアを開けた。
「“草間さん”って言えよ。帰りだと、もう売り切れのものもあるといけないから」
 弟をたしなめながら、北斗のスポーツバッグを抱える啓斗も後に続いた。
「こんにちわ〜。あれ、いないんですか〜?」
 草間はデスクにいなかった。鍵が開いていたから、給湯かトイレだろうか。
「おう、こっちだ。・・・なんだよ、すごい荷物だな」
 草間は部屋の奥で、デスクトップのガワを開けて作業中だった。床にあぐらをかいて座り、ワイシャツを腕まくりして奮闘中だ。マルボロの灰が落ちそうだった。
「夕飯の食材と、あと水羊羹の材料を買い込んで来たんで」
「ったく、砂糖が重いの何の。さらし餡も棒寒天もすげえかさばるし。水羊羹用の枠まで買ってんだぜ」
 北斗は、嬉しそうに文句を言った。
「PCトラブルですか?」
 反対に啓斗は眉根を寄せてパソコンの中身を覗き込んだ。
「いや。ファンがホコリとヤニで回らなくなってね。掃除しただけさ」
 そう言えば、周りには汚れた綿棒やクリーナーのボトルが転がっている。
「ヤニ?それ、本体もヤバくないですか?」
「・・・。さ、終わった終わった。仕事の話をするか」
 草間は、啓斗の言葉は聞こえなかった振りをして、立ち上がった。パサリと白い灰が床に落ちた。

 帰りは啓斗がスーパーの袋を一つ持った。北斗はやっとガクランを脱いで、スポーツバッグと一緒に肩にしょった。夕暮れと言っても、雑居ビルの並ぶ裏通りの、熱はまだ逃げていない。オレンジに燃える空は、かえって暑苦しいくらいだ。
「オッサンたちはこういう天気の日に、ビールをかーっと一気にくらいたいと思うんだろうな」
「だからって、水羊羹、枠ごと全部一気食いしないでくれよ」
「ふん。失礼な」
 北斗の空腹は、癒えるどころか胃に痛みを感じるほどだったが、不思議なことにイラついた気分にはならなかった。指に食い込むスーパーの袋の中身が、ささやかだが楽しい晩餐を想像させた。
 嬉しさで気持ちが急いて、つい早足になる。歩行者信号が点滅を始め、二人は次の青を待ちきれずに駈け出した。ビニール袋の中で、人参や砂糖が笑い転げるようにして踊った。
向こう岸に辿り着き、呼吸を整える。荷物が重かったせいで予期せず息が切れて、二人顔を見合わせて苦笑した。
 また信号が変わり、人波が動きだした。

<END>